resume : アウエルバッハ『ミメーシス』第十八章
- スタンダール『赤と黒』(1830年)の主人公ジュリアン・ソレルは、フランス東部の小市民の家に生れた野心と情熱にあふれた若者である。彼はその地方の首府(ブザンソン)の神学校で神学を学び、やがてパリに上り、ラ・モール侯爵の信頼を得、秘書として用いられるに至る。
ラ・モール侯爵家には、マチルドという十九歳になる一人娘がある。機智にとみ夢想的な少女であるが、わがままいっぱいに育てられたのでなかなか気位が高く、自分の境遇、自分の取り巻きの者たちを退屈に思いはじめている。
次のシーンは、マチルドとジュリアンの恋愛の準備段階、マチルドのうちにジュリアンに対する関心がめざめるシーンの一つである。(新潮文庫下巻48頁)
《ある朝、師はジュリアンといっしょに侯爵家の図書室で、いつまでも果てしのない例のフリレールの訴訟の仕事をやっていた。
「先生」と突然ジュリアンが口をきいた。「毎晩、侯爵夫人と晩餐を共にするというのは、いったいあれは私の義務なんですか、それとも私にあたえられた好意なんですか」
「明らかに名誉じゃないか!」と師はすっかり腹を立てて言いかえした。「アカデミシャンのNさんだとは、十五年来たゆまずごきげんをとっているが、いまだに甥御のタンボー氏にはそういう名誉が与えられんのだ」
「先生、私の仕事のうちで、私にはそれがいちばんつらいのです。神学校にいたときでも、あんな退屈な思いはしたことがありません。ラ・モール嬢までがあくびをするのを、ときどき見うけますからね。あの人なんか、お客たちの親切な言葉にはきき慣れているはずなんですが。私は居眠りしそうであぶなくてしかたがありません。お願いですから、どこかけちな宿屋へでも、四十スーの晩飯を食いに行ける許しを得てくださいませんか」
師はほんとうの成上り者だったから、りっぱな貴族と食事を共にするというような名誉を、とてもありがたがるのだった。その気持をジュリアンにわからせようと一心になっていると、かすかな物音が聞こえたので振り返った。ジュリアンはラ・モール嬢が立ち聞きしているのを見た。彼は赤くなった。彼女は本をさがしにきて、何もかも聞いてしまったのだ。そして少しジュリアンを尊敬する気持になった。〈この人は、あの年寄の坊さんのように、生れながらにひとの前にひざまずいてはいない。まあ、なんて汚ならしい爺さんだろう!〉と思ったのだ。
晩餐のとき、ジュリアンはラ・モール嬢の顔を見る勇気がなかったが、彼女のほうから親切に言葉をかけてくれた。》
この場面には当時の政治的社会的な状況がリアリスティックに織り込まれている。従って、この場の状況を理解するには、七月革命の直前のフランスが置かれていた政治的状況、社会的階層、経済状態の正確で精密な知識が不可欠だ。
ジュリアンが苦情をのべている退屈さ、貴族の食堂やサロンを支配しているそれは、尋常一般の退屈さとは異なる。そこに集まった人々がたまたま愚鈍な人々だったから退屈なのではない。彼らの退屈さを通してわれわれに暗示されるのは、王政復古時代の政治思想的状況である。すなわち、さまざまの事件を経て断罪され、すっかり過去のものになったはずのブルボン王朝が反動的なやり方で復興されたために、官僚や支配階級に属する者たちのあいだに、後ろめたい、せせこましい、不自由きわまりない雰囲気が生じていた時代である。申し分のない教養を身につけ、機智もあり、高尚な趣味をもった良識の人といえども、その因習的な空気の中に身をおいては、とりすました欺瞞的な言葉を語るより他になかった。一七九三年の破局がふたたび繰り返されはしないかという恐怖が貴族の生活を支配している。彼らはいかなる論争においても自分たちに正義がないことを知っているから、音楽や天気のこと、宮廷ゴシップ以外のことは話題にできない。おまけに市民階級の成上りで、低俗な俗物でも、余儀なく社交界に加えなければならない。ラ・モール侯爵邸に蔓延している退屈さとはそのようなものだ。
ラ・モール邸のサロンにたいするジュリアンの反応には、もちろんジュリアン自身の社会的出自もかかわってくる。熱しやすい性格のジュリアンは、幼い頃から革命の偉大な理念や、ルソーの思想や、ナポレオン時代の大事件に熱中していた。そしてナポレオンの失脚後ふたたび権力の座にかえりざいた人々のさもしい偽善、けちくさい欺瞞を、もっぱら嫌悪していた。だが一方で、野心的で、自尊心が強く、権力を好むあまり、友人のフーケが主張するような小市民としての平凡な生活にあきたらず、彼は、みずから進んで偽善者となることを選ぶ。つまり小市民階級出身の人間にも唯一到達可能と思われる支配者の座として、全能の教会の僕となることを選ぶのである。ところが彼の偽らざる政治意識、直情的な情熱は、ときおり偽善の装いを破って爆発する。引用した一節も、ジュリアンが思わず本性をあらわしてしまった、そういう瞬間の一つである。ここでは、聖職者で貴族の庇護の下にあるような若者にはほとんど似つかわしくないジュリアンの自由な精神が、はっきり見てとれる。それはたまたま立ち聞きしていたマチルドの気性には(ジュリアンの意に反して)好もしいものとして解釈される。対して、ピラール師は、マチルダの視線からは、まったくの成上り者として描かれる。だが、ピラール師とラ・モール侯爵との関係には高潔なものが無いわけではない。読者はそれまでの記述でピラール師が、神学校の校長でありながら、そのジャンセニスム〔カルヴァンの影響を受けた、過度に厳格で敬虔なキリスト教思想。カトリックからは異端とされた〕のゆえに多くの迫害を耐え忍ばなければならなかった、ということを知っている。ラ・モール侯爵はピラール師のすぐれた知能と高潔な人格を認め、神学校における耐えがたい地位から師を解放し、パリのある聖職給をあてがって保護した。ピラール師がラ・モール邸の晩餐に加わることを名誉とするのは、それゆえである。
登場人物たちの性格、態度、対人関係は、当時の歴史的状況と密接に結びついている。ジュリアン・ソレルの他の生活圏、たとえば彼の父親の家、ヴェエリエール町長レナール氏の家、ブザンソンの神学校なども、当時の歴史に照らして社会的に鋭く規定されている点では、ラ・モール侯爵邸の場合と変わりはない。副次的な人物たち、たとえば老司祭シェラン師、あるいは浮浪者収容所長ヴァルノーなども、王政復古期の特別な歴史的状況の中に置かれているからこそ、ごらんのとおりの人物となったのである。
これは、『赤と黒』という小説が出現する以前にはなかったことだ。つまり、当時の政治的社会的な状況が物語の筋の中にこれ程微に入り細にわたってリアリスティックに織り込まれたことはなかった。それ以前には、いかなる文学作品においても、このように倫理的体系的な仕方で、一人の下層階級出身の男をきわめて具体的な歴史的現実の中に置き、その中で彼の悲劇的な生涯を展開していくという手法はなかった。作中の事件を有機的に支える、具体的、意識的、現実的な裏付け。現実の歴史に基礎をおく近代の悲劇的リアリズム。スタンダールにおける歴史的現実の影響は、ルソーやゲーテにくらべてはるかに切迫したものがある。スタンダールは不器用にも、わが身から現実の歴史を遠ざける術を知らずにいたのだ。
なぜそのようなリアリズムがスタンダール──グルノーブルのアンリ・ベール──という一個人の内に生まれ得たのだろうか。彼の生きた時代は全ヨーロッパの一大動乱の時期にあたる。それまで安全に保護されていた生の身分的秩序がゆるぎ、生活は急速に変化して、深刻な危機が人々を襲った時代。そのなかで自己の人生の輪郭、自己の位置を明らかにしようとする者は、これまでよりも遥かに広範な現実的基礎と諸関係の上に立たなければならなかった。
アンリ・ベール=スタンダールは、とぎすまされた知性の持主で、回転の早い頭脳と鋭敏な感覚とにめぐまれ、独立不覊の勇敢な男ではあったが、大人物では決してなかった。彼の考えることは、なるほどエネルギッシュで天才的ではあったが、気紛れでやたらに飛躍が多く、外見は大胆不敵だが、内的な確実性と論理性とに欠けていた。過度の自己韜晦、冷徹な自己制御と感覚的な快楽への耽溺、不安定な、感傷にはしりやすい虚栄心。だが彼は、自分のあるがままの性格に従って、自分を現実に向って差し出した。彼を取り巻いている現実は、彼を捕え、手玉にとり、その代償として誰にも思い及ばぬ唯一無二の生活を彼に与えた。
フランス大革命が勃発したときスタンダールは六歳の子供であった。保守こちこちの裕福だった家族の許を離れ、グルノーブルの生地を後にしてパリに出たのは、十六歳の時だ。彼がパリに到着した頃と前後してナポレオンのクーデターが起こる。スタンダールはやがてナポレオン執政に加わってはなばなしい成功をかちえた。ナポレオンの遠征に従って、ヨーロッパを見て歩いた。一個の男子としても、洗練された社交人に成長したことは言うまもでない。彼はまたすぐれた行政的能力にもめぐまれ、危機に面しても決して冷静さを失わない頼もしい沈着な上司であった。ナポレオンが失脚して、彼もまた乗っていた馬の鞍から投げ出されたとき、スタンダールは三十二歳だった。彼の生涯のうちで、行動的でかがやかしい成功に飾られた前半部がこれで終る。それからは、職業もなく、地位もない。政府当局が許すかぎりにおいて、自分の好きなところへ行くことはできたが、経済事情はますます悪化する。1821年には任地ミラノから追い出される。彼はパリに戻り、職業もなく、ただ一人わずかの収入で、次の九年間を過す。七月革命の後、友人たちが彼にある外交官の地位を提供した。小さな港町チヴィタ・ヴェッキアの領事である。そこは陰気な住み難い土地で、数年感休暇を与えられてパリに暮らすことが許された期間もあったが、それも彼の保護者の一人が外務大臣の椅子にあった間だけだった。やがてチヴィタ・ヴェッキアで重い病気にかかり、再びパリでの休暇が与えられた。1842年パリの路上で卒中で倒れ、スタンダールは六十歳に満たぬ生涯を閉じる。彼の人生の後半部において、彼は、機智に富んだエキセントリックな人物であるが、政治と道徳の面では信用できぬ男という名声を獲得した。彼がものを書きはじめたのはこの人生の第二部においてである。
以上のスケッチからもわかるように、スタンダールは、疲れたり意気消沈はしていないがすでに四十歳を過ぎ、最初のはなばなしい成功もはるか過去のこととなり、ただ一人貧しい境遇に置かれて、自分が今やどこにも所属していないのだということを彼の鋭い感覚で感知したとき、はじめて、自己認識の地点、リアリスティックな手法の地点に到達した。つまり、自分は他人とは異なった人間なのだという、これまでは安易でほこらしくもあった感情が、一定の社会における居心地の悪さ、自分がその一員になれないという疎外感に変わり、社会と自分との矛盾関係を苛烈に把握してみようと試みはじめた地点である。これは一見ルソー的ロマン主義の特徴のように見えるが、それら同種の現象とは全く違ったものだった。ルソーとは逆に、スタンダールは実際的な性格と精神の持主である。彼は実生活のうちに官能的な快楽を追求した。現実を最初から回避したり拒否したりしないばかりか、それを自己の支配下に置こうとし、当初はある程度成功した。物質的な成功と快楽とが彼の望みであった。彼は実生活を意のままにあやつる権力を尊重した。ルソーのように「自然人」を賛美することはせず、己の夢想を人間社会や人間の創り出した文化(チマローザ、モーツァルト、シェイクスピア、イタリア絵画)に結びつけた。そして、成功と快楽とが彼の身辺から遠ざかり、現実の境遇によって足元をすくわれそうになったとき、はじめて自分の生きている現実の社会というものが、彼の主題、彼の問題となった。そして、自己の現実の力にたいする容赦ない客観性というものが育まれたのである。
これは、スタンダールの時代にあっては、ルソーが住んでいた社会の変化にとぼしい時代とは違って、社会の根底をゆるがす事件が当たり前のように起こっていたことと無縁ではない。スタンダールの時代の若者たちは、時代の変化ということに望みをかけることができ、(ルソーの時代の社会からの逃避、隠棲への欲求とは対照的に)予見不可能な冒険、事件、責務、自己試練、自由と権力の経験へ勢いよく飛込むことができた。スタンダールの関心は、一定の社会構造の観察よりも、現実の社会の変動の上にあった。「桃が数日でだめになるように、エスプリも二百年たてば駄目になる。そして社会の諸階級間の関係に変革が起これば、それよりずっと早く駄目になる。」スタンダールにとって、現実は一種のてごわい交渉相手として現われる。「私は路上に見出されるものを手当たり次第に取り上げる。」スタンダールの相対した社会は、たちまち姿を変えて行く直前の過去にたえず眼を配るとともに、近い将来に来たるべき変貌の兆しを予断せずには表現できないような構造をしているのだ。スタンダールが、小説の作中人物や事件を、すべて政治的社会的な混乱を背景として描いたのは、理由なしとしない。
しかしスタンダールの小説は決して歴史小説ではない。それは何故だろうか? 彼は通示的には歴史をとらえていない。一つ一つの歴史的出来事を神の視点から因果連関的に説明するということをしない。また、理想的社会とはこういうものだという固定観念ももっていない。スタンダールの視野は、或る意味では俗っぽいもので、絶対主義、宗教と教会、身分的特権などを、凡庸な啓蒙主義者とほぼ同じように考え、迷信や欺瞞や策謀にまみれたものと決めつけていたが、と同時に、ルソーに学んだはずの民衆賛美、市民主義からも実際には遠ざかっていたのである。われわれは彼の描写のうちに、徹底して個人的・倫理的な心理学にもとづく「人間の心の分析」のみを見出す。シャトーブリアンのような作家たちの歴史を描くときの仰々しい文体が我慢ならなかったと同時に、スタンダールは、金儲けの方法に習熟している上品な市民階級にも我慢ならなかったのである。その民主共和主義的な政治意識にもかかわらず、彼は旧体制の社会にあった文化の衰退を惜しむ。大革命以来、スタンダールが生き、呼吸することのできる世界はもはやどこにもない。もちろん彼の作中人物たちと同じように、彼もまた必要とあらば働くことができるし、そればかりか結構首尾よくやってのけるだけの才能も持っている。しかし誰が大真面目に実務的な仕事ばかりをいつまでも続けていられようか。恋愛、音楽、情熱、陰謀、英雄主義、これがあってはじめて生きるに値するというものだ……。「実際エスプリが欠乏している。どいつもこいつも社会が要求する仕事のためにすべての力を留保しておこうとする。」「私自身は自由主義者だった。だが自由主義者たちははなはだしい馬鹿者だと思う。」「天は私に女の繊細な神経と感じやすい肌とを与えた。」「田舎の肥った商人との商談が私を一日中不愉快に、不幸にしている。」
スタンダールは、たとえばパリと地方との違い、フランス人とイタリア人との違い、あるいはイギリス人の性格などについて、公平を欠いた、しかし独自の体験にもとづく洞見に満ちた考察を下している。モンテスキューならそれらの例から全体の構造を示そうとするだろうが、スタンダールの関心は細かい観察の結果を示すことにとどまっている。彼の解釈は発生的、歴史的な層にはとどかずに、道徳的、挿話的な心理描写に終っている。スタンダールの人間観は利己主義的なものと言っていい。彼は、個々の人間を、歴史的状況の所産、つまり歴史に参加し促されるものと見るよりは、その中に投げ入れられた一原子と見る。人間は、自分の生活している環境に没入してしまうのではなく、抵抗しなければならない。「私は、幸福を追求する際の各人各様のくせをその人の性格と呼ぶ。」そしてスタンダールの見出す幸福とは、官能的で、貴族的で、案外俗っぽいものであり、しかもそれを手に入れるために、苛烈で傷つき易い彼の精神は、貧困とはげしい孤独という代償を支払わねばならなかった。彼は必ずしも自信に満ち溢れてはいない。彼には社会生活がうまくいかないし、その重要な部分である女性との交際も、思いどおりにはならない。彼は自分のものでない女性にたいする情熱を隠すためにのみエスプリを磨いたのだとまで言う。スタンダールは、自分の時代を、つねに抵抗と感じ、経験した。時代に逆らって物を考え、彼は、おぞましい現実に闘争的な軽蔑の念を抱く。進化論的な解釈や理想主義的な観念から逃れて、彼のリアリズムが現実の世界と非常に密接に、力づよく結びついているのは、そのためだ。ジュリアン・ソレルは、バルザックやフローベールの創造した人物たちより、はるかに「主人公」なのである。
- 書誌情報:E・アウエルバッハ著、篠田一士+川村二郎訳、『ミメーシス 下巻』、ちくま学芸文庫、1994年
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