:基本情報・関連リンク
- 会場:シアター風姿花伝
企画制作:ランズファースト
脚本:ハロルド・ピンター(翻訳:小川絵梨子)
演出:小川絵梨子
舞台監督:村田明
照明:松本大介
美術:松岡泉
音響:山口雅子
音楽・SE:nanoline
マックス:中嶋しゅう(Runsfirst)
サム:中原和宏(ストレイドッグプロモーション)
テディ:斉藤直樹(Runsfirst)
レニー:浅野雅弘(文学座)
ジョーイ:小野健太郎(Runsfirst)
ルース:那須佐代子
- 公演日程:2013年6月15日(土)〜30日(日)
- Runsfirst プロデュース公演 Vol.1『帰郷 -The Homecoming-』@シアター風姿花伝
http://www.runsfirst.com/homecoming/top.html
シアター風姿花伝
http://www.fuusikaden.com/
Harold Pinter - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Harold_Pinter
『ハロルド・ピンター全集 2巻』(新潮社、小田島雄志訳「帰郷」収録)
http://www.pulp-literature.com/200609a.html#08_t1
:原作脚本の事前読解メモ
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---------第一幕第一場(夕方)
- マックグレゴーアについてのマックスの科白、そして亡き妻ジェシーについての科白。「やつはおまえのおふくろが大好きだった」「おまえのおふくろはそんなに悪い女じゃあなかった」「あれのいやらしいきたならしい顔を見ただけで吐き気をもよおしはしたが、と言ってひどいあばずれじゃあなかった」──??? これらの科白の背後にある設定に何の意味がある? サムもジェシーのことが好きだったはず。その点でマックグレゴーアに対抗心を持っていたはず。それに何の意味が? さらにマックスはジェシーをかなり邪険に扱っていたようだが、その設定に何の意味が?
そして、マックスに「うるせえなあ」と平然と言ってのけるレニーは、これらの科白をどう聞いた?(そもそもレニーのジェシーに対する態度は?)
ちなみに、「わしらがスーッと入って行きゃあ、店じゅうのやつが席を立って、わしらに道をあけたものだ。……」の科白は若干現実を離れて回想の世界に入っている。このくだりの演技は?
- マックスの競馬についての自慢話(ほんとうの話か?)。レニーにはまったく取り合ってもらえないが。料理の話で反撃される始末。最後にはマックスがステッキを振り上げるが、レニーはそこで急にトーンを変えて「おれをなぐらないでくれよ、ねえたのむよ、おれが悪いんじゃない、誰かほかのやつだよ……」とか言い出す。???
ところで、ここでのマックスの科白は主に「回想」なのだが(「何度も見たものだ、馬が地ひびき立ててゴール・ラインを駆け抜けるのを。すてきな経験だ。……」)、そのときの演技はどうだろうか。できるだけテンポを落とした方がいいのかな?
- サムとレニーのやりとりで無視されるマックス。「わしだってここにいるんだぞ、わかっとるな」。
- サムとマックスのやりとり。ここでもちょっとした近過去のイメージが入る。「その男がおれになんて言ったと思う? いままで乗せてもらった中で最高の運転手だ、と言ったんだ。」「たとえば今日の客だ、おれは第二次世界大戦に参加したことを話してやった。」これはどういう演技になっている?(そしてその後のレニーの科白「おれ、あんたの話してるような男のことなら知ってるんだ」は? 誰のこと?)
会社一の運転手、っていうやりとりのところですでにサムとマックスは険悪。
- マックスとサム、女性と嫁についてのやりとり。マックスの言うことは結構ひどい。「おまえなにやってるんだ、ご婦人客におそいかかったりしてるのか?」「するもんか。」「スナイプのバック・シートでか? 駐車場でちょうだいするのか?」「おれの車の中でそんなこと一度だってするもんか。……おれはおれの車を汚したりしないんだ! ほかの連中のようには。」「ほかの連中? どんなほかの連中だ?」「ほかの連中さ。」(伏線。ほかの連中=マックグレゴーア)
ここでサム、ジェジーについての思い入れ(弱回想)を語る。サム「少し腹がへってきたな。/(かれは窓から外を見る)/あんたの嫁さんみたいな女はもらえないよ、どっちみち。あんたの嫁さんみたいな女は……このごろとんとお目にかかれなくなったもんな。ジェシーのような女は。」──さて、サムはジェシーをどんな女だと言いたいのか? それはマックスの見方と違うのか同じなのか? 「いやらしいきたならしい顔をしていたが、ひどいあばずれではなかった」というマックスに対して、サムは「チャーミングな人だった。……つきあうにはもってこいの人だった」。うーん、同じじゃあないな。そしてマックスはサムの言葉に対して──「(静かな口調で、眼を閉じながら)なに言ってやがる。」これはどういう感情が込められているのか。
- レニー「みんながほしがってるのはね、おやじさん、あんたの特製料理なんだよ、おやじさん。」VSマックス「いずれそのうちに永遠の眠りにつかしてやるからな、この手で。覚えておけ。」──ここまで険悪な科白のやり取りが可能になるために、こいつらの過去には一体何があったんだ? それとも似た者同士の近親憎悪か?
レニー「でもおれはあんたの息子だぜ。」
- サムの非常に重要な科白。「おれ、ジェシーのことではっきりさせておきたいことがあるんだ、マックス。……あの人を車に乗っけて街をまわったときに、おれがあの人の面倒をみたのは、あんたの代わりだったんだ、あんたが忙しかったときに、あんたの代わりに世話をしてやったんだ。ウエスト・エンドも案内してやった。……あんたはほかの兄弟だったら安心してまかせなかったろう。マックにだってまかせなかったろう。でもおれにはまかせたんだ。それを思い出してほしいんだ。……マックはいやらしい汚らしい下劣なでしゃばり野郎だった。ヤクザなヤボな下品な豚やろうだった。そいつが、いいか、あんたの親友だったんだぜ。」……何が言いたい? マックがジェシーに言い寄っていたことをくさしているのか?(「マックはおまえのおふくろが大好きだった。いつも嬉しがらせるような言葉をかけてやっていた。」)
(いや、まさにそのとおりなんだ! 第二幕第二場ラスト近くのサムの科白。「マックグレゴーアはおれが運転していたときおれの車のバック・シートでジェシーをものにしやがった。」)
それに対するマックスのリアクション。「なぜ、わしはおまえをここにおいとく必要があるのかな。おまえのような老いぼれの蛆虫をよ。」──この反撃の意味は。もしかしてマックスはマックグレゴーアが妻と寝ていたことを知っていたのではないか? だからサムがそれを暴露したときも全然動揺しなかったのでは? しかもそれを知っていながら、面倒くさいから「あばずれじゃなかった」とか独り合点して認識に枷をずっと嵌めていたのではないか? そしてそこを揺さぶろうとするサムに対して無意識に「蛆虫」という言葉を投げつけたのではないか? さらにサムの言葉。「ひでえもんだ、こんなめにあわされるなんて。次から次へとクソの固まりを浴びせられる。次から次へと汚らしい膿が流れてくる。」──マックスはもっとも視野が狭くて認識において独りよがりで、真実から遠い、自分を真実から遠ざけて自分に都合のいい現実解釈の中に閉じこもっている人物なのではないか。
だから、マックスの回想話(おやじの話なども。「おれたちのおやじだと? おやじのことはよくおぼえとる。」)も、ほとんどが駄ボラなのではないか。
---------第一幕第二場(夜) - テディの「じゃあすわれよ」でもルースは動かない。このやりとりで、すでにルースとテヂィの関係性の破断を予告している?(そういうルースの人物の形象化がここですでに演技に含まれているか?)
また「すわったらどうだい?」とテディが言うのだが、ルースはじっと突っ立ったまま。
さらに、テディが「寒いかい?」「なにか飲みものを作ろうか?」と言っても「いいえ」「いいえなにもほしくないわ」の一点張り。テディのノリにぜんぜん合わせようとしない。ほんとに夫婦かよ。
さらにもっと先でも「疲れたかい?」「寝るほうがいい」に対して「いいえ」「いいえ、寝たくないわ」。
- ルース「あなた、ここに泊まりたいの?」/テディ「泊まりたい?(間)泊まりにきたんだぜ。泊まらなくちゃあ……二、三日。」/ルース「もしかしたら……子供たち……さびしがっていないかしら。」/テディ「ばかなことを。」/ルース「きっとさびしがってるわ。」/テディ「だってきみ、二、三日したら帰るんだぜ。(かれは部屋を歩きまわる)なんにも変わってないな。昔のまんまだ。(間)それにしても朝になったらおどろくだろうな、おやじさん。きっときみ、大好きになるよ。正直言って、おやじさんは……そりゃあもちろん年寄りだ。年をとっている。……みんなあったかい連中だ、ほんと。心のあったかい連中だ。ぼくの家族だものな。人喰い鬼じゃない。」
これを次のやりとり(第二幕第一場)と比べてみよう。
テディ「もう帰ろうか。ん?(間)帰ろうじゃないか。」/ルース「どうして?」/テディ「どうせ、ここには二、三日のつもりだったろう。それならむしろ……早めに切りあがえるほうがいいと思ってね。」/ルース「どうして? ここがお嫌い?」/テディ「もちろん好きさ。でも帰って子供たちに会いたくなったんだ。」/ルース「あなたの家族がお嫌?」/テディ「家族って、どっちの?」/ルース「ここの家族。」/テディ「もちろん好きさ。なに言ってるんだ?」/ルース「あなた、自分で考えているほど好きじゃないんじゃない?」/テディ「もちろん好きさ。もちろんぼくは……家族が好きだ。きみがなに言ってるのかさっぱりわからんよ。」
立場が逆転している。とくに子供を気に掛けるあたりで。ルースに、テディにこの間どんな変化があったのか。
- レニーの「コチコチ」の苦悩。これの意味は?
後にルースに対しても。「おれはね、この時計のおかげでひどいめに会ってるところなんだ。コチコチいうんで眠れやしない。ところが困ったことに、それがこの時計のせいだって言いきる自信がないんだ。だって夜中にコチコチいうものはいろいろある、知ってるだろ。あらゆる種類のものだ。そういったものは、昼間はまったくありきたりのものとしか言いようがない。困らせるようなことはなにひとつしない。ところが夜中になると、そのうちのどの一つだっていい、いきなりコチコチいいだしかねないんだ。……ぼくを眠らせないのはこの時計だと言いきると、もしかしたらそれはあやまった仮説を証明することになりかねない。」──これは平常の生活には収まり切らないレニーの精神性を表わす挿話だろうか。
- レニーはルースに初対面のはずだが、最初からいきなり「この夏はすばらしかった。すてきだった。(間)なにかほしくない? 飲みものかなにか?……」とか言い出す。一目惚れでもしたのか?
- レニーの感情の推移は字面からだけじゃよく分からない。ヴェニスの話から「おれはね、こないだの戦争で──たとえば戦線に出征してたら、多分ヴェニスに行ってたろうといつも思ってるんだ」という無根拠な想像を語ってから、突然「あんたの手をとっていい?」。まあこれはレニーがルースに一目惚れして「おかしくないかい? おれがパジャマ姿で、あんたがきちんと正装してるなんて?」とか口走るのが伏線になっているのかとも考えられるが……。
その次に来るのが、「どうしてか、わけを言おう。……ある女がやってきておれにある申込みをした。この女は何日もおれを捜していたんだ。おれの居場所を突きとめる手がかりを失ってね。……」という回想話。その女を殺そうとしたこと。「梅毒」にやられていたから拒絶された「申込み」。運転手。この話、ぜんぜんレニーがルースの手をさわりたい理由になってない! なっているとしたらどういう文脈でか?
さらにその次に来るのが、「おれは環境に対して非常に感受性が強いのに、人に不当な要求をされるととたんに鈍くなる傾向があるんだ」という自分の気質の説明と、親切なことをしようとして途中で止めたという過去のエピソード語り。何の意味があるんだこのエピソード。レニーには善意はあるのだが長続きはしないってこと?
- ルース「あなたがグラスをとるなら……わたしはあなたをとりこにするわよ。」──ルースはいったい何を考えているんだ?
対してレニー「あんたはおれではない男を愛している。……そして一言も予告せずにここにやってきてトラブルをひき起こそうとしている。」「あれはなんのつもりだったんだい? あんな求愛のしかたがあるのかい?」
- そしてレニーとマックスの対話。マックスは大声出して何があったんだ?という説明を求めているのに、レニーは全然関係ない話をし出す。「じゃあ言うよ、おやじさん、……ひとつ質問しよう。だいぶ前から一度聞いてみようと思っていた質問だ。あの晩……つまりだね……あんたがおれを作った晩……おふくろさんとすごした晩、どんなだった? え? おれがまだ眼に見えない存在であった晩。どんなだった? そのときの背景はどんなだった? つまり、おれはおれの背景のいっさいについて真の事実を知りたいんだ。つまり、たとえば、その間ずーっとおれのことが頭にあったのか、おれのことなんかちっとも頭になかったのか、どっちが事実だい?……時にはひとりで、時には何人か集まって、あの特別な晩の真の事実について思いめぐらすんだ──それにたずさわる二人の面影に似せて自分たちが作られる晩のことを。……ほんとうはおふくろに聞けばよかったんだ。どうしておふくろに聞かなかったんだろう? いまとなっては遅過ぎる。おふくろはあの世に行ってしまったからな。」
この問いかけの意味は? 自分の生まれた瞬間についての興味。これは自分のアイデンティティへの問いだが……これがドラマチックな意味を持つとしたら、実際にはレニーの父親はマックスではなくてマックグレゴーアだというケースではないか。サムはそのことを知っているのか。
---------第一幕第三場(翌朝) - サムVSマックス。マックス『おまえがわしに対してもっとるその腹立たしい気持をすててほしいんだ。わしには残念ながらその気持が理解できねえんだ。正直言って、その原因になるようなことをわしがしたか? しとらんだろうが……」「おまえは、肉屋の店に出したら床掃除ひとつできなかった。マックグレゴーアを店に出したら、一週間後には店をとりしきることができたんだぞ。……」
(サムの嫌悪の原因はマジで一体何なんだ? ジェシーを含めマックスの女全般に対する態度が気にくわない?)
- マックス、いきなりルースを「淫売」扱い。彼には女がすべて淫売に見える。ということはジェシーの浮気も知っていた可能性が高い。マックスのミソジニーの由来はそれではないか? 「誰がこの家に汚らわしい淫売を連れてこいと言った?」「わしは六年間、この野郎に会ってなかった、それがなんのあいさつもなしに帰ってきやがる、街でひろった薄汚い商売女を連れてな、そしてわしの家で泊まりやがる!」「わしはこの家に淫売女を連れてきたことはなかった。おまえのおふくろが死んでから一度もだ。」──淫売女に対する侮蔑。でもこれ一義的に解釈すべき態度ではないだろう。後になってマックスはルースを「素晴らしい女性だ!」とか言い出すんだから。
- マックスがサムとジョーイを殴った場面の後──ルースに子供がいることを知ってから、マックスの態度が変わる? 「あんた、母親か?」「(テディに)みんなおまえの子供か?」「テディ、抱き合ってキスしようじゃねえか、え? 昔のように? 抱きあってキスするのはいやか、え?」
---------第二幕第一場(午後) - マックスがジェシーについて語る。「あれは孫たちをあやしたりかわいがったりしただろう、なあ、サム?」「わしの女房はな、このせがれどもがいま知っとる知識を全部教えこんだんだ。こいつらがいま知っとる道徳を全部教えこんだんだ。生きていく規準となるどんなささいな道徳も──こいつらは全部おふくろに教わったんだ。それにジェシーは道徳心に負けねえ愛情ってやつももっていた。すばらしい愛情だ。なあ、サム? いいか、女房はわが家のバックボーンだったんだ。つまり、わしは四六時中店の仕事に追われていた。わしは着々と成功していった、だがわしは鉄の意志と黄金の愛情と知性をもつ女房をほったらかしにした。……わしはな、女房には気前のいい夫だった。金に不自由させたことは一度もなかった。……わしはこう言った、ジェシー、わしらにもどうやら運がむいてきたぞ、おまえにひとつふたつ贈物をしようと思うんだ、ふんだんに真珠をちりばめた、飾り紐のついた水色の絹のドレスを買ってやるぞ……」──??? ジェシーが道徳を教えた結果がレニーやテディやジョーイだっていうなら、ジェシーの道徳心っていうのは一体何なんだ?
- マックスがサムを悪し様に言うあまり変なことを言い出す。マックス「運転手の名に値するやつを知りてえとは思わんか? マックグレゴーアさ! マックグレゴーアこそ運転手だった。」/サム「本気でそう信じてるのかね。」
サムの態度からしても、やっぱりマックグレゴーアがジェシーの浮気相手だ。そしてマックスは哀れなほど盲なのか(淫売が大嫌いなのに女房の浮気には気づいていない?)。
レニーないしはテディの父親の可能性があるのも、マックグレゴーアだろう……。
- マックス「おまえは結婚したんだからな、しかもすばらしい人をえらんだ、すばらしい家庭をもった、すばらしい経歴を歩んでいる……だから過去は過去のことにしようじゃねえか。」??? マックスがテディを家から追い出したのか?
しかもルースを「すばらしい人」って……。
- マックス「あんたはチャーミングな人だ。」/ルース「わたしは……わたしはちがってたわ……テディに……はじめて会ったとき。」/テディ「そんなことないよ。きみはおんなじだ。」/ルース「おんなじじゃなかったわ。」
??? ルースはどんな女だったんだ? テディと初めて会ったとき──モデルをしていた時から、ふしだらな女性だったのか? テディはそんな女に何故惹かれた?
- 「(テディに)兄さんの葉巻、消えてるぜ。」から、レニーがテディにからんでいく。「兄さんは存在と非存在を考察してなにを導き出す?」「なるほど。つまり、それはテーブル以外の何物でもないって言うんだね。そういう兄さんの確信をうらやましいと思うやつもいるんじゃないかな、なあジョーイ?」
ここでアイデンティティの動揺が問題になっているのは間違いない。「(テディに)だがおまえはわしの血をうけついだ息子じゃねえか。わしの長男じゃねえか。」というマックスの科白、「(ルースに)そんなことないよ。きみはおんなじだ。」「最高の生活なんだ、大学では……そう……すてきな生活なんだ。」「彼女はすばらしい妻であり母親でもある。」というテディの科白、そしてレニー自身のアイデンティティ、それらを揺さぶっていく。こいつらの言うことはどの程度が率直な真実なのか。
それを受けてルースの科白、「でもあんまり確信しないほうがよくってよ。あなたたち、忘れているものがあるわ。わたしを見て。わたしは……脚を動かす。それはそれだけのこと。でもわたしは……下着を着ている……それがわたしといっしょに動く……それが……あなたたちの注意をひく。おそらくあなたたちは誤解する。動きは単純なのに。ただ脚が……動くだけなのに。……」「わたし、このすぐ近くで生まれたの。そして……六年前、アメリカに行ったの。岩だらけだった。それに砂。それがどこまでも……ひろがっているの……見わたすかぎり。そして昆虫がいっぱいいるの。そして昆虫がいっぱいいるの。」
謎めいた科白。昆虫は性欲のメタファーか?
ここでジョーイはルースに惹かれる素振り。
- こうやってルースのヤバさが明らかになってきてから、テディが「もう帰ろうか?」と言い出す。ルース「あなた、ここが不潔だと思ってるの?」/テディ「ここが不潔だなんて言ってないさ。」
- ルースがレニーに話す、かつてモデルをやっていたときの「回想」話。「そもまま家にじっとしてたこともあったけど……たいていは……湖のほうへおりて行って……そしてそこでモデルのお仕事をしたの。」これは何の意味が?
その後、荷造りしにいったテディが戻ってきて「女房になに話してた?」
- で、レニーがルースとダンスして、ルースにキスをする。ジョーイ「あれは淫売だ。」ジョーイもルースとキスする。
マックス「いいか、おまえが結婚したことを知らせなかったわけをわしが知らんとでも思っとるんだろう?……おまえは恥ずかしかったんだ。自分より下の女と結婚したんでわしが腹を立てるとでも思ったんだろう。……いいか。あれはかわいらしい娘だ。美しい女だ。それに母親でもある。三人の息子のな。……つまりわしらは一流の女の話をしとるわけだ。感情のこまやかな女の話をしとるわけだ。」(ここでマックスもすでにルースを淫売扱い。次の場面では「あの淫売」呼ばわりするし。)
???????????????????????? マックスのこの「淫売」に対しての態度の振幅は何だ? 息子を生んだ母親だったら何でもいいのか? ジェシーに関しても?
- ルース「(テディに)あなたのご家族はあなたの評論を読んだことがあるの?」/……/テディ「ぼくの論文なんかわかりゃしないだろう。なんについて書いてあるかさえちっともわかりゃしないだろう。ぼくが問題にしている点だって見当もつかんだろう。ずーっと遅れてるんだ。おやじさんも弟たちもみんな。ぼうの論文を送ったって意味ないんだ、途方にくれるだけだろう。それは知能の問題じゃない。世界を見る方法なんだ。……見ることができるかどうかなんだ。ぼくは見ることのできる男だ。……みんなはただの物体だ。ただ……動きまわるだけだ。ぼくはそれを観察することができる。……みんなは自己を失っている。ぼくはそうではない……ぼくはその中に自己を失ってはいない。」
またアイデンティティの問題。こいつだけモノローグで孤立している。もしかしてテディだけがマックグレゴーアの子供?
---------第二幕第二場(夕方) - いきなりサムとテディの、マックグレゴーアについてのやりとり。サム「マックグレゴーアのことおぼえているか、テディ?……あいつのことどう思った? 好きだったか?」/テディ「うん。好きだった。どうして?」/サム「おまえはな、いつもおれのお気に入りだったんだ。子供たちの中で。いつも。おまえがアメリカから手紙をくれたときおれはとっても嬉しかったんだ。それまで父親には何度か書いてよこしたのにおれには一度も書いてくれなかった。だがあの手紙をおまえからもらったとき……うん、おれはとっても嬉しかった。おまえの父親には黙っていた。おまえから手紙をもらったことは黙っていた。……テディ、おまえに言ってやろうか。おまえはいつもおまえの母親の気に入りだった。彼女がそう言ったんだ。嘘じゃない。おまえはいつも……おまえはいつも彼女の愛情を一身に受けていた。」
??????????????? テディだけマックスの子供なのか? いや、逆か? ジェシーがマックスよりマックグレゴーアを愛していたとしたら、テディ=マックグレゴーアの子と見た方が分かり易い。
- レニー「だってあんたにも分かってもらいたいんだが、あんたがおれたちの模範なんだぜ、テディ。……だってあんたはおれたちの自慢の種なんだから。だから、おれたちはあんたが帰ったことを喜び、故郷へもどったことを嬉しく思ったんだ。……だからやっとあんたがおれたちのところにもどったとき、おれたちが期待したのは安心させてくれるようなちょっとした感謝、ちょっとしたいわく言いがたい気持、ちょっとした心の広さ、ちょっとした気前のよさなんだ。……だが、それをおれたちは見せてもらえたか?」
??? この科白は、マックグレゴーアとジェシーの系と、あるいはルースがふしだらな女だったという系と、どう絡んでくる? やはりテディだけ家族の中で浮いている。やはりレニーとジョーイがマックスの子供であるのに対して、テディだけマックグレゴーアの子供なのか? そして、初めて会ったときのルースはジェシーの面影(生来の淫売)をとどめている女としてテディの気に入ったのか? ルースとジェシーの相似は、サムとマックスが二人について「チャーミング」という同じ形容を使ったことが暗示している?
しかし第一幕第一場でサムの言った「あんたの嫁さんみたいな女は……このごろとんとお目にかかれなくなったもんな。ジェシーのような女は。」とはどういう意味だったのか。マックグレゴーアとの浮気を知っていながらそう言うのか?
- レニー「どう思う、テッド? あんたの女房は男をなぶりものにするってことがわかったんだぜ。」
マックス「あの淫売はどこにいる?」/レニー「あれは男をなぶりものにする女だぜ。」
レニーとマックスは、関係は険悪でも似た者同士って感じがするな。サムVSマックスの構図とは異なる。
後の対話でも。マックス「なんだと? テディ、おまえ自分の女房を養うのに手を貸そうとしねえって言うのか? それでもわしの息子か? 汚らしい豚め、おまえがそんな態度をとったと聞いたら、おまえのおふくろは卒倒したろう。」/レニー「そうだ、おやじさん。もっといい考えがある。……彼女をギリシア街に連れてくっていうのはどうだい?」/マックス「あの女に商売させようってんだな?……こいつはまさに天才のひらめきだ。すばらしい考えだ。」
- マックス「どうだろう、おまえたち? この家に女をおいとくってのはたぶん悪くねえ考えだろう。たぶんいいことだろう。わしらはあの女をおいとくべきかもしれん。」
テディとサムが反対する。テディ「それはよくないと思うよ。……それにぼくたちは子供たちのところに帰らなければならないし。」/サム「ばか言うなよ。……彼女には三人の子供がいるんだぜ。」
でもテディも強固に反対するわけではない。レニーはテディに手伝いさえ求める。レニー「なあ、テディ、兄さんもおれたちに手助けすることができるんだ。……兄さんは合衆国におけるわれわれの代理人になれるんだ。」
で、とうとうテディ納得しちまう。テディ「ルース……家族のものがきみにもうしばらくの間、ここにいてほしいと言っている。いわば……いわばお客さんとして。きみもそうしたいならぼくは構わん。家のほうはなんとかやっていけるし……きみが帰ってくるまで。」/ルース「嬉しいわ。」
???????? これじゃテディもレニーやマックスと似た者同士じゃないか。結局テディもマックスの子か? サムだけが孤立しているのか? 最終的にルースを家に置くことに反対するのはサムだけってことになるが。
- レニーとマックス、そしてテディまでがルースに商売女をやらせようという話の流れの中で、突然サムが「マックグレゴーアはおれが運転していたときおれの車のバック・シートでジェシーをものにしやがった。」と叫びだす。
- で、テディは異常なほど爽やかに「うん。じゃあ、さようなら、おやじさん。からだに気をつけて。」と言って去って行く。
そしてすべてが思い通りになったはずのマックスだが……。マックス「(ルースに)あんたの相手として、わしは歳をとりすぎてると思っとるんだろう? いいか、あんた、ずーとそのジョーイの野郎をかわいがることになると思っとるんだろう? その野郎を自分のものに……ずーっとその野郎を自分のものにしておくことになると思っとるんだろう? だが仕事しなきゃあならねえんだぞ! 客をとらなきゃならねえんだぞ、わかっとるのか?……レニー、この女、わかっとると思うか?……(かれはどもりはじめる)い・い・い・いったいわしらの狙いはなんだ? い・いったいわしらの考えはなんだ? この女がちゃんとわかっとると思うか? ちゃんとわかっちゃあいねえようだ。……わしの言うことがわかるか? わしはな、この女が、わしを裏切るんじゃねえかと思うんだ。賭けるか、おまえ? この女はわしらを利用する気だ、わしらをいいように利用しようってんだ。まちがいねえ! わしには臭いでわかる! 賭けるか、おまえ?……この女は断じて……わしらの言いなりにはならんぞ!(かれは両膝をつき、すすり泣き、しゃくりあげはじめる)わしは年寄りじゃねえ。(かれはルースを見上げる)聞いとるのか?……キスしてくれ。」
なんでいきなり泣き始めるんだ??? やっぱりこいつの本質はミソジニー? あばずれだろうが淫売だろうが、単にマックスは女に弱いというオブセッションを持っているってだけなのか。ここにも彼のアイデンティティの動揺があるのか? ついには面目丸つぶれという?
:上演中メモ
- (※※※記憶、小田島雄志氏翻訳の原作脚本、殴り書きのメモを元に再構成しているので、実際のそれと大幅に異なっている可能性が大です。)
・舞台は約15mの幅をいっぱいにつかった、台形に近い形。だけでなく、客席側の中央を大きな段差のある通路が通っていて、ここも俳優たちが動き回る場所として使われる。客席は左右に分割されてある。
舞台は1950〜1960年代のイギリスの古い家という趣きで、舞台奥の壁は天井までぎっしり色んなものが積み上げられている。色んなものというのは──壁にそなえつけの棚が数多くあって、そこに箱、化粧箱、衣裳入れ、手紙入れ、クッション、トランク、丸められた衣服などがドカドカ乗っている。そして小さな椅子も、数脚背もたれを釘に引っ掛けて壁から吊るされている。上手上部には窓。ここから夜の場面には月明かりが射す。舞台上は、下手端に横向きの椅子。その横のサイドテーブルにはチェスと電気スタンドが置かれている。またその椅子の傍には壁に掛けられた鏡もある。下手奥にドア。これは開くとその奥に二階に通じる階段が見えるようになっている。このドアの隣りにチェストがあり、その上には写真がいくつか乗っている(あと旧式のレコードプレーヤーも)。舞台中央には客席の方を堂々と向いたどっしりしたアームチェア。肘掛けのところに小さな地球儀がついている。アームチェアの後ろは食器棚で、グラスが置かれているのが見える。チェストと食器棚のあいだにはもう一つ小さなチェストがある(が上演中はとくに使われない)。上手側にはソファーと小さな椅子。小さな椅子は壁際にくっつけられ、ソファーは横向きで、中央の方を向いている──つまりソファーにすわると正面にアームチェア(の側面)が来るわけ。ソファーの傍にはサイドテーブル。そしてソファーの奥=上手奥、小さな椅子の傍にも裏からの出入り口(一階の別の部屋に通じているという設定)があって、すだれがかかっている。ソファーの後ろ、上手の壁とのあいだにはまだスペースがあり、そこ(上手端)には高台や観音開きの衣裳箪笥が置かれている。この高台はジョーイが坐る際の定位置。上手と下手の壁には両方とも装飾としてバロックな模様のカーテンが天井から垂らされている。
・ところで、原作の指示はこんな感じだ。「舞台のはばいっぱいにひろがる大きな部屋。ドアのある後方の壁はとりのぞかれ、四角いアーチの形だけが残っている。そのむこうに玄関広間。広間の上手後方にのぼっていく階段があり、はっきりと見えている。下手後方に玄関のドア。外套掛け、帽子掛けなど。/部屋には、下手に窓。テーブルや椅子がいくつか。大きなアームチェアが二つ。上手に大きなソファーが一つ。下手の壁際に大きな食器棚があり、その上半分に鏡がある。/上手後方にラジオ兼用の電蓄。」──当然ながら相当改変している。一番大きいのは、客席側中央の段差のある通路を玄関広間にしたこと。したがって「下手後方の玄関のドア」は存在せず、客席の視点ではむしろ玄関の方から家の中の様子を見ているという感じになっている。「後方の壁はとりのぞかれ、四角いアーチの形だけが残っている」についてはセットとしては存在せず、客席のあるあたりのどこかにあるという設定(テディが客席の方を見ながらその話をする)。そして客席側中央の段差のある通路においては、一番奥(客席側最後方)のところに天井からブランコが吊り下がっている。これはそのあたりは前庭ってことなのかな?と思ったが、客席側中央を俳優たちが動き回るとき、玄関ドアを開けたりっていう身振りをしなかったので、このブランコのある場所も屋内っていうことになってしまう……しかしあまり深く考える必要はないんだろう。要するに客席側中央の空間は屋内から屋外に通じる特殊ゾーンということで納得すりゃいい。で、基本的にこうした大胆な構図の変化があるので、二階への階段や食器棚やアームチェアの配置も変わる。とりわけ(マックス用の)ごついアームチェアを中央に持って来て客席の方を向くように置いたのがポイントか。
▼第一幕第一場(夕暮)
・客入り音楽がキース・ジャレットみたいなピアノ音楽に変わって音量が上がる→客席暗くなる→完全暗転。暖色の照明で舞台が明るくなると、ソファーにレニー。褐色の袖捲りしたシャツに褐色のネクタイという姿で、折り畳んだ新聞を読んでいる。音楽が終わるとマックスが上手奥の出入り口から荒々しく出て来る。グレーのカーディガン、焦げ茶色のズボン、手にはステッキを持って。騒々しく抽き出しを開けて何かを探しまわる(その途中でマックス、下手奥のドアの傍のスイッチを付けるので、部屋の照明がさらに明るくなる)。そして舞台前までどかどか歩いて来る。首をねじ向けてレニーに向かって──「はさみどうしたんだよ!」──「聞いてんのか?」で、マックスは舞台前からソファー前まで移動、レニーの間近で怒鳴り散らす。で、レニーに「クソじじい」と言われたあと、「俺にそんな口きくな。いいな!」で、もうハサミのことは諦めたようにどっかとアームチェアに坐る。
・レニーの態度大分ふてぶてしい。ほとんどマックスの言葉を聞いていないふう。ときどき顔を上げてマックスの方を睨むが、だいたいは手元の新聞に目を落としている。脚を行儀悪く組んでいる。
・マックスの一人称「俺」。小田島雄志訳では「わし」。
・マックスはここから第一幕第一場はほとんどずっとアームチェアに坐ったままになる。アームチェアに坐ったまま、中央でマックスの癇癪が四方八方に爆発しまくるという構図。坐ったまま首をねじ向けて、首筋に血管が浮かびそうな勢いの怒声でダイナミックにハキハキとしゃべりまくる感じ。登場人物の中でも、マックス役の俳優だけ声量が一次元違う。
・マックスの科白のテンポかなり早い。「その新聞にフランネルの肌着の広告が出てたんだ大安売りのな海軍の払いさげ品だ幾つか買っといてもいいかなと思ってな」って、機関銃みたいに喋る。原作で「(間)」となっている箇所も科白を矢継ぎ早につなげるときがかなりある。
・マックス「タバコくれって頼んだんだ!!!」もかなりでかい声。小田島雄志訳では「タバコくれって頼んどるんだ。」と感嘆符なしなのでここまででかいボリュームだとは思わなかったね。
・マックスの身ぶりは面白い。椅子に座ったままでも、ここまでさまざまな姿勢をとって身体的な感情表現ができるのか! しきりに頷いたり、首を思いっきり振り向けたり、顎を上に向けたり、肘掛けに手をついて椅子から身を乗り出したり、苛々と坐り直したり、ちょっと椅子から飛び上がりそうになったり。片手に握っているステッキで床を付いたり、ステッキを少し突き出したり、あっちこっち(主に観客席の方)に目をさまよわせたり、だらしなく脚を前に投げ出したり、足踏みしたり、肘掛けを握ったり、片手で腿をさすったり、膝をさすったり、片手で自分の胸を叩いたり、レニーの方を一瞬指差したり、と身ぶりが多彩。
・マックス「俺も歳をとったもんだな、そういうことだな、ふぇへへ!!」と自嘲するような大きな笑い声が入るが、脚本には指示のない演技(脚本では科白だけ)。味があっていい。これ以降もちょくちょくマックスは原作脚本にない嗄れた笑い声をアドリブ的に出していく。
・小川絵梨子の翻訳だが、上演用に相当言葉を切り詰めているという感じ。小田島雄志訳では「おまえ、わしが喧嘩っ早い男だったことは知らねえだろうな。おまえみてえなやつなら、たばになってかかってきたって軽くあしらってやったものさ。まだまだ衰えちゃあいねえがな。……」が、小川絵梨子訳では「おまえ、俺が上品なガキだったとでも思ってるのか。おまえくらいの奴ならいくらでも相手してやった。俺はまだまだ強い。……」とソリッドに。
・ささいなことだが、二回観たかぎりで言うと、ここでマックスがタバコに火をつけるタイミングはアドリブみたい。科白の途中でタバコを銜えてライターで火をつけることもあった。
・マックス、アームチェアに坐りながらも、落ち着いた感じではなく、やたら苛々している。「マックグレゴーア」の名前が出る前の間で、マックス、アームチェアの脇についている小さな地球儀を苛立ちまぎれに回しまくる。
・上述のようにマックス役の俳優はベースの声量がかなり大きい。ハキハキしてて、それはそれでいいんだけど、力強いトーンでずっと一本調子にはなりがち。「俺とマックはウエスト・エンド一の嫌われものだった傷だってまだ残ってる店に入れば中にいる奴がみんな席を立って俺たちに道を空けたシーンと静まりかえってよ、あのな、あいつは大男でな六フィートはゆうにあった家族全員はマックグレゴーアって名ではるばる〔スコットランドの〕アバディーンから移り住んできたでもマックと呼ばれてたのはあいつだけだ」って、ほとんど息を入れずに矢継ぎ早に言う。これは回想の科白だからもっと溜めがあってもいいようなものだが、回想の身振りは、マックスが目をつぶって喋るということだけ。
・「あいつはおまえの母親をすごく気に入ってた。……」この科白だけ、声のトーンを落として、ささやくように。ささやくように、っていっても、やたら音量のでかいささやきで、息を絞って大声を出しているというふう。
・小田島雄志訳と小川絵梨子訳の決定的相違。ジェシーがどういう女性だったかというのはサムとテディとの関連で非常に重要なファクターなんだが、ここではじめてマックスがジェシーについて言及する。その言葉は、小田島雄志訳では「ひどいあばずれではなかった」。小川絵梨子訳では「ばかじゃなかった」。これは見過ごせない相違だろう。なぜなら後にサムはマックグレゴーアとジェシーが浮気していたことを暴露することになるからだ。もちろん、サムの言うことが真実なのかどうかは分からない。マックスの言うように「病的な想像力」なのかもしれない。だが少なくともマックスがジェシーを「ひどいあばずれではなかった」と評価していたことは相対化される。それにこれは、マックスの「淫売」に対するミソジニー混じりの両義的な態度が、すでにジェシーの評価の中にあらわれていることを暗示する科白にもなっている。が、小川絵梨子訳はそういったニュアンスを全部クリアカット。あるいは小川絵梨子訳だと、マックスはジェシーが浮気するような「あばずれ(淫売)」であることを知った上で「ばかではなかった」と言っているというふうにも読める。原文はどうなっているのか。もし「あばずれ」と解釈できるような言葉が使われていないのだったら、小田島雄志訳が踏み込みすぎた誤訳をしたことになる。
・マックスが喋っているあいだ、レニーは全然マックスの顔を見ない。そしてレニー、「黙ってろクソジジイ」/マックス「おい! 俺にそんな口たたくな!……」
・ほんと、マックスは間を取らずに喋る。競馬についての回想科白で、「すばらしかったな、あの野外の生活は……」のあとの間は、間の代わりに笑い声を入れる。「すばらしかったな、あの野外の生活は……ふぇははは……そのおれに馬の話を聞かせようっていうのか。……」みたいな。回想の身振りは、やはり肘掛けを掴み、背もたれに深くもたれて目をつぶるというだけ。
・マックスの機関銃のような喋り方。原作脚本を読めば一つの長い科白の中で「ここで感情が変わったかな?」という区切りを幾つか指摘できるのだが、このマックスは全部勢いで一息で言ってしまおうという感じ。「馬が地ひびきを立ててゴール・ラインを駆け抜けていくすばらしい興奮、あのな、俺は負けたことがないいつだって小銭は稼いだものだなぜだかわかるか?馬の匂いが違うんだ……」
・笑い声上手い。「俺には才能があった。──ん"ーーーっはっはっは」
・馬の匂いの話が出るころから、レニーもようやく顔を新聞から上げてしっかりマックスの顔を見る。だがマックスが喋った後に出る言葉は「親父。話題を変えてもいいですか?」呆れたような丁寧口調で。ここで観客に笑いが起こる。
・レニーも科白を言うテンポは早目。じっくりした間は取らない。場合によっては原作の間の指示を省略。そして、一つの科白の中で結構ダイナミズムを変化させる。例えば「(小さい声で)出て行くさ。(急にでかい声で)ちょうどそうしようと思ってたんだ!」みたいな。
・レニー、「あんたの作る料理は犬用のエサだからさ……」という科白あたりでソファーから立ち上がる。ズボンのポケットに手を突っ込んでマックスを睨みつけながら寄っていく(ポケットに手を突っ込んでるから、感情の変化はほとんど身ぶりで表わせない。首の振りと声のトーンで主に表現することになる)。「ああ出て行くよ。ちょうどそうしようと思ってたんだよ。……」
・ところで、ここでレニーが「あんたの方が先に追い出されることになるぜ!」と言うのは、実際には一家の家計を主にレニーが支えているからだな。
・ポケットに手を突っ込んで、アームチェアの傍に立ちながら、マックスと超近距離で睨み合いながらの、レニーの特徴的な科白、「あ、まさかそのステッキでおれをなぐる気じゃないだろうね? え? お父さん、僕をなぐらないで、ねえ、たのむよ。僕が悪いんじゃない、誰かほかのやつが悪いんだよ。僕はなにも悪いことなんてしてないんだよお父さん、ほんとだよ! そのステッキでぼくのはなぐるのはかんべんしてよ、お父さん」──戯曲で読んでるだけでは一体何がやりたいのかよく分からない科白だが、上演では声のボリュームをかなり細かく変えたり、科白と科白を勢いよく繋げたり、思わせぶりな間をとったり、わざとらしい必死さ、図々しく哀願するようなアクセントを加えたり、と思うと相手を手玉に取るような怜悧さを匂わせたりと、かなり多彩なニュアンスを帯びた科白になっていて、レニーという登場人物の人格を象徴的にあらわすような見事な演技。ほんと素晴らしい!!!! 一人称が「僕」なのも笑える。当然、この科白もポケットに手を突っ込んで、立ったまま発されるので身振りはほとんどなく、首の揺らし具合で感情の抑揚すべてを表現しようというふう。
・サムが入ってくる。当然ながら、客席側後方(=玄関側)から。サムは運転手の制服姿。サムは下手端の椅子に坐る。
・レニーは立って話をしていたが、「へー、ロンドン空港まで?」あたりの科白からまたソファーの方へ戻っていく。下手端の椅子にサム、中央アームチェアにマックス、上手ソファーにレニー、という三角形の構図。レニーはサムとマックスが会話しているあいだ袖捲りしていたシャツを戻したり、ネクタイを結び直したりしている。そうした動きをしながら時折はサムとマックスの会話に介入する。「どこがって、叔父さんの運転ぶりがだよ、それに礼儀正しさもあるかもね?」
・サムは立って葉巻をマックスに渡す。マックスは中央に坐ったままなので。サム、そのまま葉巻の箱を返してもらってからは、立ってそこらを歩き回りながら話す。「そう、おれが今までで最高の運転手だと思ったってね。……」でもサムまた坐る。
・サムが自分がなぜ最高の運転手であるかということを「理由その一、……。理由その二、……。」と長々と語っているあいだ、マックスはまるでその話を馬鹿にするかのように、天井の方ばかり眺めていて、唇を突き出して上方にタバコの煙を吹き上げる。あるいは膝を所在なさげに揺すったりする。あるいは目線を向けるべき方向へ向けなかったりする。身体表現でマックスのサムに対する見下したような態度を示す。
・サムが話している途中でレニー、下手端の椅子の傍にある鏡のところまで舞台を横切って歩いて行って、結び直したネクタイの様子を確認。で、「その人は大佐かなんかだったんだな……」の科白。サムのすぐ傍でサムと話す形になる。
・レニー、上手側奥、ソファー近くの出入り口から出て行く。
・小川絵梨子訳の問題点の一つ。マックスの、スナイプのバック・シートで客の女と一発やったりしないのか?という問いに対して、そんなことするもんか、そんなことはほかの奴らにやらせとけばいい、とサムは答える。そこからの流れで「おれはおれの車を汚したりはしない。おれの……おれのボスの車をな。ほかのみんなだって同じだ!」という科白が出てくるのだが、これだと「ほかの連中も自分と同じようにタクシーでセックスしたりはしない」という意味になってしまわないか? むしろここは小田島雄志訳のように、「おれはおれの車を汚したりはしない。おれの……おれのボスの車をな。ほかの連中のようには!」として、「ほかの連中は車でセックスをするが、おれはしない」という意味に受け取らせないと駄目なんじゃないか? なぜかというと、ここでサムが「ほかの連中」「ほかの奴ら」といって念頭においているのは、ずばりジェシーとタクシーのバック・シートで情交したマックグレゴーアのことのはずだからだ(第二場第二幕の最後の方でそれが暴露される)。でもここではまだそのことを言うつもりはないので、マックスに「ほかの連中って?」と聞かれても「ほかの連中さ」と言葉を濁す。いずれにせよサムの科白を「おれはおれの車を汚したりはしない。おれの……おれのボスの車をな。ほかのみんなだって同じだ!」としてしまうと、ここでのサムのマックグレゴーアとジェシーにまつわるサブテキストが完全に消えてしまう。なぜそういう訳にしたのか。もしかしたら、小川絵梨子氏がジェシーという人物の重要性を理解していないからじゃないか? サムがマックグレゴーア(とジェシー)について拘泥していることがこのサムの科白にまさに潜在していることを読み取れていないからじゃないか?……そうだとすると、テディ(斉藤直樹)のあの一面的な形象化も納得がいく。ジェシーの重要性を理解していればこそ、ジェシーが一番気に入っていたというテディの存在の不穏さが際立ってくるはずなのだが、そこを見逃すと、テディはジェシーともマックグレゴーアともサムともあまり潜在的にも関わりのない、久方ぶりに外部からやってきた洗練された余所者みたいな位置づけにしかならない。テディは実際にはもっと複雑な人物のはずなのだが。マックスやレニーやサムとも深いところでかかわり合っている人物のはずなのだが。
・マックスとの話の途中で、「嫁さんなんかいないよ。」あたりの科白で、サム立ち上がって食器棚へリンゴを取る。それを齧りながら立ち歩きしつつ話す(ジョーイが入ってきて後もまだリンゴ齧ってる)。サムは立ち歩きしつつ首をマックスに振り向けながら話す。サムがジェシーの想い出話をしているあいだ、マックスは渋い顔をして目をつぶっている。
・客席側後方から入って来たジョーイ、ジャケットを脱いでソファに寝そべる。ジョーイ「少し腹へった」/サム「たしかに」/マックス「俺を誰だと思ってんだ!!! おまえの母親か!!!……」の一連の科白は、相手の言葉尻を食うように矢継ぎ早に言われる。
・上手奥の出入り口にレニー正装して(仕事に行くためだろう)ポケットに手を突っ込んだ姿で、ふたたび現われる(ジョーイの「ジムでトレーニングしてきた」の科白はレニーに向かって言われる)。「みんなが欲しがっているのは親父のスペシャル料理なんだよ」の科白を言うため。その後アームチェアに坐っているマックスの方にかがみ込んで小競り合いをした後(一旦出て行こうとするが、マックスに呼び止められて、原作脚本では「振り返って」だが、上演ではレニーわざわざマックスのところまで歩いていって向き合う)──「おやじおやじと気安く呼ぶな」「毎晩俺を寝かしつけてくれたじゃないか」「いつの日か、そのまま永遠に起きられないよう寝かしつけてやるからな」──レニーとマックスはいつもこんな感じなのか?──、レニーは客席側後方=玄関側へとはけていく。そしてレニーが完全に出て行ってしまう前から、ジョーイが話し始める。「今日はボビー・ドッドとトレーニングしたんだ。」全体的にみな科白出だしのテンポが早い。
・マックスは額を掻く仕草をしつつジョーイにボクシングについて忠告するが……ジョーイにもうざがられている感じ。そして、ジョーイがジャケットの手荷物を抱えて下手奥のドアから出て行ってしまって(二階へ階段を上がって行く足音)後、マックス「サム、おまえも出て行ったらどうだ?……俺をひとりにしといてくれ。」
・サム、ジェシーの話を始める。サムはレニーとマックスのいがみ合いのあたりからずっとチェスト付近に立って葉巻を吸っていたので、チェストの上にあるジェシーの写真を手に取ったことをきっかけにジェシーの話を始める、という仕草によって新しい話題に移る流れが演出的になめらか。やがてサムはマックスの坐っている椅子へ歩いてにじり寄って行く。写真を置いてから、マックスのアームチェアに下手側から寄って行く。とくにマックのことが話題になって以降は、相手に自分の言葉を言い聞かせるように超接近。ここでのサムのトーンはかなり重々しい、低い声で。だが、マックスはジェシーの話もマックの話も何も聞きたくないかのように固く目をつぶって口を結んでいる。
・マックス、「蛆虫!」の罵声は、目をつぶったまま言う。
・マックス「次から次へと嫌なやつがあらわれる。……」の科白から親父のことの想い出話まで、これで第一幕第一場を切り上げなければならないので、終わりに向けてどんどんテンションが上がって感情が昂って行くという演技になっている。身振りも凄い。アームチェアの肘掛けをやたらに強く握りしめたり、目線をさまざまに振り向けたり。「おやじのことならよーく覚えてるんだ!!!!!!」そして唐突に暗転。
▼第一幕第二場(夜)
・上手の奥の窓から、月明かりが射している。やがて客席側後方が白っぽく明るくなる。テディとルース、客席側後方=玄関側から登場。テディはトランク二つ、ルースは赤いハンドバックを提げて。テディは家の中にずかずか入っていくが、ルースは客席中央の段差のある通路の一段目に突っ立ったまま。テディ、トランクを離して床に置いた後は、始終コートのポケットに手を突っ込んで立つ。
・テディ、「あれがおやじの椅子だ」の科白で、例の小さな地球儀のついたアームチェアのそばへ行く。その地球儀を回す。
・ここのテディとルースの会話は、原作どおりにきちんと間を取って、テンポは普通。
・テディ、「坐ったらどうだい?」の科白の後に壁のスイッチを入れる。照明が白っぽいものから明るい橙色に変わる(第一場の時と同じ)。
・テディが「見てくるから」と言って二階に行ってしまい、ルースが一人とりのこされる局面があるが、結構長く時間をとる。最初まだ玄関広間の段のところに立っていたルースが、ハンドバッグをゆっくりと床に置いて、ゆっくりと部屋の中に入って行って、軽く口を開いた無表情でゆっくりと歩き、チェストの前、鏡の前あたりで短いあいだ立ち止まったりして、最終的にソファーのあたりで突っ立つ(いずれテディとの会話中にソファーに坐る行動が入る、そのための予備移動)。
・ちなみに、テディが二階へ上がっていく時、下手奥のドアの扉を開けたままにしていく。これで観客にもドアの向こうの階段がよく見え、舞台上の空間性を分かりやすく把握できる。
・テディはもうちょっと繊細な人物(たとえばやたらルースの機嫌を気遣うような)として形象化するかと思ったら、かなり平板な、声に深みのない、やや無神経とさえ言えるような人物になっている。実はこいつら夫婦なのにテディの方は妻のことを何にも理解していないんじゃないか、と感じさせるほどに。
・ポケットに手を突っ込んで歩き回りながら、もちろんときどき立ち止まってルースの方を振り向きつつ、話すテディ(ポケットに手を突っ込んだままなので、首のうなずきと目線の移動と声のトーンだけが演技の抑揚になっている)。テディ、「実際にはそこに壁があったんだ、そこんところに……ドアのついた。それを取りこわしてね……」で、客席の方を見やる。つまり取り払われた壁というのを舞台美術として表わさず、観客席方向に架空のものとして存在しているという具合に配置転換。
・小田島訳「おふくろは死んだ。」⇔小川訳「母親が死んだんだ。」──これは小川訳の方が分かりやすい。小田島訳だと、家の壁を取り壊したことが母親が死んだことをきっかけとしていることが伝わらないだろ。
・テディ「疲れたかい?」/ルース「ちょっとだけ。」のやり取りのあたりで、ようやくルースがソファーに坐る。ここまでもほとんど棒立ちで身振りの少なかったルースだが、こうして坐った後もルースの身振りは両手を合わせたり、手をソファーについたりといったミニマムなもの。そして表情は依然として眉をかすかにしかめた無表情。
・歩きまわりながらの「なにも変わってないな」の科白と同時に、テディ、足元のゴミを拾って、投げ捨てる身振り。
・このあたりからもうルースとテディのあいだに険悪な空気がただよっている? 険悪っていうより、テディの声に深みがないので、まったく誠実に聞こえないのを、「寝たくないわ」「ここにいたいの」とテディにいちいち逆らうルースが嫌がっているような趣き。ルースの声のトーンは始終低く、ささやか。
・テディ、「ねえきみ、大丈夫だよ、ほんとに。ぼくはここにいる。……」あたりの科白で、ルースの隣りに坐る(相手を安心させるようにルースの顔を横から覗き込むのだが、ルースは目を合わさない)。そして優しく語りかけたあと、「よし、そろそろ寝たほうがいいね。……」の科白でまた立ち上がり、歩いてルースが置いたバッグ、そして二つのトランクをまとめて抱え上げる。
・ルース、「ちょっと空気吸ってくる」で赤いスカーフを外してサイドテーブルに置く。
・ルースの「もう寝たらどう?」の科白の後に、玄関広間(客席中央の通路)と部屋の境い目でテディは立ったままルースにキスするのだが(原作の指示どおり)、ほんとうに軽い、形ばかりの、二人のあいだのやや緊迫しかかっている空気をおどけて紛らすようなキス。キスした後にルースは微笑する。
・ここで原作脚本を読んだだけでは分からない、上演を見て分かる面白さが出る局面。ルースがテディに逆らって外の空気を吸いに出た後に、テディは上目づかいにルースの去っていった方向を睨みながら片手の指の関節を噛む。これ、文字で読むだけじゃなくて実際に演じられているのを観ると、すでにこの時点で、この仕草の中に、ルースがテディの望みどおりに振舞うことなく最終的に訣別することになるラストが暗示されているかのようだ。
・テディ一人でいるところへ、上手ソファー奥のすだれ付き出入り口から、パジャマ姿のレニー登場。最初はレニーは出入り口のところに立って部屋には入らずにテディと会話する。テディは舞台前から舞台下手の方へ会話しながら歩いて移動。レニーは、「いいや、あれは夢じゃないな。……」あたりの科白でゆっくりと前へ進み出る。二人の会話は、言葉はくだけているけれども久し振りに会った家族らしい親密さというものはない。レニーの「チクタクいう音のせいで眠れないんだ」という言葉に対してもテディはとくに親身になることもなく、「(眠れないのは)時計のせいかも」とだけ上辺で答えつつ、舞台前を横切ってソファの方へ行き、ソファーに坐る。腕を組んで、脚を伸ばしたリラックスした姿勢。そんな態度だから、テディ「こっちは元気でやってるよ。」/レニー「へー。そうなんだ。」という二人のやり取りもまったく感情が籠っていないような淡々とした会話になっている。というかこのやり取りで、ほとんど二人睨み合っているかのように目を合わせる。
・テディがトランクとバッグを持って二階に上がろうとするとき、レニーは「俺の友達がたまに泊まるんだ、あんたの部屋に……」の科白を言いながらテディがつけたスイッチを消すので舞台全体から橙色の光が消え、白っぽく暗くなる。さらにレニーは手のふさがっているテディのために二階への階段のあるところの電気もつけてやる。
・テディがはけた後、レニーはも一旦上手奥の出入り口に去り、時計を持ってまた現われる。ここのレニーの動きは、まず舞台前までぶらぶら歩いてぼんやりと客席の方を眺める。次に下手奥の方へゆっくり歩いて行って小さなスタンドライトをつける(下手ドア付近のスイッチ=部屋全体の明かりは消えたままなので、いまだ全体的に暗いなかで下手側だけにささやかな明るみが生まれる。ライティングの演出凝ってる)。そしてまたぶらぶらと上手のソファーの方へ歩いていって、それからソファーに坐る。時計をソファー横のサイドテーブルに置き、タバコをつける。このレニーがずっと一人で舞台をさまよっている局面のあいだ、音響でかすかに川のせせらぎのような音が流れている。それはルースが現われて以降小さくなって消える。
・玄関側から戻ってきたルースは、しばらく舞台前に立っているが、さっきサイドテーブルに置いたスカーフをふたたび着けるためにソファー近くまで歩いていく(後にソファーに坐るための予備移動)。このスカーフを着ける行動が、レニーの「寒いの?」の科白を引き出す契機になる。このあたり、すでにレニーはルースに惹かれているっぽい?
・レニーは一旦ルースと距離を離して、下手端の椅子に坐って彼女と会話する体勢になるのだが、「そうだな、できれば相談にのってもらえるかな?……」の科白からすぐにまた立ち上がって彼女の坐っているソファーまで歩いていく(例のチクタクいう音に悩まされている、という相談で、サイドテーブルに置いた時計を手にとるため)。これでまた二人の距離が縮まる。ルースはちょっとレニーを警戒するふうに身を引く。それを見てレニーはぶらぶらとその辺りを歩き回りながら話を始める。
・レニー、長科白の締めの「……仮説としては間違っていることになる」を言い切ったあと、ソファーの傍、壁際にある大きなスタンドライトを点灯する。これで照明が大分明るくなる。その後食器棚へ行ってルースのために水を入れる。レニー、「俺も一杯飲ませてもらうよ」の科白のあとに少し間をとる(原作にはない。というのも原作では水をグラスに入れてからこの科白を言うが、上演ではこの科白の後に水を入れる動作が入るから)。
・レニー、「……兄貴か。アメリカにいるとばかり思ってた」のあたりの科白はアームチェアの周囲を歩き回りながら口にする。ここのところでたまにレニーは咳を挟むのだが(原作にはない指示。水が喉につまった?)、それがすごい自然。
・基本、ルースは完全に無表情なのだが、レニー「同棲してるってわけ?」/ルース「結婚してるのよ。」のくだりでちょっと怒る。しかし、後に判明するけれどルースとテディが結婚式を上げたのはヨーロッパへ行く直前だったのだから、二人が一緒に暮らしはじめてから同棲のような状況が長くつづいていたという可能性はあるのでは?
・レニーとルースの非常に難しい会話シーン。ちなみにポジションとしてはルースはソファーに坐っていて、レニーはそれまで歩き回っていたのからアームチェアの上手側の肘掛けに腰をかけて、ルースと向い合う形になって。レニー「イタリアではどこに?」/ルース「ヴェニス。」/レニー「ヴェニスか? へえ? そいつはいいや。おれはね、こないだの大戦で──たとえば戦争に出征してたら、イタリア戦線で多分ヴェニスなんか行ってたろうと、いつも思ってるんだ。いつもそんな気がしていた。ただ残念なことに兵隊に行くには若すぎたんでね。ほんの子供だったし、小さすぎて。でなければ多分ヴェニスの町を行進していたろうと、想像をたくましくしてるんだ。そう、ほとんどまちがいなく、隊伍を組んで行進していたはずだ。手を握ってもいい?」/ルース「なぜ?」/レニー「(グラスをアームチェアの肘掛けに置いて、立ち上がってそっとルースの方へ近づいていく)すこし触れるだけ。……ほんの少し触れるだけ。」/ルース「な・ぜ?」──これが難しいっていうのは、レニー「手を握ってもいい?」の科白にまったく脈絡がないから。しかもそれを言う直前に間すらない。「……隊伍を組んで行進していたはずだ。手を握ってもいい?」と完全に一呼吸で言われる。一応ポジションとしてここでレニーはルースと近距離で向い合ってはいるのだが、台本が唐突なのそのままに、上演でもやはり突然の「手を握ってもいい?」だった。ただ、その後の反応で近づいてくるレニーに対しルースが「な・ぜ?」で手を腋の下に入れる拒絶の身振りが入って、シーン全体としては、興味深い自然なリズムになっている。
・その後、(自分がルースを手を握りたい理由を話そう、という前置きで)レニーがかつて波止場のそばで或る女を殺そうとした出来事の長い語りが入るわけだが、ここでは上演でしか分からない面白さが出ていた。ここでレニーは坐っているルースに対し相手を見下ろす形で立って話す(ポケットに手を突っ込んだり、体重を左右の脚に置きかえたりしつつ)のだが、その話の中の過去の自分の姿とシンクロして、ここであたかもレニーがルースを痴情に絡んで殺そうとしているかのように感じられるのだ。実際、家の中で今起きているのがレニーとルースだけということは、あたりに人っ子一人いなくて女を生かすも殺すも自由だったかつてのレニーの置かれた状況に近似する。「すべては好都合だったんだ……殺すのに。」そういう印象が醸し出されるということは、脚本を読んでいるだけでは分からない。
・「でも結局、こう思った……わざわざ面倒を起こすこともないだろう」の科白あたりで、それまで立っていたレニーはルースの足下にしゃがみ込む。ルースは警戒を解かずさらに身を引く。するとさらにレニーは身を乗り出す。しかし話し終えてから(「……そうだと俺が決めたのさ」)もうそれ以上迫ることはせず、レニーは立ち上がって下手の方まで歩いていく。この後チェスをいじる動作が入るが、そのための予備移動。そのあいだ、ルースはソファーに坐ったまま髪留めをはずして髪を下ろす。
・余談だが、小田島訳では「(テディとルースが)結婚して六年」なのに、なぜ小川訳では九年になっているのか。長過ぎない? どっちが改変?
・さて、レニーがルースに語る長科白、「去年のクリスマス、サウスワーク自治区での洗濯用脱水機」の話。この話をレニーがルースに聞かせた結果、ルースがレニーを誘惑することになるのだが、それに至る変化は言葉のレベルではなく身体表現のレベルで起こっている(だから原作台本を読むだけでは、それまでレニーに対して警戒を解かなかったルースがなんで一転ここで誘惑に転じるのかまったく分からない)。といっても要するに、レニーはここで話をしながらどんどんルースとの距離を縮めていってついにはソファーの彼女の隣りに坐るという流れが平行してある、ということだが。テディの感受性の話をしているときは、下手端のサイドテーブル上のチェスをいじりながら話す。それから舞台中央のアームチェアにもたれかかりながら話す。さらにその次はソファーの後ろにまわりこんで、ソファーの背もたれに手をついてルースの方に屈み込みながら話す(ルースは振り向きつつも前に身を倒してレニーを避けようとする)。ルースが自分を避けるので、今度は回りこんでソファーの傍にある小さな椅子に話しながら腰掛ける。そしてついに「そういうわけで、俺はヘルニアになる危険をおかして……」あたりでレニーはソファーのルースの隣りに坐る。今度はルースも避けない。どころか、「俺は言ってやったんだ、『この脱水機、あんたのケツに突っ込んだらどう?』……」あたりのレニーの科白にルースは笑い声を上げさえする。レニーは坐ったまま脚を組んでさらにルースの方に身体を傾ける。──そういうふうに語りと平行している身体表現のレベルでルースとレニーの距離を近付け、最終的にルースがレニーを誘惑する布石にしているということ。二人の距離が最大限近づくのは、レニーの過去話が終わった後の「ちょっと失礼、邪魔みたいだからその灰皿片付けようか?」(「そのグラスも片付けてあげよう」)の科白によって。灰皿(およびグラス)はサイドテーブルの上にある。それをレニーが取るには、サイドテーブルがあるのとは反対の側からルースの身体におおおいかぶさるように手を伸ばさなきゃならないから自然身体が密着しかかるわけ。この辺りではもう二人のへだては完全になくなっているように見える。
・ところで、レニーはここで「レナード」と呼ばれるのを嫌がるのだが、それは何故か? 「おふくろがつけてくれた名前だから」──(サムやマックスやテディのみならず)レニーの中でも何かしらジェシーの影が強迫観念のようにちらついているのか? ちなみにこの第二場の最後で「おふくろ」のことはレニーの口からまた出る。
・で、「あなたがグラスをとるなら、わたしはあなたをとる」の科白からルースの反撃開始。一転して主がルースで従がレニーになる。こっからのレニーの動き面白い。観客から笑いが起こるくらい。「冗談だろ。……愛し合ってんだろ? とにかくほかの男と!」でソファから立ち上がって身を引く。ルースは不敵に笑い、まずは坐ったままグラスを差し出す。レニーはそれを(片付けるために自分に渡そうとしていると勘違いして)取ろうとするが、彼女は彼の手を避ける。そして一言、「あたしのグラスから飲んで」。それから彼女が「ゆっくり冷たい水を飲んで……頭をそらして。口を開けて。……」と言いながらグラスを持って迫ってくると、レニーは後退りして舞台中央のアームチェアの肘掛けにぶつかり、「く」の字に腰を曲げてアームチェアにもたれこんでしまう。その体勢を利用してさらにレニーを脅迫するように「床に横になって。さ、あなたののどに流し込んであげる」と上から迫ってくるルース。完全に主従が逆転したことが一目で分かる構図。体勢だけで全然局面の意味が変わってしまうということ。レニー「なんのつもりだ。……俺に言い寄ってるつもりか?」
・そして原作脚本を読んでいただけでは分からなかったこととして、もう一つ、マックスがパジャマ姿で騒々しく二階から降りて下手奥のドアから現われたときの観客の笑い声がある。脚本読んでるだけでは全然笑えるところじゃないんだが、ルースがレニーに謎めいた不敵な挑発を仕掛けたあとに二階へ消え去っていった後なので、観客としてもルースのあれは一体なんだったんだ?と(レニーと同様)気になっているところに不意打でマックスが慌てふためきながら現われる(ただしマックスが現われるのはリーズナブルでもある。レニーが二階のルースに聞こえるように「どういうつもりだったんだ? 言い寄ってたのか!!!」と怒鳴ったから、起きちゃったわけだ)わけで、「あちゃー」って感じて笑わざるを得ない。
・マックスはひとしきり舞台前で暴れる(「どうしたんだ? 何があったんだ! 夜中にどたんばたん大声出しやがって!」「こいつは誰かと喋ってたんだ。誰と喋ってたんだ? みんな寝てる。……」)。そのあいだレニーは水を飲み干してから、苛々とマックスに受け答えしつつ(「一人で声に出して考えごとしてたんだよ!」)ソファーに脚を組んで坐る。やがてマックスも憤然としてアームチェアに坐る。
・レニー、何か決意したようにサイドテーブルにグラスを乱暴において、「じゃ、言ってやるよ親父……」で長科白開始。マックスがジェシーを孕ませたときのことを訊ねるその長科白(ちなみにこれを切々と訴え掛けるように、と同時にやや捨て鉢なふうにも、父親を若干批判しているかのようにも言う、役者が声のトーンに表わす複雑なニュアンスが素晴らしい)のあいだ、マックスは中央のアームチェアに坐り、レニーはソファーに深く腰掛けているという落ち着いたポジションにいるのだが、マックスは突然妙なことを訊かれて動揺したように、目をつぶって呼吸を浅くして、落着きのない居姿。で、マックスはもう相手の話を聞きたくないかのように下手奥のドアから出て行こうと立ち上がるのだが、それを追い掛けるようにレニーも立ち上がる、そして「おふくろの方に聞けばよかったんだよな! 俺はどうしておふくろに聞かなかったんだろう?……」の科白。それからマックスがレニーの顔に唾を吐きかける流れに。
▼第一幕第三場(朝)
・最初にランニングシャツ姿のジョーイが登場。さて、ここで重要なのが、この時点でもう観客の印象としては舞台中央のアームチェアがマックスの存在と不可分のもののように感じられるということ(ここまでマックスしかこの椅子に坐っていないから)。したがって、他の登場人物がこのアームチェアをどう扱うかに、その人のマックスに対する態度が暗示されることになる。ジョーイはまず、片手に持っていた白いシャツを無造作にアームチェアの背もたれに掛ける。そして柔軟体操を始めるが、腿の裏を伸ばすときにアームチェアに無下に片足を乗せてストレッチする。この時、下手の壁の鏡が目に入ったらしく、鏡のところまで歩いて行って髪を少し直してから、鏡に向かって必死にシャドーボクシング。それで息が切れたのか、どっかとアームチェアにだらしなく腰掛ける。坐ったままやたら楽しげに肘掛けに付いている小さな地球儀を回しまくる。それからふたたび立ち上がって、今度はアームチェアに向かってシャドーボクシングする。──そこにマックスが上手奥のドアから突然現われるので、ジョーイあわててシャドーボクシングを止め、背もたれに掛けてあったシャツを取り、まだ勢いで回っている地球儀を丁重に止める(この一連のくだりで観客から笑い声)。こうしたアームチェアへのジョーイの働きかけは、原作脚本には一切指示はない。ジョーイが親父マックスをどれほど疎んじているかということを構想した上で加味された演出。
・ジョーイはソファー後ろの上手端の高台に坐って、シャツを着て、新聞を広げる。立ったままのマックスとジョーイのちょっとした言い争い。だんだんマックスの苛立ちのテンション上がっていく。そしてマックスは「サム、ちょっと来い!」と言った後、苛々しながらアームチェアに坐る。そこからは例によって、中央に居座っているマックスが首筋に血管を浮かせる勢いであたりに大声で当たり散らすという構図。やはり例によって、長科白の中で感情の変化する切れ目を入れない機関銃のような怒声。
・上手奥の出入り口から現われたサム、腰にエプロンを付けている。アームチェアに坐っているマックス、斜め後方のサムに首を振り向けながら罵声を浴びせまくる。で、「いいかサム、おまえに言っときたいことがある、心からの願いだ。」の科白の後、サムが出入り口からまた裏の台所へ引っ込もうとするので、思わずマックスが立ち上がって「おい! 待て!」と止めようとする行動が入るが、このくだりは原作脚本にはない。サムのマックスに対する邪険な態度をよく表わす演出の加味で、観客からも笑い声が。「親父が俺に言ったもんだった……」あたりの科白でまたマックスはアームチェアに坐る(サムはアームチェアとソファーのあいだあたりまで出て来る)。ここからのマックスのテンションも凄い。坐りながらなのに、首を振ったり、姿勢を変えたり、さまざまな怒りの身振りを入れていく。
・下手奥のドアからブルーのガウンを着たテディと白い寝巻姿のルース登場。マックスとサムとジョーイ、超呆然。テディ、微笑を浮かべたままルースの腰に手をやって「朝食は何?」。そして「どう? 元気だった?」あたりの科白で舞台前まで歩いて行って、部屋の玄関広間の境い目にある段差に腰掛けて、真正面からアームチェアに坐っているマックスと向かい合う。「俺は笑いものか?」「自分の鍵で入ったんだよ」──テディとマックスがやり取りしているあいだに、ルースもテディの傍まで=舞台前までやってくる。したがってマックスの言う「誰がこの家に『淫売』を連れて来いって言った?」という科白も、ルースは真正面から聞くことになる。ジョーイはずっとルースを見てニヤニヤしていたのだが、マックスの発した「淫売」という言葉を聞いてテディ同様やはり顔色を変える。
・マックス、「今まで商売女がこの家の敷居をまたいだことはない……」の科白でマックス、アームチェアから立ち上がって話す。すぐ後にジョーイを殴ることになる予備移動。このあたりでレニー、部屋には入ってこないが、上手奥の出入り口にパジャマ姿で現われる。
・マックスが暴れるシーンだが、マックスのブチ切れを表わすために「うるせ! うるせ!」という呟きやソファーを殴り付けるという動作を入れている。殴られたジョーイはルースの傍(舞台前)まで這っていく。これは要するに、次にルースとテディに何かしてやろうと迫って来るマックスの前に、ジョーイが無言で立ちはだかれるよう予備移動したということ。マックスはジョーイと間近に睨み合ったあと、諦めたようにふたたびアームチェアに坐る。
・マックスが坐ったままルースをステッキで手招きしたとき(「お嬢さん……」)、舞台前で、テディがルースを止めようとするのだが、ルースはそれを振り切ってマックスに近づいていく、という行動を追加。原作脚本にはない。ルースの奇妙な大胆不敵さの表現か。
・マックス、「抱き合ってキスしようじゃねえか。……」あたりの科白でふたたび立ち上がって、客席中央の段差のある通路の方まで歩いて行く。テディもそこにいるので。原作にはないが、マックスの「こいつはまだおやじを愛しとるんだ!」の科白の前にマックスがテディに派手にキスする行動を加味。原作ではマックスはテディと面と向き合うだけ。
・第一幕終わり。すぐに第二幕が始まるが、暗転の間にちょっとした音楽が流れる。
▼第二幕第一場(正午過ぎ)
・サム、上手奥の出入り口から正装した姿で登場。しばらくサム一人きりの舞台で、ここで彼がアームチェアに対してどのような働きかけをするかが、第一幕第三場冒頭のジョーイのケースと同じく、彼がマックスに対して抱いている感情の間接的な開示になっている。まずサムはグラスの水を飲んでタバコを吸うのだが、口を拭って濡れた手を、アームチェアの背もたれにこすりつけて汚れをそこになすりつける。それからチェストの抽き出しを開けてそこにタバコの灰を落とす。そしてチェストの中の何か(ステープラー?)を取り出してそれを下手端のサイドテーブルの抽き出しの中へ移し変える。代わりに、そこにあったハサミを取り出して──ここでわざとらしくハサミを掲げてチョキチョキ鳴らすことで観客にそれがハサミであることを明確にアピール──今度はそれをチェストの抽き出しに移し変える。つまり第一幕冒頭でマックスが捜していたハサミは嫌がらせでサムが隠していたものであり、どうりでマックスがチェストの抽き出しの中をいくらさぐっても見つからなかったわけだ。それから今度は小躍りするような身振りで、「こいつめ! こいつめ!」と言っているかのようなダイナミックな身振りで、アームチェアの肘掛けについている地球儀を回しまくる。そこへ、サムが上手奥の出入り口が突然走って現われる。サムはあわてて地球儀を止め(観客から笑い声)、マックスに背を向けて鏡に向かってゴルフの素振りをする。マックスは自分もタバコをつけてから、舞台前の方にゆっくり歩いてくる。そのあいだサムの方を睨みつけている。やがて、サムの方もマックスの方を睨む。二人睨み合う。そして無言のまま、二人は表情の変化だけでいがみ合う。
・やがてテディとレニーが、やはり正装姿で上手奥の出入り口から入って来る。テディはサムにタバコの火をつけてもらう。ここまで全員ずっと無言。
・そして最後に美しい黒のノースリーブのドレスを着たルースと、そのすぐ後ろからコーヒーカップの乗ったトレイを持ったジョーイが一緒に登場。ここでテディ以外の全員の目がルースに惹き付けられる。とくにひどいのがジョーイで、ルースのあとについて歩きながら、ほとんどルースの匂いを嗅ごうとするかのように見蕩れて顔を寄せている。ルースはジョーイの持つコーヒーカップをみなに配って歩く。みな、コーヒーカップを受け取ると坐る場所を見つけて坐る。サムは下手端の椅子。マックスは例によって中央のアームチェア。テディはソファーの傍の小さな椅子。レニーはソファーに。最後にジョーイはソファー後ろの上手端の高台に。ところがこの状態だとカップを持って突っ立っているルースが坐れない。そのことに気づいたレニーがあわてて立ち上がって、下手側へ歩いて移動(コーヒーカップをチェストの上に置く)。ルースが空いたソファーに坐る。
・そしてルースの「お昼御飯とても美味しかったです」の科白からようやく会話スタート。ちなみにこの科白に至るまでの原作の指示は、「午後。マックス、テディ、レニー、サムが舞台にいて、葉巻をふかしている。/ジョーイがコーヒーの盆をもって上手後方から入ってくる。そのあとにルースがついてくる。ジョーイは盆をおく。ルースはみんなにコーヒーをわたす。彼女は自分のコップをもって腰をおろす。マックスは彼女にほほえみかける」というだけ。全・然・違・う!!!! 小川絵梨子演出ではこの第二幕冒頭に色々なものを付け加えて、さらにその一部始終を完全に科白なしで演じさせた。ヤバすぎる。
・テディ、「ああ、料理の腕はたいしたものだよ」の科白を言いながら、ルースの坐っている隣りに移動して、ルースの二の腕に手を回す。まるでルースの所有権を誇示するみたいに。これでマックスとジョーイとレニーはちょっと鼻白むふう。
・ここからマックスの亡妻ジェシーについての長い語りが始まる。例によってアームチェアに腰掛けたままの姿勢ながらかなり激しいダイナミズムで、ほとんど脚本の「間」の指示を無視して矢継ぎ早に声を出して行く。が、マックスの話をまともに聞いているのはルースだけといった趣き(「可愛い義理の娘もいる……」のくだりでルースはマックスに向かって微笑む)。ときどき確認するように「なあ、サム?」と下手側のサムの方を振り向くのだが、サムはタバコをふかして知らぬ振り。でもマックスはルースが聞いてくれるだけで上機嫌らしく、長話のあいだにちょくちょく思い出し笑いのような声を洩らす。レニー、ジョーイ、テディらはみなコーヒーを啜って、タバコを吸い続ける。
・「あれはまるでクリスマスみたいだったなー」の科白でマックスは目をつぶる。
・「ジェシーがこの俺の息子たちに全部を教えたんだ、道徳を、常識を、こいつらが生きていく規準となるあらゆる知識を、あれが教えたんだ。それにあの女は思いやりにあふれる女だった。……まあこんなふうに遠回しに言ったってしょうがねえ、そう、あの女がこの家族の柱だったんだ!」──亡妻ジェシーについてマックスが語る非常に重要な科白。なぜ重要なのか? これは小田島雄志訳と小川絵梨子訳の二つ目の決定的相違にかかわる。マックスは「俺は生涯肉屋として働いてきたんだ」の科白からずっとルースに向かって身を乗り出し、ほとんど叫ぶように(自分の人生上の苦労について)語りかけるのだが、その話の中でジェシーへの言及がある。それが小田島訳では「だらしのねえ女房」となっているのに、小川訳では「クズのふしだらな女房」なのだ。小川訳だと、明らかにマックスはジェシーの浮気を知っていてこのように「ふしだらな女房」だったと悪口を言っているように読める。実際それは、小田島訳で「あばずれじゃなかった」となっていた箇所を「ばかじゃなかった」と訳し変えたことと一貫している(マックスがジェシーの浮気を知っていたなら、「あの女はあばずれじゃなかった」と言うのは矛盾)。つまりマックスはジェシーが浮気な女だということを知っていた(例えば第一幕第三場で「ジェシーが死んでから淫売女にこの家の敷居をまたがせたことはない」とマックスが言うのも文字通りの意味で受け取る必要がある。ジェシー=淫売女でもあるから、ジェシーの生前から淫売女にこの家の敷居をまたがせたことは一度もない、とは言えないわけだ)。知っていた上で、マックスはジェシーが「この家族の柱だったんだ!」と断言しているのだ。これは今後新たにルースが「ふしだらな」女としてこの一家に受け入れられて中心に居座るようになることの伏線なのではないか。小川絵梨子訳だとその構図が画然と浮び上がるし、マックスのここでの長科白の重要性もよく分かる。
・マックスが激しい怒声をサムに浴びせて二人が言い争いしているあいだ、レニーはサムを見たりマックスを見たりと目線を動かす。
・サムは出て行くときルースに握手を求める。ルースは微笑する。サムが出て行ったあと、レニーがサムの坐っていた下手端の椅子に腰を下ろす。
・ソファーに坐ってるテディとマックスの会話開始。マックス「どうしてたんだ、おまえ?」/テディ「元気でやってたよ。」……マックスは一転して上機嫌に。目線を中空にさまよわせたり、脚をだらしなく伸ばしたり、額を掻きながら笑ったり、坐りなおして深く腰掛けたり、という身振りで。テディは途中で灰皿にタバコの灰を落としに行くために立って歩きながら話す。「最高の生活なんだ、大学では……そう……すてきな生活なんだ。……」あたりの科白を。でもまた(レニーに「兄さんのタバコ消えてる」と話し掛けられる寸前に)ソファーに戻って坐る。この後のレニーとの対話に備える予備移動。
・ルース「私は違ったから(素晴らしい女性ではなかったから)……テディにはじめて会ったときは。」/テディ「そんなことはない。きみはずっと同じだよ。」/ルース「おなじじゃなかったわ。」あたりのやり取りで不穏な空気が流れはじめる。
・マックスがジョーイを呼ぶときに観客から笑い声が起こるんだが……俺の席からはよく見えなかったが、ジョーイがまたルースに接近して(後ろから)ルースの匂いを嗅ぐのに夢中になっていたりしたのかな? そこに突然マックスから「ジョーイ!」と呼ばれて、びびったのでソファーの後ろに隠れたのか。当然ながら原作脚本にはそういう動きについて一切書かれていない。マックスがただジョーイを呼んだというだけ。ルースと喋るジョーイ、やたら上っ調子。
・レニー「あのさ、テディ、あんたの哲学博士としての仕事の話、あんまり聞いてないよな。」から、レニーとテディの対話開始。最初はテディはソファーに腰を掛けて、レニーは下手端の椅子に脚を組んで坐って、というポジション。レニーとテディの対話のあいだ、マックスは目をつぶっている。「あんたは存在と非存在についてどう考える?」で、レニー立ち上がって、ポケットに手に突っ込んだままゆっくりとテディの方へ近づいて行く。「たとえば、テーブルを例に取ろうか」の科白でソファー脇のサイドテーブルを指差すための予備移動。
・立ったのち、レニーは歩き回りながら話す。そしてジョーイが「叩きこわして薪にする!」と素っ頓狂な合いの手を入れたときには舞台前あたりで大声で笑って、そのまま舞台前と客席中央の段差のある通路の境目の段に腰掛ける。これでふたたびマックスはアームチェア、テディはソファー、ジョーイは高台、レニーは舞台前の段差、という構図で男全員は坐った状態。で、ここからルースの問題の科白。
・ルース「……一つ見落としてるわ。……私を見て。こうして私が……脚を動かす。これはそれだけのこと。でも私は……下着を着ている……それが私と一緒に動く……それが……あなたたちの目をひく。おそらくあなたたちはそれを誤解する。……」──レニーやマックスがジョーイを笑っている最中に突然放たれるこの科白だが、原作脚本で読むと(この後につづく「アメリカには昆虫がいっぱいいる」という科白も含めて)意味不明すぎてよく分からない局面。しかし実際に上演されたものを観るとここで空気が一気に変わってしまうことがわかる(だからこそこの後すぐに血相を変えてマックスは立ち去ろうとするわけだ!)。というのは、ここでルースが「脚を動かす……」とか言い始めて、この科白は実際にルースが脚を組み変えながら言われるのだが、レニーとマックスとジョーイとテディの目が完全にルースの脚に釘付けになるからだ。そのようにルース以外の登場人物が揃って注目しているものに、観客も含めその空間全体の注意が総じて一点にそそがれることになるわけで、それはそれまでの、ジョーイとルース、ジョーイとマックス、マックスとレニー、レニーとテディ、レニーとマックス、レニーとジョーイ、と複数の登場人物間でキャッチボールのように往還していた注意の線の運動とは画然と異なった、張りつめた空気を舞台上に作り上げることになる。そういう空気感の変化は、原作脚本の字面を追っているだけでは分からない。……ところで締めのルースの「そういう可能性を、覚えておかないとね。」の言葉はやや茶目っ気を匂わせて口にされるのだが、怖えよ。ルースが話しているあいだ、テディは怒ったような顔つきをしている。
・ルースの話の途中で立ち上がっていたテディ、マックスとレニーとジョーイが(玄関方向に)出て行ってから、「もう帰ろうか」と言いながらふたたびルースの隣りに坐る。ちょっとルースの暴挙をとがめるようなニュアンスも姿勢にありつつ、基本は優しげに。ルースの手を取ったり、ルースの顔を覗き込んだりしながら話す。だがルースはテディと目を合わせずにずっと床に目を落として受け答えする。そうやってしばらく二人して坐りながら会話するのだが、「ねえ、むこうが今何時か分かる?」あたりでテディは立ち上がって、歩き回りながら話す、コートのポケットに手を突っ込んで(言葉は優しげなんだけれどこの姿勢はかなり攻撃的だ)。そして「ヴェニスは気に入っただろう? 素敵だったね」の科白でルースの目の前に立ち、ポケットに手を突っ込んだまま彼女を見下ろす姿勢になる。それから「休んでいればいい。僕は荷造りしてくる」でテディ、ルースの髪についた埃を取ってやる動作を入れる。テディ、下手奥のドアに去る。
・テディが荷造りのため二階に行って、ソファーにルース一人きりになってから、ルースは目をつぶる。そして時計の秒針の音のような音響が鳴り、照明が若干暗くなる。これはこのあいだに数十分〜一時間ぐらい経ったことを示す演出だろう。やがて(やはり正装した姿で)あらわれるレニーが発する第一声が「ずいぶん日が短くなってきたね」だし。
・レニーとルースの会話スタート。レニーは舞台前にポケットに手を突っ込んで立っているのだが、会話しているあいだに、ルースもソファーを立って舞台前にゆっくりと歩いて来る。そして、ルース「この靴どう思う?」/レニー「とってもいい。」/ルース「よくない。向こうじゃ全然欲しい靴が手に入らないの。」──というやり取りは、舞台前で二人とも立ったまま行われる。で、この「よくない。……」の科白のときに靴を脱いで手に持つ動作が入るが、それも立ったまま行われる。靴を脱いだあとは、ルースは客席中央の段差のある通路をゆっくりと登っていきながら、ときどきレニーの方を振り返りながら話す。レニーは部屋(舞台)と玄関通路(客席中央の通路)との境い目にポケットに手を突っ込んで立ったままで(つまり客席中央の通路には出てこない)、ルースの方を眺めながら話す。ルースは「それも私が……子供を生む前の話。」あたりの科白で、客席後方のブランコに到達、それにもたれかかる。ブランコというか、一種の椅子のように扱っている(ちなみにブランコには上から白い照明が当たっている)。そしてかつて自分がやった写真モデルの話をしながら、片手でブランコの鎖を掴んだり、髪を掻き上げたり、膝をさすったり、足先を見つめたりという身振りを入れる。表情は微笑まじり。
・荷造りを置いたテディ、現われる。テディは現われるとすぐトランクを置いて、ブランコのところにいるルースのところまですたすた歩いて行く。「何話してたんだ?」入れ違いにレニーはチェストのレコードプレーヤーの方へ歩いて行って、レコードを鳴らしはじめる。「行ってしまう前にダンスはどう?」
・で、こっから演出的に難しい局面がつづく。レニーがルースとダンスしながらルースにキスするところを、ちょうど玄関側=客席側後方から登場してきたジョーイとマックスに目撃されるという出来事のあと、ジョーイがレニーとルースのところまで降りて来て、レニーからルースを奪って押し倒すという流れ。実は原作の指示だとジョーイはルースと一緒にソファーのところまで行って押し倒すということになっているのだが、これはいくら想像しても動きとして不自然すぎる。小川演出ではその代わり、ソファーではなくて舞台前と客席中央通路の境い目になっている段差をつかってジョーイがルースを押し倒すという動きになっていてより自然。というかここでこういう動きにするために、レニーとルースに舞台前でダンスをさせていたわけだ……。後の「ジョーイとルースはソファーから床の上にころがり落ちる」という原作の指示も、通路の段差をつかって表現している。
・このあいだテディはずっとブランコのところに立っているのだが、ここで面白い演出の加味として、レニーがずっとテディを睨みつけるという仕草が入っている。言わば、テディからルースを奪い取ってやるんだという意志をレニーがありありと表わしているという演出か。この後にも、第二幕第二場でルースに売春をさせようという提案をレニーがする局面では、それをマックスではなくテディを睨みつけながら不敵な笑みをたたえて口にする、という演技になっている。演出として、ルースをめぐり一貫してレニーとテディを対決関係に持っていこうという意志が、ここからすでに始まっているというわけだ。
・そしてマックスの科白。ブランコに坐って話始めるのだが、すぐに立って、歩いて、テディの顔を覗き込んだり、テディの方を振り向いたりしながら話す。マックス「俺はこころの広い人間なんだ。これはいい女だ。きれいだ。母親でもある、三人の息子のな。……一流の女だ。素晴らしい女だ!」と言いながら第一の段差のところまで降りて来る。ところでこの科白、夫を差し置いてレニーやジョーイとキスしている女について「素晴らしい女だ!」と言っているのだから、マックスの価値観においては淫売かどうかなんて本当はどうでもいいってことか? いや、もっと言えば、淫売でありながら三人の息子の母親でもあるルース=ジェシー=一流の女・素晴らしい女、という構図なのか?
・ルース、ジョーイを押し退けて舞台前に立ってから、急に態度が冷ややかになる。「(飲み物)ほら頂戴!」の声も苛立ちまじり。つづきをやろうと寄って来たジョーイに対して「止めてレコード」と命令。レニーがウィスキーをグラスに入れて持って来てやっても「こんなんじゃ飲めないわ。タンブラーはないの?」。場の支配権がルースに移っている。マックスもこのように変貌したジェシーを、自分の唇を片手で触りながら睨むように、驚いたように見ている。思うに、これでほぼルース=淫売で三人の息子の母親で「この家族の柱だった」ジェシーの再来、という構図が完成したんじゃないか? レニーの「みんなも飲むかい?」の科白でマックスも笑い出し、アームチェアまで行って腰掛ける。そしてテディも客席側後方から歩いて降りて来て、ソファーに坐る。
・テディがソファーに坐ったことをきっかけとして、ルースは「あなたのご家族はあなたの評論を読んだことがあるの?」とテディに訊ねる。このきっかけの作りは上手い演出。原作脚本では何の指示もなく突然ルースがテディに訊ねるという強引な流れだから。このときのポジションは、ルースは舞台前に立ち、マックスはアームチェア、テディはソファ、ジョーイはルースの傍、レニーはウィスキーを取りに行った流れで食器棚周辺に立っている。テディは自分の哲学の価値について語り始めるが、まるでルースの変貌などまったく意に介さないかのように、ルースも含めたマックス、レニー、ジョーイらを見下すかのように、何の同様も絶望も感情の変化もない平板な声で滔々と語る。「僕の評論の意味なんか分かりゃしないだろう、あんたたちには。だから評論を読ませる意味がない。……」で、喋りながら、ソファー腕を組んで脚を伸ばす姿勢に変わる。一種の無神経さの表われ。テディの語りが終わってから、暗転。
▼第二幕第二場
・ここの場転はわりと凝っている。一度暗転するのだが、そのあいだに役者がはけるのではなくて、全員立ち位置が変わらない中、テディ一人がソファーから立ち上がり下手端のチェス盤の乗ったサイドテーブルのところまで歩いて行き、そこのスタンドライトを点ける。暗転している舞台上で下手端だけに小さな明かりがつき、チェス盤に立ったまま屈み込んで一人でチェスを始めるテディ。それから他の全員が下手奥のドアから出て行く。テディはその下手のドアを閉めてやる。
・しばらくして照明が明るくなり、上手奥の出入り口からサム登場。テディはチェスをやりつづける。サムがジェシーの話を聞かせるのだが、「テディ、おまえはいつも母さんの愛情の中心だった」というサムの科白で、チェスの駒をいじるテディの手が一時止まる。
・サムが「もう二週間ぐらいここにいたらどうだ? 一緒に楽しい時間をすごそう」と言いかけるのに、レニーが客席側後方=玄関側からずかずかやって来て「まだいたのかテッド? 新学期に遅れるんじゃないの?」とぶっきらぼうに言って水を差す。レニーはスーツ姿だがネクタイはゆるんでいる。
・レニーとテディの対話。ここに至るまで、科白でのやり取り以外にも、目線での睨み合いなどによってレニーとテディの対決的構図を匂わせてきたが、それがここで前景化する。テディ「ぼくがおまえのチーズサンドを取ったんだよ。」という科白の後に長い間があるが、このあいだずっとテディはレニーの方を見ず、チェス盤に身を傾けて一人でチェスをやりつづけている。レニー「なあ、テッド、そういうことだろ?……あざやかなお手並みですよ。……」と、レニーがテディを責める科白を言いながら怒りを募らせていくのは、舞台を歩き回りながら。だが途中からソファーに腰を下ろして、下手のテディの方を睨みながら話す。このあいだ、テディは一人でチェスをやって全然レニーの話を聞いていないふう。「あのさ、あんたにも分かっててもらいたいんだが……」あたりの科白で、レニーはふたたび立ち上がり、テディの方へ近づいてくる。テディはサイドテーブルを回って下手端の椅子に坐って、坐りながらまたチェスをやろうとするが、そこへ、レニーが歩いてやってきてチェスの駒を横取りして、一人で早いテンポでチェスをやり始める(「おれたちはあんたの模範例につづこうと精一杯努力しているんだ……」あたりの科白を言いながら)。レニーはすぐにチェスをやるのを止めるが、それによってテディももう、チェスをつづける気がなくなったふう。ただチェスの方に俯いているだけ。だが、対話最後の「したよ」の強い語気の科白と同時に、テディ、一回だけチェスの駒を盤に打ち付ける動作。
・レニーとテディの対話が終わったところで、下手奥のドアから新聞を持ってジョーイが登場。するとテディは立ち上がってソファーの方へ移動。坐る。ジョーイは入れ替わりに下手端の椅子に坐って新聞を開く。つまり、下手端の椅子にジョーイ、舞台中央に突っ立っているレニー、上手のソファーにテディ(例によって腕を組んで、脚を偉そうに伸ばして)──という構図。そしてレニーはテッドの方に身体を向けて、テッドを睨みながら背中ごしにジョーイと(テディに聞かせるための)会話をする。「こないだの女の子の話」。ジョーイに話をさせるのにところどころ先を越してレニーが言葉ついでいくという面白い流れだが、話しているうちに、ジョーイはジェスチャーで状況を説明するために、新聞を片手に持ったまま立ち上がって舞台前まで出てくる。レニーはやたら激しく歩き回りながら話す、興奮のあまり途中で二階へのドアをバタンと閉めたりして。最終的にジョーイは、上手端の高台の定位置まで移動する。
・マックスとサム、客席側後方=玄関側から登場。マックスはなんか変な節を付けて踊って、歌いながら。ルース以外の全員が揃う。このあたりから、舞台だけでなく客席側中央の段差のある通路=玄関広間をも利用して大きな運動の線を生み出しながら相互にやり取りする。マックスはいちいち話し掛けたいやつのところまで歩いていく。「俺のジョーイが? ……おまえ気分は、大丈夫なのか?」
・マックスは舞台上に立っているので、アームチェアは空いたまま。で、「悪いけど駄目だよ親父。彼女は気分がすぐれないみたいだし……」あたりの科白でテディ、ソファーから立ち上がってアームチェアに横柄に坐り込む。やはり腕を組んで、脚を伸ばして。
・そしてマックス、ジョーイ、レニーのあいだでルースを家に置くか、ルースをどう扱うかという会話が(マックスもレニーも歩き回りながら)交されつづけるが、ここでレニーは、マックスと話しながら、なぜかテディに言って聞かせるように目線と身体をテディの方に向けてルースのことを話す。科白においてではなく、身体表現においてレニーがテディを挑発しているという趣き。「つまりあの人は中古品を着て満足するような女じゃないんだよ。……」むろんこんなことは原作脚本に指示はない。やがて、レニーはアームチェアに坐っているテディのところまで、睨みつけるようにしながら接近してくるが、テディはそれを避けるように、アームチェアから立ち上がって客席側中央通路まで歩いていく。入れ替わりにマックスがアームチェアに坐る(そのため、レニーとマックスが近接するポジションに)。このあたりでサムも舞台に降りてきて下手端の椅子に腰掛ける。
・そしてレニー、アームチェアに腰掛けているマックスの方へ身を屈めながらも、目線は客席側中央の通路にいるテディに睨みつけるように向けて、「親父、俺にもっといい考えがある。……彼女をグリーク・ストリートに連れていくってのはどう?」の科白を、悪意ある笑いをにじませながら言う。上記のとおり、科白のやり取りとは別に身体表現でレニーはテディに対する攻撃性を出していく。テディもレニーに向かって睨み返す。テディ、客席中央通路の二段目の段差に腰を下ろす。
・マックスはレニーの提案──ルース=テディの妻に売春をさせて生活費を稼がせようという提案──を評価する。そして椅子から立ち上がり、舞台前まで歩いていって、客席側中央の通路に坐っているテディに向かって「テディ、おまえはどう思う? これでいっさいの問題が解決できる!」と呼びかける。
・次いでレニー、「テディ、あんたにも手伝いできることがあるよ。……」の科白をテディに言いながらマックスと同様舞台前まで出てくる──さらに客席側中央通路の上まで出てくる。手伝いできることがある、というのはテディの大学の同僚でイギリスに旅行しそうな奴に、商売女としてのルースのことを紹介してやれ、という話。つまり女衒の片棒をかつげと。テディはずっと表情を変えずに、冷ややかな顔付き。一つの反撃として「彼女も歳をとるだろう……あっという間に。」と強く言うのだが、マックスは全然意に介さない。「歳? あの女は歳なんか取らねえだろうが! これからが人生の花盛りだ!!」
・そこにルース、下手奥のドアからノースリーブの黒のドレス姿で入って来る。レニー、マックス、テディ、ジョーイ、そしてサムがゆっくりとルースに注意を向け、空間の中心が客席側中央の通路から舞台の方へ移る。やがてテディがルースのところまで歩いて降りて行く(これで客席側中央通路にいるのはレニー一人となる)。テディ「ルース……うちの家族がきみにもうしばらくここに居てほしいって言ってるんだ。……」
・つづいてルース「でも、ご迷惑じゃないかしら。」/マックス「迷惑? なに言ってんだ、どんな迷惑になるってんだ。……」というルースとマックスのやり取りがつづくが、このあいだルースはゆっくりと舞台前まで歩いていき、さらに客席側中央の段差のある通路まで上がっていく。マックスはそれを追うようにして歩きながらルースに話し掛ける。ルースはときどきマックスの方を振り向いて話す。ルースはブランコの方までのぼっていく。
・突然レニー、「あんたにアパートをあげるよ」とルースに言い掛ける。にやにやしながら、ルースに売春をさせようという目論見で相手を言い包めようとする感じで。ところがルースに「そのアパートには何部屋ぐらいあるの?」と切り返されて、とまどって真顔になる。そんなレニーを置いてルースはブランコのところまで上がっていき、ブランコに腰を掛ける。漕ぎ始める。レニー、「三部屋も必要ないよ」と言いながらルースに詰め寄って行く。「最初の資金は俺たちが出す……」の科白でルースのブランコを止めて、間近で相手を見下ろして言って聞かせる体勢に。
・だがルースは、レニーが商売が軌道にのったら初期費用を返してくれというのに同意せず、ブランコから降りて今度はまた舞台のところまで降りて行く。レニーは客席側後方に取りのこされる。ルース「それには同意できないわ。」/レニー「なんで?」/ルース「だって最初の必要経費は資本投資として考えなくちゃ。」/レニー「(間)わかった。」──のやり取り。ルースは「雇用の契約と条件をあらゆる面にわたってお互いに満足のいくまではっきりさせておかないとね、契約書を交わす前に」の科白を厳し目に言ってから、ソファーに腰を下ろす。それにレニーが「もちろん」と答えると、「そう、じゃあ上手くいくかもしれないわね」とうなずく。それでそれまで張りつめていた空気が緩んで、マックスとジョーイとレニーは安心したように──ジョーイは上手端の高台に、マックスはアームチェアに、レニーはソファー傍の小さな椅子に──腰を下ろす。サムが倒れるのはその後。
・サムが舞台前で倒れると、全員立ち上がる(ルースも立ち上がる)。まずはジョーイがサムの上にかがみこんで死んでいないことを確認する。レニーも客席側中央通路の方にまわってサムを見下ろして、死んでいないことを確認。マックスも立ち上がって倒れたサムに罵声を浴びせかける(「こいつは病的な妄想にとりつかてれんだ!!!」)。
・ふたたびマックスと契約の話をし始めたルースを置いて、「じゃあ、きみのトランクはここに置いて行くよ。……」でテディはトランクを持って出て行こうと、客席側後方までずんずん歩いて行く。それを「お、おいおいおい!」とマックス呼び止めて、テディを追い掛けるように客席側中央の通路へ上がる。この時点で、倒れたサム、ルース、ジョーイは舞台の方にいて、レニー、マックス、テディは客席側中央の段差のある通路上にいる、というポジション。レニーはポケットに手を突っ込んで立ったまま。
・そしてテディがマックスともレニーともジョーイとも別れの挨拶をして(ルースには声を掛けない)、とうとう客席側後方奥へと去って行こうとするとき、かなり鋭い大きな声で「あなた!!!!」と舞台上のルースがテディを呼び止める。この大きさは意外。原作脚本では「テディ。」としか書かれていないから。テディ振り向く。そして長い間。ここで若干照明が暗く赤っぽいものに変化する。ルースはゆっくりとアームチェアまで移動してそこに坐り、脚を組む。それから落ち着いた声で「また来てね」。テディ無言で去る。
・で、最後のマックスの独壇場。ルースはおれたちの言うことを聞きゃあしない、逆におれたちの方がこの女に利用されるぞ! この女はおれたちを裏切るぞ!……という不安を吐き散らし出すマックス(ジェシー再来のトラウマ?)。自分で自分のことが可笑しくなって笑い出したり、ルースに向かって激しく怒鳴ったり(ルースはアームチェアに坐って涼しい顔)、レニーの方を振り向いて「おいレニー、この女分かってると思うか?……」と不安げに問い掛けたり、どもったり、床に膝を突いて嘆きの大声をあげたり、すすり泣いたり、這いつくばってルースの膝にとりすがったり。レニーは、それをずっと客席側中央通路に立って渋い顔をして見ている。あるいはマックスがレニーに声を掛けると、目を逸らしたりする。
:演出家・俳優の方々の発言資料
- 『帰郷/ホームカミング』稽古場レポートと演出家×キャスト座談会 vol.1
http://blog.livedoor.jp/enbublog-forecast/archives/51875014.html
『帰郷/ホームカミング』演出家×キャスト 稽古場座談会 vol.2
http://blog.livedoor.jp/enbublog-forecast/archives/51875015.html
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──役柄についてはどんなふうに演じようと?
中嶋「今までの俺のやってた経験では、小さな劇場でやる場合はよけいそうなんだけど、"匂い"みたいなものが必要なのかもしれないと思ってて、それぞれの役からそれぞれ得体の知れない"匂い"が出てくる。こういう役なんですよと説明したとたんにつまんなくなる。」
──その"匂い"というのは、役同士の関係性から出てくるのですか?
中嶋「やっぱり翻訳と演出、キャストのそれぞれの関係性の中から出てきますね。」
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──ルースはインテリの夫を持ちながら、家族の男性たちと関係を持つことになるのですね?
那須「今回の小川さんの演出の中で、そこはどうなんでしょうね。お客様はそう取られるかもしれませんけど、そうではないんじゃないかなとも思えるので。私も最初に読んだときは、典型的な悪女というか誘惑するような女性かなと思っていたのですが、小川さんとお話していたら、ルースは特別変わった女性ではないと。普通に暮らしている女性が、こういうシチュエーションでこういう家庭に入ってきたときに、自然にそうなってしまう、というような流れで作っていきたいとおっしゃったんです。本当にそんなことできるかしらと思っていたら、稽古をしているうちに、「なるほど、こういう時ならそれはあるわね」みたいな積み重ねができてきて。」
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──浅野さんは次男のレニーですが、この一家でわりと威張っている存在ですね?
浅野「威張ってるって(笑)。長男が家を出ていって帰郷するまでの9年間、家族とどういう生活をしてきたかというのが大事で、それが彼をそういう性格にさせているのかなと。今回、みんなでディスカッションしたんです。どういう生い立ちとか、生きてきた背景とか、台本に書かれていないことを共通認識として出すと、「あ、それはそういうことかもしれない」というのがわかってくるんです。僕も最初に一読したときは、なんか気持ち悪い作家だなとか、女性蔑視と思われるかなとか。でも、今、稽古で一巡してみると「なんてよくできた戯曲なんだろう」と。つまり戯曲なんですよね、読み物ではなくて。立って動いてやっとわかるように書いたんだなと。「ピンターはやっぱり天才だな」と(笑)。そのままさらりとやってしまうととても気持ち悪い芝居になると思うんですけど、お互いの生い立ちとかバックボーンとか知っていて一緒に住んでる人同士が、体温とかを感じながらそこでやると自然とその言葉が出てくるように書かれているんです。」
──共通認識を持っている上での会話ということなんですね。
浅野「だから小川さんが「間をちょっと気にしましょうか」と言ってくれるのがすごく有り難いのは、その「間」のなかにレニーはどんなことを感じて、それを高めて、呑み込んで、次の台詞が出てくる。だから文学としては脈絡のない話が続いているけど、結局は家族の話で、家族って「ぼそ、ぼそ」でも話は通じている。そういうことが書かれているんだなと思うんです。」
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──長男役の斉藤直樹さんが今日はいらっしゃらないので、テディのことは小川さんにうかがいますが、奥さんを連れて帰郷して、でもまた家族を放棄して1人でアメリカに戻ってしまいますね?
小川「結果的に放棄しますが、それは彼にとっては手段なんです。勝つことが目的なので。彼のなかでは、権威を保つとか自分を保つとか"落ちない"とか、それが彼の生き方の基準ですから。この物語で起きていることは全部手段でしかない。結局、「勝つ、勝たない」で動いている人たちなので。」
──「勝つ」ということを言い換えるとしたらどんなことですか?
小川「たぶん「生き残る」ということでしょうね。その「生き残りかた」として長男は出て行くわけですし、それぞれの生き残りかたの、いわばサバイバルゲームみたいなもので、やがて戦争でバラバラになっていく人たちのサバイバルゲームだと思えばいいのかなと。」
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