三色菫 削除版序文(1929年)

Foreword to the Expurgated Edition of Pansies
David Herbert Lawrence



 この詩篇が「三色菫〔Pansies〕」と名付けられたのは、これらの詩が何よりも「随想録〔Pensées〕」に近いからだ。パスカルとラ・ブリュイエールは、彼らの「随想録」を散文で書いたけれど、しかし、真の随想、独り思い浮べる考えというものは、主張の形ではなく、韻文で、ないしは詩の形でこそ、機敏に定着され得ると、私には思える。散文で述べられた思考には、それを意固地に、ちょっとばかり横柄にしてしまう、教訓じみた文目が抜きがたい。「妻と子を持った男は、運命に質入れしたに等しい。」〔フランシス・ベーコン〕──これは見事な思考の表現だ。しかしその断定の語調が、すぐさま人を苛立たせてしまう。現実の、実際の生活に、あまりに直に触れすぎている。これが詩の形で言い直されたなら、さほど直接に、耳立たしいと感じられることはなかったろう。そして私たちは、うるさい小言を好みはしない。
 それだから私は、この「三色菫」が、何よりも随想として──真実であるときにのみ真実であり、気分や状況が変われば調子外れになるような、気ままな想いとして読まれるよう、望んでいる。これらの詩が、時を移さず萎え凋む、あの三色菫と同じように颯爽と散りゆくことを、そして、色づいた折には、魅力をこめたとりどりの面差しを見せてくれることを、私は望む。それに花というものは、ただ綺麗で清潔であるだけのものではない。花はその薫りに、彼らがしなやかに根を張る土の、腐敗と黴の澱みを含んでいる。そして三色菫は、心の休らい〔heartsease〕より他の多くの表情を、その繊条の走る顔にあらわす。
 幾つかの詩──およそ十二の余の詩が、この菫の束からは無下に引き抜かれている。要はこの詩篇の草稿を、内務省の命で、ロンドン警視庁が郵送の途中で差し押さえて後、おきまりどおりに、刑事、郵便局員、そして内務事務官と内務大臣殿がそれに群がり、色のけばけばしい花を除こうとした、という次第だ。まあ、彼らに、大した収穫はなかったに違いないが。削除された詩の一覧に、今目を通してみて、興趣はあるけれど絶佳というほどでもない、一握りほどの菫──官憲どもに踏みにじられることを恐れて、完成稿から削除せざるをえなかった、その十二の余の詩を、思い起こしてみても、私はただ、雌山羊に似た官憲ども、白いペティコートを身につけた雌山羊連の、間抜けた振舞いを想って、ふたたび苦笑するくらいのものだ。この間抜けさは、隣家のコードル夫人風寝室説法を拝聴して、夫人が滑稽なのか、それとも説教されている夫が阿呆なのか、それとも、二人してただ貧相で阿呆なのかどうか、訝しむくだらなさに似ている。
 ともかく、私はこの三色菫の束──決して不凋の花輪ではないこの一束を、読者に差し出す。永久に枯れぬ花など欲しくはないし、そんなものを誰かに捧げようとも、私は思わない。花は散るものであり、恐らくはそれが最善なのだ。はかなさに堪え、息づき、時としてメフィストのような、或いは蒼ざめたオーフィリアのような面差しを見せ、──花が咲き開いた折の仕種、そして散り際にわれわれに突きつける、あの凋んだ姿──それこそが花、われわれの知る花であり、如何なる不凋花も、これと並ぶものをわれわれに見せてくれはしない。この菫の詩篇にも同じことが言える。ただ一瞬の息遣いの内に書きとめられた詩、そして、或る永遠の一瞬は、別の永遠の一瞬にやすやすと論駁される。これらの菫の花を、鋲で止めることだけは、やめて欲しい。そんなことをしても、花の姿は永く止まりはしないのだから。





Copyright © David Herbert Lawrence 1929 (expired)
  • 翻訳した人:稲富裕介(゚Д゚)

トップページに戻る