- 精神健康の基準については肯定的表現で語ることに無理があるだろう。患者という者は有徴者であるのに対し、健常者は「非有徴者」であって積極的定義には向かない。ゆえに精神健康の定義は、精神をあやうくするような状況に対する耐性として定義するのがよいと思われる。
- 耐性1:分裂に或る程度耐えうる能力。──人格とは対人関係の関数であり、人格は対人関係の数だけある。すでにプルーストが『失われた時を求めて』で述べたところだ。人格に柔軟性がなく、どんな局面でも人格が同一でありつづけるというのは精神健康が良いとは言えない。社会的にも人格の分裂は是認されており、あまり上手に分裂できない人には大昔から酒というものが分裂剤として用意されている。とはいえもちろん、境界例のように人格がふらふら変換しつづけるのもよくない。潜在的超多重人格というのが最も健康的で、二重人格のように分裂の数が少ないものは分裂の仕方が下手と見なせるケースであろう。
- 耐性2:両義性(多義性)に耐える能力。──私の知る、ほとんど病気だった或る青年は、尊敬する禅の師匠が自民党に投票したということで死を図った。潔癖はそのまま病理でありうる。母親が父の妻で心理的にも生理的にも女性であるという両義性に耐えられたものが成人の資格を得る、というフロイト派の考えには一理がありそうである。
- 耐性3:二重拘束への耐性。──とくに子供は、両親が自分を疎ましがりながら可愛がっているという態度の一貫性のなさに耐性を付ける必要がある。
- 耐性4:可逆的に退行できる能力。──退行という浴槽にゆっくりゆあみすることは精神健康上非常に重要なことのように思える。じゃれあっている男女は退行しているとしか言いようがない。昼寝ができると分裂病が半分治ったと見られるのもこのことと関係しよう。とはいえ、退行したら解体の危機にさらされるとか、戻れないとかでは困る。退行が行き過ぎると自他未分の混沌の果てに他者への同一化が病的な水準に達する例もある。
- 耐性5:問題を局地化できる能力。──問題を一般化すればするほど、形は堂々としたものになるが解決は遠のく。とくに自分に関する問題では、一般論的に必要十分な正当化が与えられることはまずない。例えば、なぜ自分がこの相手を配偶者に選んだ(選ぶ)のか、実質的に決めた後ならともかく、決める前に思案すると病気になりやすい。そもそも一般論は真の満足を与えない。だからいくらでも問題の追求の余地がある。科学や哲学は、どうしても物事を一般化せずにはおれぬ者のために同類が発明したものだったかもしれない。学者が精神健康的に多少とも偏っているのは当然とも言える。
- 耐性6:即座に解決を求めないでおれる能力、未解決のまま保持できる能力。──葛藤があることはすぐに精神健康の悪さにつながらない。むしろ或る程度の葛藤や矛盾や失意さえもが人を生かす。患者の親がかくしゃくとしているのを見よ。これは迂回できる能力、待ち能力とも関係する。一つの課題に取り組んでいるあいだ別の課題を待機させておく並行処理能力とも関係するだろう。“即時全面実現”を求めることの真逆である。
- 耐性7:一般にいやなことができる能力、不快に或る程度耐える能力。──これがなければ突発的な事象への地道な対処が問われる「働く能力」が発達しない。雨の日の外出。とはいえ「或る程度」の耐性であって、身体を壊すほど不快に耐える必要はない。いやなことは自然に後まわしにする能力、できたらやめておきたいと思う能力、ある程度で切り上げる能力も、関連能力で大事だ。
- 耐性8:一人でいられる能力。──私はこれに二人でいられる能力をも付け加えたい。
- 耐性9:秘密を話さないで持ちこたえる能力。──嘘をつく能力も関連能力であろう。
- 耐性10:いい加減で手を打つ能力。──これは複合能力であり、意地にならない能力、いろいろな角度からものを見る能力、とくに相手から見るとものがどう見えるかという仮説を作る能力、が関連能力だ。人類はこれらの点で未成熟で戦争をくり返している。
- 耐性11:しなければならないという気持ちに対抗できる能力。
- 耐性12:現実対処の方法を複数持ち合わせていること。──いわゆる防衛機制も、場合によっては有効だが、あらゆる場合に防衛機制を使うと病的になる。
- 耐性13:徴候性へのある程度の感受性。──対人関係を読む能力は徴候性を感受する能力と関係している。対人関係は徴候性の解読に依存する。今、相手が親密性を求めているかどうかが分からないと、対人関係で成功しない。ありがたがられる世話とうるさがられるおせっかいの差が分からないことは病に近似する。徴候性への感受性の訓練として芸術があるが、これは訓練といっても、能力を身につけるというより、野生の馬を手なずけて徴候性に振り回されないようにするという意味合いが大きい。
- 耐性14:現実処理能力を使い切らない能力。──現実処理能力を使い果たしたあとの現実への接近は発病リスクがある。関連能力として、独語する能力や、妄想能力、幻想のなかに深入できる能力があるだろう。妄想型患者とちがい、健常者はいろいろ途方もないことを考えては崩して、言わば妄想慣れしているものだ。
:APPENDIX 「家族の臨床」からの引用
- 《一般には現実能力というのは、一時には全部使いきらないでしょう。フルには使わない、どこかゆとりを残している。私の人生観はわりと単純で、善人と悪人というんじゃなくて、余裕のある人間と、余裕のない人間とがあるんだろうと。それは程度の差もあるし質もあるだろうけど、私はそう考え、そういう軸で人をみている。》