▼第一章「田舎の序曲」
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1−1
「昔の作家たちは、悠々と主人公の誕生から話をはじめた。今日大いに用いられる手法はほかにも数多くあるけれども、昔のやり方が価値を失ったわけではない。……」主人公ミシェル・クローズの生い立ち。今世紀のはじめごろ、ドーフィネ地方の小さな町に生まれた。公証人の父、二人の妹。家庭教師の司祭。ミッション・スクール、サン=シェリー高等中学校に十三歳のとき入学。
「どこか見所のある人間は、ふつう第二の誕生を経験するものだ。」全寮制の学校生活について。朝五時起床のあとにミサ、勉強は日に十時間。十八世紀以来変わっていない木靴と監視網の寄宿生活。第二年級のときミシェル・クローズの変貌が始まり、文学的な同人誌「僧院の微笑」を創刊したりした。中世風の小説を書くのにも熱中した。
「この脱皮と生まれかわりの細部は、われわれにとってさほど重要ではない。(対話的ディエゲーシス)」一九二〇年春。十七歳になったばかりのミシェル。実家で過ごした復活祭の休暇を終えて、修辞学級の生徒となる。学校内で流行していた紐=同性愛関係について。
「まこと、愛は偏在すると信じなければならない。」校内での愛の芽生えについて。毎朝礼拝堂にやってくる喪服姿の若い娘について。
「他のすべての年とおなじくその年も、最後の学期に入って温かい風が吹きはじめると、さんざしの茂みに劣らず激しい勢いで「友情」が花開いた。」四月。春の雰囲気。サン=シェリーの町の風光。「「優」をもらうことは保証つき、この地方のどんなコンクールに出てもかならず入賞するという哲学級の最優等生が、まだ小さな「第三年級」のなかでもっとも気をそそる、魅力的でいたずら好きな十三歳の少年への愛を打ち明け、彼から一歩もはなれようとしなかった。」同性愛の陶酔。
「紐」関係は早熟な生徒の占有物というわけではなかった。田舎からやってきた生徒たちも銘々溜息に胸ふくれる思いをしていた。
(ここから括復的現前的場面スタート)「第一年級の生徒監で「ラ・ガイユ」という渾名のガイエ神父が、熱に浮かされたように、中庭を大股に行ったり来たりしていた。骨太の、血の気の多い、精力的な田舎者で、四十すぎになっても教授格になれるだけの知識を鄙びた頭にしみこませられずにいる男だった。」生徒たちの「紐」関係を執拗に見張っている生徒監ガイエ神父。素朴な道徳的感性の持ち主。この世の誘惑=悪と執拗に考えていた。
神父の監視のほとんど病的な厳しさ。「ちょうどそんなふうな日だった。」振り向いてにらみつけ、目についた生徒を叱りつけるガイユ。「おい、君たち、ちょっとこっちにくるんだ!」というラ・ガイユの叫び。とはいえ神父は道徳的嗅覚による推測だけで厳罰を下すわけにはいかなかった。
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(ここから単起的現前的場面スタート)「「いつも一緒にいるあの二人は、あの片隅で、いったいなにをたくらんでいるんだろう?」/ガイエ神父は、彼の縄張りの一番奥、体操場の用具置場のかげで、なにやら話に夢中になっているミシェル・クローズとギヨーム・ラファルジュに気づいたところだった。」一見して二人の友情は罪あるものと思われなかったが、何かを隠しているのかもしれない。おぞましい悪徳であればあるほど、仮面はいっそう意外なのかもしれない。二人に近づくガイユ。
「くそ! ラ・ガイユのやつがこっちにきやがる」と訊問されそうな気配を感じ、話題をユゴーのことに切り替えようと提案するギヨーム。
(ここからディエゲーシス)実際に「紐」関係とは無縁だったミシェルとギヨーム。寄宿生活の振り返り。最初の一ヶ月がすぎると十人か十二人の変わり者の仲間に入った。アイロニーと奇抜なファッション(上級生から目を付けられなかったのはそれゆえ)。ランボーの影響について。紐関係の実態にも長いあいだ無知だった。むしろ彼ら二人は天使的でとらえがたい娘を愛の対象にしたいと思っていた。娘たちとの接触が禁じられていただけに。
(また単起的現前的場面に戻る)ユゴーの詩集を論じている振りしてガイエ神父をやりすごす。
また元の話題に戻る。「二人のうち、背が小さくやせていて、どちらかといえば神経質はミシェルは、まだ子供っぽい顔のうえでひどくもつれている褐色のぼさぼさ髪をゆり動かした。/「よく聞いてくれ」彼がいった。「ぼくがいいたいのはこういうことだ。基本的教訓、第一真理、それは「他人は馬鹿だ」ということなんだ」」
地の分で注釈。ギヨームは弁護士の息子。がっしりした体格。
ギヨームはミシェルの思い切った言葉に驚く。ミシェルは自分たち二人はともに他の連中とは違うと力説する。「ぼくらを結びつけるのは不運だったし、いつも二人だけで、ほかの連中は見向きもしないのが気に入らなかったためなんだ」とミシェル。
学校生活の振り返り。他の連中が興味を持つことに自分も興味を持とうとしたが無駄だったこと。ミシェルが創った「僧院の微笑」のこと。アンドレ・ジードのこと。ランボーのこと。「僧院の微笑」はギヨームには読ませなかった。他の連中に一目置かせるために書いたものにすぎず、それを面白いと読んでくれた連中もいたが、そういう奴は無視してミシェルはギヨームと付き合うことにしたのだ。「ぼくはほかの連中に似ていない。君だってそうだ、ぼくたちはおなじ人種じゃないんだから。で、どっちが偉大な人種かといえば、ぼくらのほうなんだ。ただ、まぬけ百万にたいして、ぼくらの同類はせいぜい百人だろうな」とミシェル。
しかしそれはうぬぼれではないか?と疑念を述べるギヨーム。
ミシェルの目が獰猛な光をおびる。「いっさいの反論者をおしつぶさずにはいられない専制君主のような欲求にかられて、小柄な彼の全身が叫んでいた。/「人がなんと言おうと、どうでもいいんだ! 問題はうぬぼれなんかじゃない、真実なんだ。ぼくらの義務なんだ。ぼくらは自分の価値をしっかり身につけるべき年齢になったんだ。ぼくは誇りをもちたい。なぜなら誇りを持っていいときには誰だって持つべきなんだから。……」」「君がもしあいつらの気に入りたいなんて思っているんだったら、なにもいうことはない!」「あんながきどもに評価されるより、この友情のほうが千倍も貴重だと思っていいんだ」とミシェル。
しばらく考え込むギヨーム。「歯に衣着せぬとはこのことだね」とミシェルの率直さに応え、同意を示すギヨーム。二人の友人は確認された。
賭けに勝ったような気持ちになるミシェル。
ギヨームはふたたび眉をひそめて黙り込む。ミシェルはそんな相手をそっとしておく。ギヨームが言葉をつぐ。こうして友情を確認した上で何も隠し立てをすることはない。キリスト教批判。「君に大事なことを聞きたい。ぼくらの目に映っているような形の宗教は、これ以上いやらしく、みにくく、おろかしい相貌はみせようがないほどだ」とギヨーム。
ミシェルも答える。宗教が愚かしく見えるのはミッション・スクールの坊さんたちにうんざりしたというわけではないだろう。宗教そのものに間違ったところがあるのだ。
そろそろ休み時間の終わりを告げる鐘が鳴りそうだった。
次の休み時間、ギヨームは羅文仏訳がいい加減すぎたせいで罰として居残りさせられた。翌日。また二人の話し合い。
「昨日、鐘が鳴るちょっとまえ、君は大事なことをいったね…」とミシェル。
考えながら話すギヨーム。端的な例。ラテン語の教師のモノスは、授業の内容はちゃんとしているのに、宗教教育の話になるととたんに馬鹿げたことを言い出す。イエス・キリストが復活した姿をあまり人前に見せなかったのは、奇蹟があまりにも奇蹟らしくみえすぎないようにうまくとりつくったから? ぼくらの信仰の自由を奪わないため? 不愉快な話だ。
ミシェルも同意する。神の存在論の論拠なんてまったくありゃしないんだ。
「「つまり彼らのいう青春の危機ってやつだな」/「いいかえれば、公教要理をそのまま鵜呑みにするほどばかではなくなったときというわけだ。……」」ミシェルがつづける。疑いをしりぞけよ、さもなくば罪を犯すことになるというわけだ。ちがう。「ぼくらは頭を垂れるような人間じゃない。ぼくらには真理を探し求めることが必要なんだ。そしてその真理がどんなものであっても、正面から見据えなければならないんだ」とミシェル。
(ここからディエゲーシス)「こんな調子ではじめられた打ち明け話の細部をこれ以上追いかけるのは、おそらく余計なのにちがいない。」ギヨームとミシェルの文学趣味について。二人は学校での文学のカリキュラムよりもはるかに先に行っていた。年齢を重ねるにつれ自分たちの性向についてより大胆な意識を持つようになり、授業での古典詩劇の分析などには嫌気がさして、ボードレールや象徴主義に熱中した。もちろんパリのリセでなら二人の文学的冒険は早熟と言えるほどのものではないが、彼らはもろもろの革命や流派の論争もふくめ、文学史を完全にわがものとして生きたのだった。
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1−2
「一年後、おなじプラタナスの下、おなじ「紐関係」にとりまかれながら哲学級に進んだミシェルとギヨームは、あいかわらず能弁をふるって世界を説明し、彼ら自身の住む惑星を説明していた。」上級学年の後半学期。(ここから単起的現前的場面)その日ミシェルに届いた絵葉書。
ギヨームとのやりとり。「彼女かい?」とギヨーム。
ラマルチーヌの家の絵葉書。あまりぱっとしない素朴な趣味。レジス・ランテルムという差出人。
ギヨームはその素朴な趣味を笑う。だれなんだ、こいつは。
ミシェル話す。「おぼえてるだろ。一度か二度、こいつのことは話したことがあるよ。リヨンのやつさ。ほとんど親類といってもいい。おなじ従兄弟の従兄弟なんだ。もっともこいつは姻戚だけどね。わかるだろ、いわゆる幼な友達っていうやつさ。」ミシェルと同じ年齢だがチフス熱で留年したので学年は一つ下。従兄弟は飾り紐業者で百万長者。その長男の奥さんは美人〔リレット。あとで出てくる〕。最近ではレジスとは二月の外出日に従兄弟のところで会ったが、お互い文学好きということで親戚内では二人は話が合うと思われている。しかし趣味は違いすぎる。レジスにはユゴーとマラルメどちらが優れているかさえ分からない。レジスはピアノが弾ける。文学よりも音楽の方が十八番と言えるかもしれない。ブラームスが得意だが、ドビュッシーをどんなふうに弾くかは分からない。聖ヨハネ教会のオルガン奏者に習っているらしい。
ギヨームはレジスがキリスト教徒だろうと指摘する。
正解。「ほんとにへんだと思わないか? だれかの趣味から、だいたい見当がつくっていうのは…」とミシェル。
レジスの話題はそれで終わり。バカロレアの一次試験を通ったばかりのミシェルとギヨームのファッションについて。ミシェルの学外でのアヴァンチュール。その影響。
(ディエゲーシス)「十七歳になる二人の哲学級生徒は、自分たちの過去を探った。その過去は無限であり、二人の類似をすべて明らかにした。そして、すべてを攻撃対象にする二人を、それ以上励ましてくれるものはなかった。」初聖体の忌まわしい思い出。さまざまな過去の出来事の分析が試みられ、宗教に対する嫌悪はますますつのるばかりだった。二人とも断固として率直に話すようになった。宗教に対して批判的だったとしても、二人の態度は若干異なった。ミシェルはより破壊的で嘲弄的であり、ギヨームの方は楽園への郷愁を抱きつづけてはいたが現世の教会を指弾してやまなかった。
「「君はおろかしさに敏感なんだ」と彼はいった。「ぼくが敏感なのは偽善だ」/「おなじことさ。ぼくら二人はどうやら異端者のみごとな番いらしいね」/二人とも、心底愉快そうに笑った。」
二人はしばしば彼ら自身の芸術的感性の原風景について語り合った。緑の沼の思い出。ランボーもそれと関係しているのかもしれない。
二人は福音書を一種の文学作品として読むようになった。その断章には不信の念しか抱いていなかったが。
二人はバカロレアの前半に合格し、哲学級の生徒だということで周囲から一目置かれていたが、校内での評価は彼らにはもうどうでもよかった。この状況で彼らにとって重要なのは省察をめぐらすための自由が得られたことだった。哲学の教科書の内容はうさんくさいと思っていた。二人は膨大な神学論を調べるふりをして図書室でアリストテレスやカントを大真面目に読んだ。
愛についての二人の省察。「その名に値する愛は、燃えあがる心と肉体と火が結びついている愛しかありえないと考える点で、二人の意見が一致していた。」彼らの自負する偉大さにふさわしい希望と想像はそれだった。通俗的な職務で自分たちの魂が衰弱することになるだろうとは彼らにはよく分かっていた。反権威主義。
二人は通俗的な幸福を否認していた。
告解という儀礼も軽視しはじめた二人。しかし宗教そのものはまだ否定していないギヨームは、告解という儀式について合理的分析をしたがりはしなかった。
宗教そのものよりも聖職者たちの俗悪さと卑小さに批判を向けるギヨーム。「ぼくらはこれでもまだ彼らを買いかぶりすぎていたんだ。あんなやつらは、どんなに情容赦なく暑かったっていいんだ」とギヨーム(括復的科白の挿入)。
それでもミシェルは、聖体の祝日の行列で「聖心」の旗の旗手になった。晴れやかな場で優雅な明るいグレーの服を着る虚栄に屈したのだった。
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1−3
(二人の現状総括的ディエゲーシス)「十六歳から十七歳にかけてブルジョワの文学観の基盤を掘りくずすことに専念するような子供を育てたことは、田舎の弁護士や公証人にとって、ほとんどつねに腹立たしいことである。とはいえ息子たちがかなりいい成績でバカロレアに通ったことに満足したお歴々も、彼らが信仰を失ったことにはあいかわらず気づいていなかった。」周囲の家族はとくに二人の変貌には敏感でなかった。信心深い家族というわけでもなかったのだ。とりわけミシェルの父は偽善的な良識派にはうんざりしている人物だった。
バカロレアが済んで自由人となったミシェルとギヨームは、まるまる一ヶ月休暇を過ごした。キリスト教の神を何に取り替えるか。そういう崇高な問題をごまかしてしまう怯懦な人間たちに対する軽蔑。また、その年の休暇、四十がらみの女を相手にしたギヨームの色事について。「で、どんな感じだった?」とミシェル。
ミシェルのほうでも田舎のお転婆娘を相手に童貞喪失を完璧なものにしようとした。しかしそれは大した自慢の種にもならない。むしろ不器用な滑稽さがそこにはあった。
秋になると、二人の友人は別々に暮らすことになった。ギヨームの父の弁護士が南仏の大学の民法の教授になり、ギヨームも同じ大学にいかざるを得なくなった。一方、ミシェルはリヨンの大学に学生登録が済んでいた(ミシェルの父はこの都市で法律を学んだのだ)。二人は毎週手紙を書こうと約束した。
「リヨンは彼の幼年時代の華やかな思い出がすべて結びついている町だった。河が日本流れていて霧にとざされ、ものわびしく、よそものにたいして冷たい町という評判だった。しかし「都会」という言葉を聞いてミシェルが思い浮かべるのはリヨンの家々であり、大きな橋のかかっているローヌ河の堂々たるパノラマだった。」公証人の父はミシェルのキャリアをいずれ会計検査院に通じるものと考えていた。ミシェルは自分の文学志向が突然おそろしく生意気なことのように思われてきた。大学生活の描写。ポケットマネーが日に十三フランもあった。
法学部での勉強はミシェルにとって味気なかった。「法律をつくるためには、まずだいいちに戦争に勝ちクーデタに成功しなければならぬ。……しかし、そんな話を絶対にしないのはなぜだろう? それどころか法律自体が神格化されている! そこにもやはり司祭たちとうわけだ!」という程度の考えでは、法律家になれるはずもなかった。法律が有益だというのなら、トラック運転手の有益さの方がミシェルには好ましかった。しかし徒刑場のような全寮制の学校生活のあとでは、二時間の法律の講義は楽だった。
文学の講義にもいくつか出てみたが、退屈だった。瑣末なことにこだわる文学研究のくだらなさ。「〔この大学教授たちは〕「ミロのヴィーナス」について講義してほしいとたのまれたら、大理石の肌にのこる蠅の糞をかぞえたにちがいない。」ヴェルレーヌについての講義が予定されていたが、かたつむりのような連中が自分の愛する詩人のうえにねばねばする痕を残すと思うだけでミシェルは胸がむかついた。文学部の教授などより美容師とか売春宿の親父とかバーテンダーの方が、はるかに楽しい職業に思われた。
「色恋沙汰については、サン=シェリーの僧院から出てきた男よりも、リセやくだらない高等学校からきたがさつな連中のほうがはるかに大胆であり成功することも多かった。残念ながらその点はみとめなければならなかった。」ミシェルは十八歳になろうとしていた。いわゆる美少年ではなかった。身体は健康だったが、自分の顔の陰気さは残念だった。とはいえ客観的に見て彼よりももっとさえない男たちが、みごとな成果を上げていた。欲望をそそる女の前では別の顔になれるのだろうか。ミシェルはと言えば、ばかげた戦慄とためらいにとらえられるばかりだった。
手持ち無沙汰になったミシェルは煙草を吸うようになった。ポーカーと競馬にもたっぷり三ヶ月は夢中になった。かつてぶちあげた壮大な野心はどこへ行ったのか?
別れてから初めてギヨームと再会した。ギヨームはミシェルの尻を蹴飛ばした。ギヨームはアポリネールとヴァン・ゴッホを発見していた。スタンダールとドストエフスキーもすべて読まなければならない。この二人は世紀最大の先駆者なのだから……。ミシェルの方は、最近の行状にパッとしたものは何もなかった。「ミシェルとしても、このうえない無知を天才の権利だなどといいはるわけにはいかなった。」ギヨームはミシェルの服装さえ非難した。重要なのは自分を律する新しい掟を決めることだ。
ミシェルはギヨームの激励に感謝した。それでも彼の新しい掟の条項ははっきりしなかったが。冬の終わりごろ、ミシェルには三人の弟子ができた。一人はアントワーヌ・バラトン、非常に裕福なリボン製造業者の五男坊。もう一人は詩や演劇に詳しいリヨンの学生。もう人はレジス──金髪で、身長が高く、はしばみ色の目の持主、毒にも薬にもならない文学趣味の持ち主だが(三度か四度ミシェルは彼の家に招かれたが、レジスの自慢げな書棚をがらくたと判断した)、ピアノの腕はなかなかのものだった。なにもしていなければまぬけな青二才といった感じだ。
それからしばらくしてミシェルは全五幕になるはずの戯曲を三幕まで書き上げた。例の緑の沼と愛がモティーフになっていた。弟子たちはそれに心からの賛辞を呈した。
しかし熱中から冷めるとミシェルは自作が陳腐なものに思われてきた。山場の対話は何かのパクリかもしれなかった。レジスはそれを見抜けずまたしても称賛してやまなかったが、ギヨームならこの戯曲を裁いたことだろう。血胸彼は自分の作品を捨て、ギヨームに長い手紙を書いた(この冬)。
手紙の内容。「親しいギヨーム、レジスのことはもう話したことがあったね。鼻の高いのっぽなんだが、心底官能的なのか、それともすこしまぬけなのか、いまでもよくわからない。」レジスについて。
「自分とおなじように金ボタンのついたラティネのマントを着、一月一日に家の大サロンで抱擁した少年が、再会したときにはすっかり大人になっており、真の詩人たちをそらんじるとか、ピエール・ブノワ氏やポール・ブールジェ氏よりも『地獄の季節』のほうを読むとかできるのが、自分の周囲ではその男しかいないことに気づくのは、なんとも奇妙な感じだ。」レジスは並外れたピアニストであり、文学に飢えている。レジスは完璧なたぐいのカトリック信者でもある。信仰に疑念を抱いたことないという。ロレという名の、このうえなくおぞましいイエズス会士の司る研究サークルに入っている。どういうサークルかは想像に難くない。平等主義や貧民窟や経営者の社会的義務についての説教だの。蛭のように民主主義にしがみついている連中。レジスは、福音書の兄弟愛にどっぷりつかりこみつつ、カトリックであることと市民主義者であることを両立させている。
レジスはミシェルの友人であり弟子だが、ミシェルに信仰を押し付けることはしない。ミシェルの不可知論も平静に聞く。ミシェルが不信仰だとしても卑俗でないことをレジスは認めてくれている。ミシェル自身もキリスト教文学に興味を持っていないわけではない。とくに或る種の神秘思想家たちの精神生活については。
しかし、民衆に説教しながらポーの詩に感嘆するなどということはあり得ない。レジスが傑作を読んで何かしら理解することはあるだろうが、彼が詩の実質を捉えることはないだろう。レジスの方では、ミシェルのことをデカダンスの兆候だと非難している。「レジスが評価すべき多くの側面をもっているのはたしかだ。しかし、ぼくたちのあいだに相互理解がなりたつとはどうしても思えない。」
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1−4
「とはいえレジスは、レパルヴィエールの大きな館と農場に招かれて一週間すごす栄誉に浴した。」(一九二二年、大学入学後最初の復活祭の休暇? 一年目終えての夏休み?)ミシェルの妹のセシルとテニスに興じ、ピアニストとしての才能で家族全員を驚かせた。レジスは素朴でがむしゃらな知識欲をみせたので、ミシェルも退屈することはなかった。ミシェルは彼と文学作品を二人で読んだ。ミシェルはレジスに和音の構成や対位法の基本原則を教えてもらった。ミシェルの父は自分の好きなように過ごしていた。
レジスはミシェルの家族から上々の評判を得た。要するに各人がミシェルのためにこの友情を喜んでいた。
まもなくレジスと入れ替わりにギヨームがやってきた。ギヨームはレジスほど両親に気に入られなかった。いささか腹黒い感じさえするというのだ。ミシェルにとってそんな判断はどうでもよかった。ギヨームは彼と同じ「プリンスたち」だが、家族たちに気に入られたレジスが「その他の連中」なのか「プリンスたち」なのか、まだ確信は持てなかった。ギヨームとならば二人だけの世界に入ることができた。親しい者同士の言葉で話す喜びがそこにはあった。選択や拒否の英知をお互い確かめ合った。
彼らは二人してあらためて確信した。自分たちが決然と生涯を捧げることができるのは文学だけだと。ことのついでに彼らは当時有名だった五、六人の作家や批評家の棚卸しをした。
ミシェルはギヨームとレジスを鉢合わせたらどうなるだろうかと想像した。ギヨームも機会があればレジスとの握手をこばまないにちがいない。
レジスと同じくギヨームも妹のセシルに対してまずまずの気遣いをみせた。レジスの馴れ馴れしさからすると、それははるかにデリケートなものだった。とはいえギヨームの気配りは純粋な礼儀にすぎなかったろう。ミシェルに言わせれば、セシルはやっと少女時代を抜け出したばかりなのだった。
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1−5
レパルヴィエールでの休暇を終えてふたたび大学に戻ると、もう法律書に取り組む気がなくなっていた。十月の試験をパスできたのはギリギリ。七月の試験では再試験にまわされた。彼の将来計画のなかで国務院はかすんでいく一方だった。
ギヨームが手紙で伝えてくるのは南仏への幻滅だった。ミシェルはリヨンへの転居をすすめた。しかし、ギヨームは幸いにも父親の説得に成功し、リヨンではなくパリで勉強をつづけられることになった。ギヨームの前に未知の世界が開けようとしていた。それに比べればミシェルのいるリヨンなど何だろうか?
かけがえのない友を失おうとしているミシェルに、興奮したレジスがワーグナー・フェスティヴァルのチケットを持ってきた。
ミシェルの音楽趣味に関するディエゲーシス。十歳頃からワーグナーは耳にしていたがその熱っぽさを苦手としていた。とはいえボードレールがあれほど称揚したワーグナーを無視できるはずもない。リヨンでもよおされる音楽会に気をそそられたこともなかった。一つの芸術作品をめぐってホールに人が一杯集まるというやり方がそもそも気に入らなかった(演奏されるのもシベリウスのような固い音楽ばかりだった)。彼にとって音楽といえば純粋なそれはピアノのそれだった。オペラという言葉から思い浮かぶのはおよそ道化のような印象だった。ワーグナーのオペラの偉大さを彼は疑っていた。
一週間後、『ローエングリーン』のヴァイオリンにミシェルは涙を流した。
そこにははてしない大きさと広がりがあった。有名なテノールは万雷の拍手を受けた。ともかく彼は敬意を覚えるだけだった。『ワルキューレ』も素晴らしかった。しかしやがて批評精神を取り戻す。この音楽には高貴さというよりも大道芸人のような滑稽さがあった。テノールはいささかもったいぶった歌い方をしている。だがワーグナーの金管のすさまじさの前にはすべての愚かしさが◯き消える。
そして『トリスタン』。ミシェルはもしかしたら今度こそ幻滅するのではないかと警戒していた。神の衰弱と軟化をおそれていた。しかし劇場から出てきたときのミシェルは打ちのめされていた。雷撃だった。熱愛していた。何を愛しているのかは分からなかった。彼は一切の検討を放棄して盲目の熱愛に身をゆだねていた。
『トリスタン』は翌週も上演されることになっていた。
彼らは三回見に行った。奇妙な快楽だった。四時間つづく拷問。しかし拷問の終わりが近づくと、絶望的にそれをもっとのばしたい気持ちにかられる。そして終わったあとには、この音楽が汲めども尽きぬものであることをあらためて思い知らされる。
その年の終わり(大学二年目の冬?)は、ピアノで熱狂的にワーグナーを弾くことで暮れた。弾くレジスも聞くミシェルも忍耐を競い合った。ワーグナーについて知ることのできることは何でも知りたいくらいだった。楽譜も読み込んだ。「ようするに彼らは、他の多くの人々とおなじく、このような作品を真に理解し愛すると言いはるさいに、当然もとめられるものをすべて実行したのだった。」
二人の心底からの崇拝を支配したのは『トリスタン』だった。レジスとミシェルは典礼を設定し、お互いの到着を知らせ合うのに〈森の息子〉の主題を合図にするようになった。
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1−6
(一九二三年)一月まではワーグナーの衝撃で気を紛らすことができたが、何通かのギヨームからの手紙がミシェルをかき乱した。ギヨームが持ち出す名前や感情や思考は、残念ながらミシェルの知らないものばかりだった。パリでギヨームが経験していることは間違いなく実り豊かなものだった。オペラ座ですでに『ジークリード』も聞いていた。パリでギヨームはめまぐるしく成熟していっている。それに対してミシェルは? パリにいたら十五歳のときにはワーグナーを全部知っていただろうに……。たとえレジスの手引きがなくとも。
これ以上三人の弟子たちに構っているのは無駄な気がした。「音楽をのぞけば、ミシェルのほうから三人の弟子にあたえるものばかりで、彼らから受け取るものはなにもなかった。」彼らは下手くそな詩人の駆使する無意味な晦渋ささえ一目で理解できず、いちいち説明してもらわなければならないのだ。文学論議になると、とりわけレジスにはいらいらした。
レジスは文学において独自の趣味を発揮しつつあり、バレスとペギーの書物を誇らしげに抱えてやってきた。バレスの作品の一部は評価されてしかるべきものだった。ペギーの新奇さは時代の新奇さの一つに数え入れてもよかった。しかしミシェルはそれらに食指が動かなかった。なぜか。「なぜなのか自分でもよく説明できず、このままリヨンにいたのでは、その深い理由をはっきりつかむことはおそらく絶対にできないのにちがいなかった。」
ミシェルはレジスにもリヨンの住人にもうんざりし始めていた。歩道で行き合うのは堅苦しい連中ばかりで、カフェに坐っている肉付きのよいブルジョワ娘たちをあえて口説く気にもならなかった。自分を彼らから区別するためにマラルメの詩句をつぶやくのも無駄なはずだった。
ギヨームから手紙が来た。ミシェルもパリに出て来るよう勧めていた。
「ミシェルには、十九歳の誕生日にすばらしいプレゼントをあげようと約束してくれた大伯父がいた。」それが四ヶ月遅れて届いた。二千フランの為替。(大学二年目の)三月末、それを使ってミシェルはパリに旅行に行った。パリの風光の何もかもに彼は陶酔した。
「ぼくはここで暮らすことにしよう」とミシェルは考えた。
数日経つと、彼の陶酔が観光旅行のもたらす月並みな感動にすぎず、ガイドブックの宣伝文句に合致しすぎていることが自覚されてきた。しかしこうしてパリを知った以上、ミシェルは自分は法曹にも公証人にもなりはしないことを、心の底からはっきりと理解していた。
「結局重要なのは、自分への約束を守りぬくことだった。」
▼第二章「世紀」
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2−1
パリ旅行でパリに魅了されたミシェルは、またパリに来ていた。流行のファッションでメディシス広場を闊歩した。
「いうまでもなく、彼の生活条件はそういう華々しい外見とはおよそかけはなれたものだった。」窮余の策で、パリに滞在しているあいだ、パリにいる子供のころからの友人、共和主義者の財界人だった父親から一千万フランの遺産を受け継いだヴラディミール・ルヴァスールのところに転がり込んだ。服装もヴラディミールが新調してくれたものだった。パリで豪勢に遊びまわった三ヶ月。シャンパン、ルーヴル美術館、画廊、ギヨームとの哲学論議。そのあいだ家族が不審に思わないよう、三人の弟子のうちの一人に実家への手紙を中継してもらっていた。
「しかし〔一九二三年〕七月のはじめにはミシェルも生家に帰らなければならなかった。」帰るとすぐミシェルは自分がパリのピガル広場からまっすぐ帰ってきたこと、法律の勉強はもう放り出したこと、今後はパリで哲学の勉強をするつもりだと決心したことを告げた。ミシェルの父は楽観的だったので、話し合いで解決した。父親は彼が学士号をとるまでの三年間、月々の面倒を見てやるつもりだったので、あと一年は為替を送ることを約束した。法律の勉強を投げ出すことも認めた。「とどのつまり、ジョレスだって哲学のアグレジェ〔教授資格者〕だったんだからな。しかし、自分の暮らしは自分で立てるようにしないといけないよ。それがいまの学校だというわけだ。」そして父親のパリの思い出話。
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2−2
(普遍的ディエゲーシス)「その年フランスはまだ勝ち誇っていた。しかし、もはやそういう自覚はなかった。ポケットとお腹からいえば戦勝国だったが、心情的にはそうではなかった。」戦勝の余波。
「戦争は人々に巨人の仕事をおしつけたのだった。そしていまやこれほどにも新しく強力な道具が人間の手に握られていたので、世界を作りなおすときがきたと彼らは考えていた。」思想、美術、文学、そして恋愛の新時代。
十九世紀は消え去っていた。シーズンごとに千人単位の文学者と芸術家が生まれ、全員が手のひらで過去を払いのけた。
ありとあらゆる無分別で暴力的な主張を人々は受け入れた。全員がすべてをこんぐらがらせるために全力を尽くしていた。戦勝した以上、何もかもが許される。
戦争によって世界地図も容易に書き換えられてしまったのだった。ワーグナーの歌劇とメドラノ・サーカスが同列に置かれ、黒人芸術と株取引が同列に置かれた。
こういう狂気の沙汰にも爽やかさがあり、ミシェルとギヨームは毎日パリの光輝のなかを泳ぎまわった。
パリの地形図とさまざまな見世物に対する正確な評価をたちまち飲み込むと、彼らは自分たちを田舎者だとはもう思わなくなった。四世代も前からのパリジアンよりも、前代未満なものへの好奇心を持つ自分たちの方がパリの神経であり血だと確信できた。
「なんという冒険だろう! このまえの冬は世紀末的なワーグナー主義の気まぐれと陶酔にひたってすごしたというのに、いまはストラヴィンスキーと鼻つきあわせるとは!」今日の前衛はランボーの価値にさえ疑問を呈しており、第七区ではジョイスが『ユリシーズ』を書き上げたばかりだった。
ピカソ、ラフカディオ、プロティヌス、フロイト、カラマーゾフの兄弟、ド・シャルリュス氏、野獣派、黒人霊歌、バッハ、サティ、セザンヌ、フェルメール、『権力への意志』、シェーンベルク、『春の祭典』……。二人は自分の時代を誇りに思った。機械、戦争、葛藤、血まみれの想像、エキゾチックな夢、バロック、原始的興奮への回帰……。もっとも最新の革新者は『春の祭典』のなかにさえ古さを嗅ぎ付け、今朝のピカソはアングルの回帰を宣言する。
現在からあらゆる無数の道が生まれ、錯綜をきわめる未来を形作っていた。混合主義と折衷主義の多食症症状。美術館のために掘り返される大陸のはらわた。すべてが分類され目録を作られ復権させられる。その量はまさに圧倒的であり、これらの参照事項を利用しないことは不可能だ。
「それとおなじく、シュメール彫刻もフランスのロマネスク壁画も、ヴィジゴートの宝石もアラゴンの原始絵画も、これを知らずにいる権利はない。レンブラント、フランス・ハルス、ヴァン・エイク、ルーベンス、ロラン、ヴァトー、ホルバイン、ベラスケス、ゴヤなどなど、数々の傑作が車にのせられて、ヨーロッパやアメリカの隅々から運ばれてきて、のべつまくなし、圧倒的な聖体拝領を提案する。」発掘された風変わりな画家の群れ。昨日まで最大の栄光と見なされてきたもののなかで不評の種になっていないものはほとんどない。
兄弟のような相互理解に包まれたミシェルとギヨームにとっては、それはすばらしい冒険だ。失望や落胆、気苦労や不安もあった。二人は暗礁や逆流のあいだで船をあやつっているようなものだった。
貸出文庫、大図書館、四つのコンサート、画廊。ミシェルはいくら歩き回っても疲れなかった。ギヨームの方はより内省的だった。ミシェルは狩人として出かけていき、獲物をもって帰ってきた。収穫はまちまちだ。ギヨームは一つの対象を深く掘り下げる方を好んだ。二人の友愛を補完的なものと言ってもいいだろう。二人は田舎の学校で過ごした素朴な時代に拾い集めた小さな包みをもって全世界に立ち向かうことができた。二人はこのような時代に二十歳という年齢である自分たちに拍手を送り合った。
「しかし彼らがとりわけ驚嘆の念を抱いたのは、まちがいなくこの時代の偉大な成果となるはずのもの、いやすでにそうなっているものにたいしてであり、彼ら自身いささかの自己満足をおぼえながらではあったが、田舎の中世の底で、これほどはっきりとそれを予見していたことを誇りに感じていた。」この時代、人類は外部の時空間ばかりに新発見を見出していたわけではなかった。それよりもはるかに人間は自己の内的存在を拡大していた。理性は破砕した。われわれのなかに存在する正真正銘の驚異の世界。人間についての真実。人間の深淵への沈潜。過去の常識の虚偽を暴くこと。
サン=シェリー時代の夢やイメージがすべて都合良く掘り出された。「「人にはいいたいことをいわせておくさ。デグランジュ親父の哺乳瓶で育てられた子供にしては、ぼくたちはどこかひらめきがあったんだ!」/「たしかにね。しかしぼくたちにとってのエゼキエルはランボーだった」」
彼らは現代作家たちを取り上げて検討し、新しい世界になにをもたらしたかを基準に祭典した。
バレスとペギーはゼロ。贋の司祭。
クローデル、二点。修辞が多過ぎる。
アラン・フルニエの『ル・グラン・モーヌ』、ゼロ。ひっきょうつまらない書物。
ジロードゥー、一点半。気取り屋の外交官。
ヴァレリー? 良くわからない。知性的でありすぎて、かえって晦渋になる。
プルースト。最高の十点。フランス文学全体でも最大の作家のひとり。
ジードも十点。古典主義的かつ革命的。
「新しい詩の貧弱さは、彼らにとってかなり悲しいおどろきだった。」特筆に値するのはアポリネールぐらい。その他の詩人たちは一様にがまんならない。新しい感覚は何一つ産み出されていない。凡作への恐怖がひっきりなしに凡作を産み出す。フランス文学の生命とはまるで何のかかわりもない、二つか三つの小雑誌をめぐっていがみあっている恨みがましい詩の製造業者たち。「とっておきのみものは、ほかの詩人についてものを書く詩人たちだ。八十人も集まってある同僚をほめあげる。」
しかしそういう生まれ損ないを尻目に、シュールレアリスムが歩調を合わせはじめていた。ギヨームとミシェルはその公認を受けた。
アンドレ・ブルトンの弟子と知り合い、『シュールレアリスム宣言』のタイプ原稿に目を通す。予言の色を帯びた衝撃的なテキスト。
ブルトンの才能がみごとであること、ブルトンが現代の散文家のなかでもっとも優れた一人だということで、二人の意見は一致した。
「シュールレアリスム、たいへんけっこう! ありとあらゆる単語がすりあわされ結びつけられたというのに、この理性結婚がもはやなにも産み出さない以上、鳥のように、テロリストのように、犬のように、口からでまかせに言葉を吐きだそう。」もろもろのモラル、宗教、論理と理性に死の宣告を下し、自分自身のなかでうごめている世界に新しい言語表現を与えよう。労働禁止。政治禁止。
ほどなくギヨームはブルトンと対面した。ブルトンと一晩遊んだギヨーム。ブルトンの毅然とした反権威主義をギヨームは誉めたたえる。
「ミシェルは自動記述で華々しくデビューした。」シュールレアリストの大部分は最上流のブルジョワ家庭の若者たちで、くそ真面目に大学に通っている連中とは何から何まで違っていた。飽満と激越、洗練された反近代主義。ギヨームのテキストもまた拍手喝采を受けた。
ギヨームの文学的主張がシュールレアリストたちに受け入れられたこともあった。
それにこの仲間に入っていれば、スノビズムやスキャンダルに魅力を感じている女たちに近づくことができた。自由と倒錯の恋愛ゲーム。
「アンドレ・ブルトンは用心深い威厳をもってこれらすべてのゲームをつかさどっていた。」ミシェルとギヨームはこの快男児に夢中だった。
そういった楽しみは三カ月つづいた。シュールレアリストたちは獰猛さを増していったが、ギヨームとミシェルは少し退屈になりはじめていた。シュールレアリズムもまた儀礼的なものになりつつあった。
ギヨームがシュールレアリストたちの「集団による試作」に対してちょっと批判的なことを言ったことがあった。彼は爆発的に皮肉たっぷりな反撃を浴びた。そこにブルトンが入ってきた。ギヨームとミシェルはブルトンにも議論をふっかけた。雰囲気は徐々に険悪になっていった。
結局のところ、無意識につながれた自動記述装置が何を産み出すかは、自分自身がどんな人間なのかに左右されるばかりではないか。シュールレアリストたちの声がすべて魔術的とはかぎらない、なかには単調に聞こえるものもある。社会をおびやかすとか粉砕するとかいう口先だけの宣戦布告を、文字通りに受け止めることはできない。未知な世界を探索し征服するのであれば、もっと確固たる手段が必要なのではないか。誇張がちょっと度を越してはいないか。
ぼくらの生活はまだあまりにもブルジョワ的だ。シュールレアリストとして実際に生きる時間なんて一日のうちにたいしてありゃしない。反抗? あいかわらず大袈裟な言い方だな……。
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(単起的現前的場面)「「残念だな」しばらくして、夜の街を歩きながら、怒りの最初の波が引くと溜息まじりにミシェルがいった。「なにかいうことをもっている連中なんだよな。彼らの創造の種がつきたわけじゃない、それどころか」/「ブルトンは宗教裁判官の魂の持主なんだ。あれはどうしようもない」/「彼は彼なりに正しいのかもしれない。自分の作品は守っているからね」/「しかしほかの連中が、つけを払うのさ」」シュールレアリストの仲間からの除名。彼らは補佐役にも党派の一員にもなるつもりはなかった。二人は二十世紀のもっとも革命的な文学運動の最初の離脱者になることを誇った。
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2−3
「一時期シュールレアリストたちとつきあったことは、ミシェルの予算にかなり深刻な混乱をひき起こした。」
「パリで暮らしていくためには、非常に具体的にあれこれ考える必要があった。雑多にいりまじった金の匂いが鼻についた。」裕福なヴラディミールの株取引。パリに住む別の遠戚の美容器具販売。モンパルナス界隈の遊び人たちも石油会社や官庁筋にもぐり込む。
二度の大戦間の好景気に背を向けることは、ミシェルとギヨームにとっては自然なことだった。彼らは身を売るためにパリ暮らしを選んだわけではなかったから。とはいえ二人には自由を保証してくれるような「副業」が必要だった。彼らの文学的使命感は、世間から見ればたわごとであり、児戯に過ぎないのだった。
父親からの仕送りのおかげでこの問題はギヨームには仮説段階にとどまっていた。ミシェルにとっては緊急に解決を要する問題だった。タクシーの運転手はどうか? しかしよくよく調べてみると、毎日十四時間から十五時間走りまわっても食っていけないという話だ。
ときによって知り合いが紹介してくれる仕事と言えば、さしあたり徒刑のそれだった。事務所で十年間の強制労働、等々。
ミシェルはこの心配事の先延ばしにしばしば成功した。ウラディーミルはスポーツ・カーの売買にアクロバティックな投資をしていたが、そういう取引を仲介することでミシェルはたやすく高額紙幣を手に入れた。かなりうさんくさい仕事で、とにかく指示されたバーにだれかを案内するだけのことだった。そのうさんくささを省察してみてもよかったはずだが、彼は抽象絵画、純粋詩、無償の芸術といった思索にとらわれてばかりだった。
「一年以上〔一九二三年夏〜一九二四年夏〕たってもまだ二人の若者には、四百万のパリ市民がきびしい暮らしをつづけていることがわかっていなかった。」むっつりと不機嫌な朝の群衆もやつれ顔の役人たちも陰鬱な気候もうらさびしい街路も、ようするに彼らにとっては舞台装置に過ぎなかった。
ミシェルが書き溜めた作品のファイルは分厚くなっていったが、中身はと言えば、書きとばした評論数篇、未完の小説二、三篇、そのつどそのつどの状況にそそのかされた感想や情景描写などだった。より秘密に包まれたギヨームの作品も似たりよったりなのにちがいなかった。
彼らは早熟の天才ではないのにちがいなかった。とはいえ、自分のなかに萌芽を感じている以上、そんなことはどうでもよかった。書き物仕事で生活費を稼ぐこともしたくない、「あらゆる隷属のなかで最悪なのはペンのそれだからね」と言い放つミシェル(括復的科白の挿入)。
しかし彼らの運命が困難なことには変わりはなかった。名声を確立するまでの長いあいだどう振る舞ったらいいのだろうか。自分たちの価値についての確信と、疑念の発作。しかし結局は楽観主義が勝ちを占めた。とりわけ二人一緒のときには。ぼくたちは現代文学の恣意的な様式化や突飛なたわむれよりももっと遠くまで歩を進めなければならない。
ギヨームに比べるとミシェルの方が飲んだり騒いだりする機会が多かった。いずれにせよ、この上なく魅力的な女性たちを含めたパリは、彼らの胸を波立たせたとはいえ、ふところ淋しく物腰もあまり愛想がいいとはいえない学生たちがアヴァンチュールに恵まれるはずもなく、たまに手に入れる色事で満たされることはなかった。そんな経験を互いに話すこともなかった。
シュールレアリストたちと付き合っていたころ会った美女たちにせよ、短時間の火遊び以上の記憶を残していなかった。それでいて過去の想い出話、かつて彼らがかなり心をかきみだされた若い娘たちのこととなると、きそって語り合った。
一九二四年という年にプルーストの愛読者だった二人の若者が、素朴な恋愛に憧れるということはありえなかった。シュールレアリスムの冒険の時期につづいて、新たな愛のモラルが必要とされるはずだった。しかしそれはまだ抽象的な観念でしかなかった。
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2−4
不意にレジスの話題。ヴラディミールの車売買でかなり儲けたが、すぐに故障するような車を売った悪業のつぐないをするために慈善事業をしなきゃね、とミシェル。この儲けでレジスに『春の祭典』の楽譜を送ってやろう。
(ここから回想のディエゲーシス)「このまえの夏〔一九二四年夏〕レジスは、自分のほとんど知らないパリの話を聞くために、またレパルヴィエールにやってきたのだった。」そしてレジスは自作のピアノソナタを披露した。ミシェルは引き込まれた。弱点がないわけではなかった。しかしそれが借り物だけの作品ではないことは確かだった。「ぼくの意見がかなり好意的なものであり、細部への留保をつぐなってあまりあることは、君もみとめてくれるだろう」とミシェル。レジスは物思いに耽っていた。その顔はいくぶんリストに似てはいなかったろうか?
テニスコートの方へ降りて行きながらミシェルは言う。
きみはリヨンで何をしてるんだ? ぼくといっしょにパリに来ないか。国立音楽院に入ればいい。そのピアノの腕でジャズでもたたけば十分稼ぐこともできるだろう。今の大学なんてやめちまえばいいんだ。
レジスは驚いた様子。
ミシェルは言葉をつぐ。フランスの芸術家が自分の芸術を成熟させられるのはパリだけだ。宗教ではなく音楽のために生きるべきだ。
レジスはそれほど自分に確信が持てない、と言う。それにパリに住む必要性も感じない……。
(ここからまたパリの現時点)レジスのソナタはミシェルとギヨームの議論の的になった。しかし結局パリの喧騒のなかでは、「パリに住む必要は感じない」などと間抜けなことを言うレジスのイメージは遠ざかっていくのだった。
その後も休暇の折にミシェルがレジスに会うたび、或いはかなり長文の手紙を書くたび、レジスは何かしら配慮に値する存在として現われた。ミシェルは、レジスをいわば立派ではあるが立場を異にする作家のようにみなしていた。
「じつに奇妙なんだ」ミシェルは例を引きながらいった。「ある種の概念を彼に生きさせるというか、彼がそれを生きていると確信するのがすごくむずかしいんだ。このまえ会ったときは、現代の心理学とか、それがぼくらの精神生活にもたらした並外れたゆたかさとか、ぼくたち自身が経験したことすべてについて話しあったんだが、ぼくの感じでは、彼はどうにも動かしようのないいくつかの概念にすっかり根をおろしているんだ。……」」(単起的科白の挿入)レジスのカトリックの視野からするとフロイトによる潜在意識の分析など、泥を引っかきまわすのと同じだというのだ。レジスの宗教的確信は揺るぎない。ミシェルも上手く表現できなかったのかもしれないが、レジスに理解させようとしてもはじめから無駄なのかもしれない。理性への信仰も道徳の重要性も、レジスにあってはいまだ疑わていない。音楽家にとってそれが瑕疵にならないとはいえ……。
ギヨームは伝聞だけでレジスを戯画的な宗教狂いと見做した。そこまでいくとミシェルも抗議した。
(括復的内語の挿入)ギヨームの次にくるのはレジスだ。レジスは依然として自分のなかで愛着の対象となっている……。もっとレジスとギヨームを早くに引き合わせておけばよかったろうか?
しかしギヨームとレジスの出会いを想像すると、かなりの不安を覚えた。それは度合いの違う二つの友情だった。レジスの手強い表面のおけげで、ミシェルが自分の弱点に気づいたことも何度かあったのだ。ギヨームとの友情では得られない効用だった。二人の出会いを実り豊かなものにするにはどうしたらいいだろうか。
(単起的会話の挿入)「「今度の夏、君が帰るまえに、彼をレパルヴィエールに二、三日よばないといけないね。それより長いと、きっとうんざりしてしまう。でもとにかくよんでやれば、彼も自尊心をくすぐられてよろこぶだろう。……」」レジスについて判断を下すのはピアノを弾くのを聞いてからにして欲しい。彼の腕前はカトリック信者としての良心を超えている。レジスのソナタに興味を示すギヨーム。ミシェルは言う、もしかしたらレジスはリヨン出身の作曲家の嚆矢になるかもしれない。信心によって芸術を窒息させることがなければ。
ミシェルはレジスの風貌を言葉で描いてみせた。リヨンの冷たい風習に染まっているが、すごく活気がある男でもある。「ほんとに童貞なのかい?」とギヨーム。童貞とみなされている男にしては勘がいい。女の子に対しても愛想がいい。とはいえ、恋に悩むレジスなんて想像するに滑稽だが。あの調子でいけば、彼の趣味からして、いずれ髪をシニョンに巻いた信心深い娘と結婚して、定期的に几帳面なセックスをする生活を送るだろう……。リヨンとはそういう都会なんだ。
それから何週間かすると、レジスのことはパリの輝きのなかに溶け去ってしまった。
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2−5
「しかし哲学はどうなっていたのだろう? ギヨームは、公には哲学を学んでいるはずだったではないか?」(対話的ディエゲーシス)
ギヨームとミシェルを哲学に駆り立てたのは、ギリシア思想、ドイツ思想関係、宗教関係、神秘思想関係、等々への興味だった。法律からのこの転向者たちは、ベルクソン以来特異な発展をとげているはずのフランス哲学から、自分の思考力のための至上の手段を獲得できることを期待していた。
彼らがパリの大学で受けた最初の哲学の講義で、担当の教授は開口一番「カール・マルクスの天才に対置できるものは何もない」と断言した。一時間十五分の授業時間がその証明に費やされた。
美学の教授はまるで寄席芸人のような風貌だったが、モダンな授業をした。西欧の図像学。学生が付いていけないほど高度な授業をしては、苦々しい顔をするのだった。
形而上学の講義では八十歳の老人がメーヌ・ド・ビラン〔フランスの唯心論の哲学〕を論じた。
倫理学は文化人類学に包摂され、もっぱらネグリトス族のトーテムのタブーのことばかりが論じられた。
そして心理学にかんして言えば、主要な対象は二十日鼠の記憶力の生理学的測定ということだった。より高度な精神活動については、脳の損傷による失語症のような極端なケースばかり取り上げられた。
まるまる三か月たって、ギヨームとミシェルは、プラトン、エピクロス、アリストテレス、プロティノス、ベーコン、スピノザ、デカルト、ショーペンハウアーなどの名前をただの一度も耳にしなかった。これに対してマルクスとなると、一回の講義で少なくとも三十回はその名を聞かされた。
人文学はまるで精神の崇高さの否定だけを目指しているかのようだった。ベルグソンを持つフランスは、この時代にあってもっとも聡明な哲学者を持つ国であったが、大学は憎悪をこめて彼を無視していた。そして蚤の飼育のような実験心理学を対置していた。くだらなくて狭量な教授たちは個人を抹殺し、党派心に凝り固まり、人類と動物に共通するメカニズムだけを考究していた。ヴァレリーも鼠も同じだというわけだった。相も変わらずの合理主義、化石のような科学主義。その全体がこちこちの宗教になっていると言ってもよかった。
「ギヨームとミシェルは自分で自分の無邪気さが許せなかった。」大学には顔を出さなくなった。しかしその冬〔一九二三年冬〕、彼らはニーチェを発見した。ありとあらゆる哲学の上にそそりたつ哲学者。
〔一九二四年〕七月のはじめ、授業にはろくに出席していないのに、ギヨームとミシェルは面白半分で二つほど試験を受けてみた。
なぜか論理学の試験は合格。彼ら自身でもびっくりした。彼らは論理学の問題をおちょくるような答案を書いたのだが、せいぜい三十五歳ぐらいの論理学の教授(フランス社会党の中でも際立つ存在で、次の国会選挙への立候補を準備していた)は冗談の分かる男だったのだ。「「……君たちは形式論理学のなんたるかが、これっぽっちもわかっていない。しかし、ちょっとかじったつもりの連中の答案がおもしろくもなんともないのに、君たちのはおもしろかった」」(単起的科白の挿入)
美学担当の寄席芸人にはミシェルの出身校からだけで教権主義という不当な烙印を押され、落第させられた。
心理学のテストは二十点満点で十九点。これまたなぜか? 心理学の試験官は気のいい老人で、実験心理学の有名な論考の著者だった。ミシェルが最初にこの学者の眼鏡に身をさらした。
(単起的会話の開始)君の答案はフロイトに言及している。君のフロイト博士についての知識は驚きだ。
フロイトに関する質疑。エス、超自我、無意識、コンプレックス。
ミシェルは具体的な例を挙げながら話した。夢の性的象徴体系のこと。すると老人は活気付いた。ほう! 君もその点に注目したわけだ……。
ミシェルは大胆になって、エディプス・コンプレックスと思われるみだらな実例を、誇張して話した。「「……ある外国生まれの仲間のひとりから聞いた話なんですが、五歳か六歳のころ、母親が自分のセックスを手で探るよう誘ったというんです。……」」
ますます興味を示す老人。
ミシェルは臆面もなく官能小説のような尾鰭を付けて話した。
老人は食い入るような興味でその細部に聞き入った。
幼児のリビドーがどうのこうのという戯言。老人は大喜び。
君の立派な科学的精神に二十点満点で十九点をあげよう。もし君がその方向で研究をつづけるなら、また話を聞かせてほしい。
(一挙に飛躍して、ミシェルがギヨームに伝える単起的科白)。「「…二十二点だ!」ギヨームのそばにもどったミシェルがいった。「あのおやじさん、君にフロイトの話をするぜ。九歳のころ君が女中っ子にどんなふうにせんずりさせたか、どんなふうにヴィーナスの丘を愛撫したか話してやるといい。テクニックをこまかくしゃべるんだ。……きっと彼はよだれを垂らして聞くよ。……しかしゼウスへの愛にかけていっとくが、とりわけ笑いころげたりなんかしちゃだめだよ!」」
彼らの学生生活の中で哲学はもっとも壮大な茶番だった……。
▼第三章「月光の神」
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3−1
「二年前からのしきたりにしたがって〔一九二四年〕九月のはじめ、ミシェルはレジスをレパルヴィエールに招待した。」ギヨームとの対面も予定されていた。
だがレジスが返事を寄越したのは三週間も経ってからで、詫びもなにもなく、ミシェルの方からリヨンに来て自分と会って欲しいとだけ書かれていた。大事な相談事があるとの由。彼らの共通の従兄弟のサン=ジェルマン=オー=モン=ドールの別荘を三日か四日借りられるという。
「この提案はあまりミシェルの気を引かなかった。」絹織物製造業者の一家がそろっているところでレジスと会う? ギヨームとの対面の話もお流れ? ミシェルは苛立った。とはいえ、彼はいつまでも気を悪くしているような男ではなかった。
(単起的場面開始)リヨンへの客車の座席で、ミシェルは最近パリで発見したことをレジスに語り聞かせるつもりでほがらかな気分だった。レジスは駅のホームで待っていた。レジスの服装は以前(十ヶ月前)会ったときと比べると垢抜けていた。身なりに気を配っていることは一目で見て取れた。もうレジスは弟子の役を演じる素振りは見せなかった。
二人はローヌ河沿いの道を歩きながら、形而上学の話をした。レジスのカトリック信仰は依然として揺るぎないものだった。
ミシェルは内心疑問に思う。変だな。「大事な相談事」というのは宗教のことだと思っていたのに、そんなそぶりもない。
しかし音楽について雑談をしていたレジスが、突然心配そうな顔をして言った。
「「君に手紙を書いたのは非常に大事なことを伝えたかったからなんだ。ぼくの現在と未来にとってこのうえなく重要な秘密だから、君の友達のギヨームのようにぼくの知らない人がいたんじゃ、とてもいえないようなことなんだ。……」」君にしか打ち明けられない。この秘密を君にも理解してもらえなかったら、ぼくは失望するだろう……。
当惑するミシェル。
カフェで腰を落ち着けて話そうかというミシェル。しかしレジスは顔を横に振る。
今日はまだ何も言えない。ぼくに必要なのはもっとちがった雰囲気なんだ……。
晩餐の少し前の時間に、二人は従兄弟の別荘に着いた。広大な庭園のなかに建っている豪奢な館。普段安食堂に通っている学生にとっては、味わい深い滞在になるはずだった。はねまわる親戚たち。そのなかの一人、最年長の従兄と結婚しているマリー=ルイーズ(リレット)の魅力に、ミシェルはふるえた。以前も彼女は高校生のミシェルの夢想にはげしく取り憑いたが、パリ暮らしの経験とその後光で、今のミシェルはひどく大胆になっていた。二人だけで私有地を一回りした。リレットはパリの話をせがんだ。
(現前的会話の挿入)旦那たちなんか退屈よ、とリレット。こんなバラックで二ヶ月半もヴァカンスをすごすのもうんざり。パリへ行ってみたいわ……。
ミシェルとレジスに当てがわれたのは三階の部屋。レジスは疲れているようだった。リレットについての雑談。
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3−2
「翌日は日曜日だった。午前中から午後いっぱいかけて一家のテニス選手権大会が開かれた。緑ゆたかな田園に太陽がさんさんと輝いていた。珍しいフォームでミシェルの打つ球はまるで生きもののようで、「砲弾のような」サーヴが相手を圧倒した。」運動もまたこの世の喜びであることを彼は思い出した。
レジスも参加したが気が散っていた。
今夜なら君に話せそうだ、とレジス。
しかしミシェルの関心はかなり薄れてしまっていた。レジスは十時半にテラスで、と彼に告げた。
リレットの旦那のポールはリヨンに戻っていた。広間で映画を映すために明かりが消された。ミシェルとリレットはみんなから離れて低い椅子に並んで坐った。リレットは夫婦生活の話をした。ミシェルは熱心に理解を示そうとした。二人の膝が陽気に触れ合っていた。十六歳ごろの生々しい夢が成就されそうだ……。しかし時計が十時半を告げた。リレットとの快いアヴァンチュールを諦めなければならないのか? 幸せな官能を断ち切り、ミシェルはレジスとの友情を選ばざるをえなかった。リレットから離れ、ぎこちなく立ち上がった。
二人はテラスを大股に歩き回った。ミシェルはたずねた。(現前的会話の挿入)君は坊さんになろうとしてるんじゃないか?
レジスは肯定した。「「……しかしそれだけじゃない… こんな言い方はばかげてるね。しかし君ならわかるだろう。それよりはるかに重大なことをいいたいんだ。ぼくはある若い娘を愛している、彼女もぼくを愛している…」」
夜は澄み切っていた。
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3−3
「それから三週間たった十月のなかごろ、ギヨームとミシェルは天文台まえの小径をおりて行った。」新学年になってからのはじめての二人の散歩。
(現前的会話の開始)ギヨームが言う。パリに戻ってくるとふたたび自由と知性の空気を見出す。しかし今年はなぜかいつものような幸福を感じられない……。率直なところ、ここ十ヶ月のぼくらの生活は平々凡々たるものだった。バカロレアに受かったころ立てたさまざまな計画は今はどうなっている? ぼくらは何かというとすぐ人を軽蔑するけれど、そうするだけの権利を実際に獲得したとは言えない。ぼくらはかなり不毛な、ちっぽけなインテリだ。思想な戦いとは別の刺激が必要だと思う。おそらくそれは恋愛だ。とるにたらないアヴァンチュールのことではない。センチメンタルな童貞の間抜けなソネットでもない。ぼくたちは一度心理学によって感情を否定したが、正真正銘の感情というのをふたたび見出す必要がある。つまり、君もぼくも本当の伴侶が必要なんだ……。ブルジョワの、しかしブルジョワではない少女……。完全な愛情、心も頭も、ほかのすべてを占めつくすような愛情。くだくだしい思索よりも、恋人の方が芸術を助けてくれるだろう……。
ミシェルも同意する。偶然かもしれないがぼくも同じことを考えていた。とくにレジスの話を考えると……。
それを詳しく聞かせて欲しい、とギヨーム。
レジスが二日もためらってミシェルに打ち上げた話。レジスは兵役を終えたらイエズス会に入るつもり。それは驚くことでもない。目玉は、レジスが或る若い娘を愛している、娘の方も彼を愛している、それも二年近く前からだというのだ。
ギヨームはつい吹き出してしまう。
ミシェルは話をつづける。実際、かいつまんで話すとこれはまるで間抜けな話に聞こえかねないだろう。だがぼくは胸を衝かれた。相手の娘はアンヌ=マリー・ヴィラール。まだ十八歳にもなっていない、リヨンでも最上流に属する家門の裁判官の娘。そして、レジスが坊さんになって別れるときには、彼女は尼さんになると約束している……。
ギヨームは爆笑。
いや、冗談事じゃないんだ。これは本当に大恋愛なんだ。彼らはこの愛を昇華させるつもりなんだ……。
ギヨームは、レジスとその娘は寝たのか、と露骨に訊ねる。
そうじゃないらしい。熱々で、危うくやりそうになったこともあるらしいが、何しろ大変なプラトニズムに固執しているのだから。懸命になって誘惑を抑えている……。
ギヨームはその娘について訊ねる。
レジスの描写によれば美女。ミシェルは写真も見ていないが。まあカトリック信仰からすれば、美しさとは魂の美しさのことかもしれない……。
ギヨームは、実はその娘は不器量なんじゃないかと言う。
それなら話は簡単だ。プラトニズムも神秘も関係なくなる。しかしレジスの話からぼくが思い描いた通りの娘だったら、これは間違いなく大恋愛だ……。レジスがアンヌ=マリーに出会ったときは、まだ彼はワーグナー主義者でさえなかった。彼女の祖母の家が、レジス一家の別荘の真向かいだったそうだ。それからやがて彼らは文通しはじめ、親しみも増していった。彼らがどんな常軌を逸したことをやったか。夜、アンヌ=マリーは別荘の窓から抜け出し、十五キロも離れた野原の真ん中までレジスに会いに行った。レジスは免許も持っていないのに、車を拝借して彼女を乗せて走り回ったこともあるという。二人とも大胆そのものだ……。特筆に値するのは、去年の九月、ブルーイ(ヴィルフランシュとマコンのあいだにある丘)ですごした夜のことだ。とにかく二人はものすごく夜行性の恋人なんだ。彼らは両親や従兄弟などをまいて、まるまる二日ふたりだけで過ごせるようにするのに成功した。二人はブルーイの丘に登った。二人は草の上に横になって抱き合い、明け方まで一睡もしなかった。透明で神秘的な夜。プラトニックな官能性。その夜は彼らにとって決定的な重要性を持った。肉体的要素なしに彼らの欲望は満たされた。真の愛は犠牲であるという啓示があった。その天啓に応えなかったら、彼らの愛は堕落するしかないと思われた。この奇蹟的な愛を永遠のものとするために、地上における愛を犠牲にしなければならないと感じられた。人間の汚辱によって脅かされるものを不滅にもたらしてくれる神の聖性……。
レジスとその彼女にひっぱられて、ぼくらの語彙まで相当な高みにのぼってしまったみたいだな、とギヨーム。
しかしレジスの話は、羊飼いの少年が聖母の現われを見たというようなお伽話とはちがう。夜が明けると、二人は手を繋いで丘を降りた。周囲の風景はまさに幻影というしかなかった。子供のような歓喜。九月二十八日、ブルーイの記念日。翌々日リヨンに戻った彼らは、宗教に身を捧げることを話し合った。レジスはイエズス会に入り、アンヌ=マリーは女子修道会に入る……? まだ準備しなければならないことがありそうだった。その話を聞いてミシェルは、ついぞ感じたことのない感動を覚えた。また、悲劇を前にした恐怖もあった。彼らの未来を考えると……。
ギヨームの顔からも微笑は消えていた。
たしかに月並みな話じゃない、とギヨーム。しかしそんな時間を生きたというのに、結論は僧院の壁のなかに閉じこもるということなのか! 愛を永遠にするどころか、愛を殺そうとでもいうのか。
ミシェルもその点はレジスに反対したのだ。しかしレジスは昂然と結婚や夫婦のベッドといったブルジョワ的観念を否定してみせた。
ギヨームは、肉体も魂も共に肯定すべきだ、それこそが真のヒロイズムだと主張する。レジスのやっていることは愛の理想化と称する怯懦だ……。
ミシェルも同じように考えてはいる。しかし妥協を拒否するレジスに驚嘆せずにはいられないのだ。しかもレジスの語り口は生気に満ちたものだった。便秘みたいなプラトニズムの駄弁ではなかった。
どうせ彼の理想もいずれは二枚のシーツのあいだでの壮烈なセックスで終わるだろう、とギヨーム。
そうなればぼくのなかのかつてのヴォルテール主義者は喜ぶだろう……しかし、それでもぼくはやはり残念な気持ちになるだろうな、とミシェル。
二人は果樹園沿いの小径をたどっていた。
ギヨームがまた難じる。別れる日をあらかじめ決めておくなんて、奇妙な話だ。どうしても抽象家の夢想に聞こえてしかたがない。
まあレジスの思考が大したものではないのはたしかだ……とミシェル。しかし彼の喋り方、彼の健康な肉体のなかに、ぼくは彼の愛の熱烈さを認めたよ。カトリック信仰が人間の快活さにとってどれほど障害になるかは分かっているつもりだが、その唯一の例外がレジスだ。レジスは信仰を驚くべき仕方で使っている、そんな信者はほかにいない。愛の摂理的な解釈はまあおいておこう。しかしやはりレジスは、ブルーイで、凡庸な連中の世界の向こう側に行ったのだ。愛に包まれて、二人いっしょに。彼らの信仰がなかったらそこまで行けただろうか?
しかしその素晴らしい話の行き着く先が坊さんと尼さんだとはね!とギヨーム。
もちろんこのブルーイの話がぼくの坊主どもを憎む気持ちを帰ることはない、とミシェル。しかしぼくはリヨンの二人の恋人たちの弁護士を買って出る。昨今の坊主どもが堕落しているからといって、過去にはやはり存在していた聖人のヒーローたちを全部忘れるわけにはいかない。レジスと娘が求めているのはくだらない教会とは無縁な、聖性そのものだ。いまどきこんな話は到底お目にかかれない。この先彼らがどんなことになろうと、彼らが感嘆に値する瞬間を生きた事実は残るだろう……。レジスも、彼の魂をミシェルと同じくらい理解できるカトリック信者はほとんどいないと断言してくれた……。
一度その娘に会ってみないとな、とギヨーム。
それは不可能というわけではない。ともかく、信仰がこれほどの生気を持っているカトリック信者に出会ったことは、ぼくの精神的遠征のきっかけになるかもしれない。レジスもやがてすごい勢いで彼の信じる宗教を軽蔑しはじめるかもしれない。そうなったら、少なくとも刺激を欠くことはないだろう。(現前的会話終わり)
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3−4
「一週間後ミシェルは賞賛に値する大胆さをもって、シカゴからやってきた若いアメリカ娘にいいよった。ルーヴルで出会ったのだった。かぎりなく異国感を味わいながら、道に迷って美術館のなかをさまよっていた。彼女は、毛皮のマントの下に白い大きなクローディーヌ風の襟のついた赤すぐり色のドレスを着ていたが、そのいでたちが天使のような、あるいは小姓のような顔にぴったりで、うっとりするほどだった。」しかしこの娘はまったく気まぐれで、浪費癖があり、しかも互いに快楽を与え合うなどということはまったく念頭になかった。三日間奉仕したあげくミシェルに残されたのは、満たされない欲望と、十フランだけだった。このアメリカ娘を口説きつづけることは不可能だった。
ミシェルの父は、哲学の試験に合格した褒美として、約束の期限以降もミシェルに仕送りをつづけてくれた。しかし左翼が政権に復帰して以来、生活費は高騰していた。ミシェルは数ヶ月先まで借金で首が回らないありさまだった。もう結婚したヴラディミールに頼ることもできなかった。ミシェルは自分の手で日々のパンを稼がなければならなかった。「社会は、卒業証書を持っていようがいまいが、若者たちを朝の八時から夕方の六時半まで、現実にしばりつけようとしていた。それと引きかえに手に入るのは、月千二百フランの給料と、名刺に一行つけ加える権利だけだった。」ミシェルは演劇に関心を持って或る演出家に会いに行ってみたが、漠然とした演劇への期待を吹き飛ばされただけだった。
音楽好きのカフェの親爺に相談してみたりもした。(現前的会話の挿入)ジャズ・ドラムを演奏する仕事などないだろうか。アマチュアとしてだけれどやったことはある……。
親爺が応える。いや、ドラマーっていうのはちゃんとした職業だから無理だ。それよりも、すぐそばのブウール学院の坊さんたちが復習教師を募集している。その仕事でなんとかしのいでいる学生を何人か知っているよ……。楽器を演奏するよりはそっちの方がいいと思うよ。
(またディエゲーシスに戻る)サキソフォン奏者かカトリックの教員か。この二者択一は面白いとミシェルは思った。ブウールの校長に会いに行った。身なりはよかったが、俗悪な魂の持ち主だと一目で分かった。レパルヴィエールの司祭はミシェルの来歴の保証書を送って来てくれていた。校長はそれに満足したらしかった。ミシェルの担当は第七年級だった。住居と食事のほか手当は月に一二五フラン。ミシェルは心を決めた。下宿代が二週間分溜まっていた。
第七年級の生徒たちはチャーミングだった。行儀も良かった。名門の子弟も四、五人いた。ミシェルはスタンダールの『赤と黒』のスタニスラス=グザヴィエ・ド・レナルのことを想起した。学校の経営の実態は俗悪な金儲け主義だったが、ここはパリ全体でももっとも優雅な学校の一つだった。この学校でも「紐関係」は上から下まで行き渡っていた。
「ミシェルが入った週の大仕事は、年に一度の学校祭のためのバレエの準備だった。」ミシェルはそのバレエの上演に立ち会わなければならなかった。閉口したが、実際上演を観て不機嫌さはなくなった。まるで女の子のように綺麗な十二歳の少年たちのバレエはエロティスムに満ちていた。ミシェルは聖職にある教育者がどんな誘惑にさらされているかも理解した。シュールレアリストの冒涜も、浮かれ騒ぐこのキリスト教教育の少年愛に比べれば児戯に等しかった。
ブウールは宗教色の控え目なミッション・スクールだった。教員に宗教的実践は要求されなかった。そもそもミシェルは学校外の付属の建物に住んでいた。陰気で荒れ果てた住まい。食堂で配られるまずい料理。「ブウールの優雅さにもかかわらず、掃除の行きとどかない共同食堂や流しの埃と垢、すえたようなにおいが、そこではいたるところで勝ち誇っており、ミシェルにとって、そのひとつひとつが胸の悪くなる思い出だった。(括復的科白の挿入)復習教師という肩書きに幻想など持ちようがない。ようするに坊さんたちの吝嗇のために正規の教師の代わりに雇われた自習監督にすぎないのだから。
同僚たちも最悪だった。貧しさと卑屈な仕事で擦り切れている田舎者の万年学生ばかり。二、三人ましだと思えるのもだらしがなく下品だった。彼らを見ていると自習監督という自分がいっそううら淋しく感じられた。(括復的科白の挿入)あわれなものだ! 同じ貧しさでもせめてもっとピトレクスな種類のものを見つけられなかったとは。坊主どもに手を貸すラ・ガイユの仲間に落ちぶれるとは……。しかし勉強は自由にできる。法律を勉強していたときほど奴隷ではない……。ギヨームはミシェルが自習監督になったと聞いていささか心配した。だがミシェルは間もなくこういう零落状態からも抜け出せるだろうと宣言した。暇だけはたっぷりあるから勉強も計画的にできる。日々の糧に困ることもなくなった。もちろん自分の部屋が艶っぽい使い方に不向きなことは認めるが……。
「部屋の壁のもっとも不愉快な汚れをかくすために、自分の複製画のコレクションからたっぷり時間をかけて選び出した傑作を何枚か貼りつけた。」ボッティチェリ。コジモ・トゥーラ。プッサン。レンブラント。ブリューゲル。ヴァン・ゴッホ。
なすべきことはこの世俗の独房を不朽の思考と著作で充すことだった。だがミシェルは短篇を二つほど手探りで書いてみたあと、それを投げ捨てた。みすぼらしい部屋、汚れ放題の教室、そうした屈辱的な生活を自分の書き損じで払拭できるとは思えなかった。レジスの告白には夢中になっていた。驚くべき文学的鉱脈がそこに眠っているのかもしれない。でもその利用法は一切分からなかった。それでも思考は目まぐるしく働いて、ミシェルはレジス宛てに長い手紙を書き上げた。レジスのアヴァンチュールを称え、「そして、あなた、お嬢さんは……」と未来の修道女にも勿体ぶって呼びかけた。レジスは彼の手紙を貴重なものと思ってくれるはずだった。ミシェルはきわめて冷静だった。手紙にはリヨン娘の目に自分の道徳的・文学的優雅さを際立たせるための手管が密かに仕込まれていた。
手紙を書き上げると、ミシェルはまた憂鬱になった。或る音楽雑誌に載っていたワーグナー批判がミシェルを苛立たせた。ワーグナーを拒むことができるのはストラヴィンスキーのほか数人の人々だけだった。ミシェルはその評論家に反駁するための原稿に取り組んだが、書きつづけることができなかった。音楽を言葉で敷衍することに激しい嫌悪を覚えたのだ。ミシェルは不機嫌になった。
君のエンジンは狂っている、とギヨームの忠告。
それにしてもアメリカ女を追い回すなんて、とんだ愚行だった。彼はもう八週間近くも前からセックスをしていなかった。自分の憂鬱は肉体的禁欲のせいだろうとも彼は考えた。大袈裟なことではないのだ。ならば決然たる経験主義で治療すればいい。彼はモンパルナスに出かけ、夜遊びをして、もっとも騒がしいダンスホールでカクテルを飲み、褐色の髪の娼婦を買った。エピローグはかなり味気なかった。「明け方リュクサンブール公園に沿って歩くミシェルは、ひどく孤独な気分だった。口のなかがねばついていた。それでも足は軽かった。落ち着いていた。胸のつかえもとれ、すかっとして、磨いたランプのように頭がすっきりした。しかし、まさにその澄み方が彼を悩ませた。というのもそれは空っぽになった澄み方だったからだ。」彼は一晩の乱痴気騒ぎでたちまち憂鬱を拭い去ってしまえる自分の健康さを、それまで自慢に思っていた。だらだらとつづく悲嘆、不安、魂の苦悩などといったものを軽蔑していた。とりわけ文学的に表白されるそれは。しかし、今度ばかりは彼はあまりにも安易な解決を選んでしまったのかもしれなかった。自分の憂鬱に耐えることができなかったのかもしれなかった。
しかし、ともかくミシェルの頭は軽くなり、冬の勉強計画に大きな意欲をもって取り組むことができそうだった。へぼ学者が売り物にしているパロディーなどは斥け、真の哲学を学ぶこと。ヘラクレイトスからロシアのシェストフに至るまで。
▼第四章「クレキ街」
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4−1
「年末年始〔一九二四〜一九二五〕の休暇をすごしに帰ったレパルヴィエールの部屋で、ミシェルは四時半に起き出さなければならなかった。あまりにも朝早く、気分のよくない出発が彼は大きらいだった。」レジスとの約束でリヨンに立ち寄らなければならないのだった。このままパリに戻れたらどんなにいいだろう、一年も前から待っていたセザンヌの大展覧会がいよいよ始まるというのに。この長い一日を前にしてミシェルは気力を失っていた。三十分ほど、アンヌ=マリーに会えるかもしれない。だから何だというのか。彼は失望するだろう。彼は不器用に振る舞うだろう。おろかしい沈黙が落ちかかるだろう。
「それでも彼は念入りに身づくろいした。」リヨンの街ではエキゾティックに見えるはずだった。レジスからの手紙には、アンヌ=マリーが一月六日にミシェルが来てくれることを願っているという。(ここから現前的場面)彼の乗った車両の通路で、女学生がお喋りをしていた。彼女たちの話の内容はもっぱら恋愛感情だった。
(現前的会話の挿入)少女たちは知り合いのプラトニックな恋愛を嘲笑していた。「「……あんな月の光というか、まのぬけた話って聞いたことがないわ! まるで小説の『クリスマスの星』みたいな話なのよ!」」
ミシェルは内語で考える。レジスとアンヌ=マリーの関係に感動している自分は、彼女たちよりもおめでたいのだろうか……。
女学生たちと入れ替わりに女事務員が乗り込んできた。彼女たちはミシェルの派手なマフラーを笑った。
その十五分後、彼は駅のホームでレジスに話しかけていた。
(現前的科白の挿入)「「一団の尻軽女たちの餌食になるところだったよ。さいわい今日は、ぼくの美徳がよろめきはしなかったけれどもね」」
「いつものように音楽談義に花を咲かせながら、彼らは都心のほうへおりて行った。」ミシェルが自分の周囲に見出すのは、陰鬱でせせこましい街路であり、醜いほど窮屈な通りがかりの人々だった。リヨンの詩情は霧散していた。
楽器屋の店先で、レジスはモーツァルトの肖像に見入って動かなくなった。それを買いたいなどと言い出した。
ミシェルから見るとそれは出来と悪いエッチングだった。内語。もしレジスの恋人がこんなモーツァルトみたいな代物だったら……。
そろそろアヴァンチュールの話をしないわけにはいかなかった。
(現前的科白開始)「「ああ! このうえなくうまく行ってるよ!」とレジスはいった。「君と別れたあと、九月二十八日に、ぼくたちはブルーイですばらしい夜をすごした。今度は誘惑にかられるなんてまったくなかったし、ぼくたちのあいだで肉欲の電流が流れることもなかった。ぼくたちは純粋さの傑作を実現したんだ。……」」神さまがぼくらを助けてくださった。こんなことを言うと君はぼくをこちこちのカトリックだと見なすだろうが。ともかくぼくたちの関係からいっさいの危険は払いのけられた。ぼくたちが毎日会うのは、お互いの未来を築き上げるためだ。大きな別離の日まで、もう二年もないのだ。それまでに彼女のそばでやりとげなければならない義務、彼女に身に付けさせなければならないことがどんなに多くあることだろう……。彼女もぼくと同じ書物を読むようになった。今はギリシア語とラテン語を頭に詰め込んでいる。彼女は修道会に入るまで勉強をつづけるだろう。彼女の家族は喜んでいる。しかしそれがキリスト教護教論を学ぶためだと知ったら……。いずれにせよ彼女は相変わらず陽気で魅力的だ……。
ミシェルは生返事。
二人はリレットのところの昼食に顔を出さなければならかった。
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4−2
「予想に反してリレットの家の昼食はけっこう楽しかった。」夫のポールはすぐに姿を消した。飾り紐製造業の景気の話なんか放り出して、話題は書物のこと、愛のことに移った。レジスはこうした話にこまごま耳を傾ける気はないようだったが、ミシェルはいくらでも話すことがあった。彼はボヘミアンであると同時に女性に対していんぎんな若者であり、見事なカットの背広を着こなし、知識が豊富で、いとも軽やかにそれを披露する。ミシェルは賛嘆の的になった。リレットも、プルーストやクローデルを読んでみようかしらと言い、みんなで大声でブルジョワを罵倒した。
レジスとミシェルはまたロール河沿いの道を散歩した。
二人は長いあいだ歩いた。夕闇が迫っていた。約束の場所に向かっているのだった。
(単起的会話開始)アンヌ=マリーはどんな服装をしてるんだろう?とミシェル。
いつも黒い服なんだ、とレジス。
ミシェルは内語で、だろうな、と納得する。ミサの制服──もちろんミシェルの一番嫌いな服。
授業が終わって出てくるのを待つ、そして彼女を家まで送っていく、という見通しをレジスは述べる。そのあとは親父のために急ぎの買い物をしなければならない……ゆっくりできる余裕はない。
彼らはローヌ河を渡った。
「「ねえ」急に口調をかえてレジスがいった。「今朝は話がはずまなかった。ぼくたちの進歩とか、ぼくの確信とか、そんな話しか君にしなかった。しかしそれだけじゃないんだ。たしかにアンヌ=マリーの熱烈さ、彼女の信仰の厚さは、日毎にぼくをいっそう感嘆させる。しかしぼくはこわくなることがよくあるんだ、あんなにも若い彼女をみていると、愛と天職がぼくたちに命じるおそろしい任務をまえにしても、彼女がたったひとりで立ち向かわなければならないことがわかっているだけになおのことこわいんだ。……」」レジスはミシェルを当てにしていると言う。君の手紙はいかにも率直で理解に満ちていた。アンヌ=マリーも君の手紙で励まされた。君は信仰をもっていないが、君の言葉が彼女の信仰を支え高めることができるんだ……。そう、この出会いにぼくがどれほど期待していたか……。
彼女を待つ二人。彼らは町外れの二つの街路の角に来ていた。人気がない。照明も薄暗い。黒い水溜まり。
都心にはめったに行かないんだ、知っている人が多過ぎるから、とレジス。パリみたいな自由はここにはないんだ……。
二人のあいだに沈黙が落ちかかった。ミシェルはどんな言葉も思いつかなかった。
二人とも奇妙な緊張で胸をしめつけられていた。
もうそろそろ来てもいいはずなんだが……。
すっかり暗くなっていた。ミシェルは息が詰まった。
突然レジスが言った。君が彼女を愛するなんていうことにはならないだろうね?
ミシェルは朝からその言葉を予期していたことを思い出した。そして微笑した。「「厳粛な誓いをたてなきゃならんのかい?」」
それからもしばらく彼女は姿を見せなかった。
ミシェルの内語。息苦しい。たぶんアンヌ=マリーは不器量だろう。今朝電車で見かけたような単なる女学生でしかなく、気をそそられることもないだろう……。そんな娘にぼくが何をできるというのか。ああ、すぐにもここを立ち去りたい。
レジスは溜息を吐く。彼女が約束をすっぽかすなんてありえないんだが……。
暗い路地。ミシェルは骨の髄まで冷え切っていた。そのとき、彼らの背後で明るい笑い声が響き渡った。二人は振り返った。若い娘が立っていた。ふくれ上がる歓喜。
内語。「〈美人だ、それに服装もすばらしい!〉」
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4−3
(時間を飛ばして、彼女と別れたところから)ミシェルとレジスはタクシーに飛び乗る。
現前的会話。なんて素晴らしい娘なんだ!とミシェル。
レジスも大喜び。ミシェル、君がそう言ってくれて嬉しい、君は素敵だった、彼女にとてもよく話してくれた!
ぼくは彼女にほとんど夢中だったんだ! 最初の一分でみんなわかったよ、なんて素晴らしい娘だろう! なんて運のいいやつなんだ君は、うらやましいよ!
二人は互いに互いを小突いた。
ぼくらはまるで酔っ払っているみたいじゃないか……。
ミシェルは若い娘のことを思い浮かべていた。これほど充実した一時間を過ごしたことは、かつてないことだった。
レジスはミシェルの才気煥発ぶりを褒め称えた。
ミシェルはさらにアンヌ=マリーへの賛辞を重ねた。彼女に対してはいんぎんな挨拶などは不要だった。とても繊細で、からかい好きなんだ。本当に綺麗で魅力的だ!
レジスはミシェルを抱きしめた。ぼくはなんて幸せなんだろう! 君のおかげだ。君はぼくの兄弟だ!
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4−4
その日リヨンの大劇場で音楽会が開かれることになっていた。三人の散歩の途中、レジスはこう言った──どうして明日まで残っちゃいけないんだ? アンヌ=マリーの表情にも、ぜひそうしていただかなければ!という同意が読み取れた。翌朝、パリでクラスに出なければならないのに、それまでに詫びを入れる手段はまったくなかった。それでもミシェルは真夜中の汽車に乗らないことを選んだ。
二人は、かなり余裕をもって劇場の座席に着いた。
アンヌ=マリーは両親と一緒に来るはずだ、とレジス。レジスはときどき彼らの家に招ばれる。大して重要でない知り合いとして。華々しい人たちではない。最上流の人たちだが生活は簡素だ。彼女の父親に音楽の何が分かるのか、神のみぞ知るだ。長女は有名なパスタの製造業者と結婚して、百万長者だ。アンヌ=マリーも、暮らしはつつましいがときどき豪華この上ないプレゼントが届く。
「劇場はミシェルを失望させた。田舎のワーグナー愛好者だったころの思い出では、はるかに堂々として華麗な劇場という印象がのこっていた。しかし観衆はいかにも堅苦しくもったいぶっており、服装もひどく無様だった。」パリの劇場と比べるべくもない。彼の後ろの座席の乱れ髪の若者が未来のストラヴィンスキーということはありえなかった。そしてかつかつの暮らしをしているミシェルが、観衆のなかで一番シックな身なりをしていそうだった。それがアンヌ=マリーの目に付くと考えることは不快ではなかった。
ヴィラール家の人々が入って来てレジスは挨拶に行った。同時に、オーケストラの演奏が始まった。ミシェルはすぐに演奏に関心がなくなった。その日音楽は彼にとって何ものでもなかった。あまりにも四角四面な演奏。しかし彼の目にアンヌ=マリーの姿が映っていた。彼女の姿に魅せられた。ミシェルは自問した。(現前的内語の挿入)彼女の髪型は、パリではいくぶん田舎のミューズ風に映るだろうか?……しかし彼女には似合っている……。
アンヌ=マリーの服装。ノースリーブの黒いビロードのドレス。ミシェルは彼女の腕の肌を見つめた。彼女が美しい腕の持ち主なのは当然だった。
父親のヴィラール氏はどうみても老人だった。いかにも穏やかそうだ。(現前的内語の開始)彼は完全なブルジョワで、家庭生活に反抗するような才気の原子はもう残っていないだろう。そして常套句のような彼女の母親。この二人からアンヌ=マリーが生まれて来たとは到底思えない……。アンヌ=マリーは信仰に身を捧げようとしている娘にしては血色が良過ぎる、透き通るような肌でもないし、病弱な少女の霊性とも無縁だ。健康という点では完璧。
レジスは音楽に心を奪われていた。ミシェルと齟齬があった。
「アンヌ=マリーは褐色の髪の顔を二人の若者のほうへ、とりわけ、ついさきほどあんなにも熱狂的な言葉を彼女に浴びせた乱れ髪の見知らぬ男のほうへ、すでに何回か向けていた。」ミシェルは彼女の目を見返した。(現前的内語の開始)彼女の目、エル・グレゴ風の、陽気でからかい好きでさえありうるエル・グレゴの目だ……。生き生きとして濃い青をした目。ちょっと動物的すぎて雄への服従を感じさせるような目ではない。
テノールが舞台に現われた。しかしミシェルは音楽に耳を傾けていない。アンヌ=マリーに比べれば何ものでもなかった。「〈……レジスのやつ、まったく魅力的な娘にわたりをつけたものだ。彼女以上の美女に会ったことはあるかもしれない。しかしあんなに独創的な娘は一人もいなかった〉」
出口でレジスが仰々しくヴィラール一家に別れの挨拶をしているとき、ミシェルは誰かに呼び止められた。かつての弟子、アントワーヌ・バラトンだった。レジスは家に帰ることになっていた。ミシェルはアントワーヌ・バラトンと一晩付き合って、朝の四時まで愛について高説をまくし立てた。
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4−5
若い娘と二人の若者はテート・ドール公園に入って行った。ミシェルの不眠不休は二晩つづいていた。四十時間におよぶ熱狂と不安、あふれんばかりの活気。
冬の午後の終わり。二人の恋人は思い出を無数の細部にわたるまで語り合った。その話のなかにミシェルの知っている固有名は何一つなく、もう彼は彼らの話を聞く気になれなかった。(現前的内語の開始)まあ、自分が主役になるような時間は長く持たないことは分かりきっていたことだ……。
三人は岸辺の小径をたどった。空を水面に写している池。白鳥。木々。黄昏。絵葉書にうってつけの景色。つまりこれがレジスの趣味というわけだ。ミシェルにはこの池はいささか大時代的で古惚けて見えるのだったが。アンヌ=マリーがレジスにささやいていた。「あの方は何を見ているのかしら?」──彼女の目に省察する芸術家のように見えているらしいことは、ミシェルの気に入らなくもなかった。
彼らはベンチに腰を下ろした。
(単起的会話の開始)レジスがアンヌ=マリーとミシェルの二人に語りかける。アンヌ=マリーはミシェルを信仰の道に引き込もうとしているらしい?
ミシェルの仕草は用心深かった。
レジスも言う。君とぼくたち二人のちがいと言えば、君がキリスト教の神性を信じていないことだ。君がそんな状態にとどまりつづけるということはありうるのだろうか……。
ミシェルは疲労が募るのを覚えた。馬鹿げた話だ、と内心考えた。
アンヌ=マリーがミシェルの不機嫌を察して、立ち上がってまた歩こうと言った。
あっという間にあたりは暗くなった。
月の夜の崇高さについての恋人たちの会話。
ミシェルは自分の目にもこの夜が美しい夜に見えたらいいのにと思った。それならこの夜もまたアンヌ=マリーの、彼らの忘れがたい思い出にならないともかぎらないのだから。やはり二人と自分のあいだの線を感じざるをえなかった。しかし、ミシェルはまたしてもアンヌ=マリーの目が自分に注がれるのを感じた。
「「ねえ、レジス、クローズさんの頭のなかでちょこまかしてるものがありそうよ。〈ぼくはここで、いったいなにをしてるんだろう?〉と思ってらっしゃるにちがいないわ。私としてはこう思うの──私たちについてすばらしい考えをおもちだったにちがいないのに、いまはきっとひどく失望していらっしゃる」」
その彼女の繊細なからかいには、ミシェルも微笑を見せないではいられなかった。
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4−6
「彼らはふたたび町外れの暗く陰気な通りをたどった。」ミシェルは情熱を取り戻し、彼らは詩人たちのことを話した。アンヌ=マリーはボードレールのあまりよく知られていない作品を暗唱した。その小さな傑作はアンヌ=マリーにぴったりだった。
(単起的会話の開始)「「レジスはいつもいうのよ、詩の朗唱が上手なのはばかな連中だけだ、なんて。でもクローズさんはばかなんかじゃないと思うけど?」」
レジスは取り合わず、アントワーヌ・バラトンと何を話したかを訪ねた。愛について。
アントワーヌ・バラトンの性癖について下ネタを口にするレジス。そう、アンヌ=マリーとのあいだではこの方面の話に関して偏見は一切ないのだ。
神秘思想のただなかの陽気な猥談。ミシェルは上機嫌になった。アンヌ=マリーはレジスと一緒にパリに行ってみたいと口にした。彼女の案内する自分の姿が、ミシェルには見えるようだった。彼女は実はグルノーブル生まれだという。
それなら、ミシェルと同じように多少はドーフィネ生まれとも言えるわけだ!
ミシェル、また有頂天に。
レジスと別れると完全に孤独なのだ、と彼女は言った。厳粛で神聖な思考を辿ったあとでは、家族の食卓は俗悪そのものだった。
(単起的科白の挿入)クローズさんもこの孤独は理解してくださるわね、あなたの公教要理の第一ページはブルジョワへの嫌悪だそうだから。
ミシェルは嬉しくなった。彼女はぼくの嫌っている同じものを、どんなに嫌っていることだろう! 彼女は全然リヨン女らしくない。「ちょっとした不注意から、彼の腕が若い娘の腕に軽くふれた。戦慄が走るのを感じた。近親相姦のようなふれあいに思えた。おとなしく微笑を浮かべている小さな横顔を彼は眺めやった。」
ロレ神父のことが話題に。
ロレというのはイエズス会の修道士で、ミシェルは激しく嫌悪していた。レジスの協力しているカトリック学生サークルの指導者。そのロレが、前年の春、アンヌ=マリーを呼び出して言った。すぐに彼と別れなさい。あなたはあの若者の心をかきみだしている……。
(アンヌ=マリーの単起的科白の挿入)ロレ神父は彼女を買いかぶりすぎていたのだ。もちろん神父の言うことに彼女は逆らった。レジスは神父に服従しなければならないかどうか思い悩んだ。でも彼は神父と対決し、自分たちがありきたりな恋人じゃないと説得した。でもほんとうにこわかった!
ミシェルは憤激のあまり拳を握りしめた。あのおぞましい坊主がこの恋愛に土足で踏み込んで来るとは。しかしアンヌ=マリーはあくまで陽気で、神父を裁こうとはしなかった。レジスの愚直さにも腹が立った。あの忌まわしい神父が自分のアヴァンチュールに近付くことを許すなんて、彼はなんとまぬけなカトリック信者なんだろう。
(単起的会話の挿入)レジスはアンヌ=マリーと舞踏会で踊るのをためらった。それが正しいかどうか分からないから。
ミシェルはそんな考えは愚劣だと思った。それだったらもっと率直な欲望の告白の方がましだった。
アンヌ=マリーはやはり舞踏会に一緒に来てほしいとせがんだ。その口調はまるで愛撫するかのようで、ミシェルは胸がちくっと痛んだ。
残念ながら別れの時刻が迫った。ミシェルは何を言えばよかっただろうか。彼らは小広場に来ていた。人気はなかった。周囲の家は古びていた。
(単起的な会話の開始)「「もうすこしぼくたちに時間をくださいませんか?」ミシェルがアンヌ=マリーにたずねた。/「けっこうですわ。七時までなら、このままごいっしょしても、ちっともかまいませんわ。そういえば、ここが、ほとんど毎晩私たちが別れる場所ですの」/「永遠に別れを告げるのも、ここかもしれないね」レジスがいった。」
アンヌ=マリーはときどき陥る憂鬱について語る。ミシェルはそれに理解を示すが、レジスはバッハを聞くことで消え失せない悲しみはまだ感じたことがないと言う。
アンヌ=マリーは微笑して言う。彼には絶対に分からないと思うわ。
レジスは自尊心を傷付けられたらしかった。
ミシェルはフォローする。それはむしろ長所なんですよ。
「しかし実をいえばアンヌ=マリーが、レジスにではなく自分のほうに似ているのかもしれないと考えて、ミシェルは天にものぼる気持だった。」
ミシェルは目の前の二人を見つめた。レジスの外套はくたびれている。アンヌ=マリーにも気取りがない。そういう二人が感動的だった。
彼はその感動を口にした。アンヌ=マリーは問いかけるような目で見た。
「「あなたがとてもすてきな人だとは思っていましたわ。でも、いまは、それが確信できてとてもうれしい」」
ミシェルは照れ隠しに虚勢を張った。自分は期待されていたような哲学者には見えないでしょうね。
レジスがまぜっ返す。ダンスホールの常連というふうに見えるね。
アンヌ=マリーが補足。流行の服を着ていらっしゃるんですから。
三人は元気よく笑った。
ミシェルが書いた手紙のことが話題になった。
「「ああ! あのばかげた手紙のことはいわないでください! あんなものは時代おくれの文学ですよ!……」」アンヌ=マリーを知る以前に書かれた手紙など意味はない。自分は彼女のことを文字どおり何一つ分かっていなかった。今の自分は、あなたに感嘆する。若くて陽気で、真剣で、聖女であろうとして、美辞麗句が大嫌いで、いっさい気取りがないことに感嘆する……。
アンヌ=マリーもレジスも感動して聞いているようだった。
ミシェルはつづけた。あなたが他に類のないアヴァンチュールを生きていることを疑ってはいけない。レジスを信じなければならない……。
レジスがミシェルの腕を取って、そろそろ別れなければ、と言う。
ミシェルはさらに激しい勢いで言う。あなたを見たあとで、どうして他の女を見たりすることができるだろう……。
アンヌ=マリーはかぶりを振りながら微笑んでいた。私よりずっときれいで、才気がある女の人たちはこの世にたくさんいるじゃありませんか……。
いや、そんなことはない! 今日ぼくが何を見出したか、あなたには分からないかもしれないが……。
ミシェルはまさに涙を流さんばかりになっていた。
レジスはミシェルを抱きしめた。ぼくは君を連れてくるべきではなかったかもしれない。君が辛い思いをすることを分かっているべきだった……。
アンヌ=マリーが遑を告げた。
ミシェルは叫んだ。絶対に自信を失ってはいけない! 近いうちにパリに来てほしい……。
彼女は遠ざかった。
彼は帽子を振り回した。アンヌ=マリーが振り返り、やがて姿を消した。
レジスが彼に追いついた。君が彼女への賛辞を述べたとき、ぼくはどんなに感動したことだろう……。
きみの人生に比べれば、ぼくの人生は……と苦しみを口にするミシェル。
君は彼女に会わないほうがよかったのかもしれない、とレジス。
しかし彼女に会ったことを後悔するなんて、そんなことができるだろうか?とミシェル。
アンヌ=マリーの美しさについて語り合う二人。
ミシェルはレジスの両肩を激しく掴む。これこそが愛だ。これほどに誇り高い情熱はありえない……。
自動車が騒々しく行き交う広場まで来ていた。レジスは立ち止まった。
ミシェル、ここでさよならしよう。ぼくは彼女を熱愛している、これまで以上に、少しは君のおかげで。さよなら、今度はパリで会えるといいね。今夜は君だけのために祈ろう……。
▼第五章「肉体に巣食う愛」
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5−1
(現前的場面開始)「ミシェルは、自分の部屋のまんなか、背掛けが折れて丸椅子のようになった麦藁張りの椅子に、崩れ落ちるように坐った。」散らかり放題の彼の部屋。汚れた冬の寒気。この部屋で過ごさなければならない時間を前にした吐き気。
(回想)呆然自失から抜け出すと、回想のイメージに押しつぶされる。レジスと別れたあとに入ったペラーシュ駅の軽食堂。たばこの煙。コーヒーにひたしたクロワッサン。行ったり来たりしているとるにたらない味気ない女たち。そのような一切の俗悪さの外にアンヌ=マリーは位置していた。レジスは彼女にふさわしい人間ではありえない……。ミシェルは苦悩のあまり気力も体力も尽き果てた。彼は乗客もまばらな列車に飛び乗って、列車のなかで眠った……。
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5−2
(現前的場面の再開始)「ミシェルが帰ってからまもなく一時間たとうとしていた。」ベッドに横になった。彼は徐々に我を取り戻しつつあった。
「自分の感情について自問する必要はなかった。」熱愛と絶望。彼は愛に呼びかけ、愛がそこに姿を現わしたのだ。しかし彼女の方から彼を愛してくれるなどということは一瞬も想像できなかった。彼は交通事故に会ったのだ。おや、腹が破れている!
次第が頭がはっきりしてきた。自分に嘘をつくなどということはしてはならなかった。彼のレジスへの友情は本物だった。
内語。誰に罪があるだろうか。あいまいにごまかしてはならない。あの娘はおよそばかげた手に握られていると言わざるをえない……。彼女の驚くべき魅力。レジスはそれをまっすぐカトリックの轍に導こうとしている。レジスの代わりにぼくの方が最初に知り合ったのだったら、真の愛の傑作が生まれたことだろうに……。
レジスの偏狭な決意。最初から一切の望みを立たれているミシェルの愛。出口のない悲劇。
興奮しすぎてミシェルは憩うことがなかった。まもなく一時間クラスに出なければならなかった。校長も生徒たちも相変わらずだった。ミシェルはこの場所を否認していた。今後彼が、この場所の愚かしさに左右されることはないはずだった。
(単起的科白の挿入)どうしたんだミシェル? リヨンでどんちゃん騒ぎでもしてきたのか?
ド・サン=セーヌ侯爵という同僚が気軽に訊ねた。ブウールで付き合ってもいいと思える唯一の男。ミシェルは危うく秘密を打ち明けそうになった。しかし運動場の片隅でそんな告白ができるだろうか? 「ぼくの生涯でも決定的な二日を生きたばかりなんだ」と言ったところで何の役に立つだろう?
ギヨームに会うべきだった。
「午後の最初のクラスでは、生徒たちをやっかい払いするために、授業時間になるとすぐ手短に自習項目を指示した。ラテン語の授業など、十分とつづけられなかったろう。やがて彼は小さな教師机のまえで、陰鬱な自室にいるときよりもっと孤独で、目をじっと見据えたまま動かなかった。」彼は震えた。何もかもが運命のようだった。サン=ジェルマン=オー=モン=ドールでの夜、なぜ彼はリレットを放り出したのか。なぜレジスの話をギヨームに対して擁護したのか。最初からすべてを予感していたのか。一月六日、リヨン行きの汽車に乗り込んだときの嫌悪感こそ、最後の警告だったのか。
授業のあと自室に戻る気になれず、バスに飛び乗った。ギヨームの住居へ。
ギヨームは書物を読んでいた。平静だった。ミシェルの異変にも無頓着であるかのように。
「ミシェルはあえぎながら、すぐに話しはじめた。最初の波をぶちまけたあとでも、自分がなにひとついっていないことに気づいた。なんということだ! ひとりの若者がある娘に恋をした。彼女は別の若者を愛しており、彼のほうも彼女を愛している──昔からよくある話にすぎない。しかし現実は、奇妙な空というか、小暗い地獄というか、安っぽい三角関係などとはおよそほど遠いものだ!」しかしそのことを第三者に伝えることはできそうになかった。話そうとすれば、近付きがたい美女を想う孤独な溜息というありふれたシナリオが描き出されるばかりだ。また、レジスをアンヌ=マリーとの対比で戯画化する羽目にもなった。リヨンの二日間はそんな退屈な話とは無縁だった。ギヨームが直観の救いの手を差し伸べてくれないのも、驚きだった。
この相談は何ももたらさない。ミシェルはひそかにギヨームを恨んだ。ギヨームは安易な理解にとどまっていた。
(単起的科白の挿入)「「疑問の余地はないね」とギヨームが断言した。「ランテルムは興味深い精神の持主ではあったかもしれないが、どうやら狂信者になってしまったね。そういう連中は例外なく、自分のなかでいっさいの感受性を窒息させてしまうものだ。……」」レジスの愛は偽善的な茶番だ。だがミシェルにもチャンスはあるんじゃないか……。
ミシェルは落ち込んでいた。ギヨームとレジスをこんなふうに対立させることは不毛だった。レジスの愛を、月並みな尺度で測ることはできないはずだった。彼はカトリック教に英雄的な美徳をもたらしたのだ。ミシェルもまた通俗的な意味でレジスを嫉妬しているわけではなかった。ギヨームは何かを間違えたというしかなかった。
(単起的科白の挿入)結局レジスやアンヌ=マリーのなかにあって君が感嘆しているのは、そもそも君からレジスへの影響によって彩られた要素なのではないか?
そのギヨームの指摘は一概に外れているとも言えなかった。
そしてギヨームはアンヌ=マリーがどんな娘なのか描写してほしいとせがんだ。ミシェルは羞恥心が働いて、その若い娘を描写する気になれなかった。彼女の美しさにも優雅さにももう自信が持てなかった。思い付くのはひどく月並みな形容詞ばかりだった。不器用に言葉を濁すしかなかった。音楽会のときの情景ももはや記憶のなかでおぼろになりかけていた。ミシェルは自分の興奮にあざむかれていたのだろうか? ギヨームがもし即座にアンヌ=マリーに会うことができたら、失望し、ミシェルの愛情に唖然とするかもしれない……。ギヨームはこの話題に退屈しているらしかった。ミシェルはこの場を逃げ出したかった。最良の友さえ助けにならない以上、救いは自分自身の奥底にしかありえなかった。
「カフェのカウンターで、ココアとクロワッサンをたのんだ。奇妙な努力をしなければのみ下せなかった。この三日間ではじめて口にしたまともな食物だった。自室に帰るとすぐ日記帳を開いた。背の赤い、褐色の表紙の分厚いノートだった。」彼はリヨンでの二日間のことを書き綴った。
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5−3
「ミシェルが自室に引きこもって五日目のこと。それまでの習慣はなにもかも破られていたが、気にもかけなかった。」ギヨームを訪ねて以来、彼が周囲の人々に話しかけた言葉は百語に満たなかった。身なりや身だしなみに気を使っていたはずの彼は、髭すらも適当に整えるばかりとなった。どんな人間でも彼のこの呆然自失の状態に気付かないはずはなかった。病気かと心配された
ミシェルは不安に襲われていた。こんな惨めな生活をしていて、どうしてアンヌ=マリーを愛しているなどと言えるだろうか……。
彼はこれからはじまろうとしている新しい生活の規則を決めた。肉体的かつ精神的な絶対の純潔。ごまかしの口実はあってはならない。孤独を守ること。意志的に省察を巡らすこと。彼にとってはかつての彼、アナーキーで自由奔放に思索する彼自身がこの愛の敵だった。そんな規則に耐えられるかどうか、彼のヒロイズムは自問しなかった。
彼は教室をあとにすれば、ノートに没頭するという奇妙な仕事のほかはもはや何も存在しなかった。ミシェルはディレッタンティズムを忘れた。すべてを生き直さなければならない。あらゆる思考とイメージの細部を彼は追い求めた。恋の思い出の徒弟修行。
アンヌ=マリーの顔立ちを意のままに思い浮かべることはできなかった。その現象はよく知られたことだった。だから何だというのか?
初めて会った一月六日からちょうど一週間経った日、ミシェルは最初の記念日を祝った。彼は二度目の散歩のあいだに交わした会話をノートに書きとめようとしていた。アンヌ=マリーはリセの教科書を楽譜用の円筒に入れていた……ミシェルはそれを持ってあげようという仕草をした……。しかしそれをいくら文章にしても、その言葉の列のなかにアンヌ=マリーは存在しないのだった。彼は間抜けだった。彼女を腕のなかに抱きしめたってよかったはずなのに……。
彼はますます混乱した。(括復的内語の挿入)ぼくは不幸に身を捧げた。ぼくはアンヌ=マリーへの愛に苦しんでいる。しかしこの愛がぼくからはなれたら千倍も苦しむだろう。レジスを追いやる? そんなことはできない。とはいえそれをしなければ、ぼくはぼく自身を呪うことになる。ぼくは必然的に自殺に向かっているのだろうか? ぼくの死と同時にすべてを知らせる手紙をアンヌ=マリーに書く……(という妄想)。ああ! ばかげている! ノートも、これだけ苦しんで書き綴ったのに読めるのはただの一ページもない。芸術家を自称していたというのに! この恋愛のあとで、陳腐な文学に満足し、そのために何日も何時間も費やすなんて、どうしてそんなことができよう? ぼくは素朴さというものをいっさい失ってしまった。幸せになることは不可能だし、自分の不幸を美しいものにすることも不可能だ……。ぼくは負けた、すべてが無意味だ……
空っぽだ、ぼくの頭は。もう何も分からない……何も見えない……。
ミシェルは部屋のなかを歩き回った。
内語。ぼくはもう耐えられない……助けてくれ……。
彼は頭に冷たい水を振りかけ、ラム酒を一杯飲んだ。ひきつった顔が鏡に映っていた。内語。こんなことでくたばってたまるか……。
「〈書くんだ。書かなきゃいけない〉」ふたたび机の前に坐ってノートを開く。
ペンを取って、ノートに書きまくる。
内語。この苦境を乗り越えなければならない……。
手を止めては、また書きまくる。
内語。この状況を言葉で表現し、理解可能なものにしなければならない。文学的修辞に頼ってはならない。
ようやく頭がはっきりしはじめていた。ものを書くことによって自分を狂気から救ったようだった。これ以上骨身を削り精力を費やしたことはなかった。ミシェルと同じ状況に置かれて、そんなことができる人はそれほど多くないはずだ……。
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5−4
記念日の夜、ミシェルは十二時間ぶっつづけでノートを埋めた。朝方には完璧な至福感につつまれていた。眠りに落ちる瞬間、小さな靴を履いて背筋をぴんと伸ばしたアンヌ=マリーの幻が突然立ち現われた。
ブウールでやんちゃ坊主や神父たちに囲まれて彼は機械的に時間を過ごした。へとへとだった。しかし夜になると、また火が掻き立てられ、火傷の傷がよみがえった。「ときおり自室で、ペンを握ったままある言葉を探しているときなど、彼の目は美しい絵画の複製のうえをさまよい、一瞬そこに引きつけられることがあった。誘惑にみちたそれらの写真を、彼は抽斗に投げこんだ。」
三日か四日のあいだ、彼はちょっとした空想に耽った。アンヌ=マリーがレジスに隠れて彼に手紙をくれるというような……。児戯にすぎないことは彼もよく分かっていた。
寝るのが朝の四時か五時、起きるのが九時、外出をするのはどうしても欠かせない用事があるときだけ、という生活がつづいた。街路で見知らぬ若い娘にアンヌ=マリーの面影を探した。
不安は残酷だった。新刊書に目を通す気にはなれなくなっていた。今の自分の状態に対する皮肉っぽい非難をそこに見出すのではないかと恐れたからだ。或いはまた、あまりにも不作法な他人の言動が彼を苛立たせることもあった。嫌悪のあまり疲れ切っていた。
(括復的内語の挿入)自分の感情が汚辱に満ちた日常生活によって損なわれてしまう恐怖。
ミシェルは愛を失うのではないかという恐れさえ愛しはじめていた。
彼は生徒に自習をさせているあいだ、ゾラの『制作』を読んで、そのメロドラマで自分を汚した。シェリーの伝記も読んだ。なにからなにまでわがことのように感じられた。シェリーだったら最初からアンヌ=マリーの心を奪ったにちがいないが……。
鏡に映った自分は古ぼけた身なりをしていた。彼はしかしこの服装に誇りを持った。(括復的内語の挿入)この異様な乱雑さがぼくには快い。いずれアンヌ=マリーとレジスがパリに来るだろう。そのときにぼくは若返ってこの部屋から飛び出すだろう。この部屋は夢の箱だ。
「シェリーは彼の胸をあまりにも波立たせていた。自分の部屋にじっとしていることはもうできなかった。いまやアンヌ=マリーをともづれに街を歩くことができるのだから、一時間ほど大股に歩いてこようと思った。空は灰色、寒気が肌を刺した。」優雅な身なりをした学生たちとすれ違った。一ヶ月前のミシェルだったら、髭伸ばし放題の顔でこんな場所を歩くつもりにはならなかったろう。しかし今は彼は孤独に陶酔していた。墓地に入って、ボードレールの記念碑の前で腰を下ろした。アンヌ=マリーといっしょにここに巡礼しなければという考えが浮かんだ。(単起的内語の挿入)巡礼? 奇妙な言葉だ……。リヨンの二日間のおかげで、多くのものが聖別されてしまった。彼は長いあいだ外をうろついた。アンヌ=マリーが彼に与えたのは悲しみだけだったが、彼はその悲しみに陶酔していた。
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5−5
ずっと連絡がないことをギヨームが不思議がるのも当然だった。ギヨームが突然訪ねて来た。ミシェルはそれをアンヌ=マリーの訪問だろうかと取り違えた。ギヨームの顔を忌々しい想いで眺めた。
ミシェルは気を取り直した。しかしギヨームの心配の言葉はまったく無内容だった。ギヨームはミシェルに何が起こったのか気付きもしないのだった。
二人は散歩したが、話ははずまなかった。
(現前的会話の開始)何も新しいことはないわけだ、とミシェル。
いや、あるかもしれないよ、とギヨーム。
君に話す価値があるかどうかは分からないが、と前置きして、自分も或る娘に出会ったという話をはじめるギヨーム。十六歳の、北フランスから出てきた田舎娘。ナンパして、それからは毎日出会っている。何も知らない小娘。その娘とはまだ寝ていない……。
ミシェルは優しい言葉を掛けてやった。
ギヨームはこの恋愛エピソードに感動を見出しているらしかった。
ミシェルは顔を曇らせた。
それで君の方はどうなんだい?とギヨーム。もう落ち着いたかい? 君はあれこれ考えすぎていたみたいだが……。
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5−6
三十分後ミシェルは自分の部屋に戻っていた。怒りが収まらなかった。
(単起的内語の開始)ぼくが落ち着いただって? 一生のうちでもっとも恐ろしい戦いを挑んでいるこのぼくに? まったくの無理解。ギヨームにとっては、無知な小娘を愛撫することの方が、ぼくがアンヌ=マリーと過ごした三時間、そのせいで生じたこの沸き立つような気持ちよりずっと感動的だというんだろう。ギヨームはぼくが心の悪循環に陥っていると思っている。しかし、客観的に見ればギヨームの方が正しいのかもしれない……。ぼくの恋愛はぼく自身の頭によるでっちあげなのかもしれない……。
容赦ない苦悩を感じた。
(内語再開始)いや、そんなことはない! アンヌ=マリーが凡庸な女の群れに入ることはありえない。ぼくは彼女を愛している。愛を主張し、愛を育てなければならない。芸術家だろうが落ちこぼれだろうが、とにかくぼくは君を愛している……。二者択一。諦めるんだったらきっぱり諦める。愛するのであれば、このさきもずっと愛しつづけるのだ。
ミシェルは決意した。ひさしぶりに空腹を覚えた。一月六日いらいのことだ。彼はフルリュス街の小さなカフェに出かけ、サンドイッチを平らげた。ついでにそこにいたブウールの連中に音楽議論を吹っかけた。
(単起的科白の挿入)クローズ、元気を取り戻したみたいだな!
ミシェルは腹を満たして部屋に帰った。そして彼はインク瓶の蓋をあけると、手紙を書きはじめた。一月二十八日。「親しいレジス……」
▼第六章「神の罠」
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6−1
手紙を書きはじめる前に二日間じっくり考えなければならなかった。
決心しなければならなかった。一月六日以降ずっと避けていたが、レジスという人間について徹底的に検討しなければならなかった。
手紙を書く前にまずレジスの肖像を書こうとしてみた。それは検死作業に似た。(括復的内語の挿入)「〈生涯のなかでも決定的に重要な時間を、本質的にあれほどぼくと似ていない若者に負っているとは、神々の奇妙な気まぐれというしかない。……〉」レジスとの友情は昨日今日の話ではない。レジスは芸術家だ。しかし、彼にはよく分からない趣味の欠陥が確かにある。民衆に向かおうとするカトリック信者の布教意欲が音楽家の本能を損なっている。ギヨームが言ったレジス批判は正しくもある。彼に超自然の世界を開いてやったのはぼくだ。ところが、彼はそのヒロイズムをおよそ馬鹿げたものにしてしまった。あの素晴らしく魅力的な娘まで巻き込んで……。
しかしそのような分析作業は、何一つ教えてくれなかった。
(括復的内語の挿入)「〈他人をこんなふうに裁くなんて、ぼくはいったいどんな地金でできているんだろう? 美と真理の基準をさかんに論じたてたのに、そもそもぼくは、その基準を言葉でいいあらわすことさえできるんだろうか? ぼくの形而上学は? 詩人たちのランプからくすねてきた火花は?……〉」サン=シェリーを卒業したときから自分はどれだけ前に進んだだろう? 勉学の誠実な決算書。ロイスブルークからピカソまで。そのなかでたとえ片隅でも自分のものと言えるようなものが一つでもあるだろうか? 結局自分自身を見失い、何もかもを通り過ぎるに任せただけだったのではないか? レジスの方が教義、神学といったしっかりした鋳型を持っているのではないか? 狭き門……。レジスは少なくとも船出した。レジスと自分と、いったいどちらが男らしい男だろうか?
自分の不信仰は自分の弱さではないか、という疑念が生まれた。ならば、レジスとアンヌ=マリーこそ自分に信仰への啓示を与えてくれたと言うべきだろうか。いや、それはあまりにも誇張しすぎている。あの二人のあいだに入り込むために信仰を利用しているだけではないか……。
手紙を書くのは地獄のような仕事だった。レジスだけでなく若い娘にも語りかけなければならない。熱烈に。しかも、女性特有のからかい好きの本能を目覚めさせることなく(「かんたんなことよ、私はあなたのミシェルの気に入ったのよ!」)。レジスへの称賛はいかがわしくあってはならなかった。俗っぽい懸念もあった。アンヌ=マリーは一体どんなふうに彼を見たのだろうか。信仰についても言及すべきだろうか。ミシェルは耐えがたい奸策を書き綴った。しかしこの手紙もなしにいきなりリヨンへ彼らに会いに行くなどということは、不可能だった。
やっと手紙を書き上げた。何一つ偽らなかった。しかし、置き換えられていた。
いずれにせよその長い手紙は、使徒的なレジスを感動させ、アンヌ=マリーに共感の気持ちを起こさせても不思議のないものだった。
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6−2
自室にいつづけるのは苦しかった。憩いなどなかった。
アンヌ=マリーのイメージはますます人工的なものになりつつあった。そんなものを愛するなんて、ありうることだろうか。それしか愛するものがない状態がこの先どれほどつづくのだろうか。
夢のなかで彼女に会うことをミシェルは熱望した。しかし滑稽な夢ばかり見るのだった。胸をむかつかせるような少年期の性の記憶もよみがえった。
性に関するくだらない妄想がミシェルをさいなんだ。彼は祈りを唱えた──「アンヌ=マリー、ぼくを守って!」──しかし、二ヶ月前だったら、こんな祈りなんて考えただけでも嘲り笑ったことだろう。
ノートに省察を殴り書きした。問題はレジスとアンヌ=マリーの恋愛のことではなく、ミシェルの彼女への愛だった。
(括復的内語の挿入)要するに古典的な三角関係というわけだ……。
ミシェルは苦笑いせざるをえなかった。
ミシェルは粗末なベッドの上で身動き一つしなかった。アンヌ=マリーのイメージが現われては、引き裂かれた。くだらない文学的隠喩が浮かんでは消えた。
ミシェルは最低の白痴のように彼女を愛する方がましかもしれない、と考えた。
アンヌ=マリーの美しさにまた確信が持てなくなっていた。
(括復的内語の挿入)自分にとってどのアンヌ=マリーが一番素晴らしかっただろう? 劇場での彼女? 街路での彼女? ブルーイの夜、彼女はどんな服を着ていたのだろう……。
数限りない彼女の細片が部屋にただよった。雪片のように軽やかな微笑。
彼は書き物机に戻った。(括復的内語の挿入=それがそのままノートに書いた言葉らしい)「〈あなたはなんて遠いんだろう、アンヌ=マリー! 四週間まえからぼくはあなたのせいで、心のなかであなたに仕えながら、あんなにも多くのドラマチックな時間を生きた。そのたびにあなたのイメージがぼやけていった。……〉」ぼくは新しい愛の苦しみに引き裂かれている。ぼくに必要なのは何よりもまずあなただ、笑うあなた、歩くあなた、陽気な口調で話すあなただ……。
これらの言葉は彼の気持ちを軽くした。広大な空間への欲求に捉えられたが、門番を起こして外出する気にはなれなかった。廊下の端の窓から屋根の上に出た。多くの家は闇に包まれて眠っていた。レジスに宛てて書いた手紙は、彼とアンヌ=マリーをへだてる深淵を飛び越えさせてくれるはずだった。その晩の彼は混乱した思考の餌食になっていた。未来に関する数々の作り話が生まれた。
パリにやってくるアンヌ=マリーのことも想像した。手紙が、そういう空想をすることを許していた。パリでアンヌ=マリーに会うこと、それだけで彼の幸福は満たされるはずだった。
タバコが消え尽きた。
(単起的内語の挿入)少し整理してみよう。自分は彼女を愛している。彼女がぼくのものになることはありうるだろうか? レジスに対する彼女の感情に疑問の余地はない……。
ぼくは彼女を熱愛している。この愛情はぼくをぼく自身を超えるところまで連れて行ってくれるのではないか? 聖なる乙女……。
ミシェルは詩句を朗誦した。
(単起的内語の挿入)ぼくはついに夜を抜け出した。ぼくはふたたびアンヌ=マリーに会うだろう。ぼくは顔を赤らめることなしにあの二人に再会できる。レジスを裏切ったりはしない。ぼくはいつも正々堂々としているだろう。彼女に比べたら、レジスはなんというブルジョワだろう。彼よりも彼女の方がぼくと同じ精神の種族に属している。しかし、ぼくは愛の制定者なんかじゃない。もしかしたらレジスの方が彼女を前にしてぼくよりも目のくらむような想いをしているのかもしれない。レジスが彼女の愛を打ち明けたとき、その深さは感嘆に値するものだった。それは確かだ。やがて来る日々だけがぼくたちを裁くだろう。
レジスがどこに向かっていくのかぼくには分からない。だが、レジスの情熱が信心のなかで眠り込み、キリストのためにアンヌ=マリーを放り出したとき、そのときにはぼくが彼女をこの腕に抱きしめる権利があるだろう。ぼくたちのブルーイは、さらにもっと高いものでありうるかもしれない。それがぼくの唯一の希望なのだろう。
だが、これは裏切りであるような希望ではない。あの二人の奇妙で残酷な夢は、感嘆すべきものなのだ。彼らは愛情によって宗教そのものを凌駕するかもしれない。そのときにはぼくは、もっとも気高い分け前を受け取るはずだ。
ぼくはぼくの愛を胸に秘めておくだろう。これはもっとも勇気ある者さえおびえさせるほどの贈り物だ。ぼくは強い人種に属している。ぼくに差し出されたものの厳しさと壮麗さを、ぼくは見分けることができた。僕は愛し、戦う。ぼくは自分に誇りを持っている。
ぼくは弱くて卑怯な人間だった。ぼくはぼくの悪徳のせいで、アンヌ=マリーのような天使を永遠に自分から遠ざけ、彼女にふさわしいのはレジスのような純朴な男だと思い込むことも、十分にありえた。しかし今、ぼくの肉体と魂は純潔だ。大人になって以来初めてのことだ。放蕩者だったぼくに不滅の魂を取り戻させてくれたのはアンヌ=マリーだ。
アンヌ=マリーへの感謝が、ぼくの愛をはぐくんでくれるだろう。ぼくの愛を禁じるような神はない。むしろ、ぼくの愛こそぼくを神へと導くものなのかもしれない。ぼくは大修行に取り組む準備ができている。決してそれを避けたりはしない。
過去の自分のことを考えると恥ずかしさを覚える。ぼくは太鼓のように空っぽだった。今、ぼくは第二の人生をついに発見した。アンヌ=マリー、レジス、ぼくが生まれ変わったのは君たちのおかげだ。ぼくは君たちの忠実な盟友でありつづけるだろう。君たちがぼくを、神の声を聞き、神の声をあがめるのにふさわしい人間にしてくれるだろう。そしてぼくたちの人生がどんなものであれ、ぼくは偉大な芸術家になるだろう。それこそがぼくの使命なのだから。
ミシェルは何度か自室に戻り、ほとばしる省察をノートに書き付けた。また屋上に戻った。
ミシェルは手すりに寄りかかった。
(単起的内語の挿入)アンヌ=マリー、ぼくはどんなに君を愛していることか! 何度そう口にしてもこの愛は疲れることはない。そしてぼくは自分のなかから偉大な作品を引き出すだろう。ぼくの愛も、ぼくの芸術もトータルなぼくの天職だ……。
夜が明けて、牛乳配達の車が通り過ぎた。ふたたび自室に戻って、ミシェルななおも書きつづけた。
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6−3
二時間後、ブウールの小使がドアを叩いた。ミシェル宛ての手紙が届けられた。レジスの筆跡。
(手紙の全文引用)急いだ返事を書いてはいけないと思ったが、この短い返事をまず出しておこうと思った。自分の気持ちが素っ気ないものだと思われたくなかったから。すぐにも言いたいことはこういうことだ──君がいつかある日、神の子イエス・キリストを信じるよう、ぼくはありとあらゆる努力をすることを約束する。ぼくは君に憐憫を覚える。あと一ヶ月すれば(三月になれば)自由になれる、そしたらパリに行けるものと期待している……。
ミシェルは笑った。レジスのこちこちの信心には呆れるばかりだった。しかし彼はすぐに考え込んでしまった。ミシェルは外出して、足早に歩きながら考えをめぐらせた。スフロ街に出ていた。朝の空は澄み渡っていた。それらはミシェルの目には暗黒に見えた。レジスの手紙は、ミシェルの愛の弔鐘を打ち鳴らしてはいないだろうか。レジスの信仰はどっしりとして動かず、ミシェルがアンヌ=マリーへと通じる道を塞いでいた。リヨンでアンヌ=マリーと別れたときの苦悩がふたたび姿を現わした。愛そのものを奪われかねなかった。
レジスに怒りをぶつけてもしかたがなかった。彼の情熱は希望を求めていた。その希望に絶望がのしかかった。
気が付くとミシェルはブウールに着いていた。昼食の鐘。彼は食堂に機械的に入っていった。胸のむかつくような粗末な食事が、これほどおぞましく思えたことはなかった。生徒と教師たちの甲高い声。ねばつくような貧しい食事。ミシェルの自尊心は高ぶった。この牛小屋全体のなかで昂然と頭をもたげているのは彼だけだった。
陰鬱な一日を過ごさざるをえなかった。レジスの手紙を何度となく取り出さずにはいられなかった。レジスはアンヌ=マリーの名前をただの一度も書いていなかった。二度とミシェルに会わせるつもりはないのかもしれなかった。そして知るべきものとして残されているのは、カトリックの教義のみだというわけだった。ミシェルはギヨームを訪ねてみようと決心した。
ギヨームは自然に正直に迎えてくれた。彼らは慰みに文学論を戦わせた。古き良き時代は必ずしも完全に過ぎ去っていないのだった。
彼らはさらに道徳論を交わした。ミシェルとしても、カトリック信仰は馬鹿げているという結論に立ち戻らざるをえなかった。
ギヨームと別れれば、たちまち苦悩が戻ってくるにきまっていた。
ミシェルは歩いて帰った。人影のまばらなサン=ジェルマン大通りが、その晩はどうにもがまんできなかった。魂も肉体も打ちひしがれているのはたしかだった。
自室で日記を読み返した。長大なリヨンの物語。夜の記憶。きちがいじみた乱暴な殴り書き。
それらはすべてインクとタバコの妄想にすぎなかったのだろうか? これ以上何を書いたらいいのだろう? いや、彼の散文のなかでアンヌ=マリーは生きていた。そうである以上、希望はまだ死んではいなかった。
もう一度自分の疑惑と期待の道を辿り直していく必要があった。(括復的内語の挿入)ギヨームの宗教に対する断罪は、繰り言だったのかもしれない。坊主くさい信仰とは別のものがあり、それを斥けることこそ怯懦なのではないか?
ぼくは確信を取り戻した。あんな一夜のあとにこんなばかばかしい手紙が届いた。だとしてもぼくはすべてに挑戦し、敵を追いつめ、深淵を乗り越えなければならない。レジスとアンヌ=マリーをキリストの掟から救い出すにせよ、逆にその掟にわが身をゆだねるにせよ。
あの手紙を書いたレジスは、カトリックの現実の一つを具現している。レジスの信仰はそういったものを乗り越えているとぼくは信じたかったのだが……ぼくは無邪気だったのかもしれない。だがこの隘路を通り抜けなければならない。ぼくは自分の力を信じる。逃げ出したりはしない。
ところで、アンヌ=マリーは? 彼女の存在はぼくがでっちあげたものなのだろうか? いや、そうだとしても、その創造を促したのがぼくの愛である以上、どうでもいい。アンヌ=マリーはレジスからと同様、このぼくからこそ生まれる。ぼく自身、真の生にたどり着けたのは彼女のおかげだ。この驚嘆すべき謎に比べれば、肉体の所有なんてなにほどのことでもない。
もう朝の五時半だ。四十五時間のうち二時間しか眠っていない。この嵐に耐えぬいた以上、ぼくはもう何も恐れない。恐ろしくたわみはした。しかし今はふたたび背筋を伸ばしている。
「〈勇気! 勇気をふるい起こすことだ!〉」
▼第七章「芸術の幼年時代」
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7−1
(ミシェルの返信を直に引用)「「親愛なるレジス、/このあいだの君の手紙は、このうえなく残酷な道をたどってぼくの胸につきささった──そういっても君をおどろかせることにはならないと思う。とはいえ、あの何行かが、ぼくをどれほどの憤慨にかりたてたか、君にはとうてい想像できなかったろう。ぼくはあの手紙を受け入れた。しかしそういう気持になれるまでには、それほど自分自身に無理強いし、それほどの嫌悪を克服しなければならなかったのだ。」僕は君の信じるキリストに近付くための一歩を踏み出した。ぼくは君たちが考えるよりはるかに遠くにいるが、それでもぼくは歩きはじめた。
あの手紙を書いた君は慎重ではなかった。だがその不作法さにおいて、君は男としてぼくに語りかけてくれたのは分かる。これまでぼくに言わせれば君の宗教は去勢の宗教だったのだが、今ぼくはそれとは別のカトリック信仰の存在を垣間見ている。
ぼくは芸術家としてぼくがなすべきことを最後までやり通すだろう。近いうちにまた会おう。「「……ぼくのために祈ってほしい。たとえそれがぼく自身にどれほど信じがたく思えようとも、ぼくは君がそうしてくれることに同意する」」
ミシェルはもうもってまわった言い方はしなかった。
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7−2
労苦の楽しみ! 羊の群れとの一日は終わった。パンは稼ぎ出された。ミシェルは机に向かう。乱雑に積み上げられた本、きちんと置かれた白紙、お茶のポット、ライ麦パン、タバコ。他の連中は女や音楽や芝居に身をゆだねている。しかし務めに勤しむ作家はもっとも高貴な快楽さえ軽蔑できる。
若いミシェル・クローズが書物を書こうとしていた。そのための規則が素早く、厳しく決められた。昼間はあらゆる分野におよぶ必要不可欠な読書。神と信仰に関する省察。夜は、なんとしても掴みとらなければならない作品。小さな努力を積み重ねねばならない。軽々に熱中してはならない。公立図書館がおぞましい悪臭に満ちているからといって、稀覯本や高価本を読まずにすませるわけにはいかない。神学だの聖書釈義だのを打ち砕け。そして古典的散文の摂取。ラブレー、サン=シモン、ディドロ……。
ミシェルはこの世紀を生きる自分の真理と啓示を書物に叩き込むつもりだった。まだ彼自身も知らない真のミシェルが、作品を生み出すことによって生まれてくるはずだった。
ミシェルの胸の奥底で燃え立たせているのは、愛だった。愛の不幸を彼の書物は余すところなく謳い上げるだろう。人生のおぞましさ、人生への愛、それらがすべてかき回されるだろう。
近代人の道具は遠ざけねばならない。スノビズム、性欲、金銭取引、社交界のおしゃべり女たち。そんなものを解剖してもどうにもならない。悪と善の永遠の葛藤こそ現代のもっとも新しい主題のはずだ。
ミシェルに言わせれば構想なしには真の書物はありえなかった。一つの計画が胸に秘められていた。しかしそれは苦しいことだった。作品を宿していることは、作品を産み出すことより辛かった。
彼がいかに勇猛果敢だったとしても、彼の勇気はどのように評価されるだろう……?
新刊書を開いたり文芸批評に目を通したりする勇気が彼はもう持てなかった。彼の自信に冷水を浴びせられるかもしれなかったから。一歩ごとに、どこに足を下ろしたらいいのか分からなかった。半可通の口にするちょっとした常套句でも彼を動揺させるのには十分だった。あらゆる文体を忘れ去ってはじめてふたたび文体を見出すことができる。いや、そうじゃない、あらかじめ想定された形があってこそ作品の永続性が保証される。小説は死んだ。小説だけが生きている。小説を刷新する手段は個人の叙情だ。書物のなかで自己を描く者は絶対に小説家になれない。
ミシェルはあらかじめ断罪されているようだった。
これほどの矛盾、疑念、衰退に囲まれている以上、ミシェルにできることは荒々しくひたすら突進することだった。
ミシェルはあまりにも情報通でありすぎた。言葉はまったく彼の意にしたがおうとしなかった。あらゆる思考が生まれては消え去った。
彼は将来のことも考えた。作家という名に値するものにならなければならないのは、アンヌ=マリーの目にまぶしい存在として映るためでもあった。いや、もしかしたら何よりもまずそのためであったかもしれない。それにしても作家とは一体なんだろう? 作家になったからといって、それがどうしたというんだろう? 彼が思い浮かべるのはがっかいるするだけの伝記の数々だった。マラルメは別段どうということもない子守り女と結婚した。ボードレールは借金に付きまとわれ、法定後見人と梅毒を引きずる生涯だった。思想的英雄のニーチェにしても、人には簡単に騙され、こと女に関しては滑稽なほど初心だった。
天賦の才にも欠陥や滑稽さが必然的に含まれているようだった。偉大な人々も、やはり人間の条件というおぞましい平等は免れなかった。
ミシェルは不分明な一般論へ滑り落ちていった。文学はもしかしたら人間の言語表現のなかでももっとも不完全なものなのかもしれなかった。世界の実質を表現する上で、音楽と造形美術の方がどれほど忠実で豊かだったことだろう……。ほんのわずかなきっかけがあれば、ミシェルも音楽家になっていたかもしれないのに……。
今からでは遅すぎた。即興で口ずさむメロディーも、十分に書き留めることはできなかった。
しかもそのメロディーをオーケストラに編曲するという想像に熱中したあと、実はその音楽がベルリオーズの『幻想交響曲』そっくりなのに気付いた。なんということだ!
「しかしどうでもいい。どうせ文学なんて、他のすべての芸術の落伍者のなかから人を雇い入れるものだといわれるに決まっているんだから。」
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7−3
なんともひどい日々だった。才気煥発でありながら思考と言葉が浪費されていた。無益な熱情。孤独には孤独の罠があった。
アンヌ=マリー、神、作品──まさに遠大な計画だった。遠大すぎて一切の油断ができないほどだった。どんなにわずかな快楽の追求も、いまは耐えがたく思えた。新刊情報、音楽会、展覧会の予告に耳を塞ぐようになっていた。
フルリュス街のカフェのカウンターで二人のへぼ絵描きがデュラン=リュエル画廊の展覧会の話をしているのを耳にした。マネ、ルノワール、シスレー、モネ。その日ミシェルは『思弁哲学序論』とじっくり取り組んだ。神学議論をする上で役に立つはつのその本も、彼には安易なもののように思われた。その退屈さは、脳裏をよぎるマネやモネのイメージによっていや増した。展覧会にまだ駆け付けることはできるかもしれない。しかしミシェルは無理やり自分を机にしばりつけた。「偶有性は、他の事物のなかにこそ存在するのがふさわしい本性ないし本質である……」云々。
(括復的内語の挿入)なんだこのクロスワード・パズルは。こんな本がぼくを前進させてくれるだろうか? 結論は神の存在証明ということでどうせ決まっているのだ。スコラ哲学の方式でやればすべての絵画を灰色で描くことになるだろう。それで傑作が出来ることがありうるだろうか?
ルノワールのイメージが彼の前で笑っていた。
形而上学者の書物は月並みな教訓を吐き出すばかりだった。究極の哲学こそ人を神に連れ戻す、云々。
こんな小競り合いをつづけているうちに、彼の意志力はへとへとになってしまった。「作品」を書こうというときになっても、机に運ばれてくるのは倦怠だけだった。翌々週の日曜日、雪が降った。朝から彼の心には書物のプロローグが浮かんでいた。十七歳のころリヨンで、やっと十六歳になったばかりの女の子に覚えた初恋を種に、人物や名前を置き換えた物語を描くこと……。
この子供じみた話はミシェルは新しい魅力を感じた。頭のなかでさまざまな言葉が跳びはねた。彼は机に駆け寄った。その日の午後パリでは、バッハ、ストラヴィンスキー、シューマンのコンサートがある予定だった。だがミシェルは平静にそれをやり過ごせるはずだった。
しかしほどなく彼がこねまわしているのは泥にすぎないことがわかった。物語の構想を組み替えて火花を散らそうとしても無駄で、音楽会のことばかりに気を取られた。壮麗に輝き渡るト長調の太陽。
いまやぼくは美的なものまで抑制しはじめている、とミシェルはうめいた。交響曲のご馳走くらい自分に許してもよかったのではないか? しかしもし出かけていれば、帰りは悔恨にさいなまれ、陰気な白けた気分になるのは明らかだった。報いは貧弱だった。もろくも崩れてしまう推論、いうことをきこうとしない形容詞、罰課になってしまった詩。
自分自身への要求が大きすぎる? ミシェルはそんな考えは斥けた。彼はたけり狂ったように自分に拍車を掛け、自分の怠惰と軽薄さを罵倒した。しかし毎夜そんなふうに拍車をかけても、最後の自己検討の結果は苦くなるばかりだった。
別の夜は悲惨のきわみだった。ぽっかり口を空いた虚無に落ち込み、気を取り直したのはやっと夜の明け方だった。
(括復的内語の挿入)愛が報われない以上、こうなるのは分かっていた……。勇気はいつも罰せられるものだ。
狂気の扉。むしろ神経衰弱だとはっきり言ったらどうなんだ?……
しかしほどなく反抗心を掻き立てた。
最大の問題はもしかしたら言葉の問題なのかもしれなかった。
疲れはてて、或いは知識の過剰から、一つの文明が自らを殺してしまう。言葉の死。世紀の敗北。
それでもミシェルは勇敢に最後まで言葉でもって戦うはずだった。なぜなら彼はその務めのためにこそ生まれてきたのだったから。
どんな迂回路を取っても彼はアンヌ=マリーへの想いに連れ戻された。文学上の混乱に巻き込まれて、ほんの一時間でも彼女への想いが留守になるのを彼はおそれた。
「〈心で書く〉と人はいう。しかしそれがだらだらした狂詩曲の口実とならないためには、われとわが心に鉄筆を突き刺し、そのはげしいときめきや不安を描き出さなければならなかった。おなじひとりの人間のなかに、執拗な心理学者とはげしい情熱の虜になったものが同居しており、たがいにゆずりあおうとしないのだった。なんという葛藤、なんという論争、なんという決闘だろう!」
日記のノートは厚くなっていくばかりだった。
ミシェルは堂々巡りしていた。やっと制作に取り掛かる気になるころには疲れ切っており、肉体が彼を裏切るのだった。文章は頑固に渋面を見せつづけていた。
さいわい彼はどんな試練にも耐え抜ける健康の持ち主だった。
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7−4
二月も終わろうとしていた。(括復的内語の挿入)今年は春の訪れを歓迎する気になれない。去年は花ざかりの木々に向けてギヨームと一緒に陽気に散歩したものだったが……。
しかし今のぼくは冬の愛に閉ざされている……。
ミシェルの「文学」の修行はほとんど何も産み出していなかった。ミシェルの魂は広大かつ深遠な討論を求めていると、レジスに書き送った。返事は短いものだった。しかし「君がリヨンに立ち寄ってくれたおかげでアンヌ=マリーとぼくの知的生活は勢いを盛り返すことができた……」という文句が見られた。
まもなくアンヌ=マリーにまた会えるという確信は絶対だった。早ければ三月中旬にも。それが希望だった。
その希望が二ヶ月以来一度もなかった心の平和を彼にもたらしていた。手足が軽くなり、温かさに包まれているように感じた。
(括復的内語の挿入)アンヌ=マリーへの愛は日ごとに強まる。昔の恋愛ごっことは何という違いだろう。彼女はぼくの未来の生に必要不可欠な人だ。ぼくの考えることはすべて、彼女の心に反響を見出し、宿命を揺り動かす……。
ぼくは日ごとに、一時間ごとに自分の愛を習得した。その点では自分を褒めてもいいだろう。プルーストは、愛の実在を信じなかった。彼の分析は見事だった。しかし彼は間違っている。プルーストは愛したことがなかったのだ。最初の時期、ぼくはまだ他の人々の目で彼女を見ていた。つまり、他の人々が彼女を前にして失望するのではないかと恐れていた。それはレジスが彼女をぼくに会わせるときの不安であったかもしれない。いずれにせよ、今日のぼくに言わせれば、他の連中がぼくの愛する人をどう評価しようが、そんなことはどうでもいい……。決まり文句だが、ぼくは彼女そのものを愛している。こうした決まり文句を自分自身のこととして生きられるのは幸福だ(とはいえ、もうちょっとましな言い方ができればいいんだが)。
彼は自作の小説の断片を読み返した。そう悪くはないと今は思えた。彼はそれらのページをアンヌ=マリーに捧げていたのだ。
彼はふたたび内面の海辺に降りてみた。確かなものは何もなかった。逆立つ激流が彼を巻き込んだ。数え切れないほどのイメージが気まぐれな動きを見せ、衝突し、交錯した。それを押しとどめ明確にしようとする努力が却って新しい要素をそそぎ込み、混乱をいっそう深めた。
………………………………
そこから復帰しても、戻ってきたのは平板かつ凡庸きわまりない地平だった。
もしかしたら彼は、自分が宿している世界のためには未熟すぎるのかもしれなかった。だが若さを言い訳にするのは卑怯者たちだけだ……。
彼は狂気へのパスポートを握りしめているのかもしれなかった。或る日その世界の目に見えない境界線を踏みこえ、酒を浴びるように飲み、自殺せよという命令を受け、二十三歳で死ぬのかもしれない……。ロートレアモンのように。
ミシェルは突然文学に対する言い知れない倦怠を覚えた。説明という不毛な草原、避けようのない卑俗な細部の描写、時系列順とかいうやっかいなお荷物、息切れ、展開。それが小説なのだ。
技巧を弄することは、愛の本質をゆがめ、変質させることではないか?
できることなら詩を書きたかった。機敏な心を小説という重い車にくくりつけたのは完全な間違いなのかもしれなかった。
さまざまな詩想が思い浮かんだ。ミシェルは熱中した。風にふくらむ旗、光輝、天使たち、オルガン、女神。
しかしそれによって出来上がったのは、過去の詩人から剽窃した詩句にすぎなかった!
どうみてもその晩の彼は不毛だった。
(括復的内語の挿入)しかし現実の自分を見据えたところで……。自然主義的情景。雑巾、汗に黒ずんだシャツ、ごみ箱、流し、垢の匂い。どぎつい石炭塗料。労働者の住む街外れ。吐き出された痰。安ワインとソーセージ。動物のようにつがう男たちと女たちの生々しいはらわた。おぞましい下着、ろくに洗っていない裸身。ぼくがアンヌ=マリーを抱きしめることは決してないだろう。ぼくはもはや自分が作ったおぞましい情景から逃れられない。
美術館で見た女たち。陽気にたわむれる輝かんばかりの肉。ぼくは結婚することはないだろう。しかしぼくの欲望は鎮まることはないだろう。素肌の女たちがぼくに取り憑いて、それを自分から引きはがそうとしても、絶対にできないだろう。
彼はペンを置いた。
(括復的内語の挿入)今日ぼくはランボーとともに生きすぎた。あまりにも多くの香気と色彩をかき回した。崇高さは揮発した。ぼくの生はどこにあるんだろう?
今夜のぼくは微妙な自己検討など試みられそうもない。仰々しい無数の言葉。アンヌ=マリー、あなたのためならぼくは芸術家としての誇りを一切投げ捨てる、等々。自分は自分に与えられた任務の大きさに押し潰されている。愛もまた打ちひしがれる。
そして神は? まるであてずっぽうに祈りを捧げるよりほかはない……。
その夜、ミシェルはまたアンヌ=マリーに想いを寄せながら眠りについた。彼は決心していた。今はじまろうとしている三月は、アンヌ=マリーに再会する月でなければならなかった。それ以外のことはどうでもいい。
レジスから電報で返事が来た。「モクヨウビ、ツク」。
▼第八章「ケルビーノの夜」
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8−1
ミシェルは三日間気ちがいじみた熱に浮かされてすごした。喜びの熱。しかしレジスは一人で来るにちがいないという気がかり。
ミシェルは雪の吹き荒れるなかを散歩して、少し落ち着いた。軽率だと思ったが、アンヌ=マリーも是非一緒に来てほしいという懇願の手紙をレジスに出した。「〈仕方がない! 仕方がない!〉」
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8−2
「レジスが目のまえに立っていた。もちろんひとりだった。そうだろうと覚悟していたので胸を刺すほどの失望は感じなかった。」ホテルへ。
(単起的会話の挿入)レジスのふところは淋しい。しかしミシェルがこのときのために備えをしておいた。
彼らはすぐに出かけてパリを歩き回った。レジスは趣味の悪い男ではなかった。しかしパリに出て来たのはまだ二度目の田舎青年でもあった。彼は何かにつけてリヨンと比較した。
(単起的科白の挿入)パリの街灯や市電をリヨンのそれと比べる。リヨンの方が新型だ……。
ミシェルは口数が少なかった。アンヌ=マリーについて質問したいことがどっさりあるのに、呑気にパリ見学のことばかり口にするレジスに付き合わなければならなかった。
四時間経った。ミシェルは、こんなにもつまらない時間を過ごしたのはここ二か月来ついぞなかった。あまりにも素朴すぎるレジスのパリへの興味。
(単起的会話の挿入)「「ところで、アンヌ=マリーとのことはどうなっているんだい?」(畜生! なんてまぬけな言い方なんだ!)/「ああ、万事好調だよ。問題ない」/「今度彼女がいっしょにこなかったのは、なんて残念なんだろう! いま彼女にサン=ゼヴランをみせてやれたらいいのに!」/「そうだね。しかし、あれこれ考えあわせたうえで、今回はひとりでこようと思ったんだ」」
そこに意地悪さが隠れているように感じ、ミシェルの心は凍った。
レジスは相変わらずポスターの前でぶらぶらしていた。
(単起的会話の挿入)一回ぐらいは音楽に酔い痴れるつもりだ。君が最近行ったコンサートは?
リヨン以来音楽なんて聞いていないんだ。
レジスは驚いた仕草をした。
レジスが言葉を継ぐ。ミシェルの手紙をアンヌ=マリーと二人で読んだことを伝える。
たちまち歓喜におそわれたミシェル。あの手紙をアンヌ=マリーはどう読んだのだろうか?……彼女がここにいればいいのに!
レジスはミシェルが憂鬱そうなのを訝しむ。
ミシェルとしては、レジスひとりだけでは喜びなんてありえないと返事するわけにはいかなかった……。
夕食がすんでしばらくすると、レジスは疲れたと言い出した。
(単起的会話の挿入)なにしろ今朝は四時起きだからね。ちょっと横になりたい……。
ミシェルはベッドのそばの肘掛け椅子に腰かけていた。
ミシェルの手紙をレジスが持って来ていた。それを読み返す流れに。
レジスはミシェルの手紙の或る文句にアンダーラインを引いていた。「もしかしたらある日君は、君と同じ神を信じるぼくを見て喜んでくれるかもしれない」……。
やれやれ! あまりにも調子が高すぎる文句だ、とミシェル。ぼくを洗礼志願者などと思わないでくれ。あくまでも自由に振る舞わなければならない。ぼくは未知の道にさしかかっている、ぼくの仕事は、この先何か月も、何年もかかるだろう……。
同意するレジス。
ぼくの不信仰の根は深い。ぼくは大人しく入信するような人間ではない……。
レジスは微笑する。当然そうだろう。
レジスはパスカルのことを持ち出す。神のなかでしか幸福でありえないのはなぜか、云々。
ミシェルにはその言葉は生気を欠いているように思われていた。パスカルはぼく向きじゃない……。
ミシェルは自分の心理の領域に話題をそらした。妄想、意気消沈、精神の飛躍……。
ぼくもそういう状態を知らないわけじゃない、とレジス。感動を覚えるはずのときに何も感じないという空虚さはぼくも知っている……。
ミシェルはレジスに自分と共通の弱さを見出した気がして嬉しくなった。レジスの完璧さはあまりにもきちんとしすぎていると彼は感じていたから。
レジスは自ら反省してみせる。いや、パリに来てからのぼくは無気力でみっともなかった。なにしろ疲れ切っていたから。しかしぼくがパリに来たのは観光のためじゃない。それを気付かせてくれたのはやはり君だ……。
ミシェルは心と理性のおろかしい怠惰を軽蔑していた。そのことは誇っていいことのはずだった。
そのあとレジスは、自分の人生と愛にとってカトリック信仰がなぜ必要なのか、その省察を長々と語った。それはミシェルの「芸術的」省察と無縁ではないかもしれなかった。英雄的な決意。しかしレジスにとっては、完璧さはカトリック信仰のなかにしかないのだった。
カトリック信者の四分の三は君の足元にもおよばない、とレジス。しかし、君はあるがままの君でカトリック信仰に入らなければならない……。
いや、その足し算はまだ飲み込めない、とミシェル。ぼくが今のままで十分強い人間であるとしたら、さらにカトリック信仰をそこに足さなければならない理由は何だろうか。奇妙な折衷主義? ぼくは自分のなかに神を待ち望む気持ちを感じない。ぼくは自分に欠けているものを切望したりなんかしない。だが、ぼくの精神は一月以来異様な振る舞いをつづけている。或る種の犠牲の概念に取り憑かれている……。
君は立派だ、しかし常軌を逸してもいる、とレジス。
ぼくはつねに或る水準以上のものがほしいのだ、とミシェル。
過去の宗教教育のことを話題にする。十六歳の頃の信仰なんて、完全に消え去った世界に属する話さ、とミシェル。
実際は、ぼくより君の方が完全なキリスト教徒になれる可能性があるかもしれないね、とレジス。
だとすれば君(君とアンヌ=マリーが、とは言えなかった)がぼくの導き手というわけだ……。
重い使命だ、とレジス。
二人は陽気に笑い合った。
明かりを消そうとしたとき、またレジスが言った。君が祈っているというのは本当なのかい……。
ぼくの誇り高さは謙虚さと矛盾しないのだ、とミシェル。
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8−3
「二人は音楽を満喫した。『ポリス・ゴドノフ』、シュトラウスの『ナクソスのアリアドネ』、オネゲルの『ダビデ王』。」さらに一夜で演奏されたバッハの『ブランデンブルク協奏曲』、シェーンベルク『月に憑かれたピエロ』、『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』、『神々の黄昏』。熱中と熱狂。荒々しい壮麗さ。
ミシェルとレジスはラシーヌ街の安飯屋で、不味い食事を詰め込んだ。ワーグナーを聞きに行くための倹約。
シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』には当惑した。このような作品は音楽の終わりのはじまりではないか?
レジスはドビュッシーを聞くことができないのを嘆いた。
(単起的科白の挿入)ミシェルは言う。ドビュッシーの天才は否定できない。ドビュッシーの作り出した記法の新しさ! しかし後世に長く残るのはそういう新しさではなく、リヒャルト・シュトラウスの発想の豊かさの方かもしれない、ワーグナーの流れを引いているものだとはいえ。あの豊かさに比べればドビュッシーの『ペレアス』は鉢植の庭みたいなものではないか……。
レジスは抗議した。ドビュッシーを否定してシェーンベルクを評価できるだろうか? 激しい議論。
二人はルーヴルにも行った。シャルダン。ワトー。コロー。ルノワール。セザンヌ。レジスはまだ傑作を理解するまでには審美眼を成熟させていなかった。
(ルーヴルから出ると)空は青かった。ブウールのミシェル気付で手紙が届いているかもしれなかった。
寄ってみないか?とレジス。
一通届いていた。アンヌ=マリーからの手紙。
レジスは丁寧に開封した。もしかしたら君宛てにも一言書いてあるかもしれない、とレジス。
ミシェルは動揺する。素知らぬ振りをするために全力を尽くした。
君宛てには何にもない、とレジス。
アンヌ=マリーにとってミシェルは取るに足らぬ人間にすぎないというわけだった。ミシェルはがっかりしたが、それをレジスには隠しておかなければならかった。
アンヌ=マリーの名前が絡むやいなや、ミシェルは感動を抑えられなくなるかもしれなかった。手紙の内容にも無関心を装わなければならなかった。まったく不愉快な努力だった。
二人はヴォージラール街をたどりレンヌ街を下った。レジスはたっぷり時間をかけて味わいながら手紙を読んでいた。ついに彼女を話題にしなければならないときが近付いていた。しかし、彼女に伝えられても恥ずかしくないような言葉を何か言えるだろうか? レジスはついに最後のページを読み終わった。
君宛ての一言よりずっと良いことが書いてある、最後に、君が彼女に友情を抱いてくれるかどうか、ぼくに訊ねているよ、とレジス。
ミシェルは歓喜で身体が震えた。しかしこんな馬鹿なことしか言えなかった。「「彼女への友情? しかしどんな意味で?」」
だがミシェルの歓喜がレジスにも伝わって、それほど馬鹿げたことにはならすに済んだ。
二人はあちらこちら歩きまわった。ワーグナーのメロディーを歌い上げながら。
二人はベンチに腰を下ろした。レジスはまた手紙を取り出した。
(単起的会話の挿入)万事好調だ、とレジス。彼女はますます自分を抑制できるようになっている。
レジスがアンヌ=マリーの筆跡をミシェルに見せてくれた。優雅かつメランコリックな筆跡。
きっとこんな字を書くだろうと思う、まさにそういう筆跡だ、とミシェル。さらに大胆になって、封筒をもらえないかと言う。
レジスは即座に封筒をくれた。
ミシェルとしては、「君も度しがたいフェティシストだね」などとレジスが言ってくれた方が気まずさを感じずに済んだのだが……。
レジスはその夜はホテルで一人で寝るはずだった。ミシェルも、自分のあばら家に帰って自分を取り戻したい気持ちになっていた。アンヌ=マリーは彼の生の深いところまで入り込んで来ていた。しかも彼女自身の望みによって。素晴らしい予感があった。ノートに長々と自分の抒情の波を書き込んだ。
(単起的内語の挿入)主よ……私の愚かしさと不器用をすべて克服させてください……。
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8−4
彼らはさらにレンブラント、フェルメール、ルーベンスを見た。
カフェのテラスで哲学と神学についても語り合った。
「彼らはギヨームにも会った。レジスがくることをかくすつもりなど、ミシェルには毛頭なかった。」レジスもギヨームに会うことを予定に組み込んでいた。ミシェルにとっては面倒なことだった。二人が互いをどう思うかを想像しても、愉快になることはなかった。ギヨームから見ればレジスの趣味は締まりがない田舎臭いものに思えるだろう。レジスから見ればギヨームはあまりにも非社交的で機知のない人物と思えるだろう。ミシェルはそれらの欠点を許すことができたが、レジスとギヨームの相互理解を期待するのは無理というものだった。ミシェルは辛い思いをするはずだった。
「二人が出会った。別段破局は生じなかった。といってミシェルが漠然と期待していたような奇蹟も起こらなかった。二人の若者たたがいに気に入らぬ様子ではなかった。」しかし話題を提供するのには苦労した。音楽談義もギヨームとレジスでは微妙な相違があった。レジスは音楽に関しては該博な知識があったが、ギヨームからすればレジスは凡庸な感受性の持ち主だった。
とはいえギヨームはいつもの倍も愛想よく振る舞った。ほどなく外へ散歩に出た。ギヨームはパリをレジスに案内した。マレー地区の古い館。サン=ルイ島。ギヨームのおごりで夕食をすませた。レジスはギヨームの案内するピトレスクな界隈を喜んだ。だがその晩ミシェルはレジスを相手にあれこれ大議論をして過ごすつもりだったので、いささか苛々した。
ミシェルとレジスはバスに乗って帰った。別れ際、ギヨームはレジスの両手をしっかり握りしめた。レジスは「彼は本当にシックだね」と述べた。
ミシェルはギヨーム一人を残していくことに少し後ろめたさを感じた。彼もまた議論に加わっていけない理由はなかった。だがアンヌ=マリーのことも話題になるとすれば、ギヨームのための場所を空けるゆとりはないはずだった。
ミシェルはその晩の議論のために、「偉大さの実践」に関する一連の覚え書きをしたためていた。それはレジスにミシェルの宗教的な資質を訴えかけるものになるはずだった。ミシェルは読み上げた。一瞬たりとも油断してはならない。すべては究極の結果という的を狙うものでなければならない。
たえず自己を知ることに努め、自己の緊張状態を保たなければならない。偉大な画家たちが、傑作一点一点に想定される「精神的勝利」によってそれを教えてくれた。平均的人生を形作る偶発事、金銭、風土、飢え、セックスなどの水準を乗り越えること。満たすべき憧憬を満たさなければならない。
悪とは具体的な罪とはかぎらない。偉大さに向き合ったときの尻込みやアイロニーや無関心こそが、まさに悪だ。悪の力はぼくたちを偉大さから遠ざからせる。
悪魔は全能ではない。しかし悪魔は飽きることなくぼくらを食らいつくそうとする……。
レジスは慎重に聞いていた。
レジスは同感を示した。しかしそんな君がなぜカトリック信仰の必要性を認めないのか……。
ぼくの信仰といっても、それはまだあやふやなものたらざるをえない、とミシェル。
君の絶望はよく分かるよ、とレジス。
ミシェルは話題をアンヌ=マリーの方へ持って行こうとしていた。ぼくがカトリック信仰に目覚めるとしたら彼女が大きな役割を果たすことは間違いないだろう……みたいなことを言うつもりだった。彼女はミシェルの心を離れようとしないのに、彼女のことはほとんど話題に上がらなかった。ミシェルがその言葉を口に出そうとしたとき、宿の女将が扉を激しく叩いた。
なんて騒々しいの! もう一時過ぎだよ! ベッド一つをタダで使っておいて……
やれやれ、とレジスが言った。
二人の若者は笑った。英雄、聖人、天使、という話をしているときに足蹴を食らう、見事なユーモアだ……。
まだ二人が話していると、隣室の客が仕切り壁を激しく叩いた。
「「この家は夜の天才たちをあんまり歓迎しないらしいな」」
結局アンヌ=マリーについてミシェルが言おうと思っていた言葉は場違いなものになってしまった。レジスは眠りかけていた。
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8−5
彼らは宿を別のホテルに移した。リュクサンブール公園の池の前に来た。
(単起的会話の開始)この滞在は上手く行っているが……とレジス。しかし君の手紙はもっと期待を抱かせるものだったように思っていたのだが……。ぼくたちはどうも気が散っている。
パリのせいだよ……などと軽口を叩いてすぐ反省するミシェル。
もちろんぼくはパリに来てよかったと思っているが……とレジス。
そうは言ってもレジスの顔に本当の喜びの表情はなかった。ミシェルも実は似たような感じを持っていた。その不在のためにすべてが色褪せて見えてしまう人の名前を告げる勇気が持てなかった。レジスはアンヌ=マリーについて何一つもたらしてくれなかった。
ミシェルはとうとう一月の自分のリヨン滞在について言及した。あれは決定的だった……。
しかし公園で一時間、敷石の上で二時間程度だったじゃないか……とレジス。
さらにレジスは言う。君は護教論の研究を進める決心を固めたんだね? 君のこの冬の本漁りは無秩序だったように思う。君は宗教関係の本にアマチュアとして早々手を出してしまっている。これは忠告というより指示だ。まずは基礎を築かなければならない。ここに君のために準備した書物のリストがある……。
ミシェルはリストに目を通した。修道僧や在俗修道士たちの著作、そしてくそ面白くないことで有名なアカデミー会員の著作。
ぼくの文学的犯罪のつぐないにこの著者を加えておこうというのかい?とミシェル。
アンヌ=マリーの後光がなければ、そのリストはおそろしく素っ気ないものと感じられたことだろう。
彼らはカトリック学生会館の前を通りかかった。
レジスは関心をそそられたようだった。ロレに紹介状を頼もうかな。
ミシェルはもう従順さを使い果たしていた。いやいや、この建物から出て来る連中なんて、どいつもこいつもひどい面だぜ! それに君はまだロレみたいなのと付き合っているのか。
ロレがフランス・カトリック青年同盟で並外れた成果をあげているのは間違いないよ、とレジス。彼にも長所があることは確かだ。彼こそ本当の聖人なのかもしれない……。
徒党を組まなければものを考えられない馬鹿どもを指導する聖人というわけか! ミシェルは怒りを爆発させる。しかも何を考えるかといえば、社会福祉計画というまやかしについてだ……。
レジスは寛容に微笑した。
ミシェルは少し考えて言った。隣人にほどこす善行は義務である、という命題は知っているよ。しかしぼくに何ができるだろう? 庶民に対して何ができるだろう? ぼくはもっと深い仕事、真に精神的な仕事のために生まれてきたのだと思う。ぼくはそうした仕事によってこそ、神の尊厳を人々に想起させることができるのかもしれない。ぼくが群衆を嫌悪するのはその仕事のためなのだ……。
君がもっとも独特なキリスト教徒になるだろうことを、ぼくは疑ったことはないよ、とレジス。
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8−6
「レジスがパリですごす最後の一日だった。」
(単起的会話の開始)もしかしたら生涯最後の一日かもしれない。入隊前にまた来る可能性はほとんどないから、とレジス。
レジスはセーヌ沿いの道を歩きたがった。
レジスはこれから別れなければならないパリの魅力を語っては、慨嘆した。
その晩、ウィーン・オペラが『フィガロの結婚』を上演する予定だった。ミシェルはためらわずにチケットを二枚取った。
問題は何を着て行くかだな……盛装が多いだろうから、とミシェル。
この散財によって、彼らの財布は窮乏状態に陥った。それでもレジスは土産物を買った。ミシェルはアンヌ=マリーへのプレゼントを選ぶつもりで、アドバイスした。
ぼくからの分も含まれていると彼女に伝えてくれたらうれしい……とミシェル。
当然じゃないか、もう四日も前から何もかも君が払っているのに……とレジス。
ミシェルの手元には百フランが残った。これで復活祭まで食いつなげばいいんだ、これは良い修行だ、とうそぶくミシェル。
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8−7
『フィガロの結婚』のあと、ミシェルはアンヌ=マリーのことを何がなんでも話そうと思っていた。そうでなければレジスが帰ったあとの空虚を耐えられそうになかった。アンヌ=マリーにとって自分はどう見えていたのか? とりわけ、アンヌ=マリーにいつ再会できるだろう? そうしたミシェルの生命に関わる問題を解明しないわけにはいかなかった。その一日も朝から歩きづめで、音楽を聞く前から疲労困憊していた。
劇場には社交界でも大いに幅のきく何人かの有名作家や俳優、貴族、ロシア公女、等々が来ていた。レジスとミシェルはといえば、プチ・パンとゆで卵という夕食だけで、そこに駆け付けたのだった。
それまで、ミシェルとレジスにとってのモーツァルトとは四重奏や三重奏やピアノのそれであり、コンサートや劇場に通って聞くモーツァルトには失望することが常だった。しかしその日は、序曲が鳴り響いたとたん、感嘆のあまり息を呑んだ。指揮者は三十歳ぐらいのドイツ人で、モーツァルトに真新しい熱い血を注ぎ込んでいた。
幕が上がった。舞台装置。さまざまな登場人物。ケルビーノの登場はミシェルの胸をかき乱した。官能的で柔らかな芳香。熱っぽく甘えるようなアリア。
ミシェルは陶酔に陥った。しかしレジスはどう感じただろうか? 杞憂だった。レジスも幕間に、目のくらむ思いをしたと断言した。
(単起的会話の挿入)なんという俳優たち、なんという歌手たちだろう!
あのケルビーノが単なる美人女優にすぎないと言うやつは、散文的な魂の持ち主以外にはありえない!
彼らはどんなに分析してもこの魅惑を分析し尽くすことはできないと思った。
ふたたび音楽がはじまった。ケルビーノの官能性。甘美な音楽の息吹。アルマビーバとスザンナの対話。最後の幕。フルートとヴァイオリンの音。ブラヴォーの叫び、拍手の騒々しさ。
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8−8
「二人の若者はアルマ広場のまんなかに立っていた。錯乱におそわれたような顔、恐怖におびえる背中、ふたしかな足元。彼らはまだ一言も発していなかった。背後にはパリの劇場から出てくる人々のざわめきがあり、主人たちを乗せた車のボンネットの長い列が彼らをとりまき、車のドアを開けて飛び出してきた運転手がどなりつけた。」彼らはどうにかこうにか歩道にたどり着いた。
(単起的会話の挿入)なんて素晴らしいんだろう!とミシェル。
並外れている、『トリスタン』にさえこれほど同様したことはない。こんなことがありうるんだろうか?……とレジス。
二人は群衆から本能的に逃げ出した。相変わらず足元が怪しかった。
幕間まではぼくはただのディレッタントとして聞いていた、とレジス。第三幕で伯爵夫人がアリアを歌ったとき、突然ぼくは一種の絶望の波に捉えられた……。
ミシェルがそのアリアを口ずさんだ。
レジスが彼を止めた。やめてくれ、音符をなぞっても無駄だ、崇高なのは、すべてがあのように一致していることだった……。ぼくたちは完璧さを垣間見た……。
そうなんだ、ぼくたちの青春のように、人生のように、幸福全体のように、あの陽気さは死の味がした……。
音楽はミシェルとレジスに同じように語りかけたのだった。しかしその音楽が二人のなかに掻き立てた苦悩はそれぞれ違っており、ミシェルのそれはこれまで以上に伝達不可能だった。絶望の波。
彼らはサン=ジェルマン大通りを重い足取りでたどった。
二人とも『フィガロの結婚』のあとは一晩中起きていようと決めていた。カフェのカウンターでコーヒーを飲むと、部屋によじのぼった。
二人はベッドに仰向けになり、タバコの煙に包まれていた。
不意に、レジスの方からアンヌ=マリーのことに触れた。今夜彼女がぼくのそばにいて、ぼくの感じたものを彼女も感じられたはずなのにと思うと……。
ミシェルは目を輝かせた。しかしレジスはその先をつづけなかった。
ミシェルは意を決してつづけた。この九日間、楽しくはあったが何かしら物足りなかった。今度ぼくはいつ君たち二人に会えるだろう?……
この質問はとどのつまり自然なもののはずだった。
レジスは考え込んでから答えた。そう、ぼくたち三人が会わなければならないのは言うまでもない。しかし、お互いの都合を合わせるのは容易じゃない。復活祭の休みには、アンヌ=マリーはリヨンにはいないことになっている……。
ミシェルは友人の言葉を一言も聞きもらすまいとした。確約はなかった。これがレジスの逃げ口上だとしたら? だとしたら、もう耐えられなかった!
ミシェルは思わず言っていた。「「今日君といっしょにぼくもでかけるのがいい手なのかもしれない」」
ミシェルは身ぶるいした。まるで気ちがいじみた愛の告白をしたかのように。
ミシェルはまっすぐレジスの目を見つめた。
よし、でかけるぞ!
レジスの顔に驚嘆の微笑が浮かんだ。本気なのか! これこそミシェルの本領発揮だ。
レジスは笑い出した。
ただ一つだけ問題がある、とミシェル。授業に出られないわけだから、校長に話を付けておきたい。君が正午の汽車まで待てるなら……。
それはできない、とレジス。
じゃ仕方がない、ブウールの方はなるようになれた。君といっしょに七時四十分の汽車に乗り込むことにしよう!
ミシェルは元気づいた。
ねえレジス、とミシェルは説明しはじめた。これほどにも素晴らしい一夜のあと、早朝、駅で別れるなんて残酷すぎると思わないか? ぼくにはもう彼女なしの君なんて考えられない。結び合わされた君たち二人こそがぼくに感銘を与えたんだから。ぼくたちがパリで生きたここ数日がなんとなくぎくしゃくしていたのは、彼女がいなかったからだ……。
そうだ、ぼくたちはもう、ブルジョワみたいに別れを告げるわけにはいかなかった、とレジス。そして君がとても素晴らしいことを思いついた。ぼくにはまだ君が必要だった。君がぼくといっしょに来て、三人で喜びを分かち合う。彼女から遠くはなれて過ごした今日の一夜が何だったか、ぼくたち二人で、アンヌ=マリーに分からせよう。とりわけ君が話してくれればはるかに説得力があるだろう……。きみはもっとも感受性の鋭い、驚異的な友人だ……。
今日この夜を忘れることはないだろう。
ケルビーノの夜だ!とミシェル。
切符を買う金を心配しはじめる二人。片道百十五フラン。
ポケットを探ってみると、八十一フランしかない。
しょうがない、ディジョンまで切符を買って、あとはキセルといこう、とミシェル。
検札の目をくぐれるだろうか?
かまうもんか、神々が味方についている、とミシェル。
しかしリヨンでの君の宿代とか飯代はどうする?とレジス。
そんなことどうでもいいさ、オランダ紙のボードレールを古本屋に売ろう、と一瞬で決断するミシェル。あんな贅沢はそもそも滑稽なんだ。愛書家をやっつけろ!
ブウールの方はどうする? くびになるかも……。
同僚に馬鹿正直なのがいて授業をかわってくれるかもしれない。手紙を書き残していく。あとは神の思し召しにゆだねる。くびになろうがどうでもいい。人生は美しい!とミシェル。
彼らは興奮しきっていた。
ミシェルは歌い出した。有頂天になった証拠だった。
いまや二人は『フィガロの結婚』に話題を戻し、ゆで卵二つを夜食がわりに食べながら、素晴らしいウィーンの歌手たちの魅力をあらためて語り合うことができた。
突然レジスが言う。今夜アンヌ=マリーに会えなかったらどうしよう? 何の約束もしてないんだ。
万事上手く行くさ。ぼくには確信がある、とミシェル。
そしてレジスに寝るように言う。ぼくが頑張っていて五時半に君を起こしてやろう。
レジスはすぐ眠り込んだ。興奮がミシェルの頭を完全に自由にしていた。おそらく彼はくびになるはずだった。しかしそんなことはほとんど考えなかった。自分の身なりの方が気にかかった。彼の髪も大いに床屋の手入れを必要とする状態だった。それらはこの素晴らしい思い付きのネガティヴな細部だった。
夜明けが近付くにつれて感覚が鈍った。タバコを吸って眠気を振り払った。自分を試練にかける喜びが疲労に打ち勝った。
▼第九章「わが魂を奪いに来よ」
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9−1
「まだ人気のない街路にこまかい前がしたたり落ちていた。ことを決めたときの上機嫌はすっかり消え去っていた。」しかしミシェルは決然と準備をした。陽気にレジスを叩き起こした。
ミシェルは一度ホテルを出てボードレールを取りに行っていた。着替えもし、同僚の扉の下に嘆願書を滑り込ませた。途中密告屋の門番や警備主任に見つからないかひやひやした。
レジスは自分のスーツケースを罵った。なんて重いんだ!
ミシェルがそれを押してやった。さあ前進だ!
陰鬱な冬の日。しかしミシェルは元気だった。
もしブウールで校長と鉢合わせたら、こっちから辞職を願うつもりだったよ、とミシェル。そして堂々と汽車に乗り込むわけだ。
ミシェルは学校の階段を駆け下りるときの、不安と大胆な喜びに満ち溢れた自分の感情を思い出していた。
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9−2
乗客八人がぎっしりつまっている客室。ミシェルはうとうとしていた。
レジスはランボーを読みながら、ミシェルの眠るときの格好をからかった。
同じ客室にいるのは、農夫、ブローカー、素っ気ない感じの中年女、子供連れの夫婦。なんということもない連中。
汽車はブルゴーニュ地方に差し掛かっていた。これじゃブルーイは見えそうもないな、とレジス。
何を読んでいたんだい?とミシェル。
『地獄の季節』。レジスはランボーが死ぬ間際の病院のベッドの上で最後には悟ったのだと考えているらしかった。
ミシェルは反論した。臨終の間際の降伏は意味のあるものではない……。
しかし彼の救済のためには、或る意味を持ちえたんだ、とレジス。
ランボーの手紙を読んでいたミシェルは、レジスの知らないランボーの逸話を話してやった。シャルルヴィル公園の椅子に「神なんか糞食らえ」と書いた話……。
客室の連中はあっけにとられていた。それに気づいたミシェルは、いっそう輪を掛けて話した。だがそんなことにはたちまち飽きてしまった。次に、ミシェルの信仰のことを二人は語った。アウグスチヌス神学について仕入れたばかりの知識がかなりミシェルは自慢だった。
しかしレジスは相手にしなかった。君は異端説のまわりをうろついているだけだ……。
神学者たちも検札係のことを忘れてはいなかった。不足料金を払うことなどできるはずがなかった。見張りを怠らず、客室からの離脱、カムフラージュ、滑り込みなど、微妙な作戦のおかげで、ミシェルは駅員との接触を免れた。
霧が晴れた。これならブルーイが見えるかもしれない、とレジス。
忙しないミシェルの思考においては、ブルーイが見えるかどうかはどうでもよかった。それはごくありふれた丘にちがいなかったから。
レジスはブルーイで過ごした最初の夜のことを語って飽きなかった。ロマネーシュ=トランという駅名が流れて行った。ムーラン・ナ・ヴァン(クリュ・ボージョレー)の村だ。
あれがブルーイだ、とレジスが興奮して言った。
暗く孤立した丘がはっきり見分けられた。ミシェルはそれがボージョレの最後の支脈だということを考えた。
あの頂上なら、眺望は果てしなく広いだろうね、とミシェル。
周囲に見えるこの平地は無限につづく青い海のようだった……とレジス。子供の頃から知っている土地だが、それが聖別されるのにたった一夜で十分だった……。
頂上近くに小さな礼拝堂があった。重々しい色調の土地。ぶどう畑。牧場。前の年のミシェルであれば一瞥を投げる気にもなれなかったこの土地。今度の夏にはレジスとアンヌ=マリーの足跡を求めてミシェル一人でここに来てみようと思った。
丘はあっという間に遠ざかった。レジスは目をブルーイの方向に向けたまま動こうとしなかった。
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9−3
「サン=ジャン首座司教座聖堂の大時計が九時を打ち、ミシェルはソーヌ河の暗く人気のない河岸沿いの道を歩いていた。」一人で空き腹を抱えながら。
レジスはモラン広場の角で六時十五分前に会おうと告げていた。その広場にアンヌ=マリーの学校があった。ミシェルの方が先に着いていた。もうすぐアンヌ=マリーに再会するというのに、慌ただしいことばかりだった。ホテルを見つけ、ボードレールを売り払うのに七十分の余裕しかなかった。
愛の感動を味わう暇なんかなかった。レジスは約束の時間に間に合わないかもしれなかった。みじめなことにアンヌ=マリーと会い損ねてしまうおそれもあった。翌日どうするかも分からなかった。
さいわいレジスが姿を現わした。
(単起的科白の挿入)早く物陰に隠れるんだ。たった今、彼女のお袋さんと鉢合わせするところだった。学校の噂好きの女たちも目を光らせている。
この小径に隠れよう、とレジスは言った。アンヌ=マリーと連絡するチャンスがあるのはここだけだ。
チャンスという言葉がミシェルを恐怖に陥れた。してみればそれは運不運の問題なのだ。
彼女が来ないこともありうるのかい?とミシェル。
そんなことはまずない、とレジス。
教室全部に明かりがついていた。まだ彼女たちはなかにいるのだ。
夕焼け空は晴れ上がっていた。しかしミシェルはこの一刻の平穏さを味わう気にはほとんどなれなかった。若い娘たちが鞄を手に大扉から出て来た。
彼女が学校をさぼっていたら?とミシェル。
ありえない。
しかしもしここで会えなかったら?
明日の朝、ミサで。
ああ! 彼女には会えないような気がする! わざわざパリからやってきたというのに……とミシェル。
二人が異口同音にいった。「彼女だ!」
レジスが走り出した。
彼らは娘たちの前二十メートルのところを横切った。アンヌ=マリーに目で合図した。二人は迷路のような路地を風のように歩いていった。アンヌ=マリーは一月に会ったときと同じ服装をしていた。アンヌ=マリーはもう一人の娘と一緒だった。
(単起的科白の挿入)今度は左に曲がるぞ。それから右だ。アンヌ=マリーが立ち止まったぞ……早く、早く、この車のかげに隠れよう、とレジス。
アンヌ=マリーはいっそう足早に歩き出した。
こりゃ本物の尾行だね!とミシェル。
彼はこう考えていた。アンヌ=マリーにとってぼくの訪問が何らかの重要性を持っているのなら、とっくにもう一人の娘を置き去りにしているはずだろう……。
娘たちがやっと別れそうだった。
待ち合わせの場所はクレキ街だ、とレジス。
そこに着いたのは三人ともほとんど同時だった。アンヌ=マリーの目には驚きは一切なかった。
レジスは彼女を抱きしめながら言った。ぼくらは二人でやってきたんだ……。
きっとそうだろうと思っていたわ、と彼女は落ち着き払って言う。何もかも話してもらわなければ……。
ミシェルは二か月半前から考えに考えていたお辞儀をした。アンヌ=マリーはもっとも感動的で輪郭のはっきりした彼女の幻に似ていた。歪められたイメージは拭い去られた。しかし出会いの自然さがあまりにも思い掛けなかったので、ミシェルはすっかり面食らっていた。
アンヌ=マリーがみせた歓迎ぶりの飾り気のない気安さが、ミシェルの熱情を冷ましてしまっていた。「ケルビーノの夜」も、リヨン行きを決めたときの勇敢さも、もはやあまり意味がなかった。ミシェルが彼女の友達である以上、こうして会いに来るのも当然というわけだった。二人の若者は前夜のことを話そうとしたが、うまくいかなかった。
(単起的科白の挿入)つまりレジスが一日パリ滞在を伸ばしたのは劇場に行くためだったのね、と文句を言うアンヌ=マリー。
ミシェルは抗議した。『フィガロの結婚』の魅力のなかでアンヌ=マリーがどれほど大きな位置を占めていたか……。彼女の不在がどれだけノスタルジアを掻き立てたか……。しかし言葉は大袈裟になるばかりで、うまく伝わらなかった。彼女は早く話題を変えたいと思っているらしかった。
アンヌ=マリーは陽気にこの十日間に起こったことを話した。ミシェルは大笑いを挟んだ。だんまりという役が気に食わなかったからだ。
いやまったく、彼がやってきたのは、英語の女教師へのいたずらの話を聞いたりするためではなかった。
(単起的内語の挿入)残された時間はもうわずかしかないのに、どれほどの時間をつまらぬおしゃべりに使うんだろう……?とミシェル。
ミシェルはアンヌ=マリーの左側に位置を変えて、彼女をしげしげと見つめた。もはや疑念はなかった。アンヌ=マリーは魅力的な娘であり、街路ですれちがったりすれば間違いなく振り返ったはずだった。しかしその顔に秘められた魂については早くも確信が持てなくなっていた。
三人は柵に沿って歩いた。
ミシェルから話題を出してみたりしたが、上手くいかなかった。
四辻のようなところで足を止めた。
レジスが笑いながら言った。ここが君の言う「古代広場」、一月に別れた場所なんだよ。ここの良さは、ブルジョワは誰一人絶対にここを通らないということだ。
ミシェルは唖然とした。夕映えの明るさのなかで見るこの場所は、確かに彼の抱いていた神話的なイメージとはそぐわなかった。広場というより寂しげな交差点だ。角燈もまったく卑俗だった。
レジスが言葉を継いだ。ひどくみすぼらしい場所を美化するのはよくあることだ……。
突然アンヌ=マリーがミシェルに話しかけた。この「広場」に幻滅したように、自分に幻滅していないかどうか知りたいというのだった。ミシェルは否定したが、彼の思考は干からびていた。
三人は翌日の計画を立てた。
素晴らしい一日にしなきゃ、とレジス。じゃぼくは失敬するよ、君たち二人はもう少しお喋りする時間があるだろう。
アンヌ=マリーは顔を曇らせた。
じゃ、また明日!とレジス。
アンヌ=マリーは非難を込めた目でその後ろ姿を追った。若い娘のそばに一人取り残され、ミシェルは当惑した。
(単起的内語の挿入)彼女がこの差し向かいを気に入っているとは思えない……。
屈託ないアンヌ=マリーではあったが、やはり戸惑っているらしかった。
毎晩こんなふうなのよ、とアンヌ=マリー。レジスの方が先に帰ってしまうことがよくある……。
彼女と二人きりだと思うだけで、ミシェルは何も考えられなかった。
アンヌ=マリーの方から、レジスについて尋問しはじめた。パリにいるあいだのレジスはどうだったか?
ぼくらは時間の無駄づかいなんかしなかったですよ……とミシェル。
アンヌ=マリーの目はとても綺麗だった。
アンヌ=マリーは『フィガロの結婚』を観た夜のことを訊ねた。
ミシェルはその夜のことを詳しく話そうと努力した。しかし苦労しても貧弱な言葉しか見つからなかった。彼は長広舌を振るえる話題に転化した。アンヌ=マリーその人に会って自分は決定的な衝撃を受けた、云々。
(単起的会話の挿入)生活を大きく変えられるって、ひどい迷惑なんでしょうね。
とんでもない!とミシェル。
この可愛いキリスト教徒を前にして、自分がますます不器用になっていくのを感じた。
二人は行ったり来たりしていた。アンヌ=マリーは、彼と一緒に四辻の外に出るのは不用心だと判断しているのにちがいなかった。
(単起的会話の挿入)「「おたすねしたいことがあるのだけれど… あなたは失望なさることがよくあるのかしら?」」
ぼくの人生なんて失望の連続ですよ、とミシェル。音楽でも絵画でも、最初の接触ではほとんどすべてに失望した。最初からぼくに衝撃を感じさせたものはほとんどない。一月六日という日がぼくにとって特別な日付なのはそのためなんです……。
レジスと知り合ってからは、失望を重ねることはなくなった、とアンヌ=マリー。レジスのそばにいると誰にも想像できないような幸せを感じる。過去の偉人たちと比べても、私たちのような幸福に恵まれた人は一人もいないと思える……。
たとえば、とアンヌ=マリーは言葉を継ぐ。私の指導に当たってくれているジュード神父も、私たちの関係には超自然的なものがあると言ってくださった……。
ミシェルは何か感動的な返事を口にするべきだったろう。しかし言えたのは「そうでしょう……もちろん……」という言葉だけだった。
ミシェルは自分のことを語ろうと試みたが、アンヌ=マリーは不信者であるミシェルの倫理などはさほど重視していないようだった。彼女がはるかに好奇心をみせたのは、ミシェルの知っているレジスのことだった。
二人で話し合っているあいだじゅう、アンヌ=マリーは真剣な表情を崩さなかった。
夜の食事はどうするのか、とアンヌ=マリーは訊いた。
そんなこと全然気にかけていない、とミシェル。
一月に比べるとずいぶんお痩せになったことよ……とアンヌ=マリー。
過労は自分から好んで選んだ状態なんです、とミシェル。
自慢の種には事欠かないのね……云々。
ここでお別れすることにしましょう、とアンヌ=マリー。
彼女は二度振り返った。しかしガンベッタ広場の明かりと車のなかでたちまち見失ってしまった。
「彼がほんとうに感覚をとりもどしたのは、ローヌ河を渡ってリヨンの中心街にたどり着いたときだった。」二ダースほどの通行人のうんざりするようなシルエット。明かりもついていない家々。
なんて陰気な町なんだ!とミシェルの独り言。
どうせ孤独な一夜をすごすのなら絶対的な孤独である方がよかった。
ミシェルは、先ほどの会話の記憶を即座に失ってしまいたかった。アンヌ=マリーを前にしての自分のぎごちなさ、おろかしさ。あれほどの熱望、祈願、執拗な術策のあげく、こんな結果しか得られなかった。
アンヌ=マリーと二人だけの時間を持つことができた。だというのに彼は、こんな応え方しかできなかった。一月以来アンヌ=マリーを求めてどんな叫びをあげたことか。だが、今後のアンヌ=マリーとの会話はすべて、この最初の対話と似たり寄ったりなのにちがいない。アンヌ=マリーは身も心もあげてレジスの方を向いており、この愛の影でミシェルにできるのは、耐えがたい役割を演じることだけだった。「レジスの接吻を受けるときのアンヌ=マリーはうっとりするほど魅力的だった。そのあどけない微笑、皮肉の切っ先で守られたやさしさ、情熱の炎をかくそうともせぬ大きな目。彼女がこれほどきれいにみえなかったら、ミシェルもこれほどには苦しまなかったかもしれない。卑劣な、嫌悪すべき嫉妬にさいなまれるよりは、むしろ即座に逃げだすほうがいい。しかし逃げだすには遅すぎた。それはみずからの生命を根こそぎにすることにほかならなかったから。」
孤独な散歩をつづけた。ふたたび自責の念にかられた。
レジスとアンヌ=マリーを非難できるはずもなかった。ミシェルの支離滅裂な感情などはるか下に見下ろすような高みで彼らは生きているのだ。
ホテルに帰る気には到底なれなかった。明かりのついているカフェがあったので入った。ミシェルはレジスのくれたアンヌ=マリーの封筒を取り出した。少しずつ絶望から抜け出した。
ホテルに戻り、物置になっている埃だらけのサロンの、従業員用のベッドでようやく彼は眠ろうとしていた。奥のガラス戸ごしに食事を楽しんでいる騒々しい連中。しかしミシェルは、どんなにおぞましい場所でもぴったり心を閉ざすすべを知っている。彼はつい先ほどの自分の弱さを憎み、軽蔑する。彼の抱いている愛は安易な配当など受け取ったりはしない。自信を取り戻し、剣のように純粋で忠実な心を取り戻さなければならない……。
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9−4
「濃い煙に汚れた白っぽい空が、大都会のうえを支配している。冬がいつまでもぐずぐずしている。川は青緑。四旬節の第三日曜日〔三月上旬〜中旬〕。黒く重そうな足取りの人々が、鈍重な生活習慣にはいつも広すぎる生気のない大通りを動物のようにさまよっている。糖尿病なのにちがいないふとったたばこ屋の親爺も、全能の不愉快なカフェのギャルソンも、ぬるぬるする歩道を室内履きで歩いている女工も、今日が幸福の日であることを知らない。」
レジスとミシェルはバージニア系の軽いタバコを買った。
(単起的科白の挿入)昨夜は二人で何を話した?とレジス。いろんなこと? それに三十分以上も? へえ、ぼくたちの幸福について?……
レジスは二人がこれほど急速に親しくなったのを喜んでいるうようだった。
アンヌ=マリーが来た。ミシェルがまだ知らない服装。
ブロンへ行こう、とレジス。市外電車の終点、郊外の町。レジスとアンヌ=マリーが初めて会ったのはその町でのことだった。
何人かのリヨンのブルジョワがその町に別荘を持っている。ランテルム家の別荘もあり、ほとんど真向かいにアンヌ=マリーの祖母の家がある。
(単起的会話の挿入)思い出話。最初のブルーイ以前のこと……。
アンヌ=マリーはここでミシェルを見たことがあると言い出す。一九二二年に、レジスのところにいらっしゃらなかった?
来ましたよ。
たてがみみたいな髪をしていたわ!
完璧な人相書きだね。
別荘のあたりを過ぎると、平地がゆるく下る。小石だらけの、焼きつくされて打ち捨てられた土地。
そうした惨めな背景も、恋人たちの歓喜にとっては何ほどのこともない。彼らは自由におしゃべりに耽った。沈黙さえ軽やかだった。
ミシェルの帽子が話題になったりする。
アンヌ=マリーはミシェルの将来について話題にした。
お父さまを継いで公証人になるつもりはないの?……
明るい青い目がミシェルを見つめる。そのからかいぎみの表情は、彼の形而上学の純粋さを試している。
いや、ぼくが天職と感じるのはむしろ抵当権設定登記者なんですよ……と切り返すミシェル。
レジスがアンヌ=マリーとの関係のことをどうミシェルに告白したのか、彼女は知りたがった。
それは役に立つはずだから……とアンヌ=マリー。彼女もまたいずれ家族に信仰をのことを話さなければならない。
あのときはまだあなたは荒っぽい護教論に身を委ねていると思い込んでいた……とミシェルは言う。
二人はアンヌ=マリーの知らないワーグナーの曲をいくつか歌った。アンヌ=マリーは笑い出す。
居酒屋が彼らに休み場所を提供した。入ろう、とレジス。
その店はひなびていて、客は農民たちばかりだった。ミシェルは高尚な省察のメモを取り出した。居酒屋の親爺も農民たちもみなけげんな顔をする。レジスとアンヌ=マリーは爆笑。
親爺が聞いてるよ、とレジス。
聞くがいい、とミシェルが大声で。
ミシェルも笑わずには読み進められなかった。ぼくらはとても偉大な人間だ。偉大な生を送るだろう……。アンヌ=マリーの目が輝く。それはもはやからかいではなく情熱の輝きだ。
アンヌ=マリーが自分のことを語る。
十三歳で信仰を失いそうになったこともある。十四歳から十六歳にかけての彼女はおそろしくコケットで、いつもご機嫌とりの男の子たちに取り巻かれていた。その男の子たちを心の底では軽蔑していた。レジスが彼女の心を捉えたのは、そのブルジョワらしからぬ振る舞いゆえだった……。
三人は帰途についた。市外電車で、彼らは宗教と哲学についてひたすら思索に耽った。アンヌ=マリーは大人しい小学生のように熱心に聞き入っている。
二十年後ミシェルが何になっているか、予想もつかない、とアンヌ=マリー。
ぼくには分かっているよ、ぼくたちは彼の書物を読むことになるのだ、とレジス。
彼女が「ミシェル」という名を口にしたのは初めてだった。彼は上機嫌でその予言を受け入れた。
アンヌ=マリーが自分の話をつづける。
「「レジスを知った日から、私はとても急速に進歩したわ。あのつまらないバカロレアのためにおない年の子たちといっしょに暮さなければならないけれど、まるで人形遊びする女の子たちに囲まれているような気がするわ。……」」今はギリシア語に夢中。他の子たちいは一番頭のいい子でも、プラトンを読むのに四苦八苦している。一人か二人を除けばまだ赤ん坊のような子たち。私の姉も、美人で何千万もの財産家、二十七歳で子供が二人いるけれど、その頭には白粉箱より思想が詰まっているとは言えない。それにうちの母はと言えば、私の勉強に不平を鳴らしはじめている。ギリシア語を勉強したって金持のお婿さんを引っ掛けられるわけではないと。ああ、私たちがブルジョワの愚かさについて話し合えるよう、ミシェルはまた来て下さるかしら?……
アンヌ=マリーは興奮する。
もし私が男で才能があったら、ブルジョワに対する痛烈な風刺を書くわ……。
レジスも笑っていた。
ご立派なカトリック信者たちがベッドや金庫のなかで何をしているのか、洗いざらい書くのよ。キリスト教世界の写生、それこそキリスト教徒のなすべきことなんじゃない?
ミシェルは小躍りした。すごい! もし彼女が聖女になるとしたら、武装した聖女、戦いの聖女になるはずだね。
三人は「古代広場」に着いた。ひとりの老人が立ち小便していた。アンヌ=マリーはミシェルとレジスを自分のまえにひき据えた。
あなたたち二人は他の人々のようじゃない、とアンヌ=マリー。二人のおかげで素晴らしい一日を過ごすことができた。
こういう話に虚栄心をくすぐられない男はいないものだ。
ミシェルが訪ねてくれて本当に励まされたわ!とアンヌ=マリー。
ミシェルは恐縮する。
レジスが言う、アンヌ=マリーの言う通りだ、君がいてくれるとぼくたちの自覚がいっそう強まる……。
ミシェルの心が解けていく。
ぼくとしては、君たち二人のあいだに割って入った闖入者に見えるんじゃないかと、そればかり恐れていたんだ……とミシェル。
そんな奇妙な気遣いはいらない、とレジスが断言する。
近いうちにまたあなたたちにお会いしたいわ。正直言って明日あなたがいないことを思うと、悲しくなる、とアンヌ=マリー。
いや、悲しがっちゃいけない、ぼくは悲しいなんてもう思わない、とミシェル。ぼくは弱い人間じゃない。そしてその力は君たちに由来する。君たちの幸福がうらやましい、しかしぼくの羨望に卑劣さは混じっていない。君たちはぼくの運命の方向を変えた。問題は絶対的無信仰者であるこのぼくが、君たちに合流する力を持てるかどうかなんだ……。
三人は横に並んで歩道の上を歩いた。
君たちの友達だと感じられるのは本当に嬉しい、とミシェル。勇気があったら明日も残りたいほどだ……。
それはいけない、失職してしまう、とアンヌ=マリー。でも聖霊降臨祭〔五月〕にはいらして!……
約束する、とミシェル。ぼくの言うことはおろかで大袈裟かもしれない、しかし、君たちはおよそぼくの知っているなかでもっとも偉大な二人の勝利者なのだ……。
でもその勝利者がこれから家族の食卓と対決するのよ!とアンヌ=マリー。
小路に笑い声を残して、彼女は小走りに姿を消す。
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9−5
ペラーシュ駅の軽食堂。相変わらず陰惨な場所。しかしミシェルはその醜さを踏みつぶすことができる。ついさっき彼はレジスと別れた。二人はアンヌ=マリーと別れてからビストロに入った。客の騒々しさはひどかったが、ミシェルにとってはそんな連中は存在しないも同然だった。レジスが彼に言った、君には歓喜がみなぎっている……。
その日は幸福のきわみだった。
この同じペラーシュ駅の軽食堂で、一月七日の夜、彼はたしかにアンヌ=マリーを愛していた。しかしそれは血迷った獣としてだった。そんな哀れな思い出はすべて、なんと遠く感じられることだろう! あのとき彼の腹に秘められていたのは、誘拐と復讐の本能だった。しかし愛は浄化され、最後の汚点が洗い落とされたのだった。
しかし驚きだ。つい昨日、かぎりない絶望に陥っていたというのに……。いや、ここには神経症の兆候など何もない。昨日はどんなに強固な人間でも疲労困憊し、動揺し、倒れてしまう瞬間だったのだ。しかしその瞬間は克服された。苦しみは消え去った。
アンヌ=マリーに自分の心を見抜いてもらうための策略などは不毛だった。一切の欲望を抑え、一切の手練手管を捨ててこそ、彼女の魂の兄弟となり、今夜のような澄み切った天空に到達できるのだ。
ミシェルがレジスに抱く友情も限りないものになっていた。大いなる平和がミシェルにもたらされた。未来が開かれ、それを超えたさらなる年月が見える。レジスはこう打ち明けていた。二年後の秋ぼくが修練院に入るとき、アンヌ=マリーはしばらく俗世にとどまることになるだろう。そのとき君は彼女の支えになってくれることだろう……。
レジスの無邪気さを笑う連中もいるだろう。だがミシェルに対するレジスの信頼は崇高なものだ。ミシェルはその信頼に立派に応えるだろう……。
もはやどんな犠牲でも自然で容易に思える。アンヌ=マリーとレジスは英雄であり、ミシェルは地上の兄弟だ。この三つの魂の冒険は人間の限界を超えたところで繰り広げられるだろう……。
疲れ切った肉体の痛みさえ、今夜は回復期のように官能的に感じられる……。
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9−6
四日後〔三月中旬〕、サン=タントワーヌ街の小部屋で話しているミシェルとギヨーム。
(単起的会話の開始)君の熱狂ぶりに水を差すようで悪いが、とギヨーム。君の友人のランテルムはたしかに見所のある若者だ。しかしおよそ現実離れした空想を引っ掻き回しているというのもたしかだ。彼が自分の愛にどんな目標を与えているにせよ、とどのつまりそれは、将来を聖職者生活と妥協させるためのかなり卑俗な努力にすぎない。
彼はリヨンの男にしてはなかなかの趣味の持ち主だ、とギヨームはつづける。ぼくは彼に好感を持っていると言ってもいい。だからといって意見を変えるつもりはない、司祭という存在は一切肯定できない。アンヌ=マリーとレジスはお互いを不幸にしようとしているだけではないか? 二人はすでに精神的衰弱の道に入っているのではないか? ぼくはあの善良なレジスを立ち直らせるために、手紙を書くつもりだ……。
ミシェルは曖昧な返事をしただけだった。ギヨームに同意はできなかった。しかし反論するのも難しかった。そんなことをしたら、依然として貴重であることに変わりはない友情を、残酷に断ち切ってしまう危険があったから。実際、ミシェルは思考はいまだ不確かだった。ギヨームは、言葉で言い表せない生命の根幹に関わる原則を見失っている……そんなことを言っても無駄だったろう。ミシェルはまだ、レジスほどの落ち着き払った確信と自信とを信仰に見出してはいなかったのだ。
ギヨームはジードの『狭き門』のことを持ち出した。あれが結論になるだろう……。
やめてくれ、とミシェル。あれは第芸術家の作品だ。しかし主人公とヒロインは間抜けなプロテスタントで、愛を前にした生気のなさと不器用さは腹が立つほどだ。主人公は一種の童貞で、女性の前に出ると抑圧されてしまう。アンヌ=マリーとレジスの場合は、逆に、愛の自然さは感嘆に値する。彼らは純粋で、すえた臭いなんかまったくない……。
ギヨームはミシェルが納得しないことに苛立った。ぼくが君の議論が空理空論であることを証明したことも一度や二度じゃなかった……。
しかしこれまでは完全に無償な児戯だったからね、とミシェル。
ギヨームはレジス宛ての手紙を書く計画をまた持ち出した。ミシェルは不安になった。
ミシェルはギヨームのアヴァンチュール(町外れの女の子)について言及した。
ギヨームは少し悲しげな顔になった。あんな話は大したもんじゃないさ。ぼくは彼女の手にあまるし、彼女はぼくにとって物足りない……。
「ミシェルとしては、自分の快楽と友人のそれを、これほど情容赦なくつきあわせる気にはなれなかった。」
今度リヨンに出かけるのはいつ?とギヨーム。
ミシェルは突然活気付いた。聖霊降臨祭〔五月〕の前後に訪ねることになっているんだ。ところが今朝、妹がちょうどその頃パリにやってくると知らせてきた。ぼくとしては妹と入れ違いになるのが一番いいんだが……。
ギヨームの顔が真っ青になった。
ミシェルはこの急激な動揺を見て驚いた。そして彼も何かを察した。
そうなんだ、とギヨームは自ら白状する。ミシェル、ぼくにも秘密があるんだ……ほかでもない、セシルのことなんだ。
いつから?
三年前、レパルヴィエールで……。しかしそのときは、そんな気持ちは隠し通そうと決心した。セシルは幼かったし、それに君の妹だったし。しかし、去年の夏ぼくの妹がセシルを家に招んで、セシルが一週間過ごした。自分が何一つ忘れていなかったのがすぐにわかった。いや、何もありはしなかったよ、彼女の方は何も気付いていないと思う……。
それにしても、なぜなにも言ってくれなかったんだ?
去年の十月〔3−3〕、リュクサンブールで、ほとんど口に出しかけたことがあった。ぼくが若い娘たちのことを話しはじめたことがあったろう?……
君もかわいそうに、ぼくはなんて鈍かったんだろう、とミシェル。ぼくが力になれることがあれば、いつでも当てにしてくれていい……。
▼第十章「キリストはよみがえった」
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10−1
復活祭〔三月末〜四月〕直前の日曜日、レジスと一緒にアンヌ=マリーもペラーシュ駅までミシェルを迎えに来てくれた。ミシェルは不快な驚きを感じた。三週間ぶりに見るアンヌ=マリーは、蝋人形のような顔をしていて、以前見出した魅力が見出せなかった。三人はフルヴィエールの丘に登った。
最近の日々を振り返った。互いに熱烈な手紙を書き合ったのだ。ミシェルは二人の友人と再会するのに聖霊降臨祭まで待ち切れないと判断した。ミシェルは授業が終わる二日前にブウールを発つことに成功した。たっぷり一週間はリヨンに滞在できる。なのに、アンヌ=マリーは生気のない萎れた顔をしていた。
(単起的会話の挿入)汽車の窓からブルーイがとてもよく見えたよ、とミシェル。
二人の魂を舞い立たせるつもりだった。だがレジスの反応は鈍かった。
アンヌ=マリーはブルーイと他の丘を混同しなかったと断言できるかしら?と茶化した。
「いずれにせよブルーイをめぐる抒情的展開は頓挫していた。」
四月一日は暑く晴れた日になりそうだった。アンヌ=マリーはいっそうやつれて見えた。
(単起的内語の挿入)こんな彼女をみたらギヨームはなんと言うだろう……とミシェルは思う。尼僧そのものじゃないか……。
レジスの服装も無様だった。
三人はフルヴィエールの高台にたどり着いた。太陽が遠い田園や丘を照らしていた。
(単起的科白の挿入)なんと多くの鐘楼がそびえているいことだろう!とレジス。これこそリヨンだ。
鐘楼が九時を告げる鐘を鳴らした。
ここまで登ったんだからバジリカ会堂へ入ろう、とレジス。
アンヌ=マリーとレジスは聖水に二本指をひたし、あとは側廊を一回りしただけだった。
(単起的内語の挿入)だだっ広いだけで壮大さはない、とミシェルは思う。金が掛かっているのは分かるが、芸術家のアイディアは一つもない……。
ミシェルは正直に感想を述べた。
レジスの方は、六歳の頃からキリスト教世界の傑作だと家族に教え込まれてきた教会堂を非難することはあり得なかった。
周辺の街路にはおぞましい信心聖具を売る店がいくつか並んでいた。
そんなものは見ないでくれ、とレジスが言った。
彼らはまた丘を降りていった。
(単起的科白の挿入)ああ、ここほどくつろぎを感じ自分自身になれる場所は他にない……とレジス。ミシェルにとっては、きっとパリの方がぴったりだろうが。ところでその帽子をぼくが被ってみたらどうだろう?
アンヌ=マリーが叫んだ。そんなことしたら、絶交の種になりかねないわ!
してみれば、もっとも繊細な色合いの帽子を選んできたのも、無駄ではなかったわけだった。
レジスが右側に見える大きな建物を指して、言った。リヨンのイエズス会の建物だ。早くあそこに閉じこもりたい、あの灰色の扉を超えたときに真の生活がはじまる……。
ミシェルに言わせればとんでもない話だった。そんなことを聞いても思い出すのは寄宿学校時代の嫌な記憶ばかりだった。いたるところで見張っている神父たち、まずい料理、驢馬の鳴き声のような単調な祈祷の朗読、際限なくつづく倦怠……。
そしてアンヌ=マリーは蝋燭みたいな顔色をしている──あらためてそのことを認めざるを得なかった。
彼はリヨンにさらなる失望を覚えた。しかし彼は、疑念や失望や不機嫌に打ち勝つ力を身に付けるべきだった。
ミシェルは厳粛に謳い上げた。今朝、外観は不確かであり人々を失望させる。しかしこれらの現象を超えた彼方に本質の世界が存在する……。
アンヌ=マリーが叫んだ。なんという名調子でしょう。イヴォンヌ・アジュロンが聞いたら感嘆のあまり呆然とするでしょう。
それは誰のこと?
アンヌ=マリーの友達でまずまずと言える唯一の人だ、とレジス。
まずまずというよりずっといいわ、とアンヌ=マリー。
そのイヴォンヌもレジスとアンヌ=マリーの関係のことは知っているらしい。つまり、ぼくと対をなしているわけだ、とミシェル。
イヴォンヌは私たちトリオの交わす会話を聞きたくてうずうずしてるわ、とアンヌ=マリー。
レジスはそれを快く思っていないようだった。
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10−2
(単起的会話の開始)「「考えてもみてくれ」翌日の夕方レジスがいった。「家に帰ったら君の友達のギヨームから長い手紙がとどいていたんだ。引出しに入れておいたけれども、よければ読んでもいいよ。あいつはほんとにいいやつだね。真情あふれるっていうのかな。しかしここだけの話だが、ちょっとぬけてるね。……」」ぼくの役に立ちたいと言いつつ、ぼくの考えに異議を唱えている。無神論者として。ギヨームの書いているのは初歩的な宗教批判だ。とにかくこいつはぼくからは遠い存在だ。君からもと言ってもいいと思うが。ぼくとしてはあたりさわりのない返事を書くだけにするつもりだ……。
ミシェルはほっとした。ギヨームはあまりへまをしなかったのにちがいなかった。
レジスは言葉を継いだ。ギヨームの手紙にはいくつかあまりよく意味の取れないほのめかしがあった。君から聞いた話では、彼は女性に対して節操ない男に思えたんだが。彼は今どういう状態に置かれているんだろうか。
それはぼくが説明できる、とミシェル。
(回想のディエゲーシス)「サン=タントワーヌ街の部屋の、思いがけないギヨームの告白のあと、ながながと打ち明け話がつづいたのだった。」ミシェルはその話を要約してレジスに伝えた。ミシェルは実感のこもった言葉を選ばずにはいられなかった。ギヨームは救いもないままにひどく不幸な日々を送っていたのだ。セシルの忍耐づよさも注目に値するように思われた。
これはアンヌ=マリーとレジスの件に付け加えられたもう一つの幸福な事件なのだ、とミシェルは言う。
さらにつづけて言う。結婚はさしあたり問題にならないだろう。ギヨームは愛する者を我がものとするために頭を垂れて祭壇に駆けつけるようなやつじゃないからね……。
レジスが舌打ちをする。
セシルがパリに来るのを遅らせることはできないかな?とレジス。
なぜ? 家族の許しは出ている。彼女も分別の年頃だし、ギヨームの振る舞いもまれな繊細さに満ちている。全然問題はない、とミシェル。
二人は黙りこくったまましばらく歩いた。ミシェルは相手の口数の少なさにとくに不安など覚えなかった。「ミシェルは、自分たちが外出したのは、かなり弁舌さわやかだという評判の四旬節の説教師を聞くためだったのを思い出した。」
いや、ロレ神父に聞きに行ってくれと頼まれただけだけれどね、とレジス。ふたたび打ち解けた様子に戻って。
ミシェルもお人好しな調子で話を合わせた。
説教はすでにはじまっており、教会はすし詰めだった。この四旬節の説教はかなりの教養を備えた聴衆を対象とするもので、参会者は財布をたっぷり膨らませているリヨンのブルジョワが多かった。彼らは説教壇の下で自分たちの金庫を是認する言葉を耳にすることに満足するのだった。ミシェルの目には、この儀式はかなりエキゾチックに思えて退屈はしなかった。
説教師はいかにも男らしい美丈夫で、下品ではなかった。彼は修道院と同様の禁欲生活を説くつもりはない、と言い放った。彼の口では神の要求もやわらげられた。
ミシェルは説教師が発声法に凝っていることに気づかずにはいられなかった。
いまや説教師は色欲に関する聖パウロの断章を読み上げていた。歓喜、豪奢、芸術? いずれも結構……しかし獣なのです!
(単起的内語の挿入)どうしようもなく古ぼけた紋切り型になってきたぞ、とミシェルは思う。
神父の長広舌はさらにつまらない常套句ばかりになっていった。レジスがミシェルの袖を引いた。
「「出よう。これ以上聞いてもなんの足しにもならない」」
外に出ると、儀礼的にミシェルは説教を評価する言葉を口にした。
彼らにとってはあれが職業だから、いろいろと手段を利用するわけだ、とレジス。
サン=シェリーの頃の素人芝居から代わり映えしないな、とミシェル。あの坊さんの顔は感じ悪くなかった。しかしあのご立派な絹織物業者たちに対する、なんて古い喋り方なんだろう!
とことん君に賛成するわけにはいかないが、しかし完全に間違っているとも言えない……とレジス。今日の教会の人々で神の代理という任務を与えられていることを感じているものがきわめて稀れだということは、ぼくも認めざるを得ない……。近代生活に適応した信仰は大抵は安物だ……。
彼らの顔を見ただけで分かるよ、とミシェル。
ぼくはおそらく君以上に反教権的だ、とレジス。なぜならぼくの方が実態をはるかによく知っているから。道徳生活の鈍磨、教養の低下、聖職者の水準は下がっている。凡人どもが好まれる。民主主義というやつだ。さっきの説教師みたいな坊さんにできることと言えば、せいぜい因習を守ることぐらいだ。
ミシェルは同感する。
建設的な神学者なんて数えるほどしかいない、とレジス。宗教思想に新しい生命を吹き込むのは、宗教とは無縁な哲学になってしまっている……。
「「もったいぶった老女や公園の椅子係の女が十万人、或いは野蛮な黒人が百万人聖体を拝領したからといって、プロレタリアの唯物論の埋め合わせにはならない。プロレタリア自体のためにも、現代の均衡のためにも、宗教は絶対に必要だというのに」」とミシェル。
カトリック教会の大部分は馬鹿げた戦いをしている、とレジス。教会は、四年間も殺戮を目のあたりにしながら受動的な証人にとどまり、さもなければあちらこちらでさまざまな派閥の盲目的愛国主義に追随した。四百年前から断ち切られてしまったキリスト教世界の和合をふたたび鍛え上げるのにこれ以上の好機はないのに……。ぼくはどちらかというと「アクシオン・フランセーズ」の連中に賛成だ。俗世が幅をきかせすぎている。しかもその俗世がときにはくだらない政治ごっこに堕してしまう……。教会は絶対的支配者として、崩壊した世界の再建に取り組めるはずなのだ……。
ミシェルはレジスの言葉に感嘆した。彼はレジスが真の天才を宿しているように思われた。彼はキリスト教信仰を世界レベルにまで強めていた。彼一人だけでもニーチェへの反論として十分かもしれなかった。司祭一般に対する嫌悪感をレジスとともに語り合うには言葉を控える必要がある──それまでのミシェルはそう考えていたのだが、今や洗いざらいぶちまけてもかまわないのだった。レジスはその信仰ゆえに現在のカトリック教会に対するもっとも厳しい裁き手となっていた。中世の聖人たちのように。「彼〔ミシェル〕は信心に凝り固まった連中の化けの皮をはがし、リジューのテレーズをめぐるフェティシズムを罵倒し、修道女や慈善事業にのめりこむご婦人どもを裸にし、司教どもを絞首台にかけはじめた。彼は大ミサの単調な声や、罪の許しの潅水器をまねし、ことのついでにブウールの少年愛にふける神父たちにかみつき、教皇大使をまねて目をやぶにらみにし、後生大事に掟を守るブルジョワどもの風俗や挙動を攻撃した。レジスは聞いていた。最初は同意していたが、やがてすこしずつ物思いにふけり、最後には距離をおく感じだった。」
話はその辺りまでにしておこう、とレジス。二人はレジスの家の前に戻って来ていた。
レジスの部屋へ上がった。部屋は小さかった。書棚の書物は大分洗練されていた。
ミシェルはランボーに手を伸ばした。冒頭の一句を口ずだんだ。「神の聖なる淫売宿!」
レジスは微笑した。
レジスの両親は静かな寝息を立てているのにちがいなかった。レジスは天井の明かりを消した。
レジスが言った。「「これ以上ぐずぐずせずにただちに本質的なことを話しあおう。……」」
この前の旅行以来、ミシェルもこの瞬間を待っていた。彼はまだ信仰に確信が持てないでいた。形而上学者たちの等式や神秘思想家たちの照明や自分自身の異議などのあいだで、踏み迷っていた。
まずは告解室の言い方をするよ、とレジス。君は自分の内面に本当に疚しさはないか? 最善を尽くして自分の義務を果たしていると断言できるか?
断言はできない、とミシェル。ぼくのあやまちや欠点は数え切れない。小さな欠点ではあるかもしれないが、寄せ集めれば意志にとっては大きな敗北だろう。
君の最近の手紙を読めば、君が緊張感を保ちながら働いているのは明らかだ……とレジス。だが慎重さの罠にはまり込んでもいけない。渡した読書リストについてだが……。
注意深く、良心的に読んだよ、とミシェル。一月来、ぼくは相当量の護教論、注解、神学書、哲学書を吸収し、注釈を付け、省察をめぐらした。だがその結果はどちらかと言えばネガティヴだ。信者の思考体系を理解する、しかしそれが肌に沁み込むことはない。
そうだろうとは思っていた、とレジス。君はあまりにも生気に満ちているから、進歩がブッキッシュなものにとどまるはずはない。トマス・アクイナスが啓示の手段になった人々もいるだろうが、ぼくたちはそういう類いの人言じゃない。ぼくの信仰の基盤はよそにある。君ももしかしたら、君自身思っている以上に、教義の文字面を前にして君が感じる退屈以上に、はるか先まで神の道を歩み進んでいるのかもしれない。
ぼくもときには直感的にそう感じた、とミシェル。ぼくは生まれてこのかた一瞬もカトリック教徒だったことはない。精神が未発達なまま宗教に取り込まれる九割がたのカトリック教徒とはぼくは何の関わりもない。ぼくには自分の背丈に合った宗教が与えられなかった。
たしかに君は子供の頃の宗教教育に立ち返るような人間じゃない、とレジス。
絶対にそうじゃない、とミシェル。ただ同時に、ぼくは悪や善や永遠などといった問題から離れて、取るに足らぬ生活をただ送っていられる連中を軽蔑していた。そしてあの一月六日がやってきた……。ぼくはぼくの不信仰が似非カトリック信仰からの離脱に比べて自分により相応しいものでないことを認めた……。教義に対する異議は依然としてある。だがア・プリオリに克服不可能な異議があると言い切ることもできない。しかし君たちの例をみて、カトリック信仰がぼくにとってひとつの可能な解決法だということをぼくも納得したのだ……。自分を卑小にすることなくカトリック教徒になりうることがぼくにも分かったんだ。ぼくたちが話題にした書物は、ぼくの趣味からすれば受け入れられない。しかしそれらの書物との取り組みこそ、ぼくの意欲の証しであり鍛錬なのだ。君にもっと積極的なことを何一つ言えないのは残念だ。だが率直ではあったつもりだ……。
レジスは満足げだった。
ミシェルは自分が結局曖昧さに頼ってしまったのではないかとすぐに反省した。だがその反省も、いざというときのための退路を確保しておきたいという欲求を伴わずにはいなかった。
ぼくは自分が神を信じているかどうかさえ分からないんだ、とミシェルは言った。
君は邪魔物を片付けつつあるのだ、それこそ再建のための第一歩だ、とレジス。
しかし宗教書を読めば読むほど、障害が増えてくるように思えることもある……とミシェル。
ついさっき君は、ア・プリオリに解決不能なものは何もないと思えると言ったじゃないか、とレジス。ぼくは確信している、君にとって問題なのは教義に関する知識ではなく、人間的な問題なのだ、心広く全面的に受容することなのだ……。神の御手に君自身を委ねることなのだ。君は自分を卑小にすることなくカトリック教徒になる可能性について語った。ああ、すでに君は無数のこちこちの信心家よりどんなにキリストを信じていることか!
二人は黙り込んだ。
ぼくにとっては、カトリック信仰だけが唯一の解決だとは断言できない、とミシェル。
いや、君はとても偉大な人生の理想を抱いている、それはカトリック信仰の外では実現できない。カトリック信仰がなければ、君は宿命的に凡庸な連中の群れにふたたび落ち込むしかないのだ。カトリック信仰の本質はたった一つなのであって、各人がそこに個人的信仰を備え付けるというわけにはいかない……。
レジスの部屋は簡素で、瞑想には打ってつけの場に見えた。
ぼくがいつか改宗するかもしれないとして、とミシェルは言った、君たち二人の果たした役割は決定的なものと言えるはずだ。
しかしぼくは神の摂理の道具だったにすぎない、とレジスは応える。
大きな沈黙がつづいた。
レジスは溜息を吐いて言った。ここにアンヌ=マリーがいればよかったのに……彼女にはこういう会話を是非聞いて欲しいんだ。
今日の彼女の顔色は良くなかったね、とミシェル。
レジスはそんなことには気づかなかった、と言う。
ミシェルはふと思い付いたことを口にする。君たちがカトリック信者でなかったら、ぼくたち三人が一緒に探究していくのだったら、もっと良かったかもしれない……。
レジスはそれを否定する。むしろ君への恩寵の到来を早めるためにぼくたちが祈ることが、ぼくたちのカトリック信仰を強めている……。「探究」はそんなに辛いだろうか。
ミシェルは応える。返事はウィでありノンだ。たしかに努力は辛い。しかし今ぼくがいる状態は一種の晴朗さなんだ。
二時近くになっていた。タバコの煙が部屋に立ち込めていた。
今夜はこれ以上喋っても実りはないだろう、とレジス。それにしてもなんて素晴らしい宵だったろう。もう一つ言いたいことがある。ぼくたちに対する君の純粋な感情には感嘆する。他の連中だったら嫉妬するやつらがどんなに多いか!
ミシェルは掠れ声で応えた。「「一月にもし君が彼女にふわさしくないと判断していたら、君を殺すところだった。さいわいそうならずに、ぼくたちはこの世にまたとない親友だ。一月にすでにぼくは、ぼくたち三人の今日の友情を正確に予感していた。ぼくにとって他の希望はない、しかし同時に、そういう友情はおよそ実現不可能な狂気の沙汰のようにも感じていた。レジス、君が君でなく、ぼくがぼくでなかったら、一月六日に君のやったことは、このうえなくとほうもないへまになっていたにちがいないんだ!」」
ミシェルは自分を襲った危機をこれほどはっきりレジスの前にさらけ出したことはなかった。彼らは家の外に出て話をつづけた。
レジスが言う。君の将来のことで心配なことがもう一つある。女性のことだ。
いや、ぼくが君たち二人のことを本当に理解したのだったら、ぼくがぼくの人生で、或る女との愛を望めると思うかい?……とミシェル。
街路は夜の闇に落ち込んでいた。
ぼくは愛について抱いていたもっとも美しい希望を捨てた、とミシェルは言葉を継ぐ。ぼくがそういう希望や期待を失ったのは君のせいだ、しかしそれは必要なことだったのではないか? ぼくは君たちの素晴らしい愛に感染した、その先は果てしない諦めしかないのではないか?
レジスはミシェルの勇気に感嘆した。
しかしいまやぼくは、君たちの素晴らしい友情というこの上なく力強い慰めをすでに得ているのではなかろうか、とミシェル。君たちに望むのは、ぼくを失望させないでほしいということだ。これは絶望という悲劇ではない。今晩「ぼくもキリストのもとにいる」と君に言えたらいいのにと思う。もしかしたらまもなくその言葉を聞けるかもしれない。そう期待してくれていい……。
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10−3
「聖週間に入っていた。その年、リヨンの四月の空は雲にとざされていたり変化がはげしかったりして、なかなか微笑をみせようとしなかったが、ミシェルはたちまちパリの熱情をこの町の風土にあわせたのだった。背景や気候にあれほど敏感なミシェルだったが、いまは内面で燃えさかる炎がその代わりになっていた。」リヨンはミシェルには神秘的な美を見せはじめていた。
二人の若者は倦むことなくボイラーを焚きつづけた。一分でも無駄にしてはならない。二人は並んで歩きながら、神の本質、神の超精神的認識について、広汎な議論をかわすのだった……。
ラ・ギヨチエール界隈の小路の一つでアンヌ=マリーと合流するとき、それまでの熱っぽい議論を彼女の前でもつづけることがあった。彼女は注意深く聞き入っていたが、話が信仰と美徳の具体的なことになると、決然と議論に割って入った。彼らは行きつけの店として庶民的なカフェ、「カフェ・アルプス」を選んでいた。ニスを塗ったテーブル、衣装棚、食器棚……。その奥の部屋の静かさと雑多さを彼らは気に入った。
ミシェルはアンヌ=マリーの明るい叡智に飽きることがなかった。
(括復的会話の挿入)十年前から彼女を知っているような気持ちだ、とミシェル。ぼくは彼女に馴れ馴れしすぎると思うかい?
何馬鹿なことを言ってるんだ、とレジス。
聖水曜日、待ち合わせにやってきたアンヌ=マリーはちょっとした泣きの涙だった。
(単起的会話の挿入)ミサからイヴォンヌ・アジュロンに付きまとわれてるの……とアンヌ=マリー。私たちの会話にほんの一時間迎えてあげたら彼女はきっと喜ぶと思うんだけれど。
来るように言ってきて……なんていう厄病神だ!とレジス。
若い娘と手をつないでアンヌ=マリーがふたび現われた。イヴォンヌは俗っぽく月並みな容姿。何かというと大声で笑い出した。
イヴォンヌをまじえた散歩は耐えがたかった。彼らはでたらめな冗談を飛ばした。アンヌ=マリーの前であまり無作法を演じたくなかったミシェルは、一、二度高尚な考察を持ち出して会話をリードしようとしたが、無駄だった。イヴォンヌは何を言いかけてもきちんと言い終わらず、狂ったように笑い出すのだった。最後の方になって、ようやくピアノ曲についてミシェルとまともな話をすることができた。やがて急用で帰った。
アンヌ=マリーはむくれていた。
(単起的会話の挿入)そんなこと言ったって、ぼくらは彼女とほとんど面識がない、とレジス。彼女相手にいきなり宗教議論をぶつけるわけにはいかないじゃないか……。それよりも、君がお昼前に告解しなければならないことについて考えよう……。
どの神父に告解するかを話し合う。
彼らがミシェルを連れて行った教会は、いかにも町外れの教会という感じだった。ミシェルは柱に寄り掛かったまま、目の前で祈っている友人たちを眺めていた。陽気な若い娘の感じはアンヌ=マリーにはもう全然残っていなかった。
薄汚れたシャツの若い神父が現われた。醜い顔をしていた。ギヨームだったらこの神父を憎んだに違いない。しかしミシェルは? 不屈のニーチェ主義者がその不恰好な神父のそばに突っ立っているのだ。
(単起的内語の挿入)ミシェルは考える。こんなところにいる自分を大目に見るなんてことがなぜできるんだろう。こんな外見を乗り越えて、レジスとアンヌ=マリーたちの栄光ある調和のなかに入るには一体どうすればいいのだろう……。
レジスが最後の告解者だった。彼らの魂がこんな神父たちに委ねられるのは耐えがたかった。
(単起的内語の挿入)ミシェルは思う。自由精神こそが芸術家としてのぼくの生を強固に支えてきたものだった。それを放棄しなければレジスとアンヌ=マリーに追い付けないということだろうか? それは浄化だろうか? それとも退化だろうか? ……いや、こんな馬鹿馬鹿しい教会や赤ら顔の司祭なんかに決意を左右されてはならない。こういうことはぼくの行く手にあらかじめ予想されているものだ。ぼくと同様レジスの目にも彼らの膿疱は映っている、そういうどうでもいい現象に振り回されるのは止めよう……。アンヌ=マリーが祈っている。やがて彼らは立ち上がってぼくの方を見るだろう。同じ思いに耽っていたような振りをしよう……。
(単起的会話の挿入)あの善良な司祭は、本当に心の底からのお話をしてくださったわ、とアンヌ=マリーが言った。ミシェルは反感のさざ波を感じた。
さらにアンヌ=マリーがからかい気味に言う。ミシェルはとても節度があったわ。教会のなかでもちゃんとできるのね。でも、そのあいだ縮れ髪の下ではいろんなことが駆け巡っていたんでしょうね、そうに決まってるわ。
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10−4
その日の大事件は、大劇場における『トリスタン』の上演だった。アンヌ=マリーがこの作品を聞くのは初めてだった。
レジスはアンヌ=マリーがその晩この音楽を到底入り込めない量塊と受け取るのではないかと恐れていた。彼は楽譜を元にしょっちゅう解説してみせた。
彼らは優雅なブロットー界隈で、午後のはじめ若い娘と落ち合うことになっていた。都会の煤煙を免れている界隈だった。霧雨が降っていた。
踊るような軽やかな足取りでアンヌ=マリーが急に姿を現わした。衣装の詰め込まれたボール箱を腕に抱えていた。裕福なパスタ製造業者と結婚した姉からのプレゼントだった。
(単起的会話の挿入)衣装についての会話。風変わりな帽子について。
ボール箱を持ちましょうとミシェルが言う。
あたしのドレスをあなたの恋人たちに配ろうというんでしょ?とアンヌ=マリーがからかう。もうリヨンにも愛人がいるんでしょう……。
そういう誹謗のつぐないに、いますぐそのボール箱をぼくに渡しなさい、とミシェル。
戯れの争いの種になったボール箱は破れはじめていた。アンヌ=マリーは中味を点検した。華やかなドレスの数々を腕に掛けて振り回した。高価なドレスを無造作に扱った。
やれやれ、子山羊みたいに跳ね回って……とレジス。
そんなこと言ったって、この界隈のせいなんだわ、とアンヌ=マリー。周囲のブルジョワたちをこき下ろしまくる。この家並みの正面を見ていると赤んべえをしたくなるわ。絨毯、階段の手すり、給仕頭、シャンデリア、札束の匂いがぷんぷんする。スープ鉢みたいに馬鹿なのに、自分じゃとてもスノッブなつもりでいる。姉の家はもっと酷い。いつか姉がお茶会でも開くとき、ぼろをまとってその戸口に立っていたいわ。そして物乞いするの──「不幸な娘におめぐみを! キリスト教徒の美徳の見本みたいな父なのに、餓え死しそうなんです……」ってね。芸術万歳! 愛にも万歳!
レジスは微笑を浮かべていた。君のお父さんがキリスト教徒の美徳のお手本だなんて、そんな話は聞いたこともないよ!
その場にぴったりの台詞なのよ、とアンヌ=マリー。
ミシェルは嬉しくて気を失わんばかりだった。アンヌ=マリーがこういうボヘミエンヌだとは、愛すべき発見であり、あらたな友愛の記しだった。作法などそこのけで跳ね回っていても、アンヌ=マリーは依然として品の良い魅力を保っていた。今朝は、彼女は聖女のように祈っていたのに。この対照は豊かで独創的だった。アンヌ=マリーはおよそ真似できない炯眼さをもって周囲に生気を振りまいていた。
まもなく『トリスタン』が聞けるはずだった。カフェのなかで彼らのまえに置かれているのは温いコーヒーとレモネードだった。しかし彼らの頬は飲み干す種類のものではないアルコールで燃え上がっていた。
アンヌ=マリーはやがてマントを脱いだ。濃いグリーンのビロードのドレスを着ていた。ミシェルは顔が赤くなるのを恐れた。そんないでたちの若い娘を見たのは、最初の晩、コンサートの夜だけだったが、あのときは遠く離れていた。彼はまたしても新しいアンヌ=マリーを発見したのだ。その素肌は、貧しく月並みなカフェのなかでは二重に輝かんばかりだった。
とはいえアンヌ=マリーの仕草や身振りには露ほどの媚びもなかった。ミシェルはおかげですぐに心のくつろぎを取り戻すことができた。
(単起的会話の挿入)まもなく夏服姿のあなたが見られるわけですね……とミシェル。さっきボール箱の底の方に、素晴らしいモロッコ縮緬のドレスを見掛けたような気がするけれど。
アンヌ=マリーは目でミシェルの目聡さを褒めた。彼女はそのドレスを描写した。レジスの顔が曇った。
肌を出しすぎじゃないか、とレジス。
あなたは私の素肌がそんなに嫌いなわけ?とアンヌ=マリーは抗議する。
ぼくは一年半前からいつも短すぎるスカートのことで君と言い合っている、とレジス。
まるで夏になるのを恐れているみたいね、とアンヌ=マリー。
精神的にも肉体的にもしまりのなくなる季節だからね、とレジス。
レジスがこういう厳格さの発作を引き起こしたのは、レジス自身、マントを脱いだ彼女の素肌を意識したからかもしれない。ミシェルは他のときだったらきっとこう考えただろう──何の罪もない些事から肉欲の口実を作り出すのは馬鹿げている、それこそキリスト教道徳の業の一つだ……。
ミシェルは彼女の美しい腕に感嘆していた。彼がこの女性の肉体に覚えた官能は純粋無垢なものだった。エロティスムのなんたるか、彼の知るところではなかった。そんなものは押しもどす必要さえなかった。レジスは純潔だったろうが、ミシェルもそれに劣らずその愛の本質を理解していた。ミシェルの心臓がこれほど強く脈打ったことはなかった。彼女は二人の力の泉だった。彼らの肉体の細胞一つ一つ、魂の襞の一つ一つが叫び立てるこの心理は、いっさいの分析を免れていた。内語。「分析」が十八番の心理学者たちが、二十日鼠の研究にのめり込む理由がますますよく納得できる……。
雰囲気が落ち着くと、レジスはミシェルと議論を交わしたときのメモをアンヌ=マリーに見せた。ミシェルは動かなかった。アンヌ=マリーのそばに席を移して、彼女の裸の腕に惹かれたのだとレジスに思われるのが嫌だったから。
(単起的会話の挿入)レジスがメモを読み上げる。或る種の苦行僧は恩寵を忘れ、苦行や犠牲それ自体を目的と見なしたい誘惑にかられる……。
ずいぶん色んな誘惑があるのね、とアンヌ=マリー。
正真正銘の聖人を神が見捨てることは絶対にない、神の要求と同じく恩寵も、地上の被造物の力に比例して強まるのだ……とレジス。
その議論にふたたび心を捉えられたミシェルが言う。フェルメールのような大画家の場合も同じだ。偉大な人間活動においては、完璧な内的論理が支配して、一筆足りとも動かしがたいように思われる……そういう完璧さにどうやって到達するのか? 説明不可能なものが作用している……天才! 恩寵!
ぼくだったら喩えにダ・ヴィンチやレンブラントを持ち出すだろうね、とレジス。フェルメールは小匠だ。
ミシェルは抗議する。ダ・ヴィンチを最大の画家とみなすのは、絵画というものを感じない連中だけだ……。
アンヌ=マリーは絵画を論じることに付いていけず戸惑う。
脱線は止めよう、とレジス。話を本筋に戻そう。ぼくがミシェルを信頼しているのは、その謙虚さゆえだ。謙虚さこそ完璧さに通じる最大の近道なのだ……。
でも聖人になりそこねた人も無数にいるわね、とアンヌ=マリー。
それを考えると恐ろしくなるね、とミシェル。
ぼくたち二人もまだほんの一歩を踏み出したばかりなんだ、とレジス。ブルーイは序曲であるべきだ。
(ディエゲーシス)「一九二五年四月のある日、二人の学生と少し胸元を空けすぎた一人の女学生が──三人あわせても六十歳にならなかった──人工レモネードを飲みながら塗装工たちの出入りする安カフェで打ちとけて話しあったのはそういうことだった。」広範な思想の交換。タバコを補給するためにミシェルは一度外に出た。戻って来ると、友人たちは恋心に誘われるままに壁沿いのベンチで抱き合っていた。
二人とも我を忘れ、ミシェルが入って来たのに気付いた様子はなかった。
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10−5
『トリスタン』が演じられている。
『トリスタン』と、愛する女性。驚嘆すべき至福。鳴り響くオーケストラ。思いもかけなかった細部が姿を現わす。それは素晴らしい快楽だ。しかしほどなく幕が降りる。
ヴィラール家の面々もアンヌ=マリーと一緒に劇場に来ていた。ミシェルは紹介されないことになっていた。それは構わなかった。
アンヌ=マリーはレジスの隣に席を取ることができた。イヴォンヌ・アジュロンも劇場に来ていた。観客席のなかに、恐るべき親戚関係の面々や、サン=シェリーの同窓生たちがいるのを認めた。幕間にそんなものに出会うのはまっぴらだった。レジスとアンヌ=マリーは喫煙室に行ったが、ミシェルは一人でいた。
孤独がミシェルを音楽に集中させていた。
イゾルデは死んだ。アンヌ=マリーは帰って行った。レジスとミシェルはローヌ河の岸辺をたどって一緒に帰った。
(単起的科白の挿入)レジスは有頂天だった。アンヌ=マリーはすべてを理解し、すべてを感じ取っていたよ……。ブルーイの夜を経験していなかったら、今夜ぼくたちは一緒に過ごすもっとも美しい一時を持ったと言えるだろう……。
なぜミシェルは彼らと合流しなかったのだろうか。音楽から得た喜びも消え失せた。ミシェルがトリスタンの役を演じることはなく、彼らが聞いたように『トリスタン』を聞くことも決してないはずだった。
アンヌ=マリーは君とちょっとでもいいから話したいと言っていたよ、とレジス。
その気配りも、ミシェルの後悔と無念さをいっそう募らせるだけだった。
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10−6
翌日の夕方アンヌ=マリーは、母親やイヴォンヌと一緒にクラヴェーゾルという村へ出掛けることになっていた。
三時間ご一緒できるわ、とアンヌ=マリー。いろいろ買い物をしなければならない。
アンヌ=マリーの顔色から、ミシェルは彼女が『トリスタン』を我がこととして生きたことを見て取った。彼女はあの前代未聞の音楽に入り込んだのだ……。
彼らは歩きながらワーグナーについて語った。
今はあなたにも『トリスタン』の素晴らしさが分かったでしょう……とミシェル。
アンヌ=マリーは商人との駆け引きに並外れた有能さを発揮した。女性的現実主義の見事な例だ、とミシェルは心のなかで褒め称えた。
イヴォンヌが一時この三人組に加わるのに成功していた。
二人の娘は若者たちの数歩前を歩いていた。イヴォンヌの陽気さは見せかけにすぎず、要するにアンヌ=マリーを真似ているだけだった。
彼女たちのあいだで「アシル・デュ・バルタス」という人が話題になっているようだった。
誰のことですか?とミシェル。
あなたのことよ、とアンヌ=マリー。アンヌ=マリーの母親が昨夜、レジスと一緒にいるミシェルを見て誰なのかとアンヌ=マリーに訊ねた。アンヌ=マリーはあれはパリから来たアシル・デュ・バルタスさんという音楽家だ、とふざけて答えた。
母親は大いに関心を持ったらしい。母はロマネスクなものにとても敏感な人なの、とアンヌ=マリー。
彼らはカフェ・アルプスに立ち寄り、「古代広場」にももう一度行った。ミシェルには悲しみはまだあった。気を紛らわせるのに、死という話題以上のものは考えられなかった。
ぼくたちの誰かが、今ここで死んでしまうようなことがあれば、残された二人にとっては当惑の極みだろうね……とレジス。
そうなっても修道院に入ると決めたことは何も変えないわ、とアンヌ=マリー。でもレジスが死ぬなんて! なんて恐ろしい!
ミシェルが死んだら? 私は身体中の涙を全部しぼって泣くわ、とアンヌ=マリー。
もうこんな話はやめよう。面白くもなんともない。
次に出会えるときの話題に。聖霊降臨祭。そのあと、バカロレアと学士号試験が済んだら、レジスとアンヌ=マリー二人でパリに来る……。
ミシェルとアンヌ=マリーは友愛に満ちた目を見交わした。
分かった、と突然レジスが言った。アンヌ=マリーはミシェルに恋をする、そしてぼくは寝取られ司祭として穴に逃げ込むというわけだ……。
レジスは大笑いした。ミシェルはこの種の冗談を心から楽しんだことは一度もなかった。かなり不愉快に心に突き刺さった。
古代広場でアンヌ=マリーと別れた。ミシェルが先に待ち合わせ場所に行くことにした。振り返ると、二人の恋人が熱烈に抱き合っているのが見えた。二人は接吻していた。
ミシェルはさらに二十四時間レジスに付き合った。ピアノでワーグナーの抜粋を弾いて過ごした。レジスは元気がなかった。
レジスの作曲した新しい曲も聞いた。男性的なリズムに支えられた晴朗な曲だった。
ミシェルは賛辞を述べた。しばらくレジスの作曲技法について語り合った。しかし突然レジスの顔は苦痛に歪んで動かなくなった。
(単起的科白の挿入)許してくれ、どうも調子がおかしいんだ、とレジス。どうにも途方に暮れた気持ちなんだ……。君は七時の汽車に乗るんだろう。散歩しよう、こんな気分は追い払わなきゃ。
しかし外に出て十五分経ってもレジスの気分はほぐれなかった。
何をそんなに悩んでるんだ?とミシェル。この一週間、何一つ不足はなかったじゃないか。
自分の幸福が恐ろしいんだ……とレジス。ぼくが今感じているような愛には、ぼくより君の方が千倍も相応しいんじゃないかと思ったりもした……。
なんということを考えるんだ、とミシェル。君がキリストを信じるからこそその愛は君に与えられたんじゃなかったのか。
ああ! もう分からない、とレジス。
ミシェルはレジスの苦悩に比べると、自分の憂愁などひどく気まぐれなものに感じられた。
明日は復活祭の当日で、レパルヴィエールに帰らないわけにはいかないが……。
ぼくはひとりになるのが恐い、とレジス。でもぼくはひとりにならなければならない、そうすることが必要なんだ。
二人はさらに歩いた。
あの『トリスタン』のときからなんだ……とレジス。何かが気に掛かってばかりで……。
素晴らしい一週間が物悲しい「さよなら」で終わろうとしていた。レジスに生気を取り戻させるために、思い切った言葉を言う必要があった。
ミシェルは言った。レジス、君はぼくの医師であり、ぼくの……牧者だ。もしかしたら、ぼくは罪人が神のもとへ回帰する喜びをまもなく君にもたらすことができるかもしれない……。
神は信仰によってこそぼくたちのなかに再生する、レジス、これは君がぼくに言ったことだ。レジス、復活祭の抱擁を交わそう──キリストはよみがえり給えり。君はぼくにこう答えなくてはいけない──まことによみがえり給えり。
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