:III 自然権思想の起源
- 自然権──実定的なものではない、生まれ落ちたときから人間に与えられている奪い得ない天賦の権利──はもともと人々に知られていたわけではない。自然権は、すなわち人間のうちに存する彼が属する社会に決して完全には隷属してしまうことのない「何か」というのは、ある時点で発見されなければならなかったものだ。ただし、自然権への問いが政治学の誕生とほぼ同時だったということは言い得る。
- 古代において自然権を発見したのは哲学だった。言い換えれば、聖書信仰にもとづく啓示宗教には自然権の観念を発見することはできなかった。なぜなら旧約聖書は「自然」を知らないからだ。「自然」に相当するヘブライ語はヘブライ語聖書には見当たらない(「天と地」は「自然」と同義ではないことは言うまでもない)。「自然」の発見は哲学によってはじめて可能となった。
〔宗教と哲学の対立についてさらに:もし何が正しい道であるかが神の啓示によって知られるとなれば、その道を自立の努力によって発見する必要はなくなり、哲学的な探究は何の重要性も持たぬことにされてしまうだろう。〕
アリストテレスは最初の哲学者たちのことを単に「自然について語った人々」と呼び、これらの人々をそれ以前の「神々について語った」人々から区別している。哲学が万物の原理と始源(第一存在)を探究する営みであるとしても、それは神話による納得とは画然と区別される。
「自然」が発見される以前には、事物ないしある事物の種類に特有の振舞いは、それらの「習慣」と考えられていた。吠えたり尻尾を振ったりするのは犬の習慣であり、月経は女性の習慣であり、豚肉を食わないのはユダヤ人の習慣であり、葡萄酒を飲まないのはイスラム教徒の習慣だ、というわけである。このように考えているかぎり、民族ごとに異なる習慣と、時と処を問わず同一である事物の振舞いとのあいだに根本的区別はないことになる。
そして自然が発見される以前、なにもかもを「習慣」と見ていた時代において、とりわけ重要と考えられていたのは「われわれ」の習慣、人が所属している集団の生活の習慣であった。なぜなら、それは端的に正しいからだ。それは「ここに」住んでいる「われわれ」が「古くから」習慣としてきたことだからこそ、正しい。この「古い」と「われわれの」とを結合した観念が「先祖の」という観念であり、人々は先祖の方が「われわれ」よりも絶対的に優れたものであると仮定して、善いものと先祖のものとを原始的に同一視した。ここから、そのような先祖たちが神々あるいは神々の息子たちであったとか、少なくとも神々の近くに住む者たちであったと信じて崇拝するという傾向が生まれる。われわれの習慣が神的存在者の確立した法や掟なのだと信じるように導かれる。すなわち、神話の誕生である。
したがって、「自然」が発見される以前には、第一存在や正しさ、善に関する問いは、その問いが立てられる以前に答えられてしまっていたことになる。つまり、古くからあってわれわれが従ってきた法が正しい、ようするに「権威」が正しいというわけだ。もし権威そのものが疑われることがないなら、第一存在や正しさ、善に関する問いが前景化することはあり得ない。
それゆえ、自然的正義、自然権という観念の出現、なにより哲学という営みの出現は、権威への疑いをその前提とするのである。
- もしソクラテスを自然的正義の探究の第一人者だとみなすなら、彼が神法(先祖の掟・神の掟)で支配されている共同体の中でその法を若者たちの面前で真剣な議論の対象としたことによって、すなわち彼の営みが共同体の権威への批判的吟味を含んでいたことによって、その共同体による追訴を受けたのだと理解できるだろう。
おそらく、自然的正義は、権威に対する最初の疑惑、先祖の掟や神の掟にも多様なものが存在しそれが相互に矛盾している、という現実から出発した。たとえば神々が大地から生まれたとする説は、大地は神々によって創り出されたという説とは折り合わない。いずれが第一存在の説明として正しい説明なのか? われわれの先祖伝来のものは本当に唯一善いものなのか? こうした問いから、先祖伝来の習慣から区別された善いものの探究、単なるノモス(慣習)によって善いものとは異なるピュシス(自然)によって善いものの探究がはじまる。
そしてこのノモスとピュシスの区別は、各民族ごとに異なる事柄の名目と、自分のみならず他のすべての人間もひとしく自分自身の目で見ることができる事柄そのもの、との区別でもあった。これはつまり、第一存在や正しさ、善に関する新しい探究は、超人間的な告知や直観(それは神話的説明においては重要な役割を果していたものだが)によるのではなく、われわれに普遍な人間知にとって十分に到達可能な議論によって、検証され導かれねばならないということだ。
さらに言うと、この新しい探究(哲学)は、もう一つの意味での自然の発見も含んでいた。というのも、単に各民族ごとに異なる習慣を離れて人間知を規準とした真理性による学問を追究するなら、単に人間がその手でつくりだした人工物だけを対象としてもよいからだ。つまり、単にそれだけなら、人間の技術に関する学問──工学でもいい。しかし、人工物から出発してもたどりつく第一存在は人間以外のものではない。はたして人間が第一存在と言えるだろうか? 言えるはずがない。この世界には人間によって作られたものではないものも存在し、それと比べる人為的な事物は少なからず劣ったもののように思われる。技術は自然を前提とするが、自然は技術を前提としない(芸術についても同じことが言える。シェイクスピアの才能はシェイクスピアの作品ではない)。言うなれば、工学の視角では無視される「人工的事物とは区別された非人工的事物」というもう一つの意味での「自然」が、現に世界には存在する。この意味での自然の発見によって、目に見える一切のものを創り出した原理を万人に理解可能な論証によって探究するという哲学の営みは、工学的思考から明白におのれを区別したのである。
- ひとたび自然が発見されると、「習慣」の観念は、一方の「自然(自然的存在者の習慣)」という観念と、他方の「約束事(様々な人間部族の習慣)」という観念へと分裂する。
これが哲学の起源だが、これがまた政治学の起源でもあるのは、この発見が単に共同体の成員たちの合意ないし取り決めである法、すなわちプラグマティックな約束事として存在している正義(という個人の行為の制限)以外に、自然的に存在する正義はあるのかという問いを惹起するからだ。第一存在は恒常的に存在し、永遠不変であり、恒常的には存在しないものに比べてより一層真実で高い尊厳をそなえているように思われる。それと同様に、単に習慣として経験される法律や約束事とは区別された真実性をおびた正義というものは、存在するのか、しないのか?
この問いに対し、ソクラテスの登場以前には否定的な考え、「コンヴェンショナリズム」とでも呼び得る考え方が、哲学者たちのあいだでは支配的であったようだ。ヘラクレイトスは次のように言う。「神の目からすればすべては麗しく高貴であり善であるとともに正しい。しかし人間は、あるものは正しく他のものは正しくないという想定をした」。つまり正義と不正の区別は単なる人間の想定、人間の約束事にすぎないというわけだ。そして神、あるいは第一存在、人間の生活に関連する善悪を超えておりそれに一切関知しない、というわけだ。正義と不正の問題はそれぞれの共同体によって相異なり相対的であり、かつそれでかまわない(=自然的正義は存在しない)、というわけだ。古代ギリシャにおけるこのコンヴェンショナリズムの主流のヴァージョンはデモクリトス〜エピクロスの原子論および快楽主義である。永遠不変でありそれ以上分割不可能な原子というものは当然善悪を超えていると見なされ、正しいことは単に快いことと同値とされた。
これに対して、自然的正義をみとめるソクラテスからアリストテレスの古代の哲学者は次のように考えた。たとえ神が人間の生活にどれほど無関心だとしても、人間の「自然」本性が、正義と不正という道徳的区別の基礎となりうるだろう、と。原子論に対抗して言えば、たとえ原子が善悪を超えているとしても、原子の合成体としての「人間」にとって、本性上善いものが存在すること否定する推論が正当化されるわけではない。人間の自然的な欲求および傾向性と、人為的約束事にそって生じる選好や区別は明白に違うものだ。そして人間の自然本性に合致するような生活が善いものである(それは原子論者も快楽主義者も認めている)として、それがどのような生活であるかはさまざまに考究し得る。論争点は、公正や正義や人間にとって本性的に善であるか否か、あるいは人間の自然に合致した生活は正義や道徳を必要とするか否か、にかかっている。
とりあえず言っておくべきことは、いくつもの共同体においてそれぞれ何を正義としているかは異なる、という現実を持ち出して自然的正義を否定することはあまり意味がないということである。たしかに、自然的正義が存在するなら、正義の原理は不変だろう。だが、さまざまな民族間において正義の観念が多様であるのを列挙したからといって、正義の原理がアド・ホックで可変的だということにはなるまい。それはただ正義の原理に関してすべての人間が一致することは稀だ、という事実を示しているにすぎない。それは自然的正義が存在しないことの証明でもなければ、自然的正義の認識が不可能であるという証明でもない。おそらくコンベンショナリストは自然的正義が道端に落ちている石ころのように、万人に見て触って確かめられるように存在していなければ、存在していないと言いたいのだろう。だがソクラテスもアリストテレスも自然的正義をそのようには考えなかった。彼らはそれを獲得するのに学問的な努力が不可欠であると考えていた。そうであればこそ、自然的正義の知識がつねに得られるとは限らない理由が理解できるのだ。
- 正しいことは合法的であることと同義ではない。なぜならわれわれはある法律が「正しくない」ということについて議論できるからである。このことをコンヴェンショナリストは正義の観念の相対性によって説明するだろうが、ソクラテスやアリストテレスは単に合法的であることを超えた自然的正義・自然権が存在するからだ、と説明するだろう。
法律を行使するのは共同体──とりわけ国家である。では、国家と正義の関係は、国家と人間の自然的本性の関係はどうなっているのだろうか。プラトンの『国家』に出てくるトラシュマコスをはじめとするソクラテスの論敵は、おおむねコンヴェンショナリストの見解をなぞっているのだが、彼らの見解を要約すると、正義は本質的に(それ以外の野蛮な状態と比べた場合に)国家社会の内においてしか見られず、そして国家は人為的なものであるゆえ、正義もまた人為的である=自然的正義は存在しない、ということを言っている。つまり、国家が問題となってくると、コンヴェンショナリストがことさらに言い立てるのは正義の観念の流動性とか恣意性とかではなくて、個人の私的欲求と国家の正義の要求とのあいだの対立という点になるらしい。
コンヴェンショナリストたちは、おおむね次のような見解によって自然的正義を否定する。(1)すべての人間の自然的欲求は自分自身の幸福のみを目指すのだから、正義は各個人の自然的欲求と対立し緊張関係に入らざるを得ない。(2)正義とは他人に害を加えなかったり、他人を援助したりということを意味するが、それはある特定のグループの成員一人一人にとって有利なものであるかぎり重要視されるにすぎない。当然そのグループを離れては普遍性や有効性を欠く。
つまり一般に「正義」ということで意味されていることはあまりに人為的であり、普遍性を持ち得ず、人間のなかで唯一自然なものはむしろ快楽を求める欲求だというわけだ。この快楽主義が政治領域全般の軽視へと行き着くのは明白である。この古代の快楽主義の最も発展した形態はエピクロス主義であった。彼らは唯物論者として言う。「本性的に善きものは、ただ快適なものだけである。快だけが、直接的に感じられる善、善としてはっきり知覚される善である。すべての人は本性上ただ自分自身の善を求める。他人の善への配慮はすべて派生的なことである。……」
ちなみに正義をはじめとする徳は、快楽主義者にとってもまた快を生み出すものであり得る。ただしそれは快楽のための道具として、他人の評判を通じての効果によってそう言えるだけなのだが。正義が快楽主義者によって有益なのは、自分が人々から「正義を重んじる人」という評判・尊敬を得てそれを自分自身の利益として利用できるときのみだ。さらに言えば、不正の悪徳は、快楽主義者にとってはそれが世間に露見しないかぎり自分に害をもたらすものではあり得ない。むしろ実際の不正とむすびついた正義の外見こそ、人を国家のなかで幸福の頂上へと導いてくれるであろう! そしてこれを敷衍すれば、幸福の絶頂は、国家全体を自分の私的利益に従属させるという最大の犯罪を懲罰なしに首尾よくやりおおせた専制君主の生活であり、ナポレオンの生活、俗流ニーチェ主義で言う超人の生活だ、ということになろう。
というわけで、利他的な配慮を意味する正義は、国家内においてしか意味を持たないし、人間にとって本性的に善いものであるとはそもそも対立している、人為的なものである。国家や正義はあくまで人為において生じる(この点、同じ唯物論者でもホッブズならば、国家や正義は生命への欲求から生じるものであり、それもまた快適なものを追求する本性と同等に自然的であると言うだろうが)。否も応もなくコンヴェンショナリストの考えではそうなってしまうのだ。
ところで、コンヴェンショナリストとはまた、プラトン対話篇の中では「ソフィスト」の別名でもあった。
:IV 古典的自然権
- ソクラテスは政治学の創始者であり、また自然権理論の伝統全体の創始者でもある。
ソクラテスはさまざまな事物に対して「何であるか」という問いを発する。彼は自然から人間的な事柄へと研究を向け変えたと言われているが、実際には、人間的な事柄の本性が何であるかを問うには、それと人間的ならざる事柄、すなわち神的な事柄や自然的事柄との本質的な相違を把握しなければ不可能である。したがって、ソクラテスの人間的な事柄の研究も、「あらゆる事象」についての包括的な研究にもとづくものであった。
ソクラテスは哲学の方法論上の刷新も遂行した。彼は自分の探究の出発点を、われわれがそれらについて見ているものからではなく、それらについてわれわれが言っていること、事物についてのわれわれの意見に置いた。しかもその意見は複数のものでなければならない。それぞれの異なった意見にもとづく友好的な論争が行われ、ある非常に重要な事物についての複数の意見の相互間に矛盾が確認された上で、そのような相違を超えて、当の事物についての無矛盾な見解を協力しながら目指すという、「弁証術」による意見から知識あるいは真理への上昇において「哲学」は成り立つと、彼は考えたのだ。したがってソクラテスやプラトンにとっては、正義について多様な意見が存在することと、自然的正義が唯一存在するということは矛盾することではあり得なかったわけだ。
- 古典的自然権の理論が、コンヴェンショナリズム(快と善を同一視する快楽主義)に対する批判としてあったことは何度でも思い返されていい。
というのも、コンヴェンショナリズムの基本的前提は、善いことと快いことを同一視することに存するのだが、古典的自然権理論の命題は、善いことは本質的に快いことと同値ではない、善いことは快いことより一層根本的なものである、ということであるからだ。自然に合致した生が人間にとってもっとも善い生であるということは、コンヴェンショナリストたちも認めている。しかし何でもかんでも、人格の高貴さや卓越した正義まで快楽の侍女としてしまうコンヴェンショナリストたちに対して、人間の自然的本性は快楽によってのみ決定されるのではないはずだと、古典的自然権の理論家は考える。古典的自然権の理論家たちの考えはこうだ。それぞれの生物の欲求には自然的秩序がある。その秩序にしたがって、その生き物が自分の本性によって求められている働きを十分に果しているときは、その生き物は善い状態にあると言えよう。ところで、存在者の種類が異なれば、求めて享受する快の種類も異なる。ロバの快は人間の快と異なる。では人間にとって固有の欲求の自然的秩序はどういうものだろうか? 人間を動物から区別するものは、言葉や理性や知性である。したがって、人間の自然的体制の位階秩序は、思慮深く生きること、知性を働かせること、思慮深く行為することに重要性を与えていると見なせる。したがって人間にとって善い生とは、人間存在の自然的秩序に合致した生、よく秩序づけられた健全な生、可能なかぎり最高度に目醒めている人の生、魂のなかで陶冶されぬままに放置されているものが全くないような人の生のことにほかならない。人間の自然的本性に合致した生は、「徳」の生であり、快楽としての快楽を求める生ではあり得ない。
あるいは、人は誰しも自分の快楽や利益を第一に顧慮するというコンヴェンショナリストの考えは、次のような経験によっても否定されはしないだろうか。われわれはしばしば、敵軍の勝利を先導した天才的戦略家を賞讃するではないか! われわれは、単に自分の恩人だからという理由でその人を天才だの英雄だのともてはやすのが馬鹿げたことだと、知っているではないか! これらの経験は、自分の快楽や利益とはかかわりなしに、本性的に、内在的に賞讃されるに値するもの、高貴なものが存在することを証立ててはいないだろうか? われわれがしばしば他者の人格を利己的な関心抜きに評価するという事実は、快楽主義や功利主義の立場からは、あいまいにしか説明されない(まあ、せいぜい「そうした評価も実は無意識にわれわれ自身の利益の計算を内蔵しているのだ」だのなんだのとしか言えないだろう)。しかし、コンヴェンショナリストの快楽への還元主義という見方に毒されていない者にとっては、低次なるものと高次なるものとの相違が、人間的な諸現象に存在することを見て取るのは、容易い。思うに、人間とは本性的に社会的存在なのだ。人間を他の動物から区別するものは理性や言葉であり、そして言葉はコミュニケーションの手段であるのだから、人間は他のいかなる動物よりも根源的な意味で社会的である。この人間の社会性というものは、他者との関係をもつことから期待される快楽の計算から生じるのではない。むしろ人間は本性的に社会的であるところから、人間は他者との交わりから快楽を得るのだ。愛、情愛、友情、憐れみ、人格の卓越性への賞讃、そして社会的な徳である「正義」は、欲望の追求と同じくらい、人間にとっては自然なものである。この人間の自然的社会性こそ、自然権の根拠である。正義は自然的なものである。──これが古典的自然権の理論家たちの考え方だ。
〔素朴な疑問:コンヴェンショナリストのことはどうでもいいが、しかし、卓越した悪に対する感嘆もまた、経験的に言って、自己利益を度外視した人間にとって自然なものではないのか?〕
付言すれば、古典的自然権の理論家たちは、人間的な諸現象において高次なものと低次なものを区別し、道徳的な事柄を人間的卓越性への方向づけという観点のもとに見たのだから、彼らは、平等主義者ではなかった。すべての人間が人格の卓越性を目指して向上する自然本性を平等にそなえているわけではない。徳への資質をそなえていても、他者による導きを必要とする人もいれば、それを少しも必要としない人もいる。人間は人間的完成という決定的な点において同等ではないのだから、すべての人間に平等の権利をというのは、古典的自然権の理論家たちにとっては、不当なことに思えた。彼らはある者たちは本性的に他の者たちより優れており、したがって自然的権利によって他の者たちの支配者である、と主張したのである。
- ところで、人間が本性的に社会的存在であるのならば、人間は、社会あるいはより正確には国家社会においてでなければ、自己の完成に至ることはできない。そして、もし人間の自然的本性・自然的良心が抑制を要求し(つまり抑制が自由と同様に人間にとって自然なものであり)、しかし抑制が効果的であるためには多くの場合強制が必要であるならば、国家社会が強制的であるからといって、それが人為的であるとか、自然に反するとか言うことはできないだろう。究極的には、専制的支配でさえそれ自体においては決して自然に反するものではないかもしれない。専制的支配が不正であるのは、それがすでに自己抑制と自己支配を身につけている理解力の十分そなわっている人間に対して適用された場合のみ、だろう。つまり、コンヴェンショナリストの考えに反して、正義と強制は相互排除的なものではないし、国家と正義が人為的なものであるとは限らない。
国家が人為的なものではないと主張するところから、さらに、人間の自然的本性にそった共同体はいかなるものかという問題も導かれる。たとえば、盗賊の集団もまたその構成員相互の助け合いやグループ内での利他的行為や強制された規則の遵守を必要とする。しかし、盗賊の集団は明らかに善き社会ではない。それは低次のレベルの快楽の追求にいそしんでいる未熟な個人と同様に、社会として完成されたものでもないし、高次のものでもない。つまり盗賊の集団のなかで個人が生きたとしても、彼の人間的卓越性に役立つことはない。完成された最善の共同体においてこそ、構成員の人間性の完成もまっとうされ得る。逆に言うと、最善の共同体は究極的にはその構成員の人間的完成以外には目的を持つべきではないのだろう。高次の社会や国家の道徳は個人の道徳と同じものであり、社会は、単なる集団的利己心の機関や表現ではなく、その目的を(征服や戦争ではなく)人間の尊厳に合致した平和的活動においているべきなのだろう。
ただ、この点について言えば、高次な共同体として古典的自然権の理論家たちの念頭にあったのはあくまで都市国家であって、バビロンのように非常に大きな社会が考慮されていなかったというのは、彼らの理論の限界ではある。都市国家は少なくとも他のすべての構成員の知人ぐらいは知っている小さな共同体であり、きわめて重要な事柄に関しても、間接的な情報に頼る必要もなく自分自身の所見にもとづいて自らのとるべき方向を見出しうるような共同体である。都市国家の範囲は、限られた愛する能力しか持たない個人が、非匿名的な他者に対して積極的配慮をもち得る範囲とおおよそ合致する。反対に、開かれた、多数の人間を包括する大きな社会においては、小さな社会にくらべて、一段と低い人間性のレベルで存在せざるを得ないということになるのだろうか? 彼らの理論からは、そのような結論は避けられないように思われる。
古典的自然権の理論家たちは、そこで生きる構成員の人間的卓越性にもっとも役立つような社会を、最善のポリティア(politeia 体制)と呼んだ。それは、真に賞讃されるべき習慣や態度を身につけ人間的卓越性の極みに達した人間こそが、権威をもち、決定的な発言権を公然たる形でもつような社会である。言い換えれば、最善の体制とは、最善の人々が常に統治する体制、すなわち優秀者支配性のことだ。こうした考えは、今日ではあまりにも理想主義的なものと見られている。というのも、最善の支配とはおそらく賢者による支配のことだろうけれども、大多数の愚かな臣民が少数の賢者の支配にしたがうということは、よほどの僥倖がないかぎりあり得ないように思われるからだ。有り体に言うと、より実現の可能性がありそうなのは、大多数の愚者たちの欲望を満たすことによって支配者が自分の権力を多数の者に納得させるという、僭主支配の方だろう。それはもちろん、本性的に優位のものが本性的に劣位のものに敗北することを前提とした体制であり、自然に反した所業である。だが、都市国家より大きな規模の人間社会では(いや、都市国家においてさえも)、そうした理想の挫折はほとんど避けられないように思われる……。
- 正義についてふたたび考え直してみよう。単に合法的であるということと区別された正義とは、何か。古典的自然権の理論家たちの見解を総合すれば、それは、すべての人に対して自然的に見てその人にふさわしいものを与える習慣というふうに、定義することができる。正義は、単に他人たちを利するだけではない。正義とは、すべての人に対して、馬鹿げた法(馬鹿げたものでありうる法)が命じるものではなく、その人とって善いもの、すなわち、その人にとって本性的に善いものを与える習慣のことだ。しかしすべての人が、人間一般にとってさらに個々人の自分自身にとって、何が善いものであるかを知っているわけではない。それを知っている者こそ、「賢者」である。したがって賢者が絶対的支配の立場にあるような社会においては、彼の知恵にもとづいて、構成員の各人がその本性に合致したよく遂行し得る役割や仕事が適切に割り当てられていることを期待できる。その社会では、その構成員として社会に貢献することそれ自体が正義となるだろう。国家社会の正義とは、「すべての者はその能力に応じて与え、その功績に応じて与えられる」という原理に従って行為することにある、というわけだ。ちなみに、そこでは社会に貢献する行為の能力が、性別や容姿の美醜や生まれ素姓等々と結びつくと想定する理由はないのだから、性別や美醜や、とくに生まれ素姓等による「差別」は排斥されなければならないはずだ。これは何を意味するだろうか? 正義の原理にもとづいた最善の共同体は、(構成員の生まれ素姓にこだわる)民族共同体ではなく、「世界国家」にならなければならないということである。このことの必然性は、別の側面からも明らかにできる。最善の体制としてまず想定される「都市国家」は、複数のそれの乱立を可能とするほどに小さいものと見なされている。しかし複数の都市国家の存在は、国家間の戦争の可能性をも暗示する。それゆえに、都市国家は好戦的な習慣を養い育てなければならない。だが、このような習慣は正義の求める条件とどう考えても合致しそうにない。戦争に従事する人間が、敵軍に対して、公平に言って有益だと思われるようなことを率先して遂行するわけがない。国防の兵士たちが専念していることは、言わば他人に害を加えることだが、他人に害を加えることは正しい人の行いとは調和し得ない。そう考えると、結局のところ都市国家の表現する正義とは、せいぜい市民──市民であるためには基本的に市民の父親と市民の母親から生まれなければならない──の間での道徳にすぎないように思われる。この矛盾を避けるためにも、都市国家はやはり「世界国家」に転換しなければならない。「世界国家」、すなわち一つの人間的政府にしたがう全包括的人間社会。
正義の問題のこのような解決は、明らかに途方もないものである。逆説的にここから言えるのは、都市国家の内部で可能な正義は、不完全なものでしかあり得ず、問題なく善だというわけにはいかないということだ。
〔さらにつけくわえて:この結論を、お望みなら、「もし神の規則や摂理というものがないならば、真の正義は存在し得ない」というふうに表現してみてもいい。実際、全人類を正しく統治し得る者がいたとしたら、それは神以外の何であろうか。「世界国家」としてふさわしいのは神に支配された神の国だけだ。考えてもみてほしい、つねに極度の欠乏の状態に生きていて、生存のためだけに常時互いに戦争しなければならないような人々に対して、徳や正義を期待するのはほとんど無理というものだろう。もし人々の間に正義が存在しなければならないならば、人々が常時もっぱら自己保存と他者危害のことを考えるよう強いられることのないように、また人々がその仲間に対してさえ裏切りや加害の振舞いを強いられることのないように、配慮されなければならないだろう。そのような配慮は人間の配慮のよくするところではない。だが、われわれは知っている……人間の非欠乏の状態、それは黄金時代すなわち神の配慮の下のエデンの園においては実現されていた。神の支配は豊饒と平和ともなう。欠乏は戦争に導く。どういうことか。つまり──自然的正義という観念と、堕落する前の人間の原初の状態という観念は、実は深い結合があるということだ。〕
〔素朴な疑問:そもそも本当に為政者としての賢者など存在し得るのか。むしろ対話すればするほど自分自身のことさえよく分かっていなかったということがどんどん明らかになってしまうというのが、われわれ人間の常態ではないのか? 卓越した人物においてもまた。古典的自然権の理論には──たとえソクラテスが弁証術を自身の哲学的思索の技法としていたとしても──バフチン的な対話観・コミュニケーション観が欠けているように思われる。「……だが、イデオロギー的記号を生きた動的なものとしているそのもの、まさにそれが、記号を、客観的現実を屈折させ歪める媒体ともしている。支配階級は、イデオロギー的記号に超階級的な永遠の性格をそえ、そのなかでおこなわれているもろもろの社会的評価の闘争を鎮め、内部に追いやり、記号を単一アクセントのものにしようとする。/だが実際には、どの生きたイデオロギー的記号もヤヌスのようにふたつの顔をもっている。広く使われているどんな罵言も賞讃の言葉となりうるし、通用している真理が他の多くの人びとにとってたいへんな虚言にひびくことはさけられない。記号が内部にはらむこのような弁証法的性質は、社会的危機や革命的変動の時代にのみ徹底的にあばかれる。……」(ミハイル・バフチン『マルクス主義と言語哲学』)〕
- シニカルに現実を観察すれば、都市国家より大きな国家社会においては、いや都市国家においてさえも、賢者の知恵による支配が実現することはなく、むしろ何が「善いもの」であるかについてまったく知恵のない大多数の臣民たちの、単なる「合意」にもとづいた政治が実現する可能性の方がはるかに高い、と言える。それでもなお賢者が国家を導きたいと願うならば、彼は知恵の要求が制限され薄められることを受け入れねばならない。自然的正義は薄められて愚かな臣民の要求と両立させられなければならない。(最善の体制ならぬ)ほとんどの国家社会は、知恵が合意と妥協することを求める。それは知恵と愚劣の根本的妥協、すなわち理性や知性のみとめる自然的正義と、単に臆見のみにもとづく正しさとの間の妥協がなされるということだ。端的に善きもの、それは人間の本性から言って善きものであり、習慣的に善きものとは根本的に区別されるものなのだが、それが、いわば端的に善きものと習慣的なものを足して二で割ったような政治的に善きものへと変形される。残念ながら、これが自然的正義のたどらざるを得ない運命であるようだ。
なぜこんなことになってしまうのか? マキアヴェリズム的観点がこれに簡潔な答えを与える。人間が本性的に社会的な存在であることから導かれる自然的正義、それはある共同体の中でしか実現しない。ところで、その政治的共同体の存続そのものも、自然的正義によって要求されるのだろうか? なぜこんなことを問うかというと、一つの社会の存続や独立そのものが危機に瀕している極限状況においては、社会を存続させるための要求と、正義の要求とのあいだに葛藤が生じるように思われるからだ。さらに問えば、ある個人の生命の存続そのものも、自然的正義によって要求されるのだろうか? 個人の生命の存続そのものが危機に瀕している極限状況において、正義の要求と生命存続の要求が葛藤する場合にはどうなるのか? こうした疑問は、そのような極限状態は例外にすぎない(極限状況においては平常時に妥当していた自然的正義の規則が正当に変えられる)と言って済ましてしまえるものなのだろうか? マキアヴェッリは、明らかにそうは考えなかった。彼はつねに、正義の要求が緊急性の要求によって割り引きされるような極限状態に身をおいて自分の思想を練り上げたからだ。つまり彼は、「生存のためだけに常時互いに戦争しなければならない」ような時代を生きた。彼は、古典的自然権の理論家が前提していたような平時の状態、厳格な意味での正義の要求が最高の法であり、そこからの逸脱があり得るとしてもあくまで一時的な優先順位の入れ替えとして処理できるような、平穏な社会の状態によって、自分の位置を見定めようとは決してしなかったのだ。マキアヴェッリにとっては、人々が相互に出し抜き合わなければ生きていけないような酷薄なゼロ・サムゲームこそ、真実の状態だった。闘争こそが明白な現実であり、平和は引用符付きの仮象に過ぎなかった。政治的行動は道徳的罪を顧慮せずに実行されるべきであり、愚劣な政治家と天才的な政治家の相違は、道徳的善悪よりもはるかに高い価値を与えられるべきであった。そのように考えることによって、マキアヴェッリは、理性と知性のお喋りにかかずらった古典的自然権の理論を、端的にしりぞける──しりぞける権利が自分にあると、信じていたのだ。
そして、マキアヴェッリこそホッブス以降の近代的自然権の理論の先鞭をつけた、もっとも決定的な思想家だったのである。
:V 近代的自然権
- 近代の自然権論者のうちでもっとも有名で影響力があったのはジョン・ロックだが、ロックの自然権観念の根本的な新しさを用意したのは、トマス・ホッブズである。ホッブズの生きた時代は、近代自然科学、非目的論的自然科学の勃興期であったが、この重大な転換の中から自然権ための結論をひき出した最初の人物が彼なのだ。
- トマス・ホッブズは、政治哲学あるいは政治学の創始者を自認していた。というのは、ホッブズの目にはソクラテスに始まる政治哲学の伝統(伝統的な自然権理論)が不毛なものに見えていたということだ。少なくともそれは、彼の目には「科学」の名に値しないもののように思われていた。
ホッブズは、次の点ではソクラテスやアリストテレスらと一致する。ホッブズは、人間の取り結んだ契約や約定とは完全に独立した自然的正義が存在する、ということを信じていた。また、自然に合致しているから最善であるような最善の政治的秩序なるものが存在する、ということも信じていた。彼にとっては政治哲学とは、最善の体制あるいは端的に正しい政治秩序の探究以外ではあり得なかった。この面だけを見ればまるでホッブズはひとりの理想主義者であるかのように立ち現われる。
だが決定的な面でホッブズは伝統的な政治哲学をしりぞける。ホッブズはソクラテスらがその思索を出発点としていた「人間が本性的に社会的動物である」という命題を認めない。認めないどころか、彼はこれをソクラテス的理想主義が挫折した第一の原因だと見なしている。この点でホッブズは、ソクラテスらの政治哲学が本質的に対立していたはずの、エピクロス派の思想に結びつく。ホッブズは人間が本性的に非政治的・非社会的であるというエピクロス的見解に同意を与える。さらには、ホッブズは善いことは基本的に快いことと同値であるという快楽主義的前提さえも受け入れる。しかし、エピクロス派が政治の回避として述べたこれらの前提を、ホッブズはアクロバティックに政治的理想主義の精神を持ったものとして採用してみせ、政治哲学史上重要な一歩を踏み出したのである。
一言で言えば、ホッブズは政治的快楽主義および政治的無神論の創始者となった。ホッブズの自然哲学を見れば、その内実は明らかにエピクロス派の自然学と同様に無神論である。ところがホッブズはデモクリトス、エピクロスではなくプラトンを「最大の古代哲学者」と呼んでいた。なぜならプラトンこそが数学が自然学の母であることを見出した当の哲学者だったからだ。これが何を意味するかというと、ホッブズこそ、政治哲学史上、数学(プラトン的自然学の基礎)と唯物論(エピクロス的自然学)の結合に思い至った最初の人物だったということだ。ホッブズの思考の地平においては、もはや「プラトニズム」と「エピクロス主義』が抗争を繰り広げることはない。ホッブズ自身でも、この結合の大胆な新しさには気がついていたようである。
- ソクラテスにおいては、ヘラクレイトス的な流転の世界にあっても普遍でありつづける知恵に到達するための手段は、ロゴスの駆使による概念の定義であり、弁証術であった。対して、ホッブズにおいては、普遍的な知恵への志向は変わらないながら、その手段が数学へと、もっと言えば近代に飛躍的に進歩した物理学へと取り替えられる。この変化は自然観の変化を前提としている。すなわち、ソクラテスやアリストテレスらの目的論的自然観から、諸物体とその無目的な運動のみで成立する機械論的自然観へと。しかし、同じように機械論的=唯物論的な宇宙像をいだいていたデモクリトスやエピクロスが、結局はいかなる科学の可能性も排除してしまう懐疑論に落着してしまったのに対して、ホッブズは、科学が可能になるためのよりどころがなければならない(そうでなければ哲学は懐疑論をきっぱりと克服できない)と考えていた。そのよりどころというのが、数学であり、物理学であったわけだ。
さらに重要なことは、ホッブズが、数学のとくに幾何学の証明や構成は、われわれ自身の力によるものだと考えていたことである。数学の証明の段階は、何ひとつわれわれ自身の意識の監督下にないようなものはない。それはわれわれの力の範囲内にある、ないしはその範囲内にないような原因をもたない。だからこそわれわれは数学の領域では絶対に確実な知恵を所有し得る。われわれの意識が構成したものについてならわれわれの理解は完全にゆきとどく。数学というわれわれの構成による世界は、目的のない因果性の絶え間ない流動から免れている科学のための人工の島なのである……。この人工の島にとりつくことによって、ホッブズは運動する物質に還元不可能な魂や精神を想定することなく、科学の可能性が保証されるものと信じた。
この考え方からすると、厳密に言えば自然的存在者についての確実な知識は不可能だということになる(われわれは自然的存在者を作り出すのではないから)。しかしホッブズにとっては、数学という知的道具によって、絶対的に確実な知識の足場が保証されてさえいれば、その点についてはどうでもよかったようだ。たしかに自然科学は、つねに仮説的なものにとどまる。だが、人間が自然の主人となり「力」を発揮し所有者となるためには、この「仮説」で十分だ。機械論的自然観において、宇宙は理解不可能である。だが、それでいい。それによって知恵が不可能になるわけではないから。むしろ自然と人間とが完全に調和し得ないからこそ、人間は自然における支配者となり得るのだから……。
こうした姿勢は、ホッブズを科学哲学者と考えたならば、荒唐無稽な楽観のように思える。だが、彼は政治哲学者であった。ホッブズは言っている。「諸学のうちで最も価値あるものは、君主や人間の統治に携わっている人々が必要とする学である」。もし機械論的宇宙論を採用して、宇宙の完全な理解可能性という要求がもはや満たされないとしても、ホッブズにとっては、知恵への志向が阻喪するということはなかった。なぜなら、彼にとって「知は力のためのもの」であったからだ。すべての理解可能性は、その究極的根拠を人間の欲求の中にもっている。目的、あるいは人間の欲望によって定立された緊要な目的が、最高の原理であり、組織原理である。人間の欲求が最高の原理であるからこそ、人間が自ら作り出した領域(国家社会は人間が製作したものである!)についての学問──政治学こそがもっとも重要な種類な知恵となる。知恵を愛する動機として、目的論的宇宙論ではなく人間の欲望をもってくること。ホッブズが近代政治哲学の創始者だというのは、このような発想の転換においてである。
- 力が「力」という名において初めて中心的テーマとなったのは、ホッブズの政治学においてだった。ホッブズの考えでは、そもそも科学さえ力のために存在するというのだから、ホッブズの哲学全体が、最初の「力の哲学」だと言うこともできよう。目的の研究を権能の研究に置き換えること。
このホッブズの転換の成果は明らかにマキアヴェッリに由来する。マキアヴェッリは、その公共的精神において明白にエピキュリアンらとは区別されるが、彼は、人格の卓越性や倫理的徳や最善の体制という問題を、単なる政治的力量や愛国心などで置き換えることによって、古代からの政治哲学の伝統を端的に否定した。彼は善き社会や善き社会の実現を容易にするために、その本来的意味を放棄した。政治的な目標の格下げは、目標達成の可能性を高めるためになされた。彼は成果を得るために、自分の考慮する範囲を制限した。現実主義というわけだ。
ホッブズはマキアヴェッリの「現実主義」の平面に、政治の道徳的原理である自然法(自然的正義を構成する諸規則)を復興を試みた。マキアヴェッリの現実主義は自然的正義という理念に対する強力な懐疑論として機能する。この懐疑論者に揚げ足を取られないようにするためには、どうしたらいいのだろう? ホッブズが出した答えは、自然的正義という理念を、理性的・社会的動物としての人間の完成という目的から切り離す、ということだった。自然的正義の基礎は、人間の最終目的には存しない。そうではなく、自然的正義は、あたかも幾何学の証明のように、すべての人間をほとんど四六時中現実に規定しているもっとも強力な力から演繹されることによって、確実性を(マキアヴェッリの冷笑を受けてもなお)保つ。では、すべての人間にあってほとんど四六時中もっとも力強く働いているものとは、何か。理性ではない。情念である。もっと言えば、「死の恐怖」、他人の手にかかる暴力死への恐怖である。自然法は、もしその原理が情念の信任を受けなければ、つまり「死の恐怖」に一致しなければ、効力を発揮しないであろう。……ホッブズは、そのように考えたのである。
古典的自然権の理論とも異なる、マキアヴェリズムとも異なる、ホッブズの政治理論を、さらに敷衍してみよう。自然ではなく、「自然の恐るべき敵である死」、しかも人間が何らかの手をうつことのできるかぎりでの死、避けたり反撃したりすることのできる暴力死、そのような死こそが、人間を究極的に導く指針となる。ここから、人間のすべての自然的欲望のうちもっとも根源的な欲望は「自己保存欲」だと結論できる。つまり、自然法は自己保存欲という公理から演繹されなければならない。暴力死への恐怖、自己保存欲こそが、あらゆる正義と道徳の唯一の根源であるということでなければならない。ところで、そう考えると、どうやら正義や道徳というのは、われわれに対する「義務」として立ち現われるものではないように思われる。すべての正義や道徳は、自己保存という基本的で譲渡できない「権利」から派生するということになると思われる。そうなると、国家社会の役割はどういうものになるだろうか? どうやら、その構成員の道徳的生活や人間的完成に役立ちそれを促進するということは、もはや国家社会に求められてはいないようだ。そうではなく、各人の自己保存という自然的権利を保護するために国家社会は役立つのでなければならない。そして正しい国家社会と不正な国家社会とを価値づける基礎も、何らかの道徳的事実にあるのではなく、自然的権利のうちにあるということになりそうだ。義務とは区別された人間の権利、そこにこそ政治の基本的事実は見出され、国家社会の役割と限界も、人間の自然的権利を安全に擁護できるかどうかということに規定される──たしかにこれは、まったく新しいタイプの政治理論である。
ホッブズの政治理論は、言わば最初期の「自由主義」と呼び得るものだ。これは政治的問題のマキアヴェッリ的な解決策と同じものではないが、正しい社会秩序という課題について、ユートピア的な理念をしりぞけ実現可能な解決策を目指したという点では、彼はマキアヴェッリを忠実になぞっている。というのも、自己保存という人間の権利にもとづいて規定される「正しい」社会的秩序は、現に、各人が何らかの仕方で実際欲望していることから出発しているため、その実現を「現実的に」期待できるからだ。そしてまさに歴史上、自然法理論は、近代においては過去におけるよりもずっと革命的な戦力となり得たのである。
ところで、国家社会の役割も限界も人間の自然的権利によって規定されるというなら、国家や主権者の権威が個人に属する権利から派生するものであるというなら、個人は、あらゆる点で本質的に国家社会に先立つのでなければならない。個人は個人として、国家社会から独立して本来完結したものと見なされねばならない。ここから、国家社会に先立って「自然状態」が存在する、というホッブズの有名な主張が生まれることになる。実際、自然状態が政治哲学の必須の論点になったのは、ホッブズ以降のことにすぎない。政治社会以前の人間生活を「自然状態」を呼んだのは、ホッブズ以前には主にキリスト教神学においてであり、自然状態はとくに恩寵の状態から区別され、純粋無垢な自然の状態と堕落した自然の状態に別れていたのだった。そこへ、ホッブズは恩寵の状態の代わりに国家社会を置いて、堕落の事実の重要性をほぼ否定した。「自然状態」の観念は、ホッブズに(完全な権利のみが存在し義務はまったく存在しない、純-個人主義的な状態として)反神学的解釈をほどこされて、はじめて政治哲学の中心に躍り出たのである。
- すでに述べたように、ソクラテスを初めとする古代ギリシャの哲学者たちは、国家社会の最善の体制を思索して、何が各人にとって善いことかという実践的知恵の持主、賢者による支配体制を最善のものと見なした。誰もが自分にとって本性的に善いものは何か知っているわけではない、だからこそ、それを知っている賢者を判定者とするのが本来的に正しい、というわけだ。
ホッブズはもちろんこの答えを拒否する。ホッブズによれば、すべての人は本性的に自己保存の権利を持つ。そして、自己保存に必要な手段の選択は、本来的に各人がその判定者であっていい。なぜなら、自分自身の自己保存にもっとも強く関心を寄せるのは、本人以外ではあり得ないからだ。ともかくも、誰もが暴力死を恐れるという現実がある以上は、誰もが平等に各自の自己保存を正当に追求する権利を持っている。自然的権利の持主という点では、賢者も愚者と平等である。ここから国家社会の体制の問題を考えるなら、知恵よりは合意が優先される体制が優れているということになろう。国家の主権者が主権者であるのは、彼の知恵によるのではなく、ただ契約によって主権者に任じられたからだということになろう。
契約。これもまたホッブズの政治哲学に特有の観念だが、それの意味するところは、道徳ということを自己保存の自然的権利(暴力死への恐怖という情念)から演繹する試みが、道徳をあまりに単純化してしまうことと、軌を一にしている。ソクラテスからアリストテレスにいたる哲学者は、勇気、節制、高邁、寛厚、正義、といった徳を人間的卓越性にかかわるものとして深く考究した。だがホッブズに言わせると、これらは厳密な意味で徳ではなかった。無条件的な道徳的事実は、各人の自己保存への自然権のみである。各人の自己保存の権利を尊重するよう促すのは契約による。すべての道徳的責務は、契約当事者の合意から生じる。つまり、正義の徳とは契約履行の習慣であり、それ以上のものではない。そして他の一切の契約を可能にするのは、主権者への服従の契約としての「社会契約」である……。言わば、マキアヴェッリが徳を愛国心という政治的徳に還元したのと類比的に、ホッブズは、徳を「約束を遵守する」商習慣のごときものに還元した。そしてもはや、人間の意志から独立した正義の規準など、本来的妥当性を持ち得ないものと見なされることになった。十六・七世紀の思想はだいたいにおいて道徳理論を単純化する方向に向かっていたのだが、ホッブズはそれを誰よりも無邪気に遂行してみせたようだ。
ホッブズの教説の快楽主義的な側面も、道徳の単純化とともにあらわになる。暴力死への恐怖とその回避ということは、苦の回避および快楽の追求ということにほとんどそのまま合致する。ホッブズは政治に対するその現実主義的アプローチのゆえに、不要不急の感覚的快楽の追求に対する一切の制限、現世の便益あるいは力の追求に対する一切の制限を、ただ互いの自己保存のために必要な制限は例外として、取り払った。彼は安楽への欲望を全肯定する。「善き生活」とは人間的卓越性の生活ではなく、「便利な生活」のことにほかならない。科学さえも欲望を満足させる(苦痛を回避させる)ために奉仕しなければならない。国家社会の統治者の義務も、市民たちに安楽に役立つことを豊かに供給することでなければならない……。
ホッブズの政治理論は、「最善の体制とはその目標が徳にあるような体制でなければならない」といった観念的思索を(ユートピア的なものとして)完全にしりぞけて、基本的実践的問題をきっぱりと解決できるような「制度」の追求のみに、自己を限定しているように思われる。かつての政治思想家たちが、現場における政治家の実践的知恵とは独立に自分たちの思索を深めていたのに対し、この新しいタイプの政治理論は、それ自身で、決定的な実践的問題、いかなる制度が今ここで正しいかという問題を解決しようとする。つまりそれは、政治家の実践に全的に影響を与えようとする。ここにおいて、古典的政治哲学がもっていた分別や柔軟性は、狂信的な硬直性へ取って代わられたように思われる。理論がそのまま現実につながっているようなこの新しいタイプの政治哲学を、われわれは「純理主義(doetrinairism)」と呼ぶこともできるだろう。実際、ホッブズは自分の体系的哲学が一般化され、世論となり、政治哲学と政治権力の合致が実現されることを望んでいた。たしかにこのような政治哲学は、十七世紀において初めて現われたのだった。
- 最後に、ホッブズの理論に対する素朴な疑問を書き留めておこう。
たとえばだ。もし道徳の唯一の原理が個人の自己保存の権利であり、国家社会の主権もあくまでそこから派生するというのなら、なぜ、戦争における出征、さらには死刑を強いることによって、国家社会は個人の自己保存の権利の放棄を要求できるのだろうか? 死刑に関しては、ホッブズは死刑廃止の必然性を主張することによって一貫性を保った。だが、戦争に関してはそうはいかない。むろんホッブズはイギリス内乱の勃発の際し、「逃亡した最初の者」であることを誇っていたくらいだから、一貫して「本性的な臆病は許容されなければならない」と考えていただろう。ところがこの考えを敷衍して至り着くのは、国防という概念の完全な放棄である。それはその国家社会の存続を危機にさらすということにつながる。国民にとって出征による死をあくまで拒否できるものとするならば、それでいてなお国家を存続可能なものと考えるならば、このジレンマを唯一解決する道は、地上からの戦争の追放ないしは世界国家の設立によるしかない。ホッブズは果してそこまで考えていたのだろうか?
もう一点。いくらホッブズが暴力死への恐怖が人間にとって本性的だと主張しても、現実には、その恐怖を第一のものとせずに生きている人々も少なからずいるように思われる。彼らは、たとえば愛国心から、あるいは自己犠牲精神から、あるいは何らかの廉恥心から、あるいは単なる見栄からでも、暴力死への恐怖を乗り越えて生きている。とりわけ、ホッブズの時代には、暴力死による恐怖よりも、地獄の火の恐怖や神への恐怖がまだ強い力を持っていた。自分の理論の基本的仮定に対するこの反証を解決するため、ホッブズは非常な努力を傾けたが、彼の導き出した結論は、ようするにこれらの事実はすべて妄想か幻想にもとづくものであり、人々が正しく啓蒙されさえすれば、暴力死への恐怖はその本来の力をとり戻すだろう、ということであった。正義の原理に関する数学的知識の成果を知らされれば、人々はたちまち自分の謬見をあらためて、暴力死だけを恐れるようになるに違いない!というわけである。この結論が逆説的に証しているのは、むしろ、啓蒙の効能を異常に重視しないかぎり、ホッブズの理論は現実に齟齬なく適用できないということではないのか?……そもそも、その啓蒙は「正しい」のだろうか?