単文関連
▼文末辞
- 日本語は文末辞が貧しいために文章の流れが平板になりがち。以下の便覧を参照して文末辞の多様性を意識せよ。
:現在形┐
├形容詞エンド(「死のような緑が深い」「角は前方へ捻れ伸びて美しい」)
├判定詞エンド(「…だ」「…である」)
├アスペクト(進行形「…ている」、完了形「…てしまう」)
└体験話法・ムード(「…ではないか」「…であるまいか」「…ようだ」「…だろうか」「…かもしれない」)
:過去形┐
├判定詞エンド(「…だった」「…であった」)
├アスペクト(進行形「…ていた」、完了形「…てしまった」)
├促音系「…った」(「言った」「なかった」「かえった」「美しかった」)
├撥音系「…んだ」(「睨んだ」「叫んだ」「止んだ」)
├三文字系「○○た」
└二文字/四文字系「○た/○○○た」
尚、律儀に過去の事なら何でも過去形で語ればよいというものではない。
▼補足語
- ガ格、ヲ格、ニ格、ト格、デ格、ヘ格、カラ格、マデ格、ヨリ格の九種類ある。
▼格助詞相当句
-
幾つかの語で構成される句が、全体として格助詞に相当する働きをすることがある。このような句を格助詞相当句と呼ぶ。
:格助詞「に」を含むもの──「について」「に関して」「にとって」「によって」「に対して」「に向って」「において」「に沿って」「につれて」「にしたがって」「に反して」「に似て」
:格助詞「を」を含むもの──「をめぐって」「をともなって」「を通じて」「を介して」
:格助詞「と」を含むもの──「として」「とともに」
:格助詞「まで」を含むもの──「までに」
▼提題助詞と格助詞
-
提題助詞「は」は格助詞ではないので、格助詞「に」「で」と組み合わせが可能。
:「では」「には」
▼取り立て助詞と格助詞
-
次のようなものがある。「も」「は」「だけ」「きり」「さえ」「でも」「すら」「だって」「まで(も)」「ばかり」「のみ」「しか」「こそ」「など」「なんか」「なんて」「くらい」──これもやはり格助詞と組み合わせが可能。
:「にだけ」「のみを」「をこそ」「だけからも」 -
取り立て助詞のうち、「だけ」「ばかり」「ほど」「くらい」は名詞的な性格を持つので、「の」を介して名詞修飾にもなる。
:「ここだけの話」「枯木ばかりの園」
▼述語の位置に現れる取り立て助詞
-
「述語+取り立て助詞+(形式)動詞」という形が基本になる。
:「聞きさえしない」「変りはしたが」「すがすがしくさえあった」「人間ですらない」「がっかりさせたくはなかった」「好むだけではなく」「眠れないくらいで」
▼述語の修飾語の位置に現れる取り立て助詞
-
述語の修飾語(副詞、形容詞連用形など)とも取り立て助詞は組み合わせられる。
:「やがては」「ほそぼそとすら暮せない」「ゆっくりしてなどいられない」「麗しくも恐ろしい」「無いようにさえ思える」「鮮やかにすら見える」「耐えがたいほど鼻につく」
▼修飾句による述語修飾(とりわけ補足語デ格による)
-
副詞以外で述語の修飾語として働くことのできる形容詞・形容動詞の連用形、ムードの連用形、動詞のテ形、補足語ニ格・デ格などを末尾に持って来た述語修飾句──を、作成することができる。
:「これは私が〔感想を述べるべく〕割り当てられた」
:「母親たちは〔子供たちを掴まえては〕あの女の子を指差し、決して近寄っちゃいけませんよと言い含めた。」
:「やがて彼女等は学校時代の先生や友達の癖を思い出しては、真似をし合いながら、〔肩をぶっつけ合ったり、軽くなぐり合ったりする陽気さで〕、料理をはじめた。」
:「〔六月の林の揺れる梢が湯槽に写り込む昼過ぎの静かさで〕、彼は女湯の話声を聞いていた。」
:「〔この現実と何の関係もなかったかのような空想から一時に覚めた軽い驚きで〕、私はみち子を見た。」
▼「……と同じように」という形の述語修飾句のヴァリエーション
-
通常、「……」の位置に来るのは「名詞」か、「名詞相当補足節(……するのと同じ)」と考えられているが、実は格助詞も来る(付加する)ことができる。
:「信仰とか天才といったものからと同じく、私たちはそうした生活を愛からも手に入れることができる。」 -
形は同じだが意味作用の異なるヴァリエーションも存在する。
:「……と異なって」「……と違って」「……とは別に」
▼文全体に対する修飾語
- 述語にだけでなく、文全体に対する修飾語として働くものがある。
- (1)形容詞・形容動詞の連用形
:「確かに」
:「明らかに」
:「珍しく(も)」
:「不思議に(も)」
:「奇妙にも」
:「惜しくも」
:「皮肉にも」
:「親切にも」
:「大胆にも」
:「勇敢にも」
:「生意気にも」
:「賢明にも」
:「愚かにも」
:「運悪く」 - (2)文修飾副詞
:「(まあ)例えば」「まあたとえば、ロシヤの無法者の無数のタイプに目を向けてみるがいい。」
:「(まあ)仮に」「こうした長老が、まあかりに、ヘルソン県に住んでいるとする。すると……」
:「なるほど」「なるほどキリストは坐っておられる、しかしこれがはたしてキリストであろうか?」
:「もちろん」「この推論のほうが、もちろん、『検事をからかって』やりたいと思っているのだという推論よりも、よほどすっきりしているに決まっている。」
:「概して」「概して彼女はわたしに対する嫌悪を隠そうとしない。」
:「当然」
:「実際」
:「事実」「事実、われわれはひとり残らず自分と自分自身の顔に対してほとんど生まれつきと言ってもいいほどの羞恥心をいだいている。」
:「やはり」
:「とにかく」
:「なにしろ」「なにしろ私はこれでもう八年もペテルブルクに住んでいながら、ほとんど一人の知人をつくる才覚もなかった男なのだから。」
:「あたかも」
:「さながら」
:「はたして」「さあ、弁護人氏よ、これでもはたしてヘラクレスの柱ではないだろうか?」
:「いったい」「いったいあの二人は、これしきのことがわからないのだろうか。それともわざと知らぬふりをしているのか?」
:「剰え」
:「むしろ」
:「況して」「まして、ここで取り上げられているのが教会の問題ともなればなおさらのことである。」
:「いわんや」 - (3)文修飾相当句
:「一例をあげれば」
:「間違いなく」
:「疑いもなく」
:「少なくとも」「つまり神秘的な恐怖感、人間の魂を左右するきわめて巨大な力が作用していた。少なくとも、事件の結末から判断すると、それがあったことはまず疑いない。」
:「もしかすると」
:「ひょっとすると」
:「ことによると」「もちろん、ことによると、藪の下からお金を掘り出すわけにはいかないことぐらいは、その娘ももうとっくに知っていたかもしれない。」
:「どうかすると」「どうかするとそれを信じないほうがむしろ不自然と言ってもいいくらいなのだ。」
:「どうかして」「どうかしてとんでもない治療でも受けると大変なので、私は毎日わざわざ行って見るつもりである。そんなことにでもなったらそれこそおしまいだ!……。」
:「嬉しいことに(は)」
:「幸いなことに(は)」
:「残念なことに(は)」
:「ありがたいことに」
:「驚いたことに(は)」
:「正直に言って」
:「率直に言って」
:「実を言えば」
:「本当のところ」
:「実際のところ」「実際のところ、人間どもは結局、人間の頭が勝手にでっちあげたり、でたらめに作りあげたもののほうが、一から十まで、真理よりも自分たちにははるかに理解しやすい、ということにしてしまったのである。」
:「その実」「なにしろどの言葉も実際に聞いたものを書き取ったわけであるから、これこそ本物のように思われるのだが、その実ただの嘘よりももっと始末が悪いことになる。」
:「要するに」
:「もっと正確に言えば」
:「簡単に言えば」「したがって手おくれにならないうちにそんなものは圧しつぶし、それを歪曲し、笑いとばしてしまわなければならない、──簡単に言えば、一見したところ、不可能と思われることを、思い切ってやってのける必要があるわけである。」
:「ひと口に言えば」「ひと口に言えば、もしかすると、人間の品位の最高の現われと言えるかもしれない。」
:「まあ言ってみれば」「聞き手に美的な印象を植えつけ、相手を満足させたい一心で、まあ言ってみれば、聞き手のために自分を犠牲にしてまで、嘘をつくのである。」
:「はっきり言っておくが」
:「(ついでに)断わっておくが」「ついでに断わっておくが、この事実は例外的なもののように見えるけれども、しかし、そのこと自体がすでにその確実性を証明するものとも言える。」
:「私に言わせれば」「問題は、わたしに言わせれば、自分の恐怖心、自分を圧しつぶそうとする意識を振り切ることができるかどうかということである。」
:「言っておくが」「繰り返し言っておくが、あなたにはとてもこんなふうには書けないだろうし、それに問題はなんであるのか理解すらできないだろう。」
:「くどいようだが」「くどいようだが、たってお粗末なやり方でノートから手当たりしだいに引っ張り出してきたような、そうした表現が荷馬車に満載するほど詰め込まれているのである。」
:「ひとつお伺いしたいが」「しかしながらひとつお伺いしたいが、この子供に加えられた苦痛と折檻が法律による虐待行為の規定に字義どおりに当てはまるものではないということが、われわれにとっていったいなんの気休めになるのだろう?」
:「ここで問題なのは」
:「そこが問題のところで」
:「なんと言っても」「なにしろあなたはやはりなんと言っても詩人なのだ、それ以外のものであるはずはないのである。」
:「なんのことはない」「それはなにも恐怖とか不信とかによるものではなく、なんのことはない自分が救われるということにまったく絶望した結果なのである。」
:「よく知られているように」「このヴラースには、よく知られているように、以前は神は存在しなかったのである。」
:「聞くところによると」「わがロシヤの国の、ほうぼうの修道院には、聞くところによると、いまでもある種のスヒーマ僧や、懺悔聴聞にたずさわる修道僧や助言を与える修道僧がいるとのことである。」
:「話によると(よれば)」「話によると、なんでも、人間の心を洞察しそれを自分の思いのままにする驚くべき天分に恵まれた人たちにお目にかかることがあるということである。」
:「失礼ながら」「また失礼ながら──笑い話をいかにも自分の経験談のような顔をして話して聞かせたところ、相手は、自分の打明け話として、前にその話をしてくれたご当人であったというようなことはなかっただろうか?」
:「まったくの話」
:「早い話が」「この叙事詩にしてからが、まあ、早い話が、一月一日までに間にあわせようとして、なんとなく書き上げられたものなのだ。」
:「もっとも」(実際には接続詞)「その点はまったく安心して差し支えないだろう。もっとも、ある奇妙な事情が、ほんの一瞬ではあるが、わたしが困惑させた。それはほかでもない、……」
:「いやはや」「いやはやたいへんな言いわけだよ、……というわけだ!」
▼基本的な接続詞
-
おおむね文章の繋がり方は、A=B(A。つまりB)、A→B(A。ゆえにB)、A+B(A。さらにB)、A⇔B(A。しかしB)、といったようなパターンに分類できる。適切な接続表現は文の連繋の方向性と内容の重要性の如何で決まる。
:付加の接続表現「そして」 - 基本的に独立した論点を並記する際に使う
:原因・根拠・理由の接続表現「なぜならば」 - “BそれゆえA”の逆
:例示の接続表現「たとえば」
:転換の接続表現「しかし」「だが」「けれども」 - “AしかしB”において主張したい度合いはA≦B
:解説の接続表現「すなわち」「つまり」「結局」 - ほぼ同じ内容の言い換え
:帰結の接続表現「だから」「したがって」「それゆえに」 - 付加よりも遥かに強い関係
:補足の接続表現「ただし」「とはいえ」「尤も」 - “AただしB”において主張したい度合いはA>B
:累加の接続表現「しかも」 - 単なる付加より意味的に強い関係
:選択の接続表現「むしろ」 - 基本的に“むしろ”で強調されることとは別に切り捨てられた主張・選択肢がある
▼接続詞相当句
-
先行する文とのつながりを示す接続詞の機能は、接続詞に相当する語句でも表すことができる。
:「これ(それ)に対して」
:「これ(それ)に反して」
:「そんなわけで」「そんなわけで、どうかすると私たちはあやうく互いに挨拶をかわしかねないありさまだった、ことに二人とも機嫌のよいときなどはなおさらのことである。」
:「それに」「それに、彼女がまだ自分が辱められていることが分からずに、自分の口から『あたしは泥棒です、嘘つきです』と言ったのが、いったいなんだというのだろう?」
:「これでも」「これがつい最近のことと言えるだろうか? これでも、『大昔から』と言ってはいけないものだろうか?」
:「そればかりではない、……」「いやそればかりではない、とかくふらつきやすい人間の頭が捏造したり勝手に想像したりするどんなものよりも、ずっと幻想的であると言ってもよい。」
:「(その)お蔭で」「ところが彼女はいかにもけげんそうに私の顔をチラリと見ただけで、ひと口も返事をしないでさっさと向うへ行ってしまった。お蔭で例の蜘蛛の巣はいまなお平穏無事に元の場所にぶらさがっている。」
:「それはほかでもない、……」「それはほかでもない、戻ってきた地主が相も変わらず僧院を出て外国へ行かないかとソフロンにすすめると、副補祭も相談のあった最初の日からさっそく心がぐらつくからである。」
:「それはともかくとして」「それはともかくとして、ニェクラーソフ氏はなんと言ってもすでに文学的名声が天下にとどろいている、円熟した詩人である。」
:「それはさて」「もしかしたら、いつか事のついでに語ることがあるかもしれない。それはさて、このようにまったく思いがけなく武器をあたえられたので、わたしはペテルブルグにのりこみたいという誘惑に抗することができなかったのである。」
:「それにしても」「それにしてもこのような場景を想像することはまったく不可能であり、まったく途方もないことであると感じた人は、本当にひとりもいなかったのであろうか!」
:「何故かというと」
:「言い換えれば」「言い換えれば、実際にほかの人間が自分よりも利口なときには、自分はほかの人間よりも馬鹿であると率直に認めるところまでは、上流階級のロシヤ人は絶対に到達することができないということだ。」
:「と言うのは」「と言うのは作品の中の商人なり兵隊なりはエッセンスだけで話をしている、つまりどんな商人でも兵隊でも実際には決してそんな話し方はしないからにほかならない。」
:「それと言うのもほかではない」(=「と言うのはまさに」)
:「とはいえ」
:「と(は)言っても」(=「尤も」「ただし」)
:「とは言うものの」(=「尤も」「ただし」)
:「だとすると」
:「いや」「彼らにそんなものを与える必要はないとか時期尚早であるとかいうことを意味するものではありません。いやむしろその正反対と言ってもいいくらいです。」
:「いいや」「いいや、ここにあるのはあなたが冷笑なさっているような、涙もろさとほだされやすい人情だけではありません。ここで恐れられているのはこの権力そのものなのです!」「いいや、一瞬ごとにますますつのって大きくなるばかりの、極度の恐怖にもかかわらず、意識はそのあいだもずっときわめて明晰に保たれていたというのが、いちばん確かなところだろう。」(打ち消し分裂文体)
:「そうだ」「そうだ、わが国の風俗画がそこまでいくのはまだまだ遠い先のことである。」
▼ムード
-
事態や相手に対する話し手の判断・態度を表す文法形式を一括して「ムード」と呼ぶ。述語の活用形、助動詞、終助詞などの様々な文末の形式を含む。ちなみに「ムード」が付くのは主節の述語だけではない。
:命令のムード
:禁止のムード
:依頼のムード「動詞のテ形+「くれる」の命令形」「動詞のテ形+「くれる」の否定疑問形」「……てほしい」「……てもらいたい」「……ください」
:本来的特徴/当為のムード「……ものだ」「……べきだ」
:勧告のムード「……なければならない」「……なくてはいけない」
:否定的勧告のムード「……にはあたらない」(「今更驚くにはあたらない」)「……てはおけない」(「だからと言って捨ててはおけない」)
:忠告のムード「……ほうがいい」「……してみるがいい」
:意志のムード「動詞意志形+「と思う」」「動詞基本形+「つもりだ」」
:申し出のムード「動詞意志形+「か」」相手の諾否を訊ねる。
:提案のムード「動詞否定形+「か」」「動詞条件形+「どうだ/どうか」」「動詞テ形+「は」+「どうか」」
:願望のムード「動詞連用形+「たい」」「動詞テ形+「ほしい」」
:情動のムード「……せずにはいられない」「……せずにはおかない」「……してならない(感じられてならない・思われてならない・憶い出されてならない)」
:断定のムード「……に過ぎない」「……にほかならない」
:断定保留のムード「(たぶん、おそらく、きっと、さぞ、まず、まさか)……だろう」「……まい(=ない+だろう)」
:間接推定のムード「(どうも)……らしい」
:直接推定(自己判断)のムード「(どうやら)……ようだ」「……みたいだ」
:前提からの帰結のムード「……はずだ」
:可能性のムード「……かもしれない」
:直感的確信のムード「(きっと)……にちがいない」
:部分否定のムード「(必ずしも)……わけではない」
:全否定のムード「……わけがない」
:予想のムード「……そうだ」
:伝聞のムード「……ということだ」「……とのことだ」
:理屈のムード「(すると、つまり、結局)……わけだ」
:類似のムード「(まるで、あたかも、およそ)……ようだ」「……みたいだ」
:回想のムード「……ものだ」「……ことだ」 - 特殊ムードとして以下のものを挙げる。(中井久夫──「時には、単純な言い切りの文を、『ではないか』『であるまいか』『かもしれない』と訳すほうがよいことがある」)
:単純に主張を言い切らず、みなの同意を求めるようなニュアンスを出すムード「述語+ではないか」──「それだけでもわれわれは、その男の犯罪についてその半分がたは自分たちにも責任があると認めていることになるではないか。」「そうなると煙草がほしくなったのに、金を持っていないときには、煙草を手に入れるためには、他人を殺しても差し支えないということになってくるではないか。」「これではまるで頭はもうろうとして分別もなにもない、連日の大酒からやっと正気に返りかけた酔っぱらいの、愚にもつかない言葉と別に変わりはないではないか。」「ことによると彼女には、上流階級の人々のそれにも劣らないくらいの、なにか非常に気高いもの、愛情にみちあふれた、崇高とも言える心、独自な美にみちみちた性格が宿されていたのかもしれないではないか。」「そのことはお前が誰よりもいちばんよく知っているはずではないか。」
▼修辞疑問文
-
ムードの発展形として、意図していることをわざと疑問文で述べることによって断定(ないしは否定)を強調するというレトリックがある。
:「それにペチカの上で震えながら、母親の悲鳴を半時間も聞いていたあの女の子、また「ママ、どうしてのどを詰まらしてるの?」という言葉──これははたして熱湯の下にさらされた小さな手と同じことではないだろうか?〔ほとんど同じことと言っても差し支えないではないか!〕」
:「あるいは、誰かその理由を説明してくれる者がいて、だからこれはおそろしく滑稽なのだぐらいのことは、彼らも教えてもらえるかもしれない。しかしそれが分かったからと言ってそれでどうなるものだろう?〔どうもなりはしない!〕」
:「事実この連中、こうした寄る辺のない人たちに愛情を覚えないわけにはいかないではないか、彼らに愛情をいだかずに、ここを立ち去るわけにはいかないではないか。〔そう、立ち去るわけにはいかない。〕」 -
強調したい内容が修辞疑問文より先に切り出されている場合もある。
:「力ずくはもうご免だ! ところがあなたが書いているのは暴力行為、あくまでも暴力行為の連続ではないか?」
▼アスペクト
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動きの展開の様々な局面を表す文法形式をアスペクトという。動態動詞は、種々のアスペクトの表現を持ち得る。
:状態のアスペクト「……て+ある(あった)」
:完了のアスペクト「……て+しまう(しまった)」
:経験・経歴のアスペクト「述語タ形+「ことがある」」
:今後継続のアスペクト「……て+いく(いった)」「見守っていく」
:今まで継続のアスペクト「……て+くる(きた)」「落ち着いてきた」
:離反のアスペクト「……て+いく(いった)」「離れていった」
:接近のアスペクト「……て+くる(きた)」「倒れてきた」
:動きの開始のアスペクト「動詞連用形+はじめる、だす、かける」
:動きの継続のアスペクト「動詞連用形+つづける」
:動きの終結のアスペクト「動詞連用形+おわる、おえる、やむ」
:動きの開始直前のアスペクト「……ところだ」「動詞意志系+「とする/としている」」
:動きの継続中のアスペクト「動詞テ形+「いるところだ」」「動詞連用形+「つつある」」
:動きの終結直前のアスペクト「動詞タ形+「ところだ、ばかりだ」」
:動きの継続のアスペクト「……ている(いた)」「騒いでいる」
:結果の継続のアスペクト「……ている(いた)」「咲いている」
:継続属性のアスペクト「……ている(いた)」「流れている」
:結果属性のアスペクト「……ている(いた)」「付いている」
:アスペクト以外のテ形複合動詞「……ておく」「……てみる」「……みせる」
▼アナロジー
-
われわれは「直喩」と「換喩」という区別以上に「比喩」と「アナロジー」という区別を重視する。この二つの区別は重なるようで実は全く異なる。「アナロジー」の定義は、《喩えるものを出さない(間接的に示す)こと》である。例えば「時間はときにはぷつんと切れてしまう」と言ったとき、時間を糸か何かに喩えているわけだが、この喩えるもの「糸」は文章中にあらわれない。これを「時間とは糸のようなもので、ときにはぷつんと切れてしまう」と言えば直喩、「時間の糸、それはときにはぷつんと切れてしまう」と言えば隠喩である。どちらもアナロジーではない。
アナロジーは基本的に「状況-文脈的」になる。喩えるものとしてのアナロジーに対応するのは、一つの単語、一つの対象ではなく、一連の状況-文脈(喩えられるもの)である場合が多い。
:「真理は百年このかたテーブルの上にのせられたまま人間の前に横たわっているが、人間どもはそれを手に取ってみようともしないで、人間の頭が考え出したもののあとを追いまわしている。それと言うのも、真理というものを幻想的でユートピア的なものであると考えているからにほかならない。」
:「(略)またそこでは思考が、正確に部屋の形そのものになり、この巨大な漏斗のてっぺんまで満たすべく、何時間ものあいだばらばらになったり、のび上がったりしながら、数々の眠れないきびしい夜に堪えてきたのであり、一方そのあいだに私はベッドに横になり、目を上げ、耳をそばだて、鼻孔をこわばらせ、胸をどきどきさせているのだが、いつかこの部屋に慣れるにつれて、習慣がカーテンの色を変え、柱時計を黙らせ、斜めにおかれた残酷な鏡にも憐れみの気持を教え、防虫剤の臭いを完全に追放しないまでもそれを気にならなくさせ、そして天井を著しく低く見せるようになるのであった。習慣! この巧妙な、だがひどくのろまな調整者は、最初は何週間も私たちの精神を、一時的な仮の調度のなかで苦しめる。」
▼修飾語・補足語・述語の組み合わせの特殊形
-
(1)形容詞に副詞(句)をかける
:「煉瓦がごろごろと危うい足場」
:「女の子は日焼けして、顔はふっくら円いのに、手足は痩せていた。」
:「あたりの空気が静かに乾いたように明るい」 -
(2)形容動詞の連用形(ニ型)で述語修飾
:「赤い蕾が薄桃色に開く」
:「島子は夫の岸山から不意討ちにだまされた形で、……」
:「しかし胸から乳房へはまだ十分な成熟に張って来てはいなかった。」
:「わたくしは新茶をよろこぶ心で淹れましたので、円やかにあまいような、やわらかいかおりに出ました。」
:「しなやかに背の高いのが、男をそそるように見えた。」 -
(3)名詞相当補足節+形容詞(名詞述語)
:「縁先の鬼百合に黒揚羽蝶の来るのも、蒸し暑かった。」
:「竹村さんの子の妹の方が、お河童に白い紐を巻き、爽かに伸びた脚で廊下を歩いて来るのも、高原の朝だ。」 -
(4)名詞述語で終わる文
:「霧雨に濡れた竹林は青い柔毛の羊の群が首を垂れて、静かに眠っている休らいであった。」
:「なるほど折れもしよう、なにか美しい力が溢れ出たかと、細い枝に累々と驚くべき実りだった。」
:「もう皆が帰ってしまって、静かな校庭の藤の下を、あなたと私は歩いていた。曇り日の湿った土の上に、二人の小さい靴音だけだった。」
:「突然、象と駱駝とが村の街道を歩いて来た。椿の林で椿の花を折って、街道へ出たばかりの千代子の鼻の先きに、ぬっと大きい動物だった。」 -
(5)述語が形容詞の名詞修飾句「……の──い○○○」
:「少し肉の鋭い顔」
:「張りの強い目」 -
(6)ニ格+提題助詞ガ+……する
:「切長の目尻に涙が湧き出していた。」 -
(7)格助詞の置換可能性「ニ」⇔「デ」⇔「ヲ」⇔「ハ」
:「野末を低く煙がちぎれて飛んでいた。」
:「時子は房子が品川駅で別れて一人山手線を帰って行く姿から、……」
:「泰子は頬の肉が落ちて、眼鏡の奥は白眼が青みがかっていた。」
:「遥か東に連る山々の朝靄が晴れてゆく。鶏は草原に真白い。」 -
(8)限定修飾の「の」による動詞縮約
「銀平は冷たい快感のとたんに、ひょっと首を前へやったが、『あいたっ。』とわれにかえった。」
「一夜の木枯にざくろの葉は散りつくした。」
「慎吾は泣いた後機嫌直した子供のいたずらっ気で、ぴょいとそれに飛び移ってしまった。」
「わき目もしないで、岸をいそぎ足の路子は、生垣のいつもくぐるところに止まると、あたりをうかがった。」
▼非-具体語の主語・補足語
-
人物でもない、自然物でもない非-具体語を主語(ないしは補足語)に持ってくると、元あった何かがそれによって置き換えられたかのような、メタフォリカルな効果が生まれる。それにかかる修飾語や文章の流れからして当然来ると思われる具体語を避けた、つまりは直接的で即物的と思われる語を排した場合でも、そのような効果が得られる。
:「化粧室へ行く少女の明るさは、少年をも明るくした。」
:「軽い胸騒ぎの自分をあざけるよりも、いやなむなしさが強まった。」
:「振返ると、青一色の樹海の拡がりの果てに、のびやかなスロオプの直線が美しい。」
:「父の酒に苦しめられたみじめさも、幸福な今はもう笑いながら思い出せるのか。」
:「思い設けぬ視線にまごついて照れた時、お光の心に辛うじて張りがよみがえって来た。」
:「江口は薄ぼんやり目ざめたけれども、四本のあしをあやしいと思いながら不気味とは思わないで、二本よりもはるかに強いまどわしが身に残っていた。」
:「指のふしぶしが折り縮まったり反ったりするのは、手の指の動きにも似て、そこだけにもこの娘のあやしい女としての強いそそのかしが江口につたわった。」
:「まぶたの裏にまだ寝たりない火照りがあった。」
:「敗戦の日本人のさまが、外人に虚脱と見えたほどには虚脱ではなかったように、復員兵にも激情の起伏はあるのだろう。しかし、人間が食えるものでないものを食い、人間の出来ることでないことをし、生き堪えて国に戻り着いた人には一脈の清さがあるようだった。」
:「手にふれる富士子の肩は痩せ出た骨だし、胸にもたれかかって来るのは深い疲労の重みなのに、祐三は異性そのものとの再会と感じるのだった。」
:「私自身はこれを離して別々に見ている。マイヨオルはこのところ仕事机の上に置いている。マイヨオルの純粋で透徹で、豊饒で明晰で、静かな均斉に円い清新は、永遠の美しさをたたえて深く、私の仕事を妨げない。」
:「『どうしてあきらめかけていたの?』と島子は岸山の首に腕を巻いて、その力に抗議をこめた。」
:「死してなお無常の墓が、一点の美を保ち伝えているというのは、なにか忘却のなぐさめである。」
:「稚児髷の少女が花かんざしをさして、ときどき茶の入れかえに来るだけで、人の出入りはない。名人の白扇が、氷水をのせた黒塗りの盆に写って動く静かさ、観戦は私一人だ。」 - 人物でもなく、自然物でもない語のうち、感覚を差す語を主語にすると、或る意味主語の中心性を解体した文章になる。知覚が「Aは感じた」という風な形式で述べられないのがポイントか。
:「女は微笑した。女の腕が触れている頬から彼のからだに戦慄が伝わった。」
:「またその海水は軽い布を敷きひろげたようにも見えて、その布がさあっと動くにつれて、風にひるがえる千代子のひとえと一つにつながって、私の頭に軽い目眩が来た。」
:「新栗を焼くかんばしい香いが急に鼻につく。」
:「海辺まで林檎園が続いており、地面におちて腐ったリンゴから発散するリンゴ酒のような臭いが海草のにおいとまじりあっていた。」
複文関連
▼主語変化
-
主語変化は、主節と従属節との間だけでなく、従属節と従属節との間でも起る。
:「二週間後には、このあたりは、この多年生蔓草の花の、すれちがう少女が残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおりがたちこめて、ひとは、おのれをつつむこの香の出どころはどこかととまどうはずだ。」
:「しかし、今、それは遠い昔であったかのように、桜は変貌して、道におおいかぶさっているのはただ目に見える葉むらばかりでなく、ひしひしとひとを包む透明な気配がじかに私をうった。」
▼主語変化による視点人物の自己撞着の解体
- この場合の主語変化は提題助詞「は」よりも格助詞「が」に親近性を持つ。なぜなら「は」を助詞としてもつ視点人物(「私」)は、一文全体を支配し、後続する節での主語変化をやり難くしてしまう一方、「が」を助詞として持つ視点人物は、客体視され、別の人物の主語や非-生物主語への移行が容易だからだ。
▼要素が主節と重複する従属節
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主節と主語を共有する従属節は、どこに挿入するかをかなり自由に選べる。
:「象は、たとえ(象が)哺乳類であるにしろ、鼻が長過ぎる。」
:「たとえ(象が)哺乳類であるにしろ、象は鼻が長過ぎる。」
:「象は鼻が、たとえ(象が)哺乳類であるにしろ、長過ぎる。」
▼名詞句と連体節
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被-修飾名詞を主語に書き換えることのできる名詞修飾句を名詞句と呼び、そうでないもの(被-修飾名詞を補足語に書き換えることのできるもの)を連体節と呼ぶ。
:名詞句「世界にめばえつつある新しきものは手に入らないまがい物ばかりだ。」→「新しきものは世界にめばえつつある」と書き換え可能な名詞句
:連体節「妊娠の報せがもたらした憂慮と、金銭的な行き詰まりとに彼はくたびれ果てた。」→「妊娠の報せ」を主語にした「憂慮」を修飾する連体節
▼従属節による語順転換
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複合文の中で主語の位置の挿入箇所を操作する。例えば従属節を先に出す。
:並列節による語順転換「だがそのかわりそれと同じ力、それと同じようながむしゃらさ、それと同じ自己保存と改悛の渇望をいだいてロシヤ人は、自分の力で自分を救うことになるのである。」
:副詞節による語順転換「平凡な一般大衆はおとなしく拝聴しているので、おしゃべりどもはその堂々とした態度で聞き手を圧倒してしまうことになる。」「今度は字が出来上がらない前に娘は稲妻のように左手を伸ばした。」
:補足節による語順転換
▼語順転換と主語の及ぶ範囲
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例えば長文では主語を二度出さなければ意味が上手く通じないことがある。これは主語の及ぶ範囲というものが、一つの文章の中で無限ではないからだ。従って、冒頭に主語を持ってこない語順転換は、主語の及ぶ範囲の限界を知った上で、主語によってどの範囲をカヴァーするかに意識的な工夫を凝らすことに等しい。
:「快楽よりもあくまで痛苦に近く、歓喜を供えるより私に怖気を負わせながらも、この魅力はこまごまと私が経験してきた痛みや喜びの数多よりも遥かに身近にあり、かねて私のよく知るものであった。」
▼名詞句による語順転換
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主語の及ぶ範囲を語順転換によって操作する、という工夫であれば、実は名詞句ももまた主格の位置を散らす点で語順転換と同様の効果を持つと言い得る。
:「しばしば指をあげ、秘めて語らぬ謎を前にして、測り知れない眼に微笑を漂わせたきみの姿は、私にはレオナルドが描いたバプテスマの聖ヨハネと思われた。」
:「より以上に思慮あるものとはいえないにせよ、より垢抜けのした幻想に魅せられたわれわれは、死者たちに花々と書物を贈る。」
:「そうなるとこうしたあっぱれな青年と組んで蝶のようにひらひらと舞いながら心をとろかすようなダンスを楽しんでいる、しかも自分のパートナーがつい一時間ほど前にぶんなぐられたことを、また彼がそんなことはぜんぜん気にもしていないことを知らないこの令嬢の姿こそ、まさに無限に悲劇的であると言うべきであろう。」
▼主語変化と主語の及ぶ範囲
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複合文中の主語変化(従属節と主節で主語を違える)は、語順転換と同様、流れの中で主語の及ぶ範囲を勘案し、読み手の理解の流れの途切れ目を埋めるために(転化した)主語を再び浮上させるという効果も持っている。それが主目的ではないのだが。
:「きみの誇らかな典雅さはまさしくファン・ダイクの芸術の持前であるとしても、君はむしろその精神生活の神秘的な強靭さにおいて、ダ・ヴィンチに属するものだった。」
▼内容節(連体節の一種)
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節と名詞を「という」で接続することができる連体節は、特に連体節が修飾名詞の内容を表しているので、内容節と言う。
:「しかし肝心なのは、わが国ではひとり残らず嘘をつくというこのことにいまでは実際に確信をだいているという点なのだ。」
:「たちまちなにからなにまであるがままの姿を恥ずかしく思い、神様からロシヤ人に与えられた自分の顔をかくして取りすまし、できるだけ外国人らしいロシヤ人らしくない、別な顔になりたいという欲求にかられる。」
:「おい、俺から何を引き出させるっていうんだね? 俺の持っている金といえばこのタクシー代がやっとという有様なのに。」
▼被名詞修飾語を先取りする代名詞
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名詞句や連体節の中で、それがかかる被修飾名詞をあらかじめ指す代名詞が存在することがある。
:「私は再び生活を始め、自己をみつめることを投げうち、母のそれよりも厳しい言葉を聞かなかければならなかった。」
▼ダブル名詞修飾
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名詞修飾が複数ある場合、その順番に工夫の余地がある。
:名詞句・連体節と形容詞・形容動詞
:名詞句・連体節と動詞
:名詞句・連体節と限定修飾
:程度の副詞節+「の」+形容詞
:名詞句・連体節の後に「あの」「この」「真の」「第一の」「一種の」といった短い語を持って来る(冒頭に置くのではない)「生きることを停止する快さ、仕事や悪い欲望を遮断する真の『神の休戦』の快さ。」「われわれが自分自身となした契約、とくに、価値と善行の生を送るべくとり交わした第一の契約からわれわれが解放されることはない。」
▼トリプル名詞修飾
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:「氏もまた、時に十七世紀を思い出させる/例の格言風の/精緻な/雄弁と現実な秩序をもって、その未発表句のなかで彼女を称えている。」
:「われわれのひ弱さが哀願した庇護に対する意思表示とも思われる/母や友の/優しく変わらぬ、/しかし病が恢復に向かえば停止してしまう/あの/心づかい。」
:「レスコフ氏の物語に出てくるこの『天使』の聖像画も、教会の分裂起こる前からあらゆる正教徒の尊崇を集めていた、/ずっと昔から聖なるものとされていた/正教の/聖像画ではないか?」
▼名詞句・連体節・内容節の中の節(長い名詞修飾)
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:名詞句・連体節・内容節の中の総記並列節「あなたが故意に考え出したものでニェドーリン氏の作品にはどこを探してもぜんぜん見当たらない世を捨てて修道僧になったという小手先のごまかしさえ消え去ってしまえば、なにもかも立ちどころに明らかになるだろう。」
:名詞句・連体節・内容節の中の逆接の並列節「今では静まっているが、かつて波立ち揺れた生活」
:名詞句・連体節・内容節の中の副詞節「この繊細な試作品を浄化せずにはおかないほどに真心にあふれた憐れみの気持」「環境の圧力を十分に認めた上で、なお人間に環境との戦いをその道徳的義務として課し、どこで環境が終わり、どこで義務がはじまるかという境界を人間のために設けているキリスト教」「母や友の優しく変わらぬ、しかし病が恢復に向かえば停止してしまうあの心づかい」
:名詞句・連体節・内容節の中の名詞相当補足節
:名詞句・連体節・内容節の中の述語修飾句
:名詞句・連体節・内容節の中の名詞句・連体節(入れ子構造)「この書には、『架空話』が語られているが、かりに読まれないとしても、少なくとも私に対し、気軽な気持で見事な贈物をしてくれた偉大な閨秀画家を賛美する人たちによって注目されるだろう。」「それも一定の限度までで、その国の健全な世論とキリスト教的道徳に基礎をおいた文化の程度が許容する範囲内に限られている。」
▼文の組立てに寄与する慣用句
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述語を修飾するタイプの慣用句ではなくて、文の組立てにおいて重要な働きをする慣用句を示す。
:「……ばかりか……も」累加の意味を表す。
:「……やいなや」時間的同時性を表す。
:「……するが早いか」時間的同時性を表す。
:「……に……」動詞の間に用いて、意味を強める。「食べに食べる」
:「……ことは……が」譲歩の意味を表す。「読むことは読んだが」
:「……ともなく……」動詞の間に用いて、それとなく……という意味を添える。
:「……べくして……」動詞の間に用いて、必然性を強調する。
▼ダブル述語修飾
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述語を修飾する修飾語(句)が種類問わず複数ある場合、その順番に工夫の余地がある。
:「〔述語〕ように」(類似様態の副詞節)+副詞
▼名詞相当補足節を作る形式名詞
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「の」「こと」ばかりが名詞相当補足節のメルクマールではない。「……事態」「……羽目」といった形式名詞も考え得る。
:「そしてその挙句にクリーニング会社の男がやってきて、これを全部シミ抜きするんですかい、といったうんざりした表情で部屋のカーペットを見渡す羽目になった。」
▼名詞相当補足節+一語述語(動詞)
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:「……ことを嫌がる」
:「……のに驚く」
:「……のを急ぐ」
:「私はしばしば、きみたちが私からあまりに遠くにいるのを感じて悩んだ。」
▼疑問表現の補足節
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疑問表現が補足節になる場合には、形式名詞などは要らない。補足節の後に格助詞を付けるが、省略も可能である。
:「一体自分が犯罪者として追われているのかどうかが問題だ。」
疑問表現の補足節は挿入句的に用いて、想像できる理由などを述べるのに使える。
▼疑問表現の補足節の副詞節的用法
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挿入句的になるが、まさに副詞節のように働く。
:「小さなヴェールで隠されているその頬の上には、寒さのためか、それとも何か悲しい想いのせいか、心ならずもこぼれた一滴の涙がいつも乾きかけているのであった。」
:「昼間は城跡の塔まで見えるこの部屋は、おそらく鍵を掛けられるのがそこだけだったためだろう、私にとって長いあいだ、侵すべからざる絶対孤独を要求するすべての仕事のための、隠れ家になっていた。」
▼疑問表現の補足節と代名詞
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疑問表現の補足節は、その「答え」を文中代名詞で受けることができる。
:「私たちが生きているうちにこの品物に出会うか出会わないか、それは偶然によるのである。」
▼引用節の副詞節的用法
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補足節の中で引用の形式を取るものを引用節と呼ぶ(引用の助詞「と」を使用)。引用節に対応する動詞次第で、疑問表現の補足節と同様、副詞節のようにも機能する。
:「その像が道に倒れやしまいかと、私は前を過ぎる度に軽く神経を痛めた。」 - 引用の助詞「と」の後に、取り立て助詞各種を付けることが可能。
:「夫人は、満座のなかで自分がどんな立場かも忘れたとしか見えない。」
▼引用節の特殊形「……というのが」
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一見内容節(連体節)か名詞相当補足節のように見えるが、「という」で受ける「……」部分が一種の引用になっている場合が多いので、これは「……と(彼が)言っているのが……」という風な文形の省略であり、一種の引用節と看做せる。
:「わたしはなんと言っても遠くから見ているので誤解することだってありうるだろう、それに自分もやはりいまのところなんと言おうと祖国の外にいる人間で、そばで見ているわけでもなし、はっきり聞いているわけでもないのだから……というのがせめてもの慰めであった。」
▼名詞相当補足節の中の節(長い補足節)
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:名詞相当補足節の中の引用節
:名詞相当補足節の中の副詞節「わが国と同様に、あの国においてもこのような判決を下すことがあり得るとしても、そうめったには起らないということが立証されたわけだ」「かりに極度に興奮していたとはいえ、ともかくも完全に健康な人間に突如として幻覚が現われるなどということは、──たぶん、前代未聞のことに相違ない。」「あなたが現代的教養をきちんと身につけておられるにもかかわらず、このような態度でわたしにうるさくつきまとうのは、あなたにまったく似つかわしくないというただそれだけの理由からも、この点に関してはどうかわたしを放っておいてくださるように希望する。」
:名詞相当補足節の中の名詞句・連体節・内容節「ただここで問題になるのは、なにがなんでも無罪にしなければ気がすまないという妄執が、きのうまで卑しめられ踏みつけにされてきた百姓のあいだにはびこっているばかりでなく、ロシヤの陪審員のほとんど全員に取りつき、最高のエリート、つまり名門貴族や大学の教授連までそのとりこになっていることである。」
:名詞相当補足節の中の名詞相当補足節「それはまず第一に自分の義務は、なにをおいてもまずその判決によって、国民ならば誰でもそのために自分の血潮を捧げて悔いない古き英国にあっては、悪徳は依然として悪徳と、また悪事は悪事と呼ばれ、そして国家の道徳的基礎は依然として、いまも堅固であり、すこしも変わることなく、いまでも昔と同じようにきちんと確立されていることを、その全同胞の前に照明してみせることにあると、よく心得ているからである。」
:引用節の中の総記並列節
:引用節の中の逆接並列節
:引用節の中の名詞相当補足節
:引用節の中の副詞節
:引用節の中の名詞句・連体節
▼ダブル補足節
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隣接併置に近いレトリックである。
:「あの国の陪審員は、全英国の旗じるしが自分の手中に握られていること、自分はそのとき限り一私人という立場を棄てて、自分がその国の輿論の代表者とならなければならないことを、なによりもまず心得ている。」
:「これを推し進めていけば、犯罪をむしろ義務であると、「環境」に対する堂々とした抗議であるとさえ考えるようになるに相違ない。」
▼順接の並列節
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:総記の並列節 - 述語連用形総記
:総記の並列節 - 述語テ形総記(時間的前後関係の意味を含み易い)
:総記の並列節 - 判定詞のデ形総記「彼はみんなから好かれてさえいるようで、誰一人彼を侮辱する者はいなかった。」「わたしは本物の演劇を見馴れた芝居通で、見る目があると、彼らに思われたらしい。」
:否定の総記の並列節 - 否定のズニ並列
:否定の総記の並列節 - 否定のナクテ並列
:否定の総記の並列節 - 否定のナイデ並列
:否定の総記の並列節 - 「ない」の連用形並列
:例示の並列節 - 述語のタリ形、「とか」
:累加の並列節 - 「……ばかりか」(「この神秘的な恐怖感は単にこの闘争を中止させなかったばかりか、かえってこれを長引かせ、ほかでもない、その罪深い男の心から感動という感情をすっかり追い出すことによって、この闘争を決着に導くためにひと役買ったのだ。」)「……だけでなく」「……上(に)」「……な上(に)」「……にして」
:「が」の順接並列 - 逆接の接続助詞「が」は順接並列にも使われる。
▼逆接の並列節
-
:主節と従属節の対立 - 「が」「けれども」によって繋がれる。
:文中接続詞によるイレギュラーな逆接 - 形式上は総記並列節や累加の並列節や偶有依存の副詞節や様態の副詞節であっても、文中接続詞「しかし」「だが」「それでも」を用いて逆接として繋ぐことができる。
▼時の副詞節
- 時の副詞節は意味的に幾つかに別れる。
- (1)副詞節が主節の表す時代の起る時を表す
:「……とき(に、は、で、も、だけ、さえ、でも、まで、のみ、しか、こそ、には、にも、にだけ、にさえ、にまで、にのみ、にしか、にこそ)」
:「……折り」
:「……際」
:「……たび」
:「……場合」「知識階級の部類に属するロシヤ人なら誰でも、会合とか人なかに出た場合、おそろしく注文がやかましく、これだけは絶対に譲ることができない点というものがある。」
:「……はずみ(に)」
:「……途端(に)」
:「……やいなや」
:「……なり」
:「……暇もあらばこそ」 - (2)副詞節が表す事態の時が、主節が表す事態の時より相対的に前であるか後であるかを示す
:「……前(に、は、で、も、だけ、さえ、でも、まで、のみ、しか、こそ、には、にも、にだけ、にさえ、にまで、にのみ、にしか、にこそ)」
:「……以前」
:「……先」
:「動詞タ形+あと」
:「動詞タ形+のち」
:「動詞テ形+から」
:「……時から」 - (3)副詞節が主節の事態の続く期間を表す
:「……うち(に、は、で、も、だけ、さえ、でも、まで、のみ、しか、こそ、には、にも、にだけ、にさえ、にまで、にのみ、にしか、にこそ)」
:「……あいだ」
:「……ま」
:「……まで」 - (4)或る事態の持つ性質と別の事態の持つ性質が時間的に相関していることを表す
:「……につれて」
:「……に従って」
▼依存(条件)の副詞節
-
条件の表現は、或る二つの事態間の依存関係を表す。
:「述語基本形+ト」
:「述語テ形+は」
:「述語仮定形+バ」
:「……と思うと」「……と思えば」(予想外の個別依存関係というニュアンス)
:「述語タ形の条件形(タラ)」
▼仮定の副詞節
-
現実から独立した、仮定的な事態の関係を問題とする表現。「もし」「仮に」の副詞を伴う。
:「述語基本形・タ形+接続助詞「なら」」
:「述語基本形・タ形+「とすれば」」
:「述語基本形・タ形+「としたら」」
:「述語基本形・タ形+「とすると」」
:「述語テ形+は」「飼い犬が雑種を産んだりしては、彼の面目もつぶれる。」
:「述語基本形・タ形+「となると」」
▼譲歩の副詞節
-
一般的に、一旦仮定したものを否定してせるのが譲歩の表現である。「たとえ」「仮に」「もし」「どんなに」の副詞を伴う。
:「述語テ形+も」
:「述語タ形+って」
:「述語タ形+としても/にしても/にしろ/に(も)せよ」「しかしヴラースが合切袋を肩に放浪をつづけているのは生まれついての『愚かさ』によるものであるにもせよ、とにかくあなたは彼の苦悩がまじめなものであることを理解したのだ。」「自分でも自分の話を事実であると信じ込むようになったのは、言うまでもないとしても、とてつもない奇跡じみたことを話して聞かせた覚えはないだろうか。」
:「述語基本形+としても/にしても/にしろ/にせよ」
:「述語タ形+ところで」
:「形容詞連用形/述語終止形+とも」
:「……であれ」
:「述語連用形+こそすれ」「母は、できればこの欲求や習慣を私になくさせようと思いこそすれ、もう自分がドアのところまで行ったときにまたキスをせがむ習慣をつけさせようなどとは、とうてい考えるはずがなかった。」
:「述語基本形+とはいえ(ども)」「というのも、彼のうちには、類い稀な繊細さでつぎなわれているとはいえ、一種人を食ったところがあったからだ。」
:「述語否定形+までも」「寝ぼけまなこではっきりしたイメージを思い浮かべないまでも、一瞬ここかもしれないと思った住居、その住居に自分がいるのではないかと私は考えてしまったのだ。」
▼裏切り逆接の副詞節
-
或る事態(属性)が成立するのに伴って別の事態(属性)も成立すると予想されるのに、実際にはその予想が成り立たないことを表す。単なる主節と従属節の対立を表すのではない。
:「述語基本形・タ形+のに」
:「述語基本形・タ形+けれど(も)」
:「述語基本形・タ形+にもかかわらず」
:「動詞連用形+つつ(も)」
:「動詞連用形+ながら(も)」「人間を責任を持つべきものとしながらも、キリスト教はそのことによって人間の自由をも認めている。」
:「述語タ形+ものの」
:「述語連体形+のを」
:「述語基本形+どころか」
:「述語基本形・タ形+くせに」「彼は陰気くさい顔をしているくせに、聞き手の称賛を求める渇望は病的なほどだった。」
▼理由・原因の副詞節
-
事態の因果関係を表現する。
:「……ので」
:「……ために」
:「……結果」
:「……だけに」
:「……あまり」
:「……せいで」
:「……ゆえに」
:「……ばかりに」
:「……から」
:「……のだから」
:「……ものだから」
:「述語テ形」
▼付帯状況の副詞節
-
述語の修飾句と意味的には違わない。
:「動詞タ形+「まま(で)」
:「動詞タ形+「きり」
:「動詞連用形+「ながら」」
:「動詞連用形+「つつ」」
:「動詞テ形」
▼様態の副詞節
-
動作の特定のやり方を表す。
:「述語基本形・タ形+ように」
:「述語基本形・タ形+ごとく」
:「述語基本形・タ形+とおり(に)」
:「述語基本形・タ形+代わり(に)」
:「述語基本形・タ形+ついで(に)」
:「述語基本形・タ形+ほか(に)」
▼目標を表す副詞節
-
その目標を達成するための動作の表現は、主節の方に割り当てられる。
:「動詞基本形+ために(は)」
:「動詞基本形+のに(は)」
:「動詞基本形+には」「この傷が癒されるには、それだけの年月がかかる。」
:「動詞基本形+ように」
:「動詞基本形+べく」
▼程度を表す副詞節
-
:「述語基本形・タ形+くらい」
:「述語基本形・タ形+ほど(に)」「それこそものすごい情熱のとりこになって、ときにはほとんど両手を抑えて制止しなければならないほど、すっかり夢中になってしまう。」
:「述語基本形・タ形+だけ」
▼比較の副詞節
-
:「……より(も・は)」(「……よりも、むしろ……」のヴァリエーション有り)
:「……以上に」「言葉に出して言えば、醜悪と憎む以上に残忍と怖れるだろう。」
▼対比の副詞節
- :「……一方」「……反面」
▼(帰結・結論を導く)前提の副詞節
-
:「述語基本形・タ形+以上(は)」
:「述語基本形・タ形+からには」
:「述語基本形・タ形+かぎり(は)」
:「述語基本形・タ形+上で」
:「述語テ形+も」「彼女が自分で自分の命を断つことをあのようにためらっていたということひとつだけを取ってみても、彼女が実におだやかで、柔和な、愛にみちあふれた光に包まれていたことを証明しているというものである。」
▼副詞節中の節(長い副詞節)
-
:付帯状況の副詞節の中の並列節
:依存の副詞節の中の並列節
:依存の副詞節の中の時の副詞節
:仮定の副詞節の中の内容節「ドイツ人であっても、フランス人であっても、英国人であっても、自分は良心にかけてなにひとつ悪いことはしなかったという確信があるならば、……」
:時の副詞節の中の並列節
:時の副詞節の中の付帯状況の副詞節
:理由・原因の副詞節の中の並列節
:理由・原因の副詞節の中の理由・原因の副詞節(「から/ので」使い分け)
▼ダブル副詞節
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一文の中に副詞節が複数現れていても、どちらがどちらに組み込まれていると判断できない場合がある。二つの副詞節がともに主節の述部にダブルで掛かっている場合である。
:譲歩の副詞節+依存の副詞節「どんな愛玩動物でも見れば欲しくなる。」
:依存の副詞節+譲歩の副詞節「親子兄弟となればつまらん相手でも絆は断ち難い。」
:原因・理由の副詞節+譲歩の副詞節「気持が堕落すると考えたので、もうどんな名犬だとしても飼おうと思わない。」「心は徐々に変化してゆくものなので、たとえそのさまざまな状態は次々と認めることができるとしても、変化の感覚それ自体は与えられない。」
:原因・理由の副詞節+依存の副詞節「部屋にすっかりなじんだおかげで、寝るときの責苦を除けば、私には自分の部屋がなんとか堪えられるものになっていた。」
:譲歩の副詞節+仮定の副詞節「わたしの感じたとおりに伝えることはできないまでも、受取った感じをそのまま伝えようと努めるなら、……」
:仮定の副詞節+譲歩の副詞節「持ち運びのきかないものだったら、どんなに勿体ないと思われても、只で他の人にくれてしまう。」
:仮定の副詞節+裏切り逆接の副詞節「もしあなたが実際に司祭であったならば、わたしは、あの文章のありとあらゆる無作法な言辞にもかかわらず、それでもなお『あくまでも礼儀を保って』お答えしたに相違にない。」
:裏切り逆接の副詞節+原因・理由の副詞節「先夫との間に子供があったにもかかわらず、夫と死に別れてから永く経ったので、再婚した。」「だがそれでもこの嘘というやつは、本来はきわめて罪のないものであるにもかかわらず、非常に重要な国民性の特徴を暗示しているので、そこまでくるともう世界的な問題を提起しはじめていると言ってもいいくらいである。」
▼トリプル副詞節
- :原因・理由の副詞節+仮定の副詞節+譲歩の副詞節「しかしながらわれわれは与えられた現実の中で生活しているのであるから、もし物語がその上に組み立てられているならば、たとえそれが修道僧であったとしてもその物語からそれを追い出すわけにもいくまいではないか。」
▼副詞節・格助詞相当句の主節化(主節の名詞相当補足節化による節順転換)
-
主節を名詞相当補足節に書き換えることで、従属節であった副詞節を文の中心に持って来ることができる。「私が……した時に、彼が……した」という文なら、「彼が……したのは、私が……した時である」という風に。
:「その農夫のおかげで同じ感動がすべての人の心に同時に起るものではないと私が知ったのも、その時である。」「彼に家族の思い出というものがないのは、十五になるかならないかで辛い出稼ぎに出たからだ。」 - 格助詞相当句も同様に節順転換できる。「そのハンマーによって、岩は砕かれた」という文なら、「岩が砕かれたのは、そのハンマーによってだ」という風に。
:「教会が自己を意識し、個性と責任のある存在を主張しているのは、その鐘塔においてである。」
▼例化併置
-
読点を利用して或る要素を反復すること、それが併置だ。併置の一番オーソドックスなものとして、或る語に対して、その下位分類であるような語を例として併置して挙げていく、例化併置がある。
:「ただしその考えは少々特殊なものになりかわっている。自分自身が、本に出てきたもの、つまり教会や、四重奏曲や、フランソワ一世とカルル五世の抗争であるような気がしてしまうのだ。」
:「冬の部屋、そこでは寝るときになると、枕の端や、毛布の端や、マフラーの一端、ベッドの端、『デパ・ローズ』紙の一部など、およそ雑多なもので巣をこしらえ、最後にはあくまで鳥が巣を作る技術を頼りに、これらを一緒に塗りかため、その巣のなかに首をちぢめてもぐりこむのである。」
▼隣接併置
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併置されるもの相互で共有される要素はないが、何かの点で類似したものを次々に併置していくのが隣接併置。
:「死のなかにも、また死の周辺においてさえ、隠れた力、人目につかない援助、生のなかに存在しない一つの『恩寵』があるのだ。」
▼言い換え併置
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名詞修飾を負った或る名詞、その同じ名詞をまた新たに書き下ろした修飾句を負わせて併置する。それが言い換え併置である。
:「彼は高校時代の昔話をしては、突如よび起してくれたものだ、決して長い眠りにふけってはいない笑いを、しかし今ではもう二度と聞くこともないあの笑いを。」 - 言い換え併置は被修飾名詞を先行詞とみなすことで、関係文的にも記述できる。
:「紅茶はその真実を目ざめさせはしたが、それが何であるかを知っておらず、徐々に力を失いながらただいつまでも同じ証言を繰り返すだけなのだ──私には解釈のつかない証言、せめてお茶に対してそれをいま一度求め、そっくりそのままそれを見つけだして、決定的な解明のために今すぐ私の自由にしておきたいと願うあの証言を。」
▼詳細化併置
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言い換え併置の下位分類。異なるのは、まずほぼ無修飾の被修飾語が先行し、次にそれに対する併置という形で名詞修飾を負った被修飾語が来るところ。
:「私は心配でたまらなかったので、別な視線、知らず知らずに懇願するような、彼女の注意を私に向けさせ、無理矢理私と知り合いにならせようとする視線で、彼女を眺めたのだった。」「だがわたしは依然として、彼らこそ、つまり悔い改めたあるいは悔い改めることのない、ほかならぬこうした種々さまざまな『ヴラース』こそ、最後の言葉を口にする人たちに相違あるまいという意見なのである。」
▼副詞節(述語修飾句)の併置
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例化併置 - 或る上位の副詞節を出し、それをやはり同じ種類の副詞節によって例化していく。
:「どんな天気であっても、土砂降りの時でも、或いは洗濯物を家政婦が大慌てで取り込むような時でも、……」 - 言い換え併置 - 或る種類の副詞節を内容を言い換えたまま繰り返す。
:「その魂は、私たちがたまたまそれを封じ込めているものを手に入れる日まで、多くの人にとって決して訪れることのないこの日までは、失われたままだ。」「しかしながらたとえあまり目立たない形をしていても、それこそ無数のその他のきわめて高尚な感覚に圧しつぶされているような場合でも、なんと言おうとこの感覚は陪審員のひとりひとりの心の中に、自分の公民としての義務を最高度に意識しているときでさえも、固く根を張っているに相違ない。」
▼名詞相当補足節の併置
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二文に別れるはずの文を句点に代わって罫線で繋ぐことができる。
:「そして私の身体、下側にしている脇腹は、精神も絶対に忘れてはならなかったはずの一つの過去をちゃんと覚えており、壷の形をして天井から下げられているボヘミヤガラスの常夜灯の炎や、シエナの大理石でできた煖炉など、遠い昔にコンブレーの祖父母の家の私の寝室にあったものを思い出させるのであった──その昔の日々のことを、私は正確に思い浮かべたわけではないが、しかし今はそれを現在のことのように考えており、またやがてすっかり目をさませば、それがもっとよく見えるようになるはずだった。」
▼言い換え併置と罫線
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言い換え併置は普通読点を介して加筆的に文章に挿入されるが、その読点を罫線で置き換え可能な場合がある。
:「或いはまた眠りながら、永遠に過ぎ去った幼い頃の一時期に楽々と追いついて、大叔父に巻毛を引っぱられはしないかといったような他愛もない恐怖感、その巻毛が切られた日──つまり私にとって新時代が始まった日──以来、消え去っていた恐怖感をふたたび見出すのであった。」
▼罫線による後方切り出し
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罫線(ないしは読点)によって、副詞節・述語修飾句・長い名詞修飾を負った語を、長文から後方に切り出すのは常套手段。
:「渦を巻いて錯綜するこういった思い出は、かならず数秒で消えるけれども、そのときよく私は、ちょっとのあいだ自分の居場所があいまいになり、そのあやふやな状態を作りだすさまざまな想定を互いに区別することもできなくなってしまう──ちょうど本物の馬が走るのを見るときには、映写機が次々と映し出す馬の位置をばらばらに切り離すことができないように。」 - 罫線の代わりに読点を用いることもできる。
:「だから、善を希望するにはあまりに弱く、悪を充分楽しむには品がよすぎ、知っていることは悩みだけといった私は、彼らについて、ただ語ったのだ、この繊細な試作品を浄化せずにはおかないほどに真心あふれた憐れみの気持ちをもって。」
▼日本語における関係文(のようなもの)
- 日本語における関係文を考えるには、文中に現れる普通の代名詞と、関係代名詞(のようなもの)を区別する必要がある。簡単に言えば、「新たな文」を導入するような代名詞こそが関係代名詞だ。
▼関係文(のようなもの)を書く際の二つの基本
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(1)先行詞となり得る語は、主文から自由に選んでよい。主文における語はどんなものでも先行詞になりうる。副詞でさえも。名詞修飾句中の語でさえも。「私が村はずれで出会ったのは一人の少女だったが、その村においては…」
:「私は田舎の、もう何年も前に死んだ祖父の家にいるのだった。そして私の身体、下側にしている脇腹は、精神も絶対に忘れてはならなかったはずの一つの過去をちゃんと覚えており、壷の形をして天井から下げられているボヘミヤガラスの常夜灯の炎や、シエナの大理石でできた暖炉など、遠い昔にコンブレーの祖父母の家の私の寝室にあったものを思い出させるのであった──その昔の日々のことを、私は正確に思い浮かべたわけではないが、しかし今はそれを現在のことのように考えており、またやがてすっかり目をさませば、それがもっとよく見えるようになるはずだった。」──関係節が先行詞としているのは「遠い昔」 -
(2)先行詞に対応する語の関係節内での役割は、自由に選んでよい。例えば「私が村はずれで出会った少女、その少女は…」と続けるだけでなく、「その少女の〜は…」「その少女に…」「その少女と…」「その少女を…」と、関係節内での関係代名詞の役割は自在に選べる。また、関係代名詞の語順も必ず冒頭でなければならないということもない。
:「この試作品に音楽の詩を寄せてくれたわが心の友も、他に並びなき詩の音楽をたまわった、名声高い、敬愛する御師も、さらにまた、偉大なる哲学者であるダルリュ氏も──文字よりもたしかに永続するものと思われる氏の天来の言葉は、他の多くの人々の場合と同じく、私の内部に思想を生み出してくださった──この世に生うける人は、どんなに偉大な人、親しい人といえども、誉れうけるのは死者のあとにおいてのみ、ということを思い出されて、私がこの愛情の最後の証をきみウィリーに送ったことをゆるしていただきたい。」──「ダルリュ氏」を先行詞として、対応する語を関係節の中では「氏(の言葉)」という風に限定修飾で使っている
ちなみに、提題助詞「は」を用いた「象は鼻が長い」式の文章を日本語における関係文に近いものとする意見もある(中井久夫)。
▼単語以外のものを受ける文中代名詞
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従属節を受ける文中代名詞はとりわけ文章の幅を広げる。
:並列節を受ける文中代名詞「その時よく私は、ちょっとの間自分の居場所が曖昧になり、そのあやふやな状態を作り出すさまざまな想定を互いに区別することもできなくなってしまう。」
:引用節を受ける文中代名詞「神秘と美がこうして侵入して来ると、どんなに嫌な気持がするものか、それは言葉にすることもできない。」
:副詞節を受ける文中代名詞「休日に私が農村の入り口まで足をのばすこともできた時、きっとそんな時にはそこで農家の娘に出会ったであろうに。」
:名詞相当補足節を受ける文中代名詞「公民になりきれるということ──これは自分をその国の全輿論にまで高める能力を持っているということである。」
:疑問表現の補足節を受ける文中代名詞「ロシヤ人一般のこの虚言癖はなにを暗示しているかと言えば、それはわれわれはみんな自分自身を恥ずかしく思っているということである。」
:長い修飾句を負った名詞を受ける文中代名詞「教養もないのに、なぜか自分の環境とは縁のない言葉や概念で口をきくことを余儀なくされた人間のいちばん大きな特徴──それは、当人はあるいは、その意味を知っているかもしれないが、自分とは別の階層の人たちが理解している多様なすべてのニュアンスまではわきまえていない語彙の使用に、いくらか不正確な点が見られることである。」
▼文中接続詞による複合文内での転換
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文中接続詞によるイレギュラーな接続については、複合文内での逆接(文中接続詞「しかし」「だが」「それでも」による)をすでに取り上げたが、その他にもさまざまな形で、とりわけ「述語の終止形+読点」と接続詞の組み合わせで、ヴァリエーション豊かな転換を一文内で行うことができる。
:「最後にもうひとつ、わが国に芸術家たちが、現実の現象をはっきりと心に刻みつけ、その特徴に注意を向けて、そのタイプを芸術的あものに仕上げようとする自分には、そうしたタイプは大部分すでに過去のものとなって姿を消し、時代の推移とその進展にともなって、別のタイプに退化している、したがってわれわれのテーブルに供されるのはほとんどつねに新しいものではなくて古いものであるという事実も、やはり考慮に入れなければなるまい。」
中井久夫「翻訳に日本語らしさを出すには──私見」からのメモ
- (1)翻訳の際には、特に前の文章とのつながり(接続)に注意する。論理的水準の接続、文のかたさの水準の接続にも気を付ける。つながりを翻訳しないと、いわゆる翻訳調になる。
- (2)複合文の場合、一応文法とは離れて、著者の主張したいことが文章のどちらの部分にあるかを考え、残りの部分が、別の言いたいことを付加しているのか、言い直している(敷衍)か、さきの部分で言いたいことの一部を拡大している(補強)か、あるいはかりそめの反対論を持ちだして言いたいことを強調しているのか、反対論をおとしめ、あざわらうために持ちだしているのか、を考えると論旨の一貫性が保てる。逆に、論旨の一貫性から翻訳上の判断を下すともいえる。学校文法に頼っていると逆になる場合があるので注意。
- (3)文章がかたくなりすぎたと感じた時、二度読まないと意味が通じにくいと感じた時は、どれかの語の後に「というもの」あるいは「ということ」をつけると通じが良くなることが多い。これは、一般論を正面きって論じるのが日本語は苦手であるために生じる困難を避ける一工夫。終止形で終わる文章を続けると息づまる感じがするのは、日本語のこの苦手の現われではないか。「しかしそこが問題のところで、わたしには無罪にされた理由が分からないので、戸惑ってしまうというわけである。」
- (4)時には、単純な言い切りの文を、「ではないか」「であるまいか」「かもしれない」と訳すほうがよいことがある。単純な言い切りだけで数個の文章を続けると、肩が凝る(そういう効果を狙うなら別)。さきに述べた日本語の欠点。
- (5)複数の形容詞が一つの名詞にかかっている場合、その順序は、西欧語と逆にすると、とおりが良いことが多い。名詞、特に抽象名詞の羅列の場合も同じである。何を先に何を後にするかという感覚は日本語と西洋語で逆らしい。
- (6)日本語にあって西欧語にない、対語(高低、遠近、寒暖など)を使う。フランス語のように「深い」はあって「浅い」がない国語もある。原文を忠実でありすぎると、日本語の持つ多くの可能性を殺してしまう。
- (7)日本語の特徴である、動詞の複合形が簡単にできるという点を活かす。「伸び悩む」「慣れ親しむ」「かけのぼる」等々。これは日本語の大きな利点。西欧語では、名詞をつらねることはできる言語は多いが、動詞はつらねられない。
- (8)二重主語(?)を活用する。「象は鼻が長い」式文章のこと。翻訳では「象の鼻は長い」式になるが、前者に替えると良い場合がある。「は」を提示格という人がいる。関係代名詞のない日本語の欠陥を補って長く複雑な構文を可能にするために発達したものかもしれない。まず、「……は」とだしておいて、それについて説明文を構成するとよい。
- (9)「する」と「している」の区別は、翻訳の際にこちらで判断して区別するべきものだ。しばしば「する」を無反省に使用するために訳文がぎごちなくなる。
- (10)「……して、……して」と続くのは違和感がある。「……し、……し、……し」(連用形はすべて同じ)と続け、最後だけ「……して」(連用形プラス「て」)とするとよいようだ。
- (11)文章を並べてゆく時の接続詞の順序は、「また」「なお」「さらに」という順序が良い。「そして」は第一番目に使えるが、あまり使うとだれる。
- (12)形式名詞「こと」が一つの文章に二つあると違和感が生じる。「の」その他で置き替えるか、別の工夫をする。
- (13)「のである」「のだった」を動詞終止形の後に付けると、文章が書きやすくなるが説得調になり、しばしば、文章の品が下がる。そこで、スランプの時は「のである」を乱発して、後で消すとよい。「のである」は、「前の文章をもう一度振り返って下さい」という記号だけに使用するくらいに留めるのがよい。なくてもいっこうに困らない「のである」「のだった」の多い文章は信用度が下がるので注意。
- (14)「……は、……は」と「は」が二度続く時は、最初の「は」を「には」に替えるとよい。
- (15)「の」はいくつ続けてもよい。「足引きの山鳥の尾のしだり尾の……」
- (16)日本語でもある程度頭韻(アリテレーション)を活用するほうが(英語ほどでなくても)通りのよい文章となる。「てっとうてつび」など、熟語には頭韻を踏んであるものが多い。
- (17)ものの成り行きや仕事の手順は読んで目に浮ぶ順、頭の中で(あるいは実際に)組み立てられる順、極言すればビデオに撮れるように。