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- 「進歩[progress]」というのは近代特有の価値観だが、それに代わるものをここでは考えてみたい。
たとえばそれは、「回帰[return]」だろうか? この言葉の語源はヘブライ語のテシュヴァ[t'shuvah]にあり、その意味は旧約聖書に由来する。「回帰」とは、たとえば知恵の実を食べてエデンの園から追放されたアダムとイヴを考えてもらえば分かるが、われわれがかつて誤った道へ逸れてしまう前には正しい道を歩んでいた、ということを含意している。今現在のわれわれの逸脱や罪や不完全さは本来のものではない、だからわれわれは「回帰」して悔い改め、元の正しい道へと帰ろう、というわけだ。
「回帰」という発想には、完全さは始まりのうちにあるという考えがある。始まりはエデンの園であった。完全さは、古き時代、すなわち父のうちに、そして父の父、父祖たち──ヤコブ、アブラハム、ノア、アダム──のうちにその由来が求められる。ユダヤ人の生活は追憶の生活である。同時にそれは罪のあがないによる完全さへの回復の期待に満ちた生活でもある。「その子らは以前のようになる」(『エレミア書』30:20)。そしてユダヤ教は「進歩」への関心をほとんど持っていない。ユダヤ教にとって、過去より現在の方が時間的に最後の罪のあがないにより近いという事実も、現在が経験や知恵という点で古典的過去よりも優れているということ意味しはしなかったのだ。
ところが「進歩」という観念は、「回帰」の概念の基礎にあるまさにその前提、つまり始まりおよび昔が完全な性格のものであるというその前提を疑問視する。進歩という価値観を称揚する立場は、始まりはもっとも不完全であり、完全さは終わりになって初めて見出すことができる、だから始まりから終わりに向かう運動は、原理的にはまったくの不完全さから完全さに向かう進歩である、と考えている。
さらに「回帰」の観念と「進歩」の観念の対照を敷衍してみよう。ユダヤの預言者たちが人々に罪の弁明を求めるとき、彼らは単にこれやあれやの個々の犯罪ないし罪を非難しているのではなく、それらの根源にある、人々が神を見捨てたという事実をこそ非難していたのだった。そこには、第一に、始原にあったものは(神への)忠信であり、不忠実や背信がその後にくるという発想があった。始原が完全であるという性格をもつことこそ、罪の条件であり、罪という思想の条件なのである。他方、進歩を奉ずる人は、始まりを振り返るとき、それがもっとも不完全であり、野蛮であり、愚かであり、粗野であり、極端な欠乏状態だと見做す。進歩を奉ずる人々は、自分が何かを失ったり、どこからか追放されたりなどとは考えていない。彼らが失ったのはただ自分を束縛する因習の鉄鎖だけだ。彼らは過去に対する現在の優位性を確信している。といっても現在に満足しているのではなく、彼らにとって未来こそより進歩を期待できるより優れた状態である。しかもその優れた未来の状態を実現するのは、自分自身の努力によってだ。彼らは絶対的に主体的に未来に向かって生きている。他の人たちが「神への反抗」と呼ぶものを、彼らは、解放と呼ぶ。忠信⇔反抗という対立項に、彼らは、偏見⇔自由という対立項を対置する。
ユダヤ教との関係を断った多くのユダヤ人にとっても、その離脱は(ユダヤ教の偏見を超えていく)「進歩」と理解されていた。その典型例として孤独人スピノザを挙げることができる。スピノザはユダヤ教が真理であることを否定した。ユダヤ教は、もちろん聖書も含めて、古代氏族の偏見や迷信深い慣行の寄せ集めだ、というわけだ。スピノザに言わせれば、神による罪のあがないへの希望にはまったく根拠がない。流浪の苦しみはまったく無意味だ。この苦しみがいつか終わるという保証はない。スピノザはアムステルダムのユダヤ人社会から破門されたが、しかし彼がキリスト教以上にユダヤ教やユダヤ人に敵対的であったとは言えない。ただ彼は、あらゆる宗教的対立を空しくするほどに宗教に対し怜悧に理性的に振舞った。スピノザは初めて、ユダヤ教の伝統を離れてユダヤ人問題の純粋に政治的な解決を示唆した思想家でもある。それは、同化主義と呼ばれるものを、あるいはまたシオニズムと呼ばれるものを暗示する最初の萌芽であった。スピノザがまた自由主義的民主主義の国家論を提唱した最初の哲学者であることもここで想起していいだろう。
二十世紀の歴史は、このスピノザの考えが楽観にすぎないことを証し立てた──ユダヤ人の法的平等が実現されたところでさえ反ユダヤ感情はなくならなかったし、ユダヤ人国家は暴力の脅威を背景としてしか成立し得なかった──が、そのことの詳細は今は措く。ただし、スピノザ思想の楽観が行き止まりにぶち当たったことは、一般的に西洋世界全体において「進歩」が疑わしいものとなったという事実に対応している、とは言える。今や、人々は「進歩」について語ることはますます少なくなり、「変化」についてより多く語るようになってきている。人々はもはや、われわれが正しい方向に向かっているのを知っているなどと主張することはできなくなっている。
- 「進歩」とは一体何だったのか。とりわけ近代的な意味におけるそれは?
「進歩」は、その強調された意味においては、進歩の目標としての終わりが存在するということを前提している。しかもその目標というのは、必ずしも道徳的な善と同値ではない。むしろそれは端的に「知性の完全性」として理解されている。進歩の目指す終わりの方に向けての変化は、人間の知恵が増大していくこと以外のなにものをも意味しないというわけだ。もちろんその変化の過程では、罪の力や罪のあがないへの欲求だのといったことはまったく意味をなさない。
近代的な「進歩」の概念には、この知性の進歩に、社会の進歩が伴うということが含まれている。十七世紀において近代哲学が登場し「方法」という決定的な観念が導入されたとき、学問ないし哲学は、「よき本性をもつ」「天賦の才のある」人々といったごく少数の者の特権的な領域であることをやめた。「方法」は精神の差異の平準化をもたらす。方法は原理的には誰でも習得することができるからだ。発見のみが少数者の特権的領域として残った。しかし、発見された成果を利用すること、特に方法上の発見の成果を利用することは万人に開かれた。よく言われる次のようなことを思ってみるがいい──「以前にはきわめて偉大な数学の天才たちによっても解くことのできなかった数学の問題が、今では高校生にだって解くことができる!」つまり近代以降、知性の水準は社会的に引き上げることが可能だと目されるようになったのだ。知恵が増大しつづけている以上、人類がひとたび発展の或る段階に到達すれば、そこにはそれより下へはもはや降りていくことのできない堅固な地盤が現に存在しているというわけである。
しかし深刻な問題は、このような社会の「進歩」の観念には、どう見ても「価値判断」がまったく欠けているということだ。たしかにわれわれは、近代以降新しい科学とそれに基づく技術が巨大な成功を収めたことを知っている(成功というのは、ようするに人間が自分の財産を確保するために、みずからの自然の支配者となし所有者となすことに成功したということだが)。近代人はそれ以前の人間に比べると巨人である。しかし、われわれはそれに対応する形で人間の善性が増してはいないことにも、注目せざるを得ない。近代人は巨人ではあるが、近代人がそれ以前の人間よりも倫理的に優れているか劣っているかは、われわれには分からない。したがって、進歩それ自体は悪であるとも善であるとも言えない。いや、単純に「進歩」の信奉者は、旧来の善の悪との区別を進歩と反動の区別に取って代えて、それで済ませてしまった。つまり善悪のことなどに思い煩うことなく進歩を自己目的化してしまったのだ。近代人は盲目の巨人である。
そして近代科学の発展は、人間は価値判断をする必要などないという見解において、頂点に達した。もっぱら進歩と反動の区別によってみずからの方向を見定めていた人々は、善悪の区別を窓から投げ捨ててしまったのだ。近代科学の巨大な力の正しい使用については、責任ある仕方では何も語られてはこなかったのだ。ここに西洋文明全体の現代的危機が到来した由因があるが、この危機について理解するには、単に進歩の観念の問題性の理解にとどまらず、西洋文明の本質的ついても理解しなければならない。
- 西洋文明は二つの根源をもっている。聖書とギリシア哲学である。
この二つのうち前者の聖書的要素を、近代合理主義は拒否した。すなわちそれを理神論、汎神論、無神論といったものによって置き換えた。しかしこの過程にあっても、正義、愛、慈悲といった聖書の道徳は或る意味ではしばらく保持されていた。これを欺瞞として批判したのがニーチェである。ニーチェの洞察は、聖書の信仰が消えてしまえば聖書の道徳もまた消えてしまう、だから新しい世紀には根本的に異なる道徳=「力への意志」が受け入れられねばならない──というふうに要約できる。ニーチェは近代合理主義が聖書的な道徳の基盤を食らい尽くすことを正確に予見したのである。
同じように、近代合理主義はギリシア哲学という古典的な要素をも拒絶したように思える。少なくとも古典的な哲学と、十七世紀以降の新しい科学とは共有するものがほとんどない。科学は今や哲学よりも高い威厳を有しているし、いや、科学は今やあらゆる学問にとっての権威であるし、周知のようにその結果として、特殊な意味で科学的でないような知識はすべて軽視されるようになっている。しかしこのように近代科学に与えられた絶大な威信は、世界についての科学的解釈が何か倫理的に究極的に優れている、ということを意味しはしない。世界についての科学的解釈が幾つかの利益をわれわれにもたらしてくれる、ただそれゆえに、われわれはそれを採用しているにすぎない。それは、いまだに足元のおぼつかない巨人のようなものなのだ。近代科学は、プラトンやアリストテレスの政治学が提起した「合理的な道徳」という概念を受け継ぐことはなかったのである。
そして今や、われわれが不幸にも二十世紀をつうじて目のあたりにしてきた途方もない野蛮によって、「進歩」の観念がまったく保証のない希望に基づいていることは、完全に暴露された。近代の「進歩」が目指すのは、より高い文明、それ以前のすべての文明を凌ぐような文明をもたらすことであった。しかし、近代の発展がもたらしたものはそれとは別のことだった。近代という時代に起こったのは、まずは西洋文明の遺産が徐々に腐蝕し解体していくという事態だった。そして、近代はそれに取って代わる確固たるものを何か生み出し得ただろうか? 否だ。進歩に資することや時流に乗ることや未来の波に乗ることだけが正しいのだ、という進歩マニアたちの楽観が徹底的に破壊された後に、もはや近代人に、価値判断の規準も道徳の原理も何も残されてはいなかった。われわれが目のあたりにしてきて、なお現在目のあたりにし続けている紛争の野蛮は、まったく偶然であるというわけではないのである。
近代思想を特徴づける性格を一言で言えば、「人間中心的」ということになろう。ここで言う人間中心的性格は、聖書や中世思想の神中心的性格および、古代ギリシア思想のコスモス中心的性格との対照されたものだ。近代科学が(いくらそれが人間を疎外していると言われようとも)神やコスモスをその中心に置くことはもはやない。近代以降、すべての真理、すべての意味、すべての秩序、すべての美は、思考する主体、すなわち人間の認識のうちに生じるものと見做されるようになった。有名な定式を幾つか挙げてみよう。「われわれはわれわれが作るものだけを知る」(ホッブズ)、「悟性はみずからの法則を自然に命ずる」(カント)、「私は、以前にはほとんど知られていなかった、思考のモナドの自発性を発見した」(ライプニッツ)。
この近代思想に人間中心的性格と関連して、道徳的志向にも根本的な変化がおとずれる。簡潔に言うと、プラトンやアリストテレスにとって決定的に重要だった「徳」ということが、「自由」という観念に徐々に置き換えられるようになっていった。もちろんこの自由は放縦と同義ではない。それは人間の活動それ自身の可能性をとことんまで追求することを意味する。旧来の考え方がそうであったように、個人個人の意志に先立って存在している或る型(賢者たち、ないしは使徒たち)に従うことが善なのではなく、なによりも型そのものを新たに生み出すことが目指される、それが「自由」の謂いというわけだ。人間は、今や自分がそうであるところのものに自らを作ってよいのだ、なぜなら、人間を超えるものなどもはや存在しないからだ!……
近代性の危機は、この人間を超えるものからの解放=自由の観念の延長上に、すでに暗示されていたものだったと言うことができよう。
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- 近代化がもたらした西洋文明全体の危機は、われわれにあらためて「回帰」という課題を示唆する。しかし何に回帰するのか? いや、もちろん前近代の完全な状態にある西洋文明への回帰、なのだが、前述のように、西洋文明は二つの根源から成り立っており、しかもそれらが根本的には相互に一致するものではないというところに、「回帰」という課題の困難さがあるのだ。
西洋文明の二つの根源。すなわちエルサレムとアテナイ、あるいは比喩を用いないで言えば、聖書とギリシア哲学。これら二つは根本的に相容れない。なぜなら、西洋世界のこれら二つの根源は、それぞれある一つのことを唯一の必要なことと言い立て、そして聖書によって唯一必要されていることは、ギリシア哲学によって唯一必要されていることとは両立不可能だからである。簡潔に言えば、聖書によって語られる唯一の必要なことは「従順な愛の生活」であるのに、ギリシア哲学が考える唯一の必要なことは「自律的な知性の生活」なのである。
だがこの対立をもっと詳しく見ていこう。というのも、これら二つはある部分では一致しているとも言い得るからだ。たとえば聖書もギリシア哲学も、先に述べた近代の諸要素に敵対するという意味では、完全に一致している。近代性を倫理的な価値判断における空洞化ととらえるならば、聖書とギリシア哲学は、われわれが倫理ないし道徳と呼んでいる事柄に関して、一致していると言うことができる。つまり両者は、道徳の重要性に関して、道徳の内容に関して、そして人間の道徳が究極的には未完成であると見る点で、一致している。両者が異なるのは、道徳の補いあるいは完成させる何かあるものXに関してである。
道徳の重要性に関する聖書とギリシア哲学の一致点について、両者の違いの根源について語る前に、ざっと素描しておこう。たとえば、殺人、盗み、姦淫などが無条件に悪であるということは、モーセにとってと同様アリストテレスにとっても自明であった(『ニコマコス倫理学』)。あるいはまた、聖書とギリシア哲学は、勇気や男らしさにではなく正義に徳のなかで最も高い地位を割り当てているという点でも一致する。しかも、正義ということで両者が理解しているのは、まず何よりも法への服従であり、その法というのは民法、刑法、憲法だけにとどまらず、道徳と宗教の法でもある。聖書の言葉で言えば、それは人間の生活全体を導くもの、すなわちトーラー(律法)であり、聖書中では次のように言われている──「それはあなたの命である」(『箴言』)。一方、プラトンでは「法は、それに従う人々に幸福をもたらす」と言われている(『法律』)。それを包括的に表現したのが、アリストテレスが述べている「法が命じないこと、それは法が禁じている」(『二コマコス倫理学』)という一節だ。そしてそれは、実質的には聖書の見方でもあるだろう。……このように解された場合、法と正義は、神の法と神の正義ということになる。そして人間の振舞い、法への服従ないし不服従が、神による応報を呼び起こすというわけだ。プラトンが『法律』第一〇巻で、人間は神による応報から逃れることはできない、と語っているのは、『アモス書』や『詩篇』139の数節とほとんど文字通り同一である。この文脈において聖書の一神論と、ギリシア哲学が向かおうとする一神論との類似性に言及することは十分許される。いや、それだけではない! 聖書とギリシア哲学は、正義と法の結びつき、神の応報といった点においてだけでなく、正しい人が悲惨な目に遭い邪悪な人が繁栄するという不条理を扱っているという点でも一致している。プラトンの『国家』第二巻に見られる、最も邪悪な人にふさわしい運命を甘受する完全に正しい人の記述は、『イザヤ書』の記述を想起せずにはいられない。そして、プラトンの『国家』があらゆる種類の繁栄を正しい人に回復させることで終わるのと同様に、『ヨブ記』も正しき人ヨブが一時的に失っていたものすべてを回復するところで終わっているのである。
だが、聖書とギリシア哲学は、根本的に対立する。対立せざるを得ない。たとえばアリストテレスの『ニコマコス倫理学』だ。われわれはこの書物をもっとも完全な、もっとも近づきやすい古代ギリシアの哲学的倫理学の作品だと解するが、実は、この書物は二つの焦点を持っている。一つは正義、もう一つは「気高い誇り」だ。アリストテレスにおいて正義と気高い誇りはともに他のすべての徳を包含しているものと見做されている。そしてこの「気高い誇り」は、聖書の「謙遜」とは決定的に異質である(他方、アリストテレスの正義と聖書の正義のあいだには密接な類似性がある)。「気高い誇り」は、自分自身が価値をもっているという人間の信念を前提としている、それは、人間が自分自身の努力によって有徳でありうるということを前提としている。逆に言えば、「気高い誇り」という観点からは、自分の欠点、失敗、罪の意識は、善き人にはふさわしくない下等なものということになる。アリストテレスを引こう。「羞恥心(自分自身の失敗についての意識)は、まだ十分に有徳であることのできない若年者にはふさわしいが、そもそも自由に誤ったことをなしえない年輩者には、ふさわしくない」(『ニコマコス倫理学』)。ところで、人間の失敗や罪というのは、悲劇の主要なテーマであった。よってプラトンは自ら構想する最善のポリスでは悲劇を認めない。さらにアリストテレスによれば、悲劇の英雄は必ず平均的な人物であって、一流な人ではない。悲劇の機能は、恐怖や憐憫の情念を喚起することであると同時に、それらの情念を浄化することでもあるが、よりすぐれた人なら、悲劇によって浄化されねばならない感情・病的状態などとは最初から無縁であり、悲劇による浄化を俟たず最初から高貴な行為へと向かうことができる──というわけだ。
ところで、恐怖と憐憫は、聖書の内では、まさしく罪悪感と必然的に結びついている情念である! 私が罪ある者となるとき、私が罪ある者であることを自覚するようになるとき、私はただちに、私が傷つけたり破滅させた者に対する憐憫の感情を抱き、また私が犯した罪に復讐しようとする者に対して恐怖の感情を抱く。たしかに、罪という現象に結びついた恐怖と憐憫の一体となったものは、宗教の根源のようなものだと言えそうだ。王ないし審判者としての神は恐怖の対象であり、すべての人間の父としての神はすべての人間を兄弟となし、それにより憐憫を神聖なものとする……。
- くり返せば、聖書とギリシア哲学は道徳や正義の重要さに関しては一致している。しかし、道徳を完成させるものについては一致していない。
ギリシアの哲学者たちによると、道徳を完成させるものは、知性ないしは観想[theoria]である。ところでこうしたものは道徳的威厳の要求を必然的に弱める傾向にあるのに対し、聖書が道徳を完成させるものと見做す謙遜、罪の意識、悔い改め、神の慈悲への信仰は、必然的に道徳的要求の威厳を強める。この差異は、哲学者の観想が本質的に非社会的に孤独に可能であるのに対して、服従と信仰は本質的に信仰を持つ者たちの相互のかかわり合いを前提とするという、その相違によっても示されている。そして、観想という非社会的な完全性は、政治共同体としてのポリス(が哲学者に与えてくれる経済的な支え)を前提とし、したがってポリスおよび都市を可能にする技術=テクノロジーは哲学者たちによって基本的に善きものと見做されているのだが、他方、旧約聖書によれば、都市の最初の創設者は最初に殺人を犯した者(カイン)であり、その子孫が技術の最初の発明者なのだった(「レメクは二人の妻をめとった。一人はアダ、もう一人はツィラといった。……ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄でさまざまの道具を作る者となった」──『創世記』4.19-22)。そして言うまでもなく、聖書の神が自らを啓示した場所は、都市や文明のなかではなく砂漠においてだったのである。
われわれは、可能なかぎり聖書とギリシア哲学のこうした対立関係を理解するように努めなければならない。同じ西洋世界のおよそ相容れることのない、二つの根源。なぜ、このような大いなる分裂が生じるのだろうか?──それを解明する手掛かりは、聖書にとっての神とギリシア哲学にとっての神の根本的違いを分析することから、得られる。
簡潔に言おう。聖書の神は全能の存在である。それは無から万物を創り出した人格神である。対して、ギリシアの神々は万物本性を知っており、その知識を通してすべての事物を適切に用いることができるが、全能ではない。世界に存在する事物は、ギリシアの神々からはまったく独立したものと見做されている。すべてのギリシアの思想には、何らかの形で、人格をもった存在者(人格神)よりも非人格的な必然性(自然)の方がより高い位置にあることが認められる。これは聖書においてはあり得ないことだ。聖書の神にとっては、神の人間に対する、世界の事物に対するかかわりは絶対的なものであるから。
より正確に述べよう。ギリシア哲学の端緒にはそもそも「自然」の発見があった(ヘブライ語聖書には自然に相当する語は存在しない)。「自然」という概念は、人間の産物と非人工的なものとの根本的な違いについての理解を前提としている。そして、目に見える世界が思惟する存在者(人格神?)によって作られたということがあらかじめ確証されているのでもないかぎり、非人工的なものの存在を人間の産物と同じような原因から説明することは不可能である。ギリシア人はそう考えて、始源の探究、すなわち第一存在の探究を、宇宙の哲学的ないし学問的な分析として開始したのだった。そこでは「神の法」は相対化され、それは自然の秩序(広い意味の語を用いて言えば、自然の道徳)によって取って代わられる。かくして語の本来的かつ厳密な意味での「神の法」は、ギリシア哲学にとっては単なる出発点でしかなく、その進行過程のなかで放棄されてしまうのである。
他方、聖書や聖書の思想は一つの特殊な「神の法」が存在するという考えに固執し、その特殊な神の法こそ唯一の真の神の法であると主張する。そしてヘブライ語聖書は「自然」の語を知らない。聖書の伝統の中で「自然」に近いものを見出すとしたら、「習慣」や「流儀」といった概念がそれに当たるだろう。聖書のヘブライ語でミシュパット[mishpat]という語は、事物の規則的な動きに反映された習慣または法則を意味する。たとえば月経は女性の習慣であり、尻尾を振るのは犬の習慣であり、豚肉を食べないのはヘブライ人の習慣である。この文脈においてはあまりにも多くのことが区別されずに習慣と呼ばれていることは明らかだ。そして多くの習慣・流儀のなかに、とりわけ重要な一つの流儀があると言われる。というのは、その主体が帰属している集団の流儀、つまり「われわれの流儀」のことだが。このわれわれの流儀は、端的に「正しい」。なぜなら、それは古いからだ。なぜなら、それがわれわれの先祖に由来する、永年の慣行によるものだからだ。先祖のものは善きものと同一である。善きものは必然的に先祖のものである。この考えを最後まで押し進めていくと、先祖は神、神の息子、あるいは神の弟子と解されることになるだろう。つまり、正しい習慣・流儀とは神の法と同値だということになる。
ところが、十分な洞察力をもって世界を眺めてみれば、世の中に、先祖由来の正しい習慣・流儀と呼ばれているものは複数あることに気づかざるを得ないだろう。われわれは地上の至るところでその土地、その種族に特有の神話と神の法を見出すのであり、それらの秩序は互いに異なっているのみならず、互いに矛盾しあってもいる。例えば、ある種族は死者を火葬にし、埋葬することなど忌まわしいこととしているのに対して、別の種族は死者を埋葬することをその法典で定めていたりする。このように様々な神の法が多様で矛盾しあったものであるという現実から、ギリシア哲学=自然哲学は、先祖のものと善きものとは基本的に異なった二つの事柄だと認め、こうした次元全体を超え出て(「自然」の発見)、先祖のものからは独立に自分の位置を見出そうと、その探究を出発させたのだった。
しかし、聖書の解決はそれとは異なる。それは、聖書の著者たちが神の法の相対性に盲目だったということではない。彼らは、神の法が多様であるという問題にもちろん気づいていた。そこから彼らは、むしろ、一つの特殊な法が神の法そのものであることの絶対的な必要条件は何か?という問いを考え抜いた。その答えは、絶対的なものは人格神でなければならない、そして第一原因は神でなければならない、というものである。神は全能でなければならず、制御されたり制御されうるものであってはならない。しかし、知られ得るということは、制御され得るということをも意味してしまう。それゆえ神は、語の厳密な意味において知られ得るものであってはならない!──そのように、聖書の伝統では見做されることになったのである。人は神の顔を見ることはできない。ギリシア化された自然哲学の言語では、神の本質は決して知ることができない。それが、聖書の決定的な教えだ。
このことをよく表わすのが、『出エジプト記』のなかで提示された神の名前──文字通り訳すと「私は在りて在るものである」──だ。この定式はギリシア的な実在観とは正反対である。ギリシアにおいて実在が意味するところは、存在するものは今在るとともにこれまでにも在ったしこれからも在るものだということだった(それらが哲学的探究によってその本性を知的に解明可能なことは、あらかじめ前提されている)。しかし、聖書においては、核にあるものには誰も近づくことができない。それは絶対的に自由であり、「在りて在るもの」であり、予測不可能なものである。そのように絶対的に自由で、絶対に制御されたり知られたりするものではない神に由来する法だからこそ、一つの特殊で偶然的な法が、唯一に真に神の法なのである。それでは、人間はなぜその神を信頼するのだろうか? その答えは、ただ契約があるから、ということにつきる。神は自由に契約を行ったが、すべての信頼は神の言葉への、神の約束への信頼に依存している。そこには必然的な、それゆえ理解可能な関係など存在しない。そして言うまでもなく、この契約は自由な契約ではないし、もともと自立していたパートナーによって自由に結ばれたものでもない。それは、聖書によれば、神が人間に履行するよう命じた契約なのである。
『創世記』第一章の説明、すなわち天国の軽視と、善悪の知識の木になる実を食することの禁止を参照することで、この神と人間の関係を敷衍することができるだろう。そこには人間が知識を求めること、知識を求めて努力することは禁じられているという考えが含まれているからだ。神との関係において、人間は、理論的な存在、知る存在、観想する存在者であろうとするものではない。そうではなく、人間は、子供のように服従しながら生きるように造られているのだ。そして人間に知性が与えられているのは、神の命令を理解するため、ただそのためだけに、なのである。
- こうして哲学と聖書の敵対関係の起源について、われわれは多くのことを明らかにした。最も重要な事柄に関しての無知こそ知識の探究に意義を与えるのだと考え、したがって知識(第一原因)の探究に捧げられた生活をこそ正しい生き方と見做す哲学は、たしかに、聖書の生き方とは両立不可能である。哲学と聖書は人間の魂のドラマにおいて二者択一されるべきものであり、敵対し合う。「啓示を信じることは真であるが、哲学者にとっては真ではない。啓示を斥けることは哲学者には真であるが、信じる者にとっては真ではない」。哲学は、いつでも公然たる光の下で万人が経験しうるものだけを承認する。しかし、神は自ら霧のなかに住まうことを欲すると言ったし、あるいはそう決心したのだ。
哲学VS聖書。敵対しあっている双方が、ともに真理を、決定的な真理を、正しい生き方に関する真理を、知っているかまたは所持していると主張する。しかし真理は一つしかありえない。したがってこれらの主張のあいだでは、争いが不可避となる。そして二人の対立しあう陣営はそれぞれ、数千年にわたって他方を論駁しようとしてきた。この努力はわれわれの時代においてもつづいている。
そして西洋知性の歴史、西洋精神の歴史の核であり中枢をなすものは、善き生活についての聖書の考え方と哲学の考え方とのこの抗争であると言ってもいいように、私(シュトラウス)には思われるのだ。この未だ解決を見ない抗争こそ、西洋文明の活力の秘密なのではないだろうか? 西洋文明のうちに抗争しあう二つの根源を認めるということは、最初は人々を非常に当惑させる見解かもしれない。だが、このことを認識することによって、西洋文明に自信を取り戻させ活力を与えるものもまた得られることになるはずなのだ。西洋文明の生命そのものが、二つの掟の間で、根本的な緊張関係を伴った生命なのであり、そして、その生命に活力を与える思想は、われわれがそうした生を営み、そうした抗争を生きる場合にのみ正当化される。一般的に述べると、啓示宗教の論駁と称するものはすべて、啓示を信じないということを前提としており、哲学の論駁と称するものはすべて、啓示への信仰を前提としている。哲学者と神学者の両方であることは誰にもできないし、実際にまた、哲学と神学の抗争を超える可能性も、両者を敢えて綜合しようとする可能性も存在し得ない。しかし、われわれは誰もがどちらか一方にはなり得るし、またなるべきであり、哲学者は神学者の挑戦を受けとめ、神学者は哲学者の挑戦を受け止めるのである。