第一部:言語哲学の問題がマルクス主義にもつ意義
- 基本的なテーゼ。意味は言語(像・言葉・象徴的身振り)抜きには存在し得ない。内面や自意識でさえ言葉として具体化されてはじめて現実のものとなる。しかも言語は、個々人のあいだの相互作用の過程のなかでのみ発生する。ここで言う相互作用とは社会的なものであり、また社会的なもの以外ではあり得ず、したがって言語も個人意識も、ふたり以上の人間が(ただ自然的に共存しているだけではなく)社会的に組織され社会的に交通するのでなければ形成されないと言える。さらに言えばこの「社会」というのは、経済的土台抜きには成立しないものである。
意味──科学的意味、美的意味、道徳的意味、宗教的意味いずれの意味も言語は担うことができるが、これらをひっくるめて「イデオロギー」と呼ぶことができるだろう。言葉とは、すぐれてイデオロギー的な現象である。言葉そのものが中立だとしても、それが社会的交通の場であらわれる時には、何かしらのイデオロギー的屈折をともなって意味を帯びるのである。また、特定のイデオロギー圏に含めることができないとはいえ、日常生活の交通も内容豊かなイデオロギーをはらんでいることに注目しよう。わけても「話しことば」という言葉の形態は、まさに日常生活のイデオロギーという領域に位置している。
実証主義的・行動主義的心理学、ソシュール的記号論、生物学、神経生理学、脳科学、生の哲学、現象学、(個人意識を私秘的な「魂」と見なすような)ロマン主義的文学は、上に述べたような言語という媒体の重要性、社会的相互作用と個人意識の不即不離という点をほとんど無視してきた。それゆえにこれらの諸学は人間の「意識」という問題の解明に失敗しつづけてきたのである。
- 重要なテーゼ。言葉が内的人格の表現である、というのではない。そうではなく、内的人格がすなわち表現され内部に追い込まれた言葉そのものなのだ!
くり返せば、個人意識は言葉=内言という物質化されたしなやかな素材を所有して、はじめて現実化し得るものである。内言となりうること、これは言葉の最大の特徴だと言っていい。
逆に言うと、内的心理はほとんど言葉としてしか了解し分析することができない。つまり、言語という素材の外部では心理はほぼ存在しない(言葉を排除すれば、身振りや表情といった表現運動のみだけを残して心理は極度に貧しいものとなってしまうだろう)。有機体内での生理的過程も神経系統の過程も心理を反映しはしない。言語だけがそのように特権的に位置づけられるのは、言語が有機体と外部世界の接触面において生じるからである。
- われわれ人間にとって、意味とは社会的価値とほとんど同じことだ。ある対象が意味を帯びて、ある個人(集団)の視野に入り言語的・イデオロギー的反応を呼び起こすには、その対象が個人(集団)が存在するための本質的な社会的・経済的前提と結びついていること、その対象が個人(集団)の唯物論的基盤にかすかにではあれ触れていることが必須である。
これを言い換えると、有意味な言葉はつねに社会的アクセントを付与されているということでもある。反対に、たとえば自分の痛みに対する純粋な反応としての動物の叫び声には、アクセントはない。それはまったくの自然現象である。叫び声は社会的雰囲気を念頭においていない。
(註:「社会的」と対立するのは「自然的」ということである。「個人的」ということではない。誤解してはならないが、社会的であることの反対は、自然の生物学的な個体であることであって、個人的であることではない。一人格としての個人はつねにすでに社会的なものであり、それゆえ、個人的心理の内容は、その本性からしてイデオロギー的で、社会的要因に全面的に規定されているのだ。)
個々人の意識の中では、社会的アクセントはあたかも主観的なアクセントであるかのように立ち現われるが、実際にはそのアクセントの源となっているのは、間個人的なものにほかならない。社会的アクセントは多様であり、一つの言葉の中で多方向のアクセントが交差することがあり得る。一個人の発する言葉は、社会的諸力の生き生きとした相互作用の所産である。
言葉の社会的アクセントを多様にするものは、ある集団の枠内におけるさまざまな方向の社会的利害の交差、つまり階級闘争である。たいていの場合、支配階級(強者)は単一のイデオロギーに超階級的な永遠の性格をそえ、もろもろの社会的評価の闘争を鎮め、言語をなるべく単一アクセントのものとして用いようとする(それもまた一つの「屈折」である)。だが、本来の生き生きとした言葉であれば、もとよりヤヌスのように二つの顔を持っているものだ。罵言と賞讃、真理と虚言。言葉が内部にはらむこのような弁証法的性格は、革命家にとっての武器である。
- われわれのイデオロギーと心理は、社会的交通という過程の中で言語として物質化されている。この認識から、言語哲学ははじまる。
第二部:マルクス主義的言語哲学の道
- われわれは言葉を発したり耳にしたりするとき、従来の言語学があつかうような、中立的印象として受け取るのではない。われわれが耳にしているのは、真か偽か、善か悪か、重要なことか重要でないことか、愉快なことか不愉快なことか、などだ。つねに言葉はイデオロギーや日常生活の内容や意味で充たされている。そのようなものとしてわれわれは言葉に反応し、言葉を了解する。同様に、われわれが発話に形を与えるとき、それは要求や懇願だったり、権利の主張や慈悲の祈願だったり、修辞たっぷりのスタイルか素朴なスタイルかだったり、堂々とかおずおずとか憎々しくとか侮辱的だったりといったような、一定の方向性をもって響かせる。それが言語の常態なのだ。
従来の言語学は、完結したモノローグ的発話を言語の現実とみなしてきた。だが実際には、モノローグ的発話というはひとつの抽象でしかない。現実をありのままに見れば、モノローグ的発話でさえも言語的交通から切り離し得ないということが分かる。というのは、いかなる発話も──完結したものも、書かれたものも──何かに応答しており、何らかの応答に向けられているということだ。科学論文のようなものでも、先行する論者からの引き継ぎや論敵に対する論争的な挑発といった了解の能動性を含んでいる。つまりそれらもすべてイデオロギー的領域の中で生成する。
発話とは社会的現象である。孤独で独創的な表現をなしていると信じ込んでいるロマン主義者の表現=発話であれ、所与の現実の諸条件、身近な社会的状況(およびより広範な社会的環境)によって規定されている。たとえば「腹が減った」という単純な訴えでさえも、それがイデオロギー的形態をとるならば、その体験の隣接する状況だけでなくその飢えている者がまきこまれている全体的な社会的立場の如何によって、さまざまに複雑なイントネーションを帯び得るのだ。それは差別意識の誇示でも、政治的プロテストでも、嫌味の表現でも、ユーモアの謙虚な表明でも、運命論的悲嘆でも、歴史的預言でもあり得る。
(註:さらにロマン主義者たちを批判するなら、いわゆる「創造的個性」というのも、社会的・経済的土台の変化をより迅速に鋭く察知し、既成のイデオロギー的体系に部分的ないし徹底的再構築を促すようなエネルギッシュな言語活動を実践できる個性をそう呼ぶのであり、いかなる天才であってもその人の社会的定位と無縁ではあり得ないのだ、と言っておこう。)
また、そこではむろん顕在的・潜在的聞き手の如何も重要となってくる。言葉が完全に社会的相互関係の所産であるというのは、また言葉が本質的に対話的であるということだからだ。ちょっとした考えや体験の最初のあいまいな形においてすらも、それはすでに小さな社会的出来事であり、個人的な内面行為ではない。
以上のことを考慮に入れないかぎり、「意味」とは何かという問題は完全に見失われるだろう。
- あらゆる了解は対話的である。そして、「意味」とは、所与の音連続という素材を通しての話し手と聞き手の相互作用の効果である。それは、ふたつの異なる極の結合の際にのみあらられる電気火花である。
ところで、現実に発せられるどの言葉にも、意味だけでなく、一定の「評価的アクセント」がそなわっている。
言葉にふくまれている評価的アクセントのうち、もっとも明瞭な層は、表情表現的イントネーションによって伝えられる。このアクセントはたいてい、身近な状況、ほんの一時的な状況によって規定されている。表情表現的イントネーションについての生き生きした描写がドストエフスキーの『作家の日記』の中にあるので、分かりやすい解説としてこれを引用しよう。《……ある日曜日のことであったが、もうそろそろ夜になる時分、六人の酔っぱらった工員の群れと十五歩ばかり肩を並べて歩かねばならない仕儀に立ちいたった。そしてそのとき突然、このたったひとつの、しかもきわめて簡潔な名詞の呼称だけで、ありとあらゆる思考や感覚、いやそれどころか実に深淵な論議さえも表現できることを、わたしは確信するにいたったのである。
このケースでは、六人の工員おのおのの発話に固有のアクセントは、語の意味や文法的関連に依ることなく、表情表現的イントネーションの力で完全に実現されている、と言い得る。
つまりひとりの青年が、それまでみんなの共通の話題になっていたなにかについて、自分のこの上なく軽蔑的な否定の意志を表明するために、叩きつけるような猛烈な調子で、実はこの名詞を口にしたのであった。するとそれに答えて別の男がそれとまったく同じ名詞を繰り返したのであるが、しかし今度はその調子も意味もそれとはまったく別であった、──つまり最初の青年の否定の真実性をまっ向から疑う意味がこめられていたのである。すると第三の男が最初の青年に不意にはげしい怒りを感じて、鋭い調子でむきになってふたりの会話に割って入り、相手に向かってまたそれとまったく同じ名詞を叩きつけた。だがそれはもはや罵詈讒謗の意味をこめて叫んだものであった。するとまたもや第二の青年が第三の男、つまり悪態をついた男に向っ腹を立ててふたりのあいだに割り込み、「なんでえ、おい、なんだっておめえは横合いから口を出すんだ? おれたちはおだやかに議論しているのに、なんだっておめえは藪から棒に横合いから口を出して──フィーリカに悪態なんかつきやがるんだ!」というような意味をこめて相手を押しとどめた。ところが、これだけの意味のことを彼は、やはり同じたったひとつの禁制の単語、やはり同じきわめて簡潔なあるものの名称で言ってのけたものである。そのほかにしたことと言えばせいぜ片手を上げて第三の青年の肩をつかんだくらいのものであった。ところがそのとき不意に第四の青年、仲間のうちいちばん年が若く、それまでずっと沈黙をまもっていた男が、口論の原因となった、いちばん大本の厄介な問題の解答がおそらく急に見つかったのであろう、有頂天になって、片手を振り上げて大声でわめいた……。エウレーカ(わかったぞ)と叫んだものと、諸君は思われるだろう? 発見した、発見したと叫んだものと? どういたしまして、ぜんぜんエウレーカでもなければ発見したのでもない。彼は辞書には載っていない例の同じ名詞を、たったひとこと、あとにも先にもたったひとこと、ただしすっかり有頂天になって、感激の、しかもどうやら度を越していると思われる感激の叫びとともに、繰り返したにすぎなかったのである。度を越しているというのは、それが第六の男、陰気くさい顔をしたいちばん年かさの青年には「もっともである」とは思えなかったからであった。そこで彼はさっそく、そっちのほうを向いて、気むずかしげなお説教調のバスでその青年の青二才じみた感激ぶりに水をさして鼻柱をくじいたものだが……繰り返されたのは相も変わらぬ婦人の前では禁制になっている例の名詞だったのである。もっとも、今度のそれははっきりと紛れもなく正確に、「なにをわめいていやがるんだ、のどが裂けても知らねえぞ!」という意味を現わしていた。そんなわけでほかの言葉はひとつも口にしないで、この連中は、つぎからつぎへと、つづけざまに前後六回にわたって、このお気に入りの言葉だけを繰り返したのであったが、それでお互いに十分その意思を疎通させたのである。これは、わたしが実見した事実なのだ。》
このような評価的アクセントやそれに応じたイントネーションは、身近な状況や小さな親しい社交グループの狭い枠を越えることはない。しかし、すべての評価的アクセントがそうであるわけではなく、もっと広い対象指示の領域をもち、もっと広範な社会的聴衆に立脚した発話をとりあげても、やはり、そこでも評価的アクセントがきわめて大きな役割を果していることが分かるだろう。
そして、言語における意味の生成、および評価的アクセントの生成は、所与の社会的集団の評価的視野の生成とつねに結びついているのだから、そこでは闘争が不可避である。意味の生成プロセスには絶対的に安定したものは何一つない。一つの言葉があるときには高次のものとされ、またあるときには低次のものに落とされる。その生きた矛盾こそが、言語の現実なのだ。
第三部:構文から見た発話の形態の歴史(シンタックスの問題にたいする社会学的方法の適用)
- ここでは言語をある特定の様式において問題としてみたいと思う。というのは、他者の言葉の伝達という様式──「直接話法」「間接話法」「擬似直接話法」──においてである。
われわれは発話の中で他者の発話について語ることがある。その場合、他者の言葉は、それを取り入れた主体の発話の組織を破ることなく、みずからの自律性を維持する。だがそこでまったく干渉が起きないというのではなく、むしろしばしば、他者の言葉はおおもとの発話の構成に影響を与えてしまう。その痕跡(反応)が各種話法のシンタックスの特性として現れるのである。言わば、それは他者の言葉をどのように能動的評価をともないつつ知覚したかの傾向の反映としてある。したがってそれは、話し手達の社会的相互作用の反映でもあるのだ。
さらに言えば、仮に、ある集団やある歴史的段階である話法が優勢的に用いられるという傾向が見出されるなら、それは他者の発話の了解や評価のある社会的な傾向を物語っていると言えるかもしれない。
- 言葉は言葉と接触する。何らかのイデオロギー的意味をもつことのできるものすべては内言の中に表現されるのであり、他者の発話を能動的に知覚するのも、まさに内言に満ちた人間だ。外部から知覚される言葉は、まず内言の中に与えられるというわけだ。
他者の発話を知覚しそれを伝達しようとする人間を、ここで仮に「著者」と呼ぼう。他者の言葉とそれを伝えようとする著者のコンテクストとのあいだには、複雑で緊張した動的な関係が支配しているのが常である。
他者の言葉の伝達のスタイルには、その他者の言葉をできるかぎり明確に取り出し、それを著者のイントネーションの浸透から防ぎ、画然たる外的輪郭をつくりあげる無色透明なスタイルと、逆に、著者の応答や注釈を他者の発話の中に巧みに入り込ませ、他者の発話のさまざまな局面にたいする感覚を精密に描写して、他者の発話がもつすべての言語的特性(思考・所信・感情)および個性を再現しようとする、絵画的なスタイルとがある。後者の場合、他者の言葉と著者のコンテキストの境界線は弱められ、他者の言葉は、著者みずからのイントネーションやユーモア、皮肉、愛や憎しみ、歓喜や軽蔑などによって刺し貫かれる。前者のスタイルでほとんど権威主義的にまで高められた社会的評価の安定性(学術論文などを想起せよ)は、後者においては社会的評価の複数性と相対性に取って替わられる。
後者の絵画的スタイルにおいては、もっと興味深い現象も起こり得る。そこでは主調音が他者の言葉の方に移り、他者の言葉がそれを包む著者のコンテクストより強く活溌なものとなり、それ自体が著者のコンテクストを散らしはじめる──そんなことも起こり得るのだ。つまり他者の言葉に著者のコンテクストが侵入するだけでなく、他者の言葉によって著者のコンテクストが侵され得る。この現象は、芸術作品においては、ずばり、著者自身とは異なる「語り手」の出現ということによって構成上表現される。語り手の言葉は、登場人物(他者)たちの言葉と同じように、個性化され、装飾的で、文体も登場人物のそれと変わらない。そして語り手の位置は普通流動的であり、あまりにも硬直化した権威は持たない、すなわち、語り手はより権威的で客観的な世界を、登場人物たちの主観的に位置に対置して描くことができない(さらに言い換えると、「語り手」は登場人物たちに対して、たとえば裁判官と被告の間の関係ように社会的階層が上位にあるということがない。他者の言葉の階層的位置への感覚が強ければ、それだけ境界は判然としたものとなり、他者の言葉は注釈や応答を浸透させにくいものとなるだろうが、「語り手」は、本質的にそうした階層性に関知しない存在でなければならない)。例としてはドストエフスキー、アンドレイ・ベールイ、レーミゾフ、ソログープといった小説家を挙げるだけで十分だろう。
〔APPENDIX:「語り手」の位相については、もうちょっと精神分析的な意義もありそうに思える。ラカンによれば、まなざしの象徴的機能はまなざしの主体から能動性を奪う。つまり、まなざすことは同時に「まなざされていること」をも意味する。同じく、「欲望すること」は「欲望させられること」を意味し、語ることは、語らされることを意味する。スタヴローギンの意図とは別種の効果をもたらす彼の告白は、「語らされるスタヴローギン」の姿を如実に浮びあがらせずにはおかない。スタヴローギンは進んで告白するが、その実彼は告白させられているのだ。……罪の批判のためには、「内省」だけでは不十分である。なぜなら内省においてはしばしば加害者と被害者の二者関係しか存在せず、それは鏡像的な同一化につながり、罪の暴走を止める力が弱いからだ。だが「罪の告白」は罪を三者関係へと解放し、語られた罪は象徴界へ投げ込まれ、そこから罪の主体に予測不可能な作用がもたらされる。この回路があればこそ、無抵抗な相手への凌辱が、みずからの魂への凌辱として回帰し得る。(以上、斎藤環「『赤い蜘蛛』と『子供』」の要約)──ここから、登場人物の言葉と干渉し得る著者のコンテキスト=語り手の位相は、スタヴローギンに告白を強いた「まなざす」ことが「まなざされる」ことを意味するような象徴的視点に定位されるのではないか?という考えが導かれる。登場人物の発話そのものが生み出す無意識を、当の人物に回帰させる(この回帰がなければ登場人物は自分の自意識を破壊し再生する契機を持てない)ために要請される象徴的視点としての、「語り手」。それは象徴的でなければならないがゆえに、小説世界に足を着けた具体的な視点とは次元を異にする、鏡の裏面のような相対的に外部のものとして「発明」されたというわけだ。〕
この絵画的スタイルの方向性は、直接話法や間接話法の変形パターン、および擬似間接話法を極度に発達させた。そうであればこそ、言語芸術は、裁判で用いられる法的言語などと比べて、社会的・言語的相互作用におけるあらゆる変化をもっとも敏感に伝えることができたのである。
- ロシア語における他者の言葉の伝達のシンタックス的パターンは貧しい。直接話法と間接話法の区別は存在するが、この二つのパターンのあいだでさえ、他の言語に特有の判然たる相違がないありさまだ。というのは、間接話法の特徴がきわめて曖昧であり、直接話法の特徴と入り混じり易いということだ(例えば、本来ならば「居酒屋の主人は、古いつけを払わないうちはその客たちに食べさせるつもりはない、と言った。」──であるべき間接話法の表現が、ロシア語では「居酒屋の主人は、古いつけを払ってくれないうちはあんたがたにわしは食べさせはしない、と言った。」──と表現され直接話法と混ざりあってしまうことがしばしばである)。おまけに、ロシア語には時制の一致もなく、仮定法もさほど活かされない。
しかしロシア語のこうした特徴──他の言語において感じられるような逸脱への抵抗感が薄い──は、著者の言葉と他者の言葉の相互作用・相互浸透を容易にし、他者の言葉の絵画的伝達スタイルにとっては好都合な状況をつくりだしている。
- 間接話法について。もし他者の発話を分解不可能な、不変不可侵なまとまりのものと見なすのならば、そこには逐語的な直接話法以外いかなる伝達パターンもあり得ないことになる。逆に言うと、間接話法の言語的本質は、他者の発話を分解してそれを変形した上で伝達するという、他者の言葉の分析的伝達にあるということだ。
間接話法による変形にもいくつかの種類があるが、たとえば、もとの発話にあった情緒的感情的要素を、注釈的変形として主文に移し替えるということはしばしば行われる。
・「なんて素晴らしいんだ、これは素晴らしい唄だ!」
・彼は、これは素晴らしい、本当の唄だと感激して叫んだ。
直接話法の情緒的感情的な立場では可能な省略、脱落などを、間接話法は別の形で展開する。間接話法は、他者の発話を別の仕方で「耳にする」、すなわち、伝達にあたり、他のパターンとは異なった契機やニュアンスを知覚し現実化しようとする。そこに働いているのはある種の分析の意志である。
間接話法は分析的精神にもとづく。そして、ざっくり言ってしまうとこの分析には二つの本質的に異なった方向性がある。その方向性の一つは、元の発話における対象指示を単純に明確にして分析的に伝えるという方向であり、例えば「『ふざけるな! 俺はこれを評価するつもりはまったくないね!』」→「ロバは、うぐいすの唄を絶対に評価できない、と言った」というふうに話し手が何について述べたかを明確化する、直接話法から間接話法への変形が、この方向性にあたる。この場合、元の発話の中の感嘆文や歓喜・怒りの表現は「絶対に」という語で補足され、著者の言葉の中にそのまま移されて伝えられる。
しかし、他者の発話を話し手そのものを性格づける個性的な表現として受けとめ、その内容を明確化するだけでなく、むしろ、その個性の方を分析的に伝えることもできる。これが第二の方向性であり、間接話法のパターンの第一の方向性を対象分析的変形と呼ぶなら、この第二のパターンを、文体分析的変形と呼ぶこともできよう。この分析においては、他者の発話の主観的・文体論的性格を特徴づけている語や言い回しも、表現として間接話法の中に導き入れられる。これらの語や言い回しは、それらの特殊性、主観性、典型性などがはっきり感じ取られるように導入される。それらが下線や傍点で、あるいは引用符に括られて強調されることもある。ドストエフスキーの小説から例を取ろう。1《ふたりのポーランド人も同様な羽目におちいった。彼らは傲然と威張りくさって出廷した。そうしてまず最初に、自分たちが『国王陛下にお仕えしていた』ことや、『ミーチャ氏』が三千ルーブリの提供を申し出て自分たちの名誉を買おうとしたことや、ミーチャの手に大金が握られていたのをこの目で見たことなどを大声で証言した。》
これらの例では、間接話法的構成の中に、他者の発話の表情表現的イントネーションが保たれている。間接話法の中に導入されながらも、みずからの特性が感知され得る他者の言葉や表現は(ことにそれが強調されている場合)、異化されており、それも著者にとって必要な方向で異化されている。すなわち、そこでは他者の発話の彩りの豊かさが強められると同時に、皮肉・ユーモアなどといった著者の評価も重ね合わされているのである。
2《少年は前にもそんな遊びを何度もしたことがあって、まんざら嫌いではなかった。そのためにあるとき学校で、クラソートキンは家へ帰ると間借り人の子供たちとお馬ごっこをして、副馬の真似をして飛びはねたり頭を曲げたりしているという噂が立ったことがあったが、彼は傲然とその非難をはねつけて、もし相手が十三歳の少年であれば、『現代において』お馬ごっこをするのは実際に恥ずべきことだが、自分がそういう遊びをするのは『ちびさんたち』のためであり、なぜならば彼らを愛しているからで、自分の感情にはなんぴとも口出しすべきではないと論駁したものである。》
3《出かけていってみると、彼女は気ちがい同然のありさまであった。彼女は悲鳴をあげたり、体を震わしたりしながら、ロゴージンがこの家の庭に隠れている、たったいまその姿を自分は見た、夜になったら、あの男に殺される、刃物で斬り殺される!と叫ぶ有様であった。》
また、間接話法が直接話法に直接移行するケースも、同じように話し手の主体性・個性を際立たせる文体分析的変形と見なし得る。著者にとって必要な方向で異化される点も同じである。やはりドストエフスキーの作品から例を引こう。4《トリフォンははじめ言葉をにごしていたが、ふたりの百姓が訊問されるに及んで、しぶしぶ百ルーブリ紙幣を拾ったことを認めた。もっとも、金はその時ドミートリイにすぐさま返したと言い、「正直にお返ししましたが、あの方はへべれけに酔っておいででしたから、覚えておられるかどうかわかりません」とつけ加えた。》
こうした変形パターンの、他者の言葉の伝達にともなう「絵画的」効果は、明らかであると思われる。それは、第一の対象分析的変形と異なり、話し手の個性を(独創的であれ類型的であれ)主体的流儀、この流儀に対する著者の態度もふくめた考え方や話し方として再現する。そして、ロシア文学史上ではこちらの変形が圧倒的に優位だったのだ。
5《その言葉つきや態度から、証人〔グリゴーリイ〕が素朴で公平なことが感じられた。亡くなったもとの主人に対しては、心から深い敬意をはらいながらも、彼は例えば主人のミーチャに対する仕打ちは公平を欠いていたと言い、「旦那様はお子様方をちゃんとお育てにならなかった。あの男も小さい頃に私がいなかったならば、しらみに食われてしまったに違いありません」と、ミーチャの幼年時代の話をしながら言い添えた。》
- 次は直接話法について(ちなみに、ここで言う直接話法は発話だけでなく、内言の直接的再現も含む)。
直接話法においても他者の言葉と著者のコンテクストの相互作用・相互浸透は起こり得る。いや、他者の言葉や評価が著者のアクセントやイントネーションをさえぎるようなもっとも極端な「ことばの干渉」さえも、起こる。たとえば擬似直接話法(自由間接話法)において。先に引用した例で言うと、たとえば三番目の例「彼女は悲鳴をあげたり、体を震わしたりしながら、……夜になったら、あの男に殺される、刃物で斬り殺される!と叫ぶ有様であった」──は、間接話法の中に直接話法の弱化した感嘆文的構成が移っており、その結果、半狂乱のヒロインの興奮したヒステリックなイントネーションと、著者の分析的伝達の落ち着いた事務的なイントネーションとのあいだの不協調(干渉)が起こっていると見なせるが、惜しむらくは、間接話法のシンタックス上では、このことばの干渉という現象はほとんど部分的にしか展開され得ない。ところが、直接話法のヴァリエーションにおいては、その干渉がもっと広範に多様に展開される可能性がある、というわけだ。
直接話法における他者の言葉と著者のコンテクストとの相互伝染。まずは、他者の言葉が著者のコンテクスト全体に散らばって、著者のコンテクストを他者(登場人物)のトーンで主観化し色づけるケースを見よう。そこでは、著者のコンテクストは、著者のイントネーションは保持しつつ、他者の言葉や評価をも重ねて二重にひびき始める。文章は、二人の主人に仕え、二つの異なった方向を向いている言葉に同時に関与するものとなる。ドストエフスキーの作品「忌まわしい話」から実例を引用しよう。《そのころ冬の、ある明るい、寒さの厳しい晩、といってももう十一時をまわっていたが、ペテルブルグ区のある立派な二階建ての家の、気持のよい、しかも豪華に装飾された部屋に三人のきわめて立派な男たちがすわって、まことに興味あるテーマをめぐる充実したすばらしい会話を交わしていた。この三人の男は、いずれも将官相当の高官だった。彼らは小さなテーブルを囲んで、それぞれ、豪華なやわらかい安楽椅子にすわり、話の合間に、ゆったりと、気楽にシャンパンのグラスを傾けていた。》
この部分を(ツルゲーネフやトルストイにおけるように)単に著者の視点からの描写、ないしは(一人称の物語のように)一人の語り手しかいない場合の描写として受け取るならば、はなはだ拙いものと見えるだろう。「立派な」「すばらしい」といった形容詞を多用し過ぎているからだ。だが、この部分はそのように受け取るべきものではない。この文章は実は二つのイントネーション、二つの見地、二つの言葉の出会いと闘いの現場なのだ。さらに同作品から引用しよう。《彼について簡単に紹介しておこう。彼は生活の保障のない小役人から役人生活に入り、以来大過なく四十五年ほど単調な仕事をだらだらとつづけてきた……特にだらしなさを好まなかったし、有頂天になることも、精神的なだらしなさと考えていた。そして人生の終り近くには、ある種の甘い怠惰な安逸と、整然とした独り住いに、すっかり埋没してしまった。彼の外観はきわめて礼儀正しく、きれいに剃刀をあてていたので、年よりも若く見えたし、健康管理もよく、まだまだ長く生きることは請合いだったし、きびしい紳士の心得をしっかりと守っていた。彼の地位は気楽なもので、どこかの書類に署名したりするだけでよかった。一口で言えば、彼は卓越した人物であると考えられていた。彼には一つだけ情熱があった、いや、むしろ熱烈な願望と言ったほうがよいかもしれない。それは──自分の家それも宏壮な大邸宅というのではなく、貴族風に建てられた家を持つことだった。この願望がついに、実現されたのである。》
いまや、先の引用部の叙述の、あの拙くて俗悪なトーンに徹した文体がどこに由来するかは明白だろう。それは、みずからの安逸や持ち家、自分の地位、身分を舌なめずりして味わっている高官的意識、つまりようやくにして世に出た二等文官の主人公(「彼=ニキーフォロフ」)の自意識に由来するのだ。そのことをもっと分かりやすくするには、これらを他者の言葉、すなわち主人公自身の言葉として引用符の中にくくった方がよかったかもしれない。しかし、重要なのは、これらが主人公一人にのみ属しているのではなく、語り手にも属しているということなのだ。語り手は「高官たち」といわば連帯し、彼らの鼻息をうかがい、万事彼らの意見を守り、彼らの言語で話す(語り手の語りの中に、登場人物たちの内的な直接話法が先取りされ・隠され・散りばめられている)。にもかかわらず、話を進めているのはあくまで語り手であるから、ここで語り手はすべてを大袈裟に挑発的に表現し、他者(登場人物)の発話のすべてを著者の皮肉や嘲笑にさらすことが可能になっているのだ。著者は、語り手を媒介にして、月並みな修飾句で主人公を皮肉り嘲笑する。これによって、イントネーションの複雑な遊び、声に出して読んでもほとんど伝わらないだろうイントネーションの遊びがつくりだされている。
この作品は、このように登場人物たちの隠れた言葉(直接話法)がちりばめられた語り手の叙述、という背景の上に、引用符に入れられた彼らの実際の内的・外的な「直接話法」が生じてくる、という仕儀になっている。
以上の実例においては、語りのほとんどすべての言葉が、二つの交差するコンテクスト、二つの言葉──すなわち著者・語り手の皮肉で嘲笑的な言葉と、皮肉などまったく無縁の主人公の言葉──に同時に仕えている。表情表現や情緒的トーン、文章内のアクセントの位置などの観点からすればまったく異なった方向を向いた二つの言葉に、同時に関与している。これは「ことばの干渉」の典型的なケースである。
さて、ついでに、逆方向の浸透、著者のコンテクストが他者の直接話法に浸透するケースにも触れておこう。たとえば、ドストエフスキーの処女作『貧しき人びと』において起こっているのは、物化された直接話法、とでも名づけたいような直接話法の変形である。そこでは、主人公の客観的描写にかかわる評価や情緒が、主人公の言葉(内言=自意識)の上に移っている。喩えて言うなら、われわれはしばしばメーキャップや衣裳、態度一般によって舞台上の人物が喜劇的役柄であることを認めたりするけれども、それと類比的に、小説の登場人物の直接話法の中に、著者による主人公の客観的定義づけが濃い影を落としているようなケースがあるのだ。これは明らかに特殊は変形を受けた直接話法であって、プリミディヴな他者の言葉そのものではない。
- 他者(主人公)の言葉と著者のコンテクストとの干渉。この点でさらに興味深いのは、修辞的疑問と修辞的感嘆というシンタックスだ。この現象の中では、なぜか著者の言葉と他者の言葉とが不思議に同調しているかのように見えることがあるのだ。つまり一つの文章が著者の疑問あるいは感嘆として解釈できると同時に、主人公自身の、自分に向けた疑問あるいは感嘆として解釈できるようなケースである。このとき言葉は、著者の言葉と他者の言葉の境界そのものに定位するかのようだ。やはりドストエフスキーの作品から例を引こう。
《彼は不意に、立ちどまった。新しい、まったく思いがけぬ、きわめて単純な一つの疑問が、一時に、彼を惑乱させ、苦しいほどの驚愕につきおとしたのである。
「そうだ、そのとおりだ。……」から始まる段落に注目しよう。ここでは主人公を「彼」と指示していることからも分かるとおり、語り手の言葉として解釈するしかないのだが、これは前段落の主人公の直接話法(内言)の末の「やはり……しようとしたのではなかったか」という疑問に答えたものともなっている。この一連の流れを「やはり……しようとしたのではなかったか。そうだ、そのとおりだ。……」というふうにつなげて読むのなら、これは主人公の修辞的疑問として解釈できる。どちらの解釈も間違っているとは思われない。ここでは一つの文章が、著者の言葉でもあり主人公の言葉でもあるようなものとして現われているのだ。そこからつづく後の文章も、たとえば「しかもそうきめたのは、おそらく昨日はあそこで、トランクの上にかがみこんで、ケースをつかみ出したあの瞬間だったかもしれぬ……」という推測なども、主人公自身の推測のようにも解釈できると同時に、語り手が推測を注釈的に述べているかのようにも解釈できるだろう。
『実際にあれがみなばかげた偶然からではなく、意識的になされたとしたら、実際に一つの定められた確固たる目的があったとしたら、いったいどうしていままでおまえは財布の中をのぞいても見なかったのだ、何を手に入れたか知ろうともしないのだ? なんのためにすべての苦しみを引き受けて、わざわざあんな卑劣な、けがらわしい、恥ずかしい真似をしたのだ? そうだ、おまえはついいましたがあれを、あの財布を、やはりまだ見ていないほかの品々といっしょに川へ捨てようとしたのではなかったか……それはいったいどういうことだ?』
そうだ、そのとおりだ。すべてそのとおりだ。しかし、彼はそれをまえにも気づいていた、だからそれは彼にとってまるっきり新しい疑問ではない。しかも昨夜川に捨てようと決めたときは、なんのためらいもひっかかりも感じなかった、そうするのが当然で、ほかに方法があり得ないような気がしたのだった……そうだ、彼はそんなことはすっかり承知していたし、すっかり理解していたのだ。しかもそうきめたのは、おそらく昨日はあそこで、トランクの上にかがみこんで、ケースをつかみ出したあの瞬間だったかもしれぬ……たしかにそうだ!……
『これはおれが重い病気にかかっているせいだ』結局彼は暗い気持でそう決めた。『おれは自分で自分をおびやかし、苦しめながら、自分のしていることが、わからないのだ……昨日も、一昨日も、このところずうっと自分を苦しめつづけてきた、──病気が直ったら……自分を苦しめることもなくなるだろう……だが、すっかりは直りきらないとしたら、どうだろう? ああ! こんなことはもうつくづくいやだ!……』彼は足をとめずに歩きつづけた。彼はなんとかして気を晴らそうとあせったが、どうしたらいいのか、何から手をつけたらいいのか、自分でもわからなかった。……》
このような修辞的疑問と修辞的感嘆の効果、すなわち間接話法のあまりにも分析的で生気のない文体とも異なった、さらには直接話法の、あまりにも平面的で感情移入ための背景をも同時につくりだす柔軟性を欠いた文体とも異なった、他者の言葉を複雑さそのままに再現し伝達しようとする、新しい、積極的な文体論的効果の理解──それが、擬似直接話法(自由間接話法)の特性を理解するための糸口である。
〔註:だが、日本語には厳密な意味で自由間接話法が存在しないので、このレジュメではバフチンが行っているその分析部分は省略する。〕
最後に、擬似直接話法が用いられた最良の例として、ドストエフスキーの『白痴』における、てんかんの発作を前にした公爵ムイシュキンの状態の描写を引くことにしよう。これはあまりにも複雑で多面的すぎて、もはや一般的な分析は不可能である!《いや、なぜ公爵は今度も自分のほうから彼のそばへ近寄らずに、二人の眼がぴったりと合ったにもかかわらず、それに気付かぬふりをして身をかわしてしまったのか?(たしかに、二人の目はぴたりと合ったのだ! たがいに顔を見合わせたのだ) いや、そればかりか、公爵はついさきほど彼の手を取って、いっしょにそこへ行こうと思ったのではなかったか! あすはロゴージンのところへ行って、あの女に会ってきたと言うつもりだったのではないか。またそこへ行く途中、急に歓喜が胸にあふれて、彼はみずから悪魔をふるいおとしたのではなかったか? それとも、ロゴージンのなかに、つまり、きょう一日のこの男の行動のなかに、その言葉、動作、行為、視線などの総和のなかに、何か公爵の恐ろしい予感や悪魔のささやきを肯定するようなものがあったのではなかろうか? それは、なんとなく自然に感じられるばかりで、それを分析したり説明したりすることも、十分な理由を挙げてその正しさを証明することもできないものだが、しかも、このような困難と不可能があるにもかかわらず、そのあるものは非常にはっきりした打ちけすことのできない印象を与えて、それがいつしかしっかりした確信に変っていくのであった。
だが、確信といっても、なんの確信だろう? (ああ、この確信の《卑劣な予感》の並みはずれた《卑劣さ》がどんなに公爵を苦しめたことだろう。そして、彼はどんなに自分自身を責めたことだろう!)……》